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アゼリアはコウヅキが最初、何を言っているか良く分からなかった。
「六百ソリドゥスぽっち……? それだけですか? まさか、特別報償とかはあるのでしょうね?」
「いえ、報酬込みでです……なければ百ソリドゥスは、更に、少ない、でしょう」
「……列島市民の年収が百ソリドゥスなどということはありませんよね?」
「どんなに少なくても、三百ソリドゥスは、稼いでいるのが普通かと、列島には、最低賃金制度、というものが、あります」
守本曰く、彼が使っている翻訳ソフトが、かなり安くて性能の低い物だと知らされていても。
その甘くて低い声は何と言ったのか。
一年の棒給が銀貨六百枚? しかも、討伐報酬が入って、そこから削られるとは一体。
その上で民間人の倍程度の収入でしかない? 命を懸けて戦う戦士が?
通常の神経では、有り得ないことだ。
銀貨六百は金貨三十に相当し、これは一般的な、取り立てて見るべきところのない騎士の恩給と等価なので――実際は与えられる荘園などからもっと収益が上がるが――彼に相応しいかと言えば、絶対に有り得ないと王女は断言する。
たとえコウゲツが、兵士だった時の賃金だった時の倍は貰っているといってもだ。
深度Ⅴのダンジョン、その最奥まで安全に導いてくれる斥候が、この世にどれだけいるであろうか?
それも大量の荷物を抱え、全ての喫食飲水を担って、携行食といえば味は最悪という概念を打ち破っているにも拘わらずだ。
「六百……」
あまりの異常な金額に、思わずもう一度呟いてしまった。
おかしい、おかしすぎる。この世の摂理に反してすらいる。
彼に渡した前回の分け前はきちんと四等分したもので、それに相応しい世界晶を彼は組合から受け取っていた。組合も手数料は取ってもピンハネなど決してしないし、自分達が数をごまかすことは有り得ない。第一、彼は普通に算術が得意だ。西方では商人でさえ是認ができるわけではない、暗算が得意なのだから。
であるならば、それを稼ぎ出した彼は、会社から収益に相応しい金額を受け取って然るべきではないだろうか? 守本は、それをして労使契約というと言っていなかったか?
理屈は分かる。会社とやらは彼に装備を与え、掘っ立て小屋に等しい、王女の価値観では見窄らしくもあるが住処を用意し、武器弾薬と消耗品を安定して供給している。だから、その分の手間賃を差し引いて渡すことには疑義は差し挟むまい。
だが、あまりにも差額が大きい。
これは会社が彼を助けていると言うよりも、最早彼が会社から搾取されていると言った方が相応しいのではなかろうか。
それこそ、地主に縛られている農奴のようなものではないか。
「あ? じゃあコウヅキ、お前……え? 一月に五十ソリドゥスしか受け取ってねぇの?」
『七割は母国の通貨で、残りの三割はこちらの通貨で、それくらい……』
何か酷く恥ずかしそうに言うコウヅキに、リズの顔色が悪くなるのをアゼリアは見逃さなかった。
よもや、それだけ金がない人間からせびっていたのかと、彼女でさえ気付いたのだろう。
「……コウヅキ、おかしいと思わないの……?」
『いえ、調べたら、傭兵の平均賃金は、それくらいだとあります』
それは平均でしょうと、アゼリアはあと幾許かの冷静さがなかったら卓を叩き割っていたであろう。
平均の概念くらいは王族として教育を受けた彼女には分かる。
いや、むしろ、列島から入ってきた経済学の概念に基づき、外れ値ともいえる極端な高額と低額を省いた、中央値を使う方が妥当であることさえ知っていた。
恐らく、彼が言うそれは木っ端のような後方で荷運びしているだけの傭兵から、警備のために突っ立っている私兵じみた傭兵、そして書類だけ触っているような者の賃金までごった煮にし、その上で平均を取っただけの額であろう。
だが、彼は凡庸な戦士ではない。
異形蔓延るダンジョンにパーティーから百歩以上先行して危険を探る技量と度胸を持ち、挟撃に持ち込んで不意を作る戦闘能力を有しているのみならず、罠と鍵開けに精通している。
これだけの人員、真っ当に雇おうと思えば普通のパーティーなら、一度限りの参加であっても、安かろうが三千ソリドゥスは出すはずだ。
それが年間六百など、暴利どころではない。
たしかに彼女はコウヅキが現役の兵士であったころの実績を知らないし、ダンジョン探索を行っている会社がどのような雇用形態を取っているかの知識もない。他の伝説的な働きを熟した彼等が、どれだけの金額を受け取っているかも分からない。
ただ、愛する男が不当な扱いを受けていることだけは確実に理解できた。
守本が言うとおりではないか。
あの晩、彼は教えてくれた。
