研究所‐5
「いくらなんでも深すぎやしないかい。若干空気も薄く感じるし、息苦しさすら感じるよ。僕息吸わないけど。まるでモグラになった気分だ」
プニちゃんは捕獲された可哀想な実験体として、依然檻の中に入ってもらっている。
なので基本的に会話は禁止の設定だったが、あまりの階段の長さに痺れを切らしたか、先ほどからブツブツと文句を言い始めていた。
運んでもらっといていい気なものだと思う反面、プニちゃんのおかげで九死に一生を得た事実もまた無視出来ないものなので、何も文句は言えないのが歯痒いところである。
「も、もう着きますよ。あそこを、曲がれば、到着です」
「アビィの体力の無さは見た目通りだね」
「やはり……三年のブランクは、足腰にぃ、来ますぅ」
「それに引きかえ、ミオは随分と余裕そうじゃないか」
「ん? ああ、そうだね。意外に……というか全然平気。自分でもびっくりしてる」
聖女として転生した恩恵である身体能力の向上。それは以前にも増して効果を発揮しているようだった。なんならアビィをおぶったって平気だったかもしれない。
「そういうの……もっと、早く言ってくれませんか」
「いやいや。降りでおんぶは危ないでしょ」
「むうぅ、これは室長に、抗議をしなくてはなりませんねぇ」
プニちゃんにつられたのか、アビィの愚痴も徐々に増えてきた。それほどに体力も限界に近い証拠だ。こうなってくると、いよいよ頼れる人はいないと見ていい。
これからは最悪の展開を考慮して行動した方がいいのかもしれない。例えば——階段を降りて研究室に到着した瞬間、ドゥライヤと鉢合わせる……なんて事もあり得なくはない。
不測の事態は身を竦ませ思考を停止させる。しかし想定さえしていればこその心構えは、ある程度の混乱を未然に防ぐことが出来る。
はず……多分。
きっと、恐らく。
「ミオも独り言多くなってるよ」
「……わたしのは自己暗示だよ」
「自己暗示という名の独り言?」
「独り言を活用した自己催眠って訂正しようかな。情けない自分を奮い立たせてるんだよ」
「ミャオさんは……っと、情けなく、など無いですよぉ」
そんな会話をしていると遂に階段は終わりを迎えた。時間にすると一時間はゆうに超えているだろう。一体どれほど深くまで潜ってきたのだろうか。全く想像がつかない深度だ。
「ぐあぁぁっ、やっと着いたぁー」
「ちょ、ちょっとアビィ!? なんで放り投げちゃうのさぁ!」
アビィは最後の階段を降りるとそのまま前のめり倒れ込んだ。プニちゃんが入った鉄格子はその勢いで前方へと飛ばされると、そのままわたし達を待ち構えていたのであろう、色白の男の両手の中にスッポリと収まった。
「わざわざこれを捕獲する為に研究所を抜け出したのか」
色白で細腕——恐らくこの人が室長だろう。アビィがモヤシと評した男だ。男は苛立ちを隠すことなく舌打ちをした。
「室長……ワタクシの怒髪は今にも天井突き破りそうですよ、ハイ」
「お前は不摂生な生活を少しは見直せ。このバカタレが」
「は、はあぁっ!? カッチーンと来ました。今なんて言いました?」
「バカタレって言ったんだよバカタレが! 大事な客人目の前にして飛び出して行く奴がどこにいる!?」
「ここにいるし、バカタレはあんたでしょうが! いい加減に地上と地下のルートをなんとかしろ! このトンカチ頭!」
ケンカ始まっちゃった……。でも、お互いを理解していなきゃ出来ないケンカのようにも思える。とりつく暇もないのは少々困りものだが。
二人がギャースカと言い争いをしている間、研究室をぐるりと眺めてみた。
階段を降りた先はとても大きな一つのフロアになっていた。天井を見上げるとひっくり返ってしまいそうになるくらい高く、壁際にはズラリと扉が並んでいる。
奥の方にはトンネルのような道が何本も見え、そこからは研究者と思わしき人達が忙しなく出入りをしていた。
