使役される者たち
蛇は単独行動を基本とし、群れているように見えても居心地が良い条件が揃ったことで偶然集まる、と考えられている。
例えば、繁殖のために複数の蛇がボールのように絡まりあっていた。あるいは、地熱があり冬眠に適した場所に、同じ種の蛇が集まりコロニーを形成しているように見えた。集まる条件が解消されれば、また単独行動に戻る、そういう生き物だと。
蛇神信仰についての概略を調べていた時、天秋は蛇の生態についての研究論文を取り上げたネット記事を複数見つけた。
特定種の蛇が、互いの位置や行動に合わせて捕食のための行動を変える、つまり集団で狩りをしている様が観測されたというものだった。
今、蛇たちは天秋たちの動きを連携して誘導しようとしている。そう天秋には見えていた。
窓枠を乗り越えようとする帆菜実のことは無視して、天秋を威嚇する。その横で、帆菜実のもとへ合流しようとする咲紀に対しては、敢えて通路になる空間を残し通るべき道を制限するような動きをする。
明確に攻撃を加えた天秋を脅威と認識した。だから威嚇する。それは理に適った行動だ。だが、咲紀を帆菜実と合流させようとすることに、どんな理があるのか。
帆菜実と咲紀が窓から外に出ると、お前も行けと言わんばかりに天秋も窓側へと追いやろうと飛びかかる。
(多分「何か」が蛇を操ってる…だが、目的はなんだ…?)
根拠があるわけではないが、天秋は蛇たちがまだ害意を向けていないと確信していた。
操っている何かは、自分達にさせたいことがあるのだろう。だが、それが何かはわからないし、敵意がないからと無視すれば、この状況は一気に悪化する、とも感じていた。
「車の中に!」
「わかった!」
天秋はポケットから車のキーを取り出し、咲紀に向かって投げる。キーをキャッチした咲紀が視線を向けると、駐車場に停まっていた2台の車は既に隙間もないほど、蛇に群がっていた。
「嘘…?! どうして…」
「逃さないってこと…?」
まるで蠢く怨念を一身に纏った化物が触手を伸ばすように咲紀に向かって蛇が噛みつこうと咲紀と帆菜実に飛びかかった。
車から離れた蛇は威嚇と噛みつきを使い分けながら、天秋たちを車から引き離していく。
合宿所の中に侵入していた蛇たちはいつの間にか外に出てきており、車からも施設からもジリジリと追いやるように天秋たちへと距離を詰めてきた。
逃げ道を探すように視線を向ければ、そちらを塞ぐ。そんな攻防を繰り返しているうちに、気付けば合宿所も車も視界の端から消え、山の中に追いやられていた。
(やっぱり、コイツらは俺たちを山の中のどこかへ連れていきたい…いや、誰かに会わせたいのか…? 前も、こうやって誘導してた…)
山の中へと追い込むように襲ってくる蛇たちに既視感を覚えながら、咲紀と帆菜実を連れて逃げる。
こうして蛇の大群に誘導させて、あの「何か」が自分たちを呼ぼうとしている。天秋はそう考え、不意に全身が凍りつくような感覚に陥った。足が縺れ、勢いのまま倒れ込む。
「天秋?!」
「…なんで…俺」
「天秋、起きて! 蛇がっ!!」
「天秋っ! きゃあ!!」
倒れ込んだ天秋を覆い隠すように一斉に蛇たちがのしかかってくる。
咲紀と帆菜実が悲鳴混じりに自分を呼ぶ。体を締め付けられ、2人も同じように地に引きずり倒されるのを、危機感とそれ以上の諦念で見つめる。
(前にも同じことがあった…でも、8月の旅行じゃない。俺は何か大事なことを忘れてる)
自分の記憶は失われていない、と天秋は思っていた。思い込んでいた。だが、こうして蛇に引きずり倒されるのは正確な時期を思い出せなくとも初めてではなく、今の状況につながる重大な出来事だったと、後悔と共に得心していた。
体の中の空気が絞り出されるような息苦しさで、天秋の視界はじわじわと狭まっていく。
脳内の舗装路は前も後も崩れ落ち、出来上がった溝は蠆盆のように蛇で埋まっていた。
一昨年の滞在最終日、暗闇の中で聞いた鈍く噛み砕く音に混じった陽大の小さな苦悶の声が天秋の深い記憶の底から蘇って来る。
かろうじて聞き取れた相手の声は、今思えば、清司のものだったとわかる。
男である陽大が巫と呼ばれる妻の立場に収まるにあたって何か条件を誤魔化したこと、それを蛇神が容認しつつも本能的に排除しようとして体の一部を喰らおうとしていることを話していた。
2人の会話は、心中を画策しているような響きを持っていた。
「蛇って敵対してる雄同士は共食いもあるらしいからなぁ。オレが食い殺される方が早そう」