ありあと話しているところ聞いたが、コウヅキが受け取っている装備の品質は〝悪くはないがよくもない〟程度の物であり、西方で言えばどれくらいかと聞けば、街の衛兵に支給される甲冑が最も近いというではないか。
そして、列島人の探索者が身に纏うそれは、余程の骨董品かガラクタでもないかぎり、個人で購入するのは難しい金額をしていると。
彼が大事に使っていることを知っているから何も疑問に思わなかったが、よもやそれが思い入れがあるからではなく、会社から唯一支給される〝替えが効かない物〟であると知った今、アゼリアの腸は煮えくり返るような熱を覚えた。
それこそ、貴き貴族の令嬢が一番の見せ場である夜会に、使い古して流行から何代も遅れたドレスで送り出されたような物ではないか。
こちらの価値観で、それは社会的な死を意味する。
そして、送られる場所が嘲笑の的となるだけで済むパーティーと異なり、命がかかったダンジョンの最前線。
これは実質、会社から死んでこいと言われているのに近しいのではなかろうか。
自分であればコウヅキに一番のスーツを送っただろう。街一番、いやさ国一番の意匠師と針子を集め、夜会に訪れるどの殿方よりも煌びやかに、鮮烈に場の空気を制圧するように着飾らせる。
それがどうだ、街の衛兵と大差ないものを与え、故郷から遠く離れた地に一人で放り出すなど、論外にも程がある愚行が行われている。仮にこれが白百合のごときコウゲツでなかったとて、義憤を抱かずにはいられない所業である。
もし彼女が会社の王であったならば、すぐさまにでも衣替えをさせてあげたかった。彼が生きて帰って来ることを願って、そして何よりも会社に貢献したことを褒め称えて。
それがどうだ、コウヅキは二年前から装備が何も変わっていない。背嚢の一つ、腰に巻いた小物入れに至るまでもだ。
自分に合っているからと言っていたが、確実に会社が装備の更新をケチっただけだとしか王女には思えなかった。
探索者であれば、大きな報酬があったならば、いくらかは装備の更新に充てるはずだ。
ベリアリューズも戦槌の修繕のみならず〝干渉式〟による付与強化をドレス共々篤くしているし、フェアルリリムはドレスを竜血で染め上げた。
アゼリアもドレスに纏う甲冑の材質を何度も強固にしているし、彼のおかげで手に入れたドラゴンの皮で裏打ちも理想の逸品として仕立て上げた。
だのにだ、彼の会社は一度もコウヅキに報いていない。
それが腹立たしいが、それ以上に脳を暑くする存在があった。
己だ。
何故、こんな簡単なことに気付けなかったのか。
彼がボロボロの銃とやらを丁寧に磨いている時。
整備が大変だと機械の鎧について言及した時。
列島から届く手紙を見て愁いたっぷりの顔をしていた時。
気付くタイミングは幾らでもあったではないか。
ただ美しい人だと思って眺め、百合の花のようだと持てはやしていた過去の己、そのそっ首を刎ね飛ばしてやりたい気持ちで一杯になりながら、アゼリアは自分に何が出来るかを考えた。
まず、彼に探索者を止めさせる。
これは否だ。
当人がなりたくてなった、子供の時からの夢だったと、翻訳機を通じて拙いながらに語ってくれたことを強く覚えているから。
では、金を渡すか。
これでも駄目だ。こちらの金で買える物は彼の仕事を助けないだろうし、そもそも彼は等分の報酬を尊ぶ。斯様な慈悲を垂れていると思えるような行いをして、納得する人品の持ち主ではないことは分かっていた。
ならばだ。
貴族として培われた発想が一つの回答を弾き出す。
彼を〝買ってしまえばいい〟のではないかと。
守本は言う。列島人の傭兵は会社と雇用関係にあり、その関係性は騎士と従者の忠誠ではなく、あくまで使用人に対するそれ。
であるのならば、余所の領邦で仕えている人間を引っこ抜くのと違って、遊歴の騎士を仕官させて雇うのと構造は一緒ではないか。
自分だけの男騎士、ふと浮かび上がった言葉がアゼリアの背筋をぞくぞくとさせた。
何とも甘美で、それでいて夢のある物語性を感じさせる言葉ではないか。
「いいですね……すごく、いい」
『あの? 何か?』
「いえ、何でもありません」
リズとリリムから「お前マジかよ」という視線を注がれて固まっていたコウゲツに独り言を聞かれてしまったが、一度始まった暴走は早々に止まらない物だ。
まず、会社とやらの価値がどれくらいだろうかとアゼリアは想像しようとしたが、それには彼女の列島に対する知識が足りない。
普通の商家を従業員諸共に買い上げるだけならば、金貨三百から五百もあれば余裕過ぎる。支店から何から纏めて買い上げてもおつりが来よう。
いや、コウヅキを酷い条件で働かせていた会社だ。許されるなら全員を跪かせ、その晒させた首に愛剣をブチ込んでやりたいアゼリアとしては、全てを買収したとしても他はオマケどころか〝要らない〟としか思えぬ。
ではコウヅキだけを買い上げるならば?