途中、わたしの目の前を何人かの研究者が横切ったが、彼らはこちらに一瞥もくれず通り過ぎていく。その素っ気ない態度は、どこかティーリアの住人と重なった。
「そもそもスライム取りに行くこと自体が嘘だろが」
「嘘じゃないですから。後ろにいるミャオさんがお手伝いして下さいましたから。今やワタクシの親友です」
「嘘に嘘を塗り固めるな。惨めだぞアビィ」
「よーし。表出やがれですよ」
「また階段登るのか?」
「だ、誰が登るか、このやろー!」
「……」
アビィは転んだまま地に伏せたままである。体力が限界なのだろう。それなのに物凄く喧嘩腰だ。しかし、アビィがここまで感情を表に出すなんて意外だった。室長に対する信頼の裏返しと取れるのかもしれない。
「えっと、ミャオさん……で合ってるかな? 僕は研究室室長のアザムストだ」
「はじめまして、アザムストさん」
「それにしても子猫の鳴き声みたいな名前だね」
「……わたしもそう思います」
今後、ティーリアの研究者達には一生ミャオで通さなくてはならないのだろうか。だとするなら今後は二度と立ち寄ることは無いかもしれない。
「早速で申し訳ないんだが、このバカ娘を一旦顧客の元に連れて行きたいんだ。なんせ嘘吐きの逃亡犯だからね。流石に面目を保つ為にも、表向きは謝罪をしなくてはいけないからね」
アザムストはそういうと、アビィの首根っこを掴みそのまま持ち上げた。
「しばらくここで待っててもらえるかい。僕の部下が案内に来るから」
「……チッ。なんでワタクシが。そんなに世間体が大事ですか。こっちだって客人連れて来てるってのに、お茶の一杯も出さないんなんて、室長人として終わってますね、ハイ」
「研究所が運営出来ている理由が分からない訳じゃないだろ。ガキみたいなこと言うな」
「けっ」
「いいよ、いいよ。わたし待ってるから」
「すまんね。はい、スライム」
「ありがとうございます」
「気をつけてね。ここには変わり者が多い。スライムに対して執着が強い奴もいるから」
「……気をつけます」
アビィも観念したのか、抵抗する事なくアザムストの小脇に抱えられ奥への連れて行かれた。力無く降っている手がどこか物悲しい。
「なあっ!」
「は、はいっ! なん……でしょう、か」
アビィ達がいなくなるのを見計らったように、長身の男がいきなり声をかけてきた。澄んだ瞳を輝かせ、眩しいほどの笑顔を見せている。
「そのスライム、どこで拾って来たんだ?」
「えっと、これはティーリアを訪ねる前に、たまたま」
「売ってくれない?」
「え?」
「言い値でいいから売ってくれよ」
「言い値って……スライムなんて、そんなに珍しいものでもないのでは?」
「全部溶かしちまったんだよ。硫酸に対する耐久性を調べてたら五十匹をあっという間にな。何回やっても即死だったよ。最後に魔術で溶かした時のスライムの苦しむ反応を調べたいから、どうしても必要なんだ」
この人は笑顔で何を言ってるのだろう。まともにしてれば爽やかな青年なのに……。しかしそれがまた彼の残虐性を引き立たせている。
「あの、ごめんなさい。このスライムは、わたしが痛ぶりながら殺しますので」
(ミ、ミオッ!?)
(何喋ってんの!? 建前に決まってるでしょ!)
「ん? 何喋ってんだ?」
「独り言です!」
「そうか。しかし残念だ。気が変わったら声かけてくれよ。突き当たりにある第一研究室まで来てくれたらいつでも歓迎するぜ。じゃあな!」
青年は、つやつやサラサラの黒髪をたなびかせながら、白い歯を浮かべ笑顔を振りまき去っていった。
「ねえ、今から鞄に隠れるって選択肢はないのかな」
「一応、アビィが脱走した理由だから……」
「ちゃんと守ってくれるよね」
「なるべく……頑張るよ」
「頼りにならなそうだなぁ」と、プニちゃんは囁いた。遠い目をしながら半ば諦め加減にしているので、わたしのことをあまり信用していないのかもしれない。
ごめんねプニちゃん。
わたしも少し、自信無いかも。