「目的あってのこととはいえ、誤魔化されてくださったんだ。お前次第だろう。…もっとも、消える瞬間まで抗うんだろうがな」
「内心の自由は差し出せねぇけど、誓約したことは守るよ」
自嘲するような響きが清司の声に混ざっていたが、陽大は否定しない。
「そろそろ時間だ。天秋は、眷属に案内させる」
「…相変わらず紙代村の人間を信用してないな、清司さんもミシロ様も」
「信用できる要素がない。天秋を無事に帰したいなら、眷属に任せた方がいい」
2人の声が遠ざかっていき、それと同時に周囲に大量の蛇がどこからともなく現れた。
眷属である蛇たちは、群れとなって道を作り、天秋を地下に誘導していった。
呼び覚まされた記憶は、天秋の思考も感情もぐちゃぐちゃにかき混ぜる様な混乱を招いていた。深く沈んで思い出すことのなかったそれは、紙代村の「因習」のようなものに深く関わっているとしか思えない。
陽大が高見教授の研究室に集めた郷土資料を残していた。それを読んでいくうちに、紙代村がただの「蛇神信仰」がある土地、とは思えなくなっていた。陽大はきっと「蛇神信仰にまつわる、表に出せない事情」に関わったのかもしれない、とも考えていた。
だが、自分がこれほど深く関わっていたとはまったく考えていなかった。帆菜実の告白を聞いてもなお、そう思っていたのだ。
陽大に言われた「生きている者に向き合うべきだ」という言葉が、重く体の内で響いていた。
精神面では事態の重大さが土砂で埋められたように重く圧しかかっていたが、身体の方は重さを微塵も感じないことに気付く。
そろりと開いた視界に入ってきたのは、巨大な湖を一望できる開けた山間の風景だった。
日は落ちていたが、月明かりがさしている。満月が近いせいか、他の光源がなくても周囲の様子ははっきり見えた。
(もしかして、大耕さんが言ってた、高台か…? いつの間にこんなところに…)
天秋の近くには、大きな木を背に咲紀と帆菜実が互いに寄りかかる様にして座っている。どうやら、2人はまだ意識が戻っていないようだった。
不意に耳馴染んだ声が聞こえた。
「首尾は?」
「銀塊はいつも通り。例の映像の件は『ご利益』の範疇じゃないってのは伝えた。全国紙は微妙だけど、地域紙は社名が載るかもって馬奈木社長、めちゃくちゃ不機嫌だったよ。そっちは?」
「穏便にと眷属に伝え忘れたな、と反省しているところだ」
「伝え忘れた? 2人を丁寧に扱う気がなかっただけでしょ」
「…怒っているか?」
「どっちかといえば、呆れてるかな。取り繕っても、お互い心の内なんて筒抜けなのにって」
声へ視線を向けると、落下防止のために設置されたのだろう木製の柵に寄りかかる人影があった。
長身の男ーー清司が、濃鼠の浴衣を着た人物を抱き抱える様に支えながら話しているのを見つけて、天秋は鼓動が跳ね上がった。
電話越しに何度も話した声は、天秋にとって耳に馴染んでいて忘れるはずはない。だというのに、目の前の姿と記憶の中の姿がうまく重ならなかった。髪が伸びている。最後に会った時よりも痩せている。だが、その他の変化は、時間経過で起きるようなものではなかった。
「陽大…なのか…?」
「直接会うのは久しぶりだな。頭が冷えるまで連絡すんなって言われてたけど、冷静になった?」
「その姿、どうして…」
「そろそろタイムリミット近いから、この後のこと報告しとこうかなって思ったんだけど…清司さん、どうする?」
「説明を。まだ渡さなければならないものもあるし、ミシロ様もいらっしゃっている」
「了解。…それじゃあ、改めて紹介からやろうか」
陽大の言葉を合図にした様に、それまでかかっていた薄い雲が風に流され少し欠けた月が天空に姿を現す。遮られることのない月明かりは、目を眩ませるほどに強く、思わず天秋は目を眇めた。
目を逸らしたのは、光に目が慣れるまでのほんの数秒のことだった。
その間に清司の姿は蜷局を巻いた巨大な白い蛇に代わり、陽大の体をその身で支えるように添っている。
白い大蛇に寄りかかって立っていた陽大の表情からは、すっと感情が抜け落ちていく。
浴衣から覗く陽大の肌は月光を反射するように白い鱗に覆われていて、感情が消えた彼の姿が蛇の伴侶であることを突きつけるようだった。
「此度現れしは、加巳之皓御霊、我が紙代の鎮守であらせられる。今宵のご降臨は、来たる長月に下される沙汰の見極めを伝えるがため。心して拝聴せよ」
2026/08/16 大作→大耕 に修正 (名前を間違えてました…)




