尾行
「アビィ、いなかったね。悪徳商人に頭を下げにいったのだと思ってたんだけど」ドゥライヤの後をつけていると、プニちゃんがそんなことを口にした。
確かにアビィが脱走した理由はドゥライヤだとアビィ本人も語っていた。相当な嫌悪感を抱いていたようにも思う。かなり悪態もついていたのでこれは嘘ではないだろう。
わたし自身、アザムストが話していた顧客とはドゥライヤのことを指していると思っていた。人間性は一旦置いといておくとして、金払いにおいて無碍に出来ない相手なんだろうな、とは感じていた。
事実、プニちゃんと同じ考えが頭によぎっていた。てっきり部屋にはアビィがいるものだと思っていたのだが……。
「あの性格だと色々と頭を下げなくちゃいけない人は多そうだけど」
「それはそうと、プニちゃん堂々としすぎだって」
「だってコソコソしてたら見失うよ。さっきだって見失ったばかりじゃないか」
ドゥライヤの尾行を始めて三十分。既にわたし達は一度相手を見失っていた。幸い分かれ道が二択だった為、一か八かで事なきを得たが、それ以降プニちゃんの行動は大胆なものになっている。
「気をつけなきゃいけないのは、あの黒髪の優男のみ。何人かすれ違ったけど全然平気だろ」
研究所内にスライムが闊歩しているのに対し、出会した研究員達は一瞥もせずに通り過ぎるのみだった。だからといって気を抜きすぎだとも思う。
「スライムに興味を持つ人に会っても知らないからね」
「人造人間の研究が中心なんでしょ? スライムなんて構うに値しないんじゃないかな。自分で言ってて悲しくなるけど」
「そうなのかなぁ。どちらかといえば、ティーリアの皆んなみたいに、どこか生気を感じられないというか……」
アビィにアザムスト、それに黒髪の研究者のような会話が成立する人も確かにいる。しかし、それ以外はティーリアで見かけた住人と同じような印象を受ける。
「逆に好都合だと思うとしよう。それより見てよ。ようやく立ち止まったみたいだ」
「本当だ。あそこは……研究室、なのかな」
ドゥライヤ達が足を止めた場所は、扉からして他の部屋と違っていた。もしかしたら重要な研究をしている場所なのかもしれない。扉の前には警備員らしき人もいる。
「あの部屋……入れるのかな」
「どうなんだろうね」
「もしかしたらここまでかも」
「僕達もあまりウロウロしていると迷っちゃいそうだしね。残念だけどここらが潮時かな。戻ろうか」
「大した成果は無し、かあ。プニちゃん帰り道覚えてるよね?」
「……え? ミオこそ覚えてるんじゃないの?」
「わたしは尾行に必死だったから……」
「ぼ、僕だってそうさ」
「……」
「……」
二人で顔を見合わせていると「なんだ。あの部屋に興味があるのか?」と、背後から思いもよらぬ質問を投げかけられた。
「っ!」
飛び上がりそうになるのを口を押さえながら必死で堪えた。おそるおそる振り返ると、プニちゃんの天敵が見下ろすように覗き込んできた。
「……こんにちは」
「そのスライム、随分と懐いているんだな」
「ええ、まあ」
ゆっくりと視線を下ろすと、プニちゃんは死んだふりをしていた。意味があるのかは分からない。しかしどうやら会話は聞かれなかったようだ。不幸中の幸いである。
「魔物が人に懐くのは珍しい。何か仕掛けを施しているのかな?」
「懐くとは少し違くてですね」
「芸まで仕込むなんて中々出来ないよ」
「芸?」
「ほら、死んだふりしてるじゃないか」
さすがはスライムの研究者だ。一瞬にして擬死を見抜くなんて、その慧眼には舌を巻く——と、言いたいところだが……プニちゃんは緊張からなのか、恐怖からなのか、身体を小刻みに震わせていた。バレバレである。
「ええっと、これは」
「そんなに慌てなくていいよ。アビィから聞いたよ」男は笑いながら言った。
「『ワタクシのスライムに手出しは無用ですよ!』ってな」
とりあえずプニちゃんの身の危険は去った……と受け取っていいのかな?
「あいつ、そのスライムを捕まえる為に脱走したんだろ。それを協力したのが君だとか」
「あはは、そうなんです。アビィとはその時仲良くなって、それでここに招待してもらったんですよ」
「そうそう。君、スライム好きなんだって? なんでもそこらの有識者より詳しいとか」
「……はい?」
アビィが大袈裟にでっち上げたのかもしれない。だとしたら余計なことは口にしない方がいい。顔が強張るのを抑えながら、わたしは答えた。
「興味があるってくらいです」
「良かったら少し付き合ってくれないか?」
「えーっと」
「暇なんだろ。研究所の中をウロウロしてるくらいだから」
「えーっと」
余計なことを口にしないのは意外に難しいものである。特に今は一対一。周りに人がいるならいざ知らず、どうしても会話をせざる得ない状況だ。
「すぐそこにいい所がある」男は目と鼻の先を指差した。ドゥライヤ達が立ち止まっていた部屋だった。
「あそこ。俺の管轄外なんだけど知り合いがいるんだ」
ドゥライヤ達はもう姿を消していた。恐らく部屋に入ったのだろう。これをチャンスと取るべきか、それとも。
「サボりに使うのに最適なんだよ。煙たがられるけど気にする必要はない」
「……分かりました」
逡巡の後、その誘いに乗ることにした。周りには研究者達もいる。人目が多いところではドゥライヤ達も手出しはしないだろう。
ここでドゥライヤを捕まえるなんて大立ち振る舞いは考えてないが、何かしらの情報を得ること出来れば御の字である。それなら尾行した甲斐もあるというものだ。
そもそも帰り道が分からないのだから、研究所に詳しい人が側にいるのはありがたい。このままではアビィにも会えなくなってしまう。
「そうこなくっちゃ」男はわたしの背中をバンっと叩くと足を進めた。小さく振動しているプニちゃんを拾い上げ、大股で歩く男の後を小走りでついていく。
「う、うわぁ……」
部屋に入った瞬間、誘いに乗ったことを後悔した。案内された場所はお世辞にも部屋とは呼べないものだったからだ。
整理整頓、整正美化。そこはわたしが持つ研究室のイメージとは大きくかけ離れていた。
「なんというか……すごい、ですね」
「余計な気を使わなくていいだろ」
足元を埋め尽くす書類、怪しい実験道具からは怪しい液体が吹きこぼれ、思わず鼻をつまみたくなるような悪臭が漂う。部屋の灯りは薄暗く、形容し難い呻き声も聞こえてくる。異様な湿気のせいか、壁にはカビがこびりついており、部屋のあちこちに蜘蛛の巣が張り巡らせている。
まるでお化け屋敷——いや、これはゴミ屋敷と形容するのが妥当だろう。決して狭くはない部屋をこれほどまでに汚すことは驚嘆に値する。
わたしはそれ以上言葉にできず、室内を見渡すことしかできなかった。
「適当に座ってゆっくりしててよ。部屋の主に挨拶だけしてくるから」男は椅子の上に積み重なっていた本や書類を乱雑にどかすと、ゴミをかき分けるようにして部屋の奥へと消えていった。
「……プニちゃん」
「なに」
「これ、どう思う?」
「衝撃だね。何よりも臭いがひどい」
「鼻、ないじゃん」
プニちゃんは「確かに」と驚いた。




