善意は友のためならず
「警察…って…何やったんですか…」
唖然として天秋は尋ねる。警察が家を見張っているなど、何かの容疑者だと思われているのではないか。
「違法動画サイト摘発のニュースは知ってるか? シロマナの役員が関わってそうだってやつ」
「あ、はい。そういう噂があることは」
「噂じゃなくて、事実なんだ。その役員ってのが叔父でな。『趣味』の合う奴らと一緒に、そのサイトに神事を切り抜いた動画を売ってたってさ。陽大がリークすると思ってなかったみたいでな。…アイツが泣き寝入りするわけないのにな…」
ふっ、と一瞬だけ遠い目をした大耕から陽大の名前が出て、不意に記憶が蘇ってくる。
咲紀も言っていたが、学内で大耕を見かけている。その時、陽大と一緒にいて、何かを渡していた。
頭の中で、崩れていた道路が、少しだけ形を取り戻す。
「……貴方が、陽大と帆菜実に、シロマナの野菜を……?」
「ああ、そうだ。面識もない俺が突然、野菜を渡しても受け取らないだろうから、陽大を通じて渡したんだ」
「なんで、そんなことを。陽大が帆菜実に惚れてたのは知ってたでしょう?!」
「清司の嫁の候補になるだけで、少し恋路の邪魔になるだけだと思ってたんだよ。言っただろう? 天瀧家の呪いは知っていても、祟は信じていなかったって。…俺は清司に死んでほしくなかったんだ」
俺は天瀧清司の親友だと自負していたからな、と大耕が自嘲する。
清司が15歳になり、神の器になって姿が変わった。その後、天瀧の父親が事故で全身麻痺となったことで、代替わりとなった。そこで初めて「天瀧家の呪い」が実在するものなのだと実感したのだという。
1度だけ訪問した天瀧家で、麻痺した手足が胴体に癒着した結果、家の中を蛇のように這いずっている元当主とそれに付き従う虚ろな妻を見た大耕は「これが清司の未来なのか」と背筋が冷えたという。
父親も、祖父も。代々続く呪いによって重篤な障害を負い、いずれ無様な蛇のなり損ないになると知っていながら、周りの大人達が恭しく己を現人神だと持ち上げる様を冷めた目で見ていた友人を放っておけるものではなかった。
「今はどちらがマシか本人に委ねるべきだったと思うが…当時は、それでも死ぬよりマシだと思ったんだ。祟の内情や巫になることがどういうことかわかって、後悔してるよ」
「後悔した、だけですか?!」
「…君ならどう償う。自分が良かれと思って身内に話したことが、後輩たちの恋路と将来と命を奪うことに繋がり、救いたいと思っていた友人にその後始末を押し付けたとして、どうしたら償いになる? せめて、彼らが納得する終わり方ができるように手を貸す。俺にはその程度のことしかできないんだ。…そういうわけで、清斗を夏休みの間だけ預かってくれ。永遠に、というわけじゃない」
高校の夏休みが終わるまでに引き取り先が見つかるようにしてある、という大耕は相変わらず、胃のあたりを撫でさすりながら、料理を口に運んでいる。顔色も段々と青褪めてきており、額には脂汗が浮いていた。
天秋がマスターに向かって救急車を呼んでくれと声を上げようとすると、大耕は手で制する。
「最後に思い出を噛みしめるくらいはミシロ様も見逃してくださるさ」
時間をかけて完食した大耕は、ICレコーダーを天秋の前に置き、2人分の会計をして店を後にした。
独り席に残された天秋は、ICレコーダーを手に取りながら大耕が語ったことを反芻していた。
良かれと思って話した、とは何を話したのか。後輩たちが陽大と帆菜実のことだとして、命を奪う、というのはどういうことなのか。その後始末を、清司に押し付けた、とは…?
加巳之皓御霊から聞いた巫の交代は、ただ陽大が帆菜実を守る為に神を騙した、というだけではないのかもしれない。
ことり、と新しいコーヒーカップが目の前に置かれる。音に気付いて顔を上げると、マスターがニコニコと天秋を見ている。
「大ちゃんの後輩さんの、更に後輩さんなんだってね」
「え、ええ…直接のではないですが…」
「アキくん、ええっと、あきひろくん、だったかな? その子の後輩?」
「はい、そうです」
「そうか、アキくんの後輩さんか。あの子もだいぶ会ってないけど、元気そうかい? 最後に来てくれた時、さっきの大ちゃんみたいでね。心配だったんだよ」
「大耕さん、みたい…?」
「アキくんもね、青い顔しながらゆっくり食べてたよ。最後に来れて良かった、ってさ」
来れなくても元気でいてくれれば良い、と言ってマスターはまた定位置のカウンターの隅に戻っていった。
喫茶店を後にした天秋は、大学に戻り図書館に向かう。大耕と話していて、陽大の残した資料を読み解かなくては彼を救う方法を見出せないと感じたからだ。
特に加巳之皓御霊が答えたことは、「神から見た解釈」であって、人間側の事情が反映されていないようだった。
しかし、陽大の悪筆を除外しても、天秋には知識が足りない。解説になる資料を探そうと思った。
ふと、視界に入ったデジタルサイネージを見て、足が止まった。
デジタルサイネージには、学内交流用掲示板で多く言及されたニュースや単語がランキング形式で発表されていた。
夏期休暇やオープンキャンパス、前期試験の日程と言ったものの中に、注目ワードとして「閉架記録庫」が入っていた。
(注目されてる…? 都市伝説が??)
