研究所‐4
研究所は民家が立ち並ぶ場所から遠く離れた位置にあり、噂に違わぬ頑強な造りをしていた。
唯一の出入り口とされる正門は見上げるほど高く聳え立ち、門番が数人絶えず辺りを警戒している。
「ひえぇ、いつもあんな感じなの?」
「あんな感じですね」
とてもじゃないが、アビィの手引き無しには研究所に足を踏み入れることは叶わなかっただろう。
しかし一つだけ引っかかることもあった。そんな造りからは想像できないほど建物が小さいのだ。四、五人入れば満杯になってしまいそうな規模で明らかに警備の数が釣り合っていない。
本当にここが目的の場所なのだろうかと、疑問に感じつつ辺りを見渡していると、そんなわたしのことはお構いなしにアビィは門番に歩み寄っていった。
「アルメシア。門を開けて下さい」
「これは驚きました。先生ではありませんか」
「もう、その呼び方やめてって言ってるのに」
「しかし残念ながらその願いは両方受け入れることは出来ません。現在第二級の警告が発令しております。それが捕縛命令と同義だということは、先生が一番良く理解しているのでは?」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。実際こうして帰って来てるではないですか。ワタクシ、これを捕らえに外出しただけですよ」
アビィは門番の眼前に小さな鉄格子を掲げた。もちろん中にはプニちゃんが閉じ込められており、ご丁寧に怯えて震えるフリまでしている。意外にも演技派だ。なんやかんやで乗り気だったのかもしれない。
「それなのにわざわざ追っ手まで差し向けるなんて、勘違いも甚だしいです」
「まさかそれが目的だったとでも?」
「ええ、そうですが」
「こんもの中にも沢山いるでしょう」
「この大きさと色がいいのです」
「言い訳にしか聞こえません」
「事実です。室長にお伝え下さい。アビィが帰ったと」
「……先生の言い分は理解致しました。しばらくお待ち下さい。私達だって貴女に手荒な真似はしたくないのですから」
「ありがとう、アルメシア」
アルメシアと呼ばれた門番は耳に装着してる機械を指で押すと、何やら小声で会話を始めた。どうやら無線機と同じ役割を果たしているようだ。
「ねえ、大丈夫なの?」
「多分」
「た、多分!? アビィ平気だって言ってたじゃん」
「室長の機嫌にもよります。しかし、まあ、それも含めて多分平気です」
「それならいいんだけど」
先ほどの件もあったことだし、これ以上のトラブルは避けたいものだ。ルディウスはアビィの治療によって外傷こそ治ったものの意識は取り戻しておらず、わたしの鞄の中で療養を続けている。
プニちゃんもハイランダーとの戦いで力を使い果たしており「僕はもう役立たずだよ」と自信満々にキッパリと宣言した。
少なくとも魔力が回復するまでに一週間はかかるらしい。一見簡単に戦っていたようだが、その実消耗はかなり激しかったようだ。
頼みの綱であるグリモワールも未だ行方は分からず、本当にここに来ているのかも定かではない。そして、それは同時に『魔導書』を使用できないことを意味する。こんなことなら何か自衛の方法を会得していればとも思ったが、それも今や後の祭りだ。
ドゥライヤにしても周りを警護で固めている可能性は極めて高く、ハイランダーにも負けず劣らない傭兵を揃えているはずだ。
ネルのことだって心配だ。この警備を見る限り、正面突破は諦めていると思いたいが……それしきのことで諦めるようなタイプにも思えない。
考えれば考えるほど、追い込まれている感がどうしても拭えない。それらをわたしが上手く切り抜ける未来も想像できないし、とてもじゃないが自信もない。
「お待たせしました。室長が入所許可を出したようです」
「それは良かったです。ところでご機嫌の方はどうでしたかね?」
「……ご想像にお任せします」
「まあ、なんとかなるでしょう」
「先生、その前に一つだけ」
「今度はなんですか」
「そちらの方はどなたでしょうか」
アビィとアルメシアの視線が同時にわたしに移る。なるべく自然な笑顔を作ったつもりだったが、顔がひきつっているのが自分でも理解できた。
「彼女は……ミャオさんです。獲物を捕獲した際に色々とお手伝いをして頂きました。今や親友です、親友。なんでもスライムに大変興味があるとか。ね、ミャオさん」
アビィは子猫の鳴き声のような名でわたしを呼んだ。別にそこは普通に呼んでも構わないような気もしたが、ここは素直に乗ることにした。
「え、ええ。アビィさんとは親友なんですよ」
「……」
「白衣もわざわざアビィさんが用意してくれまして……あの、凄く光栄です、ハイ」
「……はあ。先生自ら室長に説明なさって下さい。どうせ引き止めても無駄でしょうから」
「ふふふ、アルメリアは優秀で助かりますよ。じゃあ、またね」
これもアビィの人望が成せる業なのだろう。実際、門番達の表情は緊張感に包まれていたが、アビィを見かけた途端一瞬綻んだようにも見えた。
「大丈夫でしたでしょう? なんだかんだワタクシには甘いのですよ、ハイ」
「悪い顔してるなぁ」
アルメシアが門の上で仲間に合図を送ると、ギシギシと音を立て門がゆっくりと開いた。門の先は無機質な小さな建物が佇んでおり、やはり話に聞くほどの施設とは思えなかった。
「行きますよ、ミャオさん」
「その呼び方続けるつもりなの?」
「あだ名みたいで素敵じゃないですか」
「まあ、なんでもいいんだけど」
「それでは遠慮なく」
「ねえねえ。警備の割に研究所って小さいんだね」
「まさか。もしかしてここが研究所だと思ってます?」
アビィは笑いながら建物の扉を開けた。すると地下へと続く階段が現れた。
「その認識は間違っていませんが、正確にはまだ違います。ここはまだ研究所の入り口に過ぎないのですよ、ハイ」
扉の先には最低限の灯りこそあるものの、階段には手すり等は取り付けられておらず、どこまでも続いているのかと分からないくらい下へ下へと続いている。
「はぁ……この馬鹿みたいな階段を眺める度に、ワタクシはため息をついてしまうのです。いっそのこと転がり落ちた方が早いんじゃないかって、ふとそんな考えが脳裏をよぎるのです。ミャオさんもそんな風に思いませんか?」
分からなくもない……かもしれない。わたし自身、ここまで長い階段を目にするのは生まれて初めてだった。確かに気が重くなる。
「研究でエスカレーターって作れないのかな。エレベーターでもいいけどさ」
「えすかべーた? なんですかそれ」
「ううん、なんでもない。行こう」
油断していると、研究所に辿り着く頃には足腰が使い物にならなくしてしまうかもしれないなと、わたしは少しだけ気合を入れた。
「しかし随分と不便だね」
「情報漏洩を防ぐためとはいえ意味不明ですよね。まあ、それも言い訳のようなもので、半分所長の趣味みたいなものなのですよ」
趣味で長い階段を造る人なんて存在するんだ——趣味嗜好は人それぞれで、一々口を出す事でもないけれど、こればかりは理解することは出来なそうだ。
「お前らは座ってばかりだから運動しろー、って」
「階段以外に方法無かったのかね?」
「そんなことを仰る所長自身も、まるでモヤシのような手足をしてますからね」
「じゃあ階段意味ないじゃん」
「だから余計にため息しか出ないのですよ、ハイ」
うん、決めた。なるべく、わたしの世界の事は話さないつもりだったけど、エレベーターとエスカレータの存在は明言することにしよう。
機械のような文明は発展していないかもしれないが、発想と仕組みさえ上手く伝えることが出来れば、後はアビィがなんとかしてくれるに違いない。