年間六百ソリドゥスで雇っているのなら、その十倍も渡せば頷くだろうか?
これも難しいかもしれない。
なにせコウヅキは列島では高値が付く世界晶と、こちらでしか産出できない資源を送ってくる金の卵を生むガチョウ。高々それを十倍程度で、いや二十倍だろうが五十倍だろうが、長期的な目線での利益を考えれば手放すはずがないだろう。
とすれば、守本が誘いかけてきた言葉が思い浮かぶ。
四人で家のキヨミズ・ゼネラル・セキュリティーに移籍すれば良いと。
聡い王女は分かっていた。その誘いは、現地に詳しく政治的なパイプを持つ人間を自社に取り込み、同時に戦力を拡充する一挙両得の案であり、何もこちらを慮って持ちかけてきたことではないくらい。
つまりは、悪い選択肢ではないものの、最善とも言い難い。
ここで、彼女の高等な教育を受けたニューロンが素晴らしい考えを湧き上がらせた。
「コウヅキ、一つ聞きます。今、貴方が着ている鎧や、住んでいる家。全部揃えようと思えばどれくらいかかりますか?」
『何ですって?』
「ですから、装備一式を新しく揃えようと思ったら、どれくらいかかるか教えてください」
えぇ? と疑問たっぷりの顔をした後、ちょっと待ってくださいと彼はいつも弄っているピカピカ光る板を自分に向け、指でなぞり始めた。
『ええと、どこまで、ですか?』
「全部です」
にっこりと目が笑っていない笑顔を見せられて、コウヅキは少し顔を引き攣らせた。
『ええと、まず、今私が着ている機械の甲冑は、こちらの金額で言うと、中古品なら……最も、安い値段で、五百四十ソリドゥス、くらいですね』
「新品なら?」
『あー、予備部品込みで、七百から七百五十ソリドゥス、くらい、です』
なるほど、これでアゼリアも合点がいった。
こちらでも武具は高価だ。きっちりした戦闘に使える甲冑と、槍や剣を一式を用立てようとすれば、平民が一生働いても手に入らないだけの金額を要する。
それが中古でも――最安値ということは状態はよくなかろうて――年収より少し安いくらいであれば、欲しくても買えないのは道理だ。
会社という組織が、大勢がお金を出し合う、あるいは国が補助金を出すという謎の制度によって成立していることを昨日守本から聞いていたアゼリアだが、基本の装備を揃えるだけでそれだけかかるとなると、個人で探索者業ができぬのは道理だと納得する。
『後は付属品が諸々で……鎧と同じくらいですかね』
「そんなに」
付属品とは整備用の機械であろう。一度ガレージに招かれたことのあるアゼリアは見たことがあるが、鎧を正しく稼働させるのにアレが必要なのだとしたら、たしかに欠かすことはできないだろう。
その後、様々な車両や設備などを用意した上、細々した物を調達し、継続的に糧食や弾薬を供給する契約を結べば、金貨が小山を成すことを悟り、アゼリアは少しだがもっと貯蓄をしておくべきだと悔いた。
彼女は孤児院や救貧院、そして聖堂に少し寄付をしすぎていたのだ。
今の手持ちでは、とてもではないが全てを新品ピカピカ、この世で一番上等な物で着飾らせてやるには足りない。
しかし、道は見えてきた。
要は彼を搾取する会社から解放し、かと言って欲望が透けて見える守本の所にもいかず、今とやり方を変えないで済む冴えた方法。
これをやり遂げるには列島の情報が必須。
故にアゼリアは、従姉妹が〝外務卿〟を務めているコネを最大限に使うこととした。
向こうが無法を働くのであれば、こちらは貴族らしく戦うだけだとばかりに…………。
自衛軍時代の倍は給料があっても、そういう問題じゃねぇんだよとキレるお貴族様の図。
そして、悪いことを思いついた彼女は社会戦技能を使うことに……。
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