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群治 第六話 横浜編① 寿町

 大阪から横浜まで、最安値のバスは約3500円らしい。


 元々の計画では俺一人がこの安いバスを使って行ってみるつもりだった。


 だが、群治が雑誌の取材で手に入れた豪華すぎるチケットが、俺の計画を一瞬で吹き飛ばした。


「お、グリーン車じゃんか」

 群治が入って来た『のぞみ321号』の8号車を見てちょっとはしゃいでいた。


 群治が雑誌の取材に応じたことで、手に入れた往復チケットで、『横浜ベイスターズのボックス席と高級ホテル一泊付報酬』の一環だった。


 ペアチケットだったので、友人代表として俺が加わることになったのだ。


「宮下は阪神ファンだけど、今回は1塁側だから派手な応援はしないように」

 群治がボックス席のペアチケットを見せながらそう念を押した。


 テレビの前で観戦している時でさえ寅柄のハッピを着ている中林じゃあるまいし、俺はそれほど熱くない。


 まして今回の横浜行の真の目的は野球観戦ではなく、横浜の寿町で暮らしていたという『群治』と言う人物が実在したのかを調査することだ。


 といっても一泊二日程度の調査で闇雲にドヤを回ったところで何も発見できないという可能性が高い。


 そこで俺は予め西成の仲間・中林さんの伝手で横浜に今もいるという知り合いを紹介してもらって、その人から色々と、(例えば当時からいた仕事斡旋人や長く営業を続けている酒場)などを教えてもらい、実際にそこに群治を連れて行って記憶があるかどうかを探ろうと考えていたのだ。


 だが、群治本人は初めて横浜ベイスターズをボックス席から観られるというので、うかれて完全に旅行気分だ。


 俺がいつもと変わらない、着古したジャケットに綿パン、デッキシューズという地味な服装なのに対し、群治は髪型こそ西成の床屋で整えた短いボブのままだが、着ている服はよそ行きで、くすみピンクの短丈カーディガンに白いプリーツスカート風のワイドパンツ、ベージュのローファ。これらは雑誌社がカメラ撮影の時に使用した後、本人にくれたもので、歩くたびに白い布をふわりと揺れさせながら、スポーツ新聞を幾つも買い込んで帰って来た。


 遊び半分の群治と違って、俺は新幹線の車中で紹介された寿町の安さんという人に、どうやって群治のことを説明し、当時の情報を聞き出そうかと頭の中で何度も言葉を練り直していた。


 そうこうしているうちに『のぞみ号321号』は所要時間、たったの2時間8分、定刻通り11時3分に新横浜に着いた。


 ところが群治は横浜駅に着くなり、ナイターが始まるまでだいぶ間があるから、どうせならこのまま東京まで足を延ばして、ディズニーランドを見に行かないかと言い出したのだ。