天秋が学食で聞いたのは1ヶ月程前で、その時にはほとんど知られていなかったはずだ。怪談ラジオで取り上げられたとのことだが、後で調べた時にはリスナーは4桁前半といったところで、学内の注目ワードに上がるほどの拡散力はないはずだった。
ポケットに入れていた学生証を取り出し、足早に入場ゲートに向かう。ガシャンとゲートが開き、1歩足を踏み出した。
それまでの明るい空間が、聳え立つ本棚の壁に囲まれた薄暗い空間に変わった。
「また、貴様か。現し世のものでは飽き足らず幽世のものまでとは恐れ入る」
背後から数冊の本を抱えた男が、呆れたように天秋に声を掛けた。初めて閉架記録庫に遭遇した時の赤い上着を着た不遜な態度の司書だ。
「来ようと思って来たんじゃない」
「ここは望み認められなければ入れん」
「俺が望んでいる、と? 大体、誰に認められてるって」
「神が認め、貴様が望んだ。だから入れる」
最近は来場者が多くて補充が追いつかん、とぼやく男は手に持っていた本の1冊を棚の中に配置した。
男の言葉通り、以前はぎっしりと背表紙が並んでいた本棚は随分とゆとりがあるようだった。
「貴様の本は、今見繕っている。しばし待て」
「…なんで本が減ってるんだ?」
「除籍されたからだ。ここは『閉架』記録庫だぞ? 空間は有限なのだから、求められなければ除籍される。至極当然のことだろう」
当たり前のことを聞くな、とばかりに男はため息を吐く。相変わらず、態度は悪い。
「除籍されたら…どうなる…? まさか、消える…?」
「消えるだろうな。だが、困らんだろう? 貴様とて何度も来ているが、何も覚えていないだろう?」
「そんなことない。俺は加巳之皓野菜の料理本を忘れてない!」
「他は? ここには何人も司書がいるし、俺だけに限っても片手で足りない程度には貴様に本を見繕っているが、覚えているのはそれだけだろう」
司書の言葉に、天秋は目を瞠った。
閉架記録庫は異界の図書館で、そこに足を踏み入れれば、渡された本を読み終わるまでは帰れない。読んだ本は忘れる。
忘れ方にバリエーションがある、と気付いていなかった。訪れたことすら忘れてしまうとは。なまじ、読んだ本を覚えていたり、忘れてしまったことを覚えていたから余計に、気付けなかった。
「これが今回の記録だ。名前を書いて、さっさと読んで帰れ」
つまらなそうに司書が天秋に本を突き出す。和綴じになった手記のように見える。題名はなかった。
「その記録は、『蛇を神にした男達の手記』だ。閲覧席はあそこ、さっさと読め」
手記を受け取った天秋は呆然としながら、閲覧席へ向かった。
閲覧席に座り和綴じの手記を机に置いた天秋は、腕を組んで手記を睨みつける。
一昨年の10月のことと言い、自分の記憶を信用するのは危険だ。何かを忘れた、と認識できていればいいが、それすら忘れてしまう可能性が高い。
だが、題名を聞く限り、資料を紐解いていく上で失われてはいけないものであるはずだ。
覚えて帰れないならば、持ち出す、というのはどうだろう。
例えば、読み終えたらカバンの中に入れるのは?
抱えていた本を本棚に配置していく不遜な態度の司書をチラリと見る。スラリと伸びた足を見てから、自分の足元を見る。
(…ダメだな。歩幅で勝てないから、多分捕まる)
1ヶ月前に聞いた時の噂では、司書は屍人と思えない程の早さで追いかけてくるという。
どう見ても新鮮なあの男であれば、走り出した途端に首根を押さえつけられそうだ。試すにはリスクが高い。
ならば、何かに書き付けてはどうだろうか。ノートに書き写すというのは?
予備のノートがあったはず、とカバンを開くが財布と自宅の鍵しか入っていない。
(貴重品だけ?! なんで、そういう配慮があるのに…)
ハッとして、服のポケットを探る。携帯電話もない。記録できるからだと思い至り、天秋は項垂れた。
「諦めて、さっさと読んで帰れ、愚図め」
「どうにかして…覚えて帰りたい…」
「貴様に許可を与えた神次第だ。身代の神なら覚えて帰ることを許すだろうが、巳皓の神は許さない。…今日は珍しく身代の神だった」
天秋の方を見ることはないが、最後だけ声を潜めて司書が言う。
司書は微妙にイントネーションを変えて、神が二柱いることを伝えた。声を潜めたのは、おそらく話すべきでないことだからだろう。
司書の言う身代の神を今だけ信仰することにして、天秋は手記に手を伸ばした。
2026/08/16 大作→大耕 に修正 (名前を間違えてました…)




