群治 第九話 揺らぐ炎
パチンと乾いた音がして、ライターの小さな炎が灯った。
同時に、店内の照明がゆっくりと落ちていく。光源はその揺らめく炎だけになった。
「ず~っと、この炎だけを見つめていてくださいね」
心理学者が穏やかな声で言いながら、炎をテーブル上でゆっくり左右に動かす。
オレンジ色の光が群治の瞳に映り、まるで彼の意識を引きずり込むように揺れた。
「そうすると、あなたは気持ち良くなり……力が抜けていきます」
群治の肩が、ふっと落ちた。前後に小さく揺れ始める。
「とても眠くなります。でも、頭の中にはいろいろな出来事が浮かんできますよ」
俺は息を詰めてその様子を見守っていた。
ここは小池さんのショットバー。
カウンター内に小池さん、隣に柴村先生と的場住職。そして俺。
奥のテーブルで、群治が背を向け、心理学者と向かい合っている。
横浜での聞き込みと直近のあの事件、そしてその時の群治の「な、酷いだろ」という当事者でありながら、まったく感情が伴わない反応を柴村医師に報告したところ、先生は「これはもうすぐにでも公立病院の精神科にいる友人にヒプノセラピーができないか連絡を取りたいと焦ったように言った。
そこで俺は必死に群治を説得したのだが奴の答えは「俺はどっこもおかしくない。宮下も俺を嫌うのか?」と、まったく説得に応じてくれなかった。
先生は、それじゃあその精神科の友人をここに呼んで診てもらおうと、再度連絡を取ったが、「そんな場所では無理だ」と一蹴された。
設備も時間も足りないし、何より本人の同意がないと電話口の向こうで本気で怒られたらしい。
何度かの押し問答の末、では治療の前段階として、せめてある程度の情報を得るためということで、こうした分野を研究している心理学者が派遣されて来たのだった。
ライターの炎はテーブルに置いてあるろうそくに移されていた。
「ここはマリンという、おばあさんがやってる喫茶店です。君はその店内にいますよ。コーヒーの匂いがします。君の他には誰かいる?」
すると群治がコクンと頷いた。
「おかあさん」
すごく幼い喋り方だった。
「そうお母さんといるの。ここは好き?」
「うん、おばあさんは いつも わたしの あたまを なでてくれるの。それからね あったかい みるく をくれるの でも……」
「でも、どうしたの?」
「もうここに これないんだって さなえは おおさかに ひっこすの」
「そうなの。お母さんも一緒に?」
「ううん、さなえだけ。おかあさんが びょうきをなおすあいだ」
「それは寂しいね……」
「でも おかあさんは さなえにはいつも ぐんじがついているから だいじょうぶっていうの」
「ぐんじ? それは誰?」
「いつも さなえが ねむるときに おかあさんが はなしてくれたつよいひと」
「そう、じゃあ安心だね。お母さんに連れられて大阪に引っ越したんだね。そこはどういうところ?」
「おかあさんがまえにいたところ。おじさんとおばさんと あつしくんがいるの」
「じゃあ、そこに引っ越しができたんだね」
ところが群治は頭を振った。
「だめだっていわれたの。おかあさんが どげざしても ないてもだめだって」
土下座……。つまりかなり強い拒絶をされたのだ。
「でも おかあさんは それでも さなえを おいてかえった」
「一緒に戻りたかった?」
「さなえ ずっと おかあさんといっしょがいい いっしょがいいのに」
「それからおじさんお家に住みだしたんだね。どんな気持ち?」
「おばさんは あっちいけっていうの いつも。 おじさんは おまえに こわいおばけ ついてるって」
「お化けがついていたの?」
「ううん。さなえをたすけてくれる。ぐんじ。 みえないけど」
「おじさんには見えてたのかな?」
「みえるって それで ぐんじはおばけだから やっつけるって」
「どうやって?」
群治の幼い声が、少し震えた。
「おへやに つれていかれるの。おじさんのおへや。 そこで じゅもんを かくの。さなえ こわいのに」
「耳なし芳一か……」柴村医師が呟いた。
「そうなんだ、サナエちゃんは嫌だったけど我慢したんだね」
「うん」
群治は何度も頷いて、それから言った。
「さなえは ぐんじだから つよいから」
「そういうことなんやな」俺の隣で、柴村医師が納得したように頷いた。
「じゃあ、おじさんから褒められたりしたこともなかった?」
サナエは首を振る。
「おうた うまくうたったとき」
「おうた?」
「ぐんじのすきなうた おかあさん うたってた おにんぎょうのうた ほめられた」
そう言って「夢見るシャン〇ン人形」の歌を幼い口調で歌い出した。
「Je suis une poupée 〇〇 une poupée de son・・・」
サナエがフランス語の歌を暗唱したので俺たちはびっくりした。つまり群治が好きだった昭和歌謡をお母さんがいつも歌っていて、こういう歌を上手に歌うことで、小さなサナエは伯父さんに取り入ってきたのだろう。
「じゃあ、サナエちゃんはずっと群治といっしょにいたんだね。中学校でも?」
「……」
サナエがしばらく押し黙った。それから「ウェ~ン」と悲しそうに泣いた。自分が被害を受けたことで泣くのを見たのはこれが初めてだった。
サナエは背中越しに、何度も涙をぬぐっているのが分かった。
「俺は群治だから子供らには負けない! サナエには俺が必要なんだ」
突然そう叫んだので心理学者は驚いたようだった。声質もいつもの群治に戻っている。
でも催眠術が解けたわけではないようで、嗚咽が続いていた。
「中学の時は辛かったんだね。でも今はサナエちゃんを守る人が周りにいっぱいいるんじゃない? サナエちゃんは、この町のみんなが好き?」
するとサナエはどこか演技じみた群治の声ではなく、本来のサナエのものと思われる声で答えた。
「みんな好き」
「そう、それは良かった」
「福祉事務所の吉野さんも、松木先生も、オバチャン食堂の和子おばちゃんも、柴村先生も早紀ちゃんもバニー酒場の金井さんも。高橋さんだっていい人。それから宮下さんも中林さんもみんな好き」
俺の名前は、かろうじて最後に出た。
特に意識される存在でもないと分かっているつもりだったが、群治に酷い扱いをした高橋や早紀よりも後だったことがショックだった。
「じゃあ、その中で誰が一番好き?」
するとサナエは満面の笑顔になって、こう言い放った。
「宮下さん、ずっと前から宮下さんが一番好き。宮下さん大好き!」
俺は目からポロポロと涙が流れ、柴村先生がニヤニヤしながら背中をポンポンと叩いた。
「じゃあ、3つ数えるとあなたは元に戻ります.1、2、3、ハイ」
心理学者がパチンと指を鳴らした。
「あれ、俺寝てた?」
いつもの群治の声がした。群治はあわてて涙をぬぐっている俺を見て、
「どうした宮下、お前テキーラか何かで咽たのか?」
と、心配してくれた。
最終回 帰るべき場所は4月18日 午後10時ごろ公開します。