 ここまで丁寧に準備して、安さんに会う約束までしていたのに……。


 さすがに腹が立った俺は「お前は女子か!」と思わず声を荒げてしまい、数人を振り向かせてしまった。


 群治はちょっとしょげたのか、横浜線から根岸線に乗り換える道中も押し黙ったままだった。


「群治どうした、疲れたのか?」と聞くと群治はようやく重い口を開いた。

「何でなのか分からんけど俺、寿町には行きたくないんだ」とボソリと言った。


 やはり群治は寿町と何らかの接点がある……。


 そう思った俺は、ごねる群治を引っ張って石川町駅・中華街口で降りた。


 西成は日本一のダウンタウン。だからそこを知り尽くしている俺は日本のどのダウンタウンでも暮らせるはずと考えていたが違った。


 言葉では言えないが、それぞれの町に満ちている空気が違うのだ。


 そうした感覚は多分旅行者には分らない。要するにここでは俺は完全によそ者だった。


 俺は書いてもらった地図を頼りに慎重に進み、ようやく目的の場所にたどり着いた。


 そこはボランティアによる無料食堂だった。


 ここは観光客が利用できない。俺はともかくおしゃれな格好をしている今の群治は、入ろうとしても拒絶されるだろう。


 どうしようかと迷っていると「あんた宮下さん?」と安さんの方から声をかけてくれた。派手な群治が絶好の目印になったのだろう。


 安さんは七十代後半の老人だった。


「ちょうど今、昼飯を食べたところでね。その子が群治さんだね」

 そう言って群治を凝視した。


 安さんはどうやら、今回紹介を頼んだ中林さんからある程度、群治のことを聞いていたようだ。俺は内心ホッとした。


「山脇群治か……。この辺の有名人だった人物だな。だがこれはちょっとやばいな」

 安さんがポツリと呟いた。


「ここじゃまずいんで、行きつけのコーヒー屋に行こうや」

 そう言って裏路地を通り、寂れた外観の喫茶・マリンに案内した。


「ああ、おばあさんがやってる店だね。知ってるよ」

 群治のこの一言で俺たちは凍り付いた。


「いや、ばあさんは亡くなった。今は娘さんがやってるよ。娘さんと言ってもやっぱりばあさんだけどな」

 すぐに立ち直って話を続けた安さんだったが、群治は何かを思い出している表情で頭を抱えていた。


「近くのカモメ荘ってアパートに住んでいた気がするんだ」

 すると安さんはニヤリと笑った。


 俺たちが喫茶店でブレンドコーヒーを注文すると安さんは笑ったわけを話してくれた。


「カモメ荘は今はもうないが、20年ほど前には、山脇の奥さんが住んでいたんだ。小さい子を連れてね」

「するとその子というのが?」

 俺は群治を見た。当の群治は下を向いてコーヒーを飲んでいる。


「だがなどう計算してもその子は群治の子じゃないんだよ。だって山脇群治は、ずっと前に死んでいるからね。かなりの年だったはずだよ」


「宮下さんに忠告しとくが、この話にはあんまり深入りせん方が良いと思うよ。だが、もしどうしても、もっと知りたいっていうなら詳しいやつも俺は知ってるよ」


 俺はここで調査を終わらせるわけにもいかなかったので、「その方を紹介してもらえませんか。会って頂けるのであれば今から向かいます」と言った。


 すると安さんは「じゃあ、そいつを呼んでやるよ。あんたら大阪から来たんだろう? どうせそいつも暇を持て余してるだろうしな」と言って、スマホを取り出してどこかに連絡してくれた。


「スマホがあるなら、無料食堂より初めからここを待ち合わせ場所にすればよかったんじゃ?」と群治が余計な事を言うので俺は、苦虫をつぶしたような顔をして見せた。


 しばらく待っていると今度は九十歳近い爺さんが現れた。昔のドラマに出てくる新聞記者のような雰囲気の人だなと思ったら名刺をくれ、そこには元毎朝新聞記者・轟清五郎とかかれてあった。


 轟もまた群治のことをマジマジと見て「なるほど。あの人と雰囲気が似ている」と言った。


 轟は新聞記者の豊富な情報量で群治と言う人物のことをかいつまんで話してくれた。


 それによると、山脇群治は元特攻隊の生き残りで、戦後すぐに横浜にやってきた。


 その頃はかなり混乱した時代で、米軍とつるんだ者達が各地の闇市を牛耳っていた。


 かなり理不尽なこともあったようで、義侠心が熱くケンカ無双の群治が組を作り、これらに立ち向かっていった。実際、60年代から70年代初めには群治はこのあたりの町のヒーローだったんだよ。あの組、何と言ったっけ……」


横哲会おうてつかい」安さんが小声で言った。


「だがある時、大きな事件があった。詳しくは危なくて言えないが群治は巻き込まれて刑務所暮らしをすることになった。その時にニュースになったのが、劇団をやっている女性との入籍だよ。群治は獄中から婚姻届けを出した。いわゆる年の差婚ってやつだ。あの子、名前は何と言ったっけ……」

 

「尚ちゃんだよ。『劇団・中山』を主宰していた。後の『劇団・エストロゲン』では俳優よりも劇作家の山脇尚子として有名になった人だ」と安さんが助け舟を出した。


「そうそう、尚子さん。彼女が書いた『群治』は、まるで遠山の金さんみたいに痛快な劇で大人気になったんだったな。だが、それが元で潰された。なにせ話の中にあの事件が出てくるからな」

 こんな話は本来なら群治は食い入るように聞いていてもいいはずだ。


 それなのに……、


 なんとやつは喫茶店に置いてあった漫画を読んでいた!


 どういうことだろう。聞きたくないのか、それとも初めから知っている話ばかりで興味がないのだろうか?


 俺はあまり追求しないことにして続きを聞いた。


 どうやら安さんと轟元記者は、俺が前にいることも忘れて昔の話に熱中してしまったようで、時折二人だけで「立花倉庫だとか、横領事件とか、告発したのが群治の舎弟で……」などと言っている。


 おかげでその内容はほぼ分かってしまった。


「山脇尚子さんは群治が亡くなって、劇団もつぶれてからは、よその劇団に客演してたんだが、若い劇団員と良い仲になってね。この寿町に越して来た。だが子供ができるとその若い劇団員は逃げてしまって彼女が一人で育てていたんだ。貧しかったみたいで、やがて体を壊して彼女も亡くなったんだよ。これを私は記事にしたことがあってね。今でも覚えているんだ。勿論、彼女の子供がその後どうなったのかは気になっていたんだがね」

 轟元記者は、そう言いながら、漫画を熱心に読んでいる群治を見てニコリと笑った。


 俺は、横浜での目的を果たすことができたと感じ、安さんと轟元記者に、丁寧にお礼を言い、大阪から持ってきた土産を渡した。


 話の間中、漫画を読んでいた群治も別れ際にちょこんと頭を下げたが、まったく誠意が感じられないので、頭を押して丁寧なお辞儀をさせた。





第七話 横浜編② スタジアムは4月17日午後9時ごろに貼ります。 

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