第二十章 そして、日常へと
——あの伝説のカーチェイスバトルから、二週間が経った。
あの日の騒ぎが嘘だったみたいに、街には少しずついつもの日常が戻り始めていた。
最初の数日は、まだ油断できなかった。どこから情報を聞きつけたのか、僕たちを狙って襲ってくる敵は何度か現れた。大学へ向かうだけでも周囲を警戒して、車の音や人の気配に敏感になっていたくらいだ。
でも、時間が経つにつれて、少しずつ敵の姿は減っていった。
きっと、ブラッド・ワークスが情報をうまく修正してくれたんだろう。
僕たちの居場所や状況を知る人間が減って、追ってくる理由もなくなっていった。あの騒ぎの後、ドミニオンはちゃんと約束通り動いてくれた。
……本当に、約束を守ってくれたんだ。
ただ――。
お金の話だけは、結局そのままになってしまった。
最初は「助かったし、ちゃんと払ってもらわないとな」と思っていたんだけど……。
いざ電話をかけようとすると、なんだか緊張してしまって。
『あの……お金……ください……!』
なんて言える勇気は、僕にはなかった。結局、スマホを眺めながら何度も迷った末に、そっと画面を閉じた。
……まあ、またいつか機会があれば、ネ。
「……よし、今日も敵来なかったねえ!」
大学からの帰り道。
夕暮れの光が街をオレンジ色に染める中、車の中には穏やかな時間が流れていた。
運転席にはミライ・ユくん。助手席には僕。そして後部座席には、グリサイユくんが座っている。
以前なら、僕たちは常に誰かに狙われているような緊張感の中にいた。でも今は違う。敵の数もかなり減ってきたから、付き添ってくれているのはグリサイユくんだけになっていた。
それでも、彼が一緒にいてくれるだけで安心感は大きかった。
「そろそろ二人で大学に行っても良いかもねん」
グリサイユくんが後部座席から、いつもの軽い調子で言う。
その言葉に、僕は少しだけ驚いた。
確かに……。
前みたいに、毎日周りを警戒する必要はなくなってきた。普通に大学へ行って、普通に授業を受けて、普通に帰る。そんな当たり前の日常が、少しずつ戻ってきている。
「そうだな。それに……」
ミライ・ユくんは前を向いたまま、ふっと笑った。
夕日の光が横顔を照らして、その表情には以前よりも余裕があるように見えた。
「俺には、最強の能力があるしなッ!」
「え~!自分で言うのかよ~!」
グリサイユくんがすぐにツッコミを入れる。
あまりにも堂々と言うものだから、僕も思わず吹き出してしまった。
「確かに……そこ自分で言うんだ……!」
僕が笑うと、ミライ・ユくんもつられて笑う。グリサイユくんも呆れたような顔をしながら、結局一緒に笑っていた。
「あはははは……!」
車内いっぱいに、久しぶりの明るい笑い声が響く。
あれだけ大変なことがあった。怖い思いもした。もう二度と戻れないと思った瞬間だってあった。だけど今は――。
こうして、くだらないことで笑える時間がある。
それだけで十分だった。
車は、皆の笑顔を乗せたまま、夕暮れの街中をゆっくりと走っていく。
赤く染まった道路。流れていく街並み。穏やかなエンジン音。何も起こらない帰り道。その何気ない時間が、僕にはとても大切なものに感じられた。きっと、これから先も色々なことが起こる。また大変なことに巻き込まれるかもしれない。でも――。今だけは、この平和な時間を大切にしたかった。
車は安全運転のまま、夕暮れの街を進んでいった。
グリサイユくんが、ギュッと刀を握り締めていたのに、僕たちは気づかなかった。
「……」
「……なあ」
小声でボソッと呟く。
「最近全然喋んねえな……?狂桜……」
ただ、静かに、刀に話しかけていたのだった。
◇
それから私は、そのままミライ・ユとカゲエちゃんと仲良くお喋りしながら爆笑し合って、気づけば家についていた。
「お!ミライ・ユ運転お疲れちゃま~!」
私がそういうと、カゲエちゃんも続く。
「ミライ・ユくん、いつもありがとね!」
「はっ……なに、当たり前のことさ。俺は、カゲエ護衛チームの運転手なんだからな!」
おっ!決まったねえ~~!そうからかうと、ミライ・ユにうるせえッ!とブチギレられた。
「きゃああ、こわあ~い!」
私の渾身のぶりっこポーズを無視して車を降りるミライ・ユ。カゲエちゃんは「あはは!もう、グリサイユくんったら~」と言ってくれたけど。……カゲエちゃんのそういうとこ、大好き♡♡
「今日の晩御飯はなあに?」
カゲエちゃんがミライユに聞く。
「今日はな、副菜にほうれん草のおひたし。メインは……ふっくらハンバーグだ!付け合わせに千切りキャベツ・ポテトサラダ・にんじんグラッセかな」
「おお~!相変わらず天才的っ!」
カゲエちゃんとミライ・ユが二人で並んで歩いているのを、微笑ましく見守る。そして。
……私はついて行かずに、森の奥へと歩き出した。
「……ここら辺でいいかな」
大分歩いてきた。一時間くらい歩いたかな。あたりはもう暗くなり始めてて、もうすぐ晩御飯の時間だろう。でも。
私には、やることがあった。
「……」
刀を、狂桜を抜く。そして。足をまくる。
……腕だとバレやすいからな。
そして——刀で、太ももの表面を軽く切る。
「ッ……」
ジリジリとした痛みが私の足を襲う。だが。これも仕方のないことなのだ。なぜなら……。
「……これだけか?グリサイユ?」
狂桜が、喋る。
「……やっと喋ったな……」
三週間ほど前。カゲエちゃんとミライ・ユに護衛に大学について行くことになって、魔法透明バッジをつけながら辺りを散策していた頃。
私は、敵を見つけた。
隠れてるつもりらしいが、一流護衛人の私からしたら、こんなの丸裸に近いぜ!
「……キアロ、俺が細切りに調理してやんよっ!」
「……ああ、分かった」
敵に近づく。そして、敵がミライ・ユに向けて攻撃した瞬間……抜刀ッッ!!
すばやく敵を細切れにしてやる。そうすると、すかさずキアロのこわあ~い翼が、血飛沫の一滴も許さず、すべての肉片を飲み込む。
「よし、よくやっ……」
そう言いかけた時。
「……はは、やはり血は美味いな」
「え」
狂桜が、喋った。
キアロは不思議そうな顔をしている。
「?どうした、グリサイユ殿」
「え……あ」
「……もっとよこせ……グリサイユ……」
キアロは首を傾ける。
……この声、私にしか聞こえてないのか……?
それからというもの、狂桜は敵を切り伏せるたびに言葉を発した。
ははは!良いぞ……その調子だ。
もっともっと血をよこせ……。
……グリサイユ、お前は利口だな。
狂桜は、血を求めている様だった。それがなぜなのか、私には分からない。というか、これって大丈夫なのか……?自分の刀が実は生きてましたーなんて、おかしいよな……?
でも、なぜか私は——この感覚が、懐かしかった。
狂桜が言葉を発するたびに、私は、何故だか心が落ち着く感覚を得た。そして。
もっと。
もっと。
もっと声を聴きたい——
狂桜は血を求め、私は狂桜の声を求める……。
答えは、一つだった。




