研究所‐2
「だからって……髪を切る必要はあるのか」
「念には念をなんて言い伝えもありますし、観念してほしいところではありますね」
変装をするにあたり、わたしは魔術によって髪の色を変えられ、瞳の色が変わる眼鏡をかけされられた。それに加えて大きなマスクまでしているのだからもはや別人のようになっている。
わたしはこれだけで済んだのだが、妙なこだわりがあるのかアビィはルディウスの髪を異様なほどに切りたがっている。
「それともその無精な髪に何か拘りが?」
「そういう訳じゃないが、いきなり髪を切るのは多少の覚悟がいるだろうが」
「何を女々しいことを。だとしたらやはり切るのが最適解です。そんな髪型の人は研究者にはいませんよ。全体的に短くして三対七でピッタリと分け目を入れましょう」
「勘弁してくれよ。ミオみたいに魔術でパパッと誤魔化せないのかよ」
「無理ですね。魔術は決して万能ではありません。少なくともワタクシには無理な芸当です、ハイ」
「おい、ミオ何とかしてくれよ」
う、うーん。そう言われても困るな。わたしだって断りもなしにこの髪色にされた訳だし、強引といえば強引そのものだった。
どうやらアビィはこれと決めたらそうでなくてはいけないと思い込む癖があるようで、そしてその拘りは自身に向かうのみならず、周りをも巻き込む強烈なものみたいだ。
「逆らわないのが無難なんじゃない? それに早く研究所に行かなきゃだし」
「なんだか焦ったいですね。髪を切ることがなんだというのですか。ほら、こんなに簡単ですよ」
アビィは手に持っているハサミを自分の髪に当てると、あろうことがそのままバッサリと切り落としてしまった。勢いよく、躊躇なく、あっさりと。
「ア、アビィ?」
「……あ」
「何でお前が切るんだよ……」
「つい、勢いで、ハイ」
「……ったく。ほら貸せよ。俺も切ればいいんだろ」
そんなこんなありながら、無事にルディウスの変装も完了した。まるで別人のように変わったルディウスは本当にどこかの研究者のようだった。
「これで気が済んだかよ」
「いいですね。スッキリしました」
「お前がだろ」
「そんなことないですよ、ハイ」
普段のどこか粗暴なルディウスに見慣れているからか、じっくりその姿を見ていると吹き出してしまいそうだったので、わたしはなるべく目を合わさないようにした。
笑ってしまったら、何を言われるか分かったものじゃないし、最悪、拗ねてしまって研究所に行きませんなんてなったら元も子も無い。
「あはははははっ! ル、ルディウス!? どうしたんだい!? まるで転職でもしたかのようじゃないか!」
「ちょ、ちょっとプニちゃん!? 転職って……ハハッ、アハハハハハッ……ごめん」
「そんなに変か?」
「……似合ってるよ」
「この際、本当に転職したらどうですか? ハイ」
「馬鹿いうな。おら、行くぞ」
少し拗ねたルディウスに気を使いつつ、わたし達は宿を抜け出した。街から指定された宿は、ある意味外部の人間を監視している役割を果たしており、怪しい動きをすれば即座に引き止められ、質問攻めに合うようだが、そこはアビィのおかげで事なきを得た。
どうやらアビィはティーリアではちょっとした有名人らしく、その上人望もあるらしい。途中出会した従業員に適当な事情を話すだけで、抜け出すことに苦労することはなかった。
それどころか、先ほどアビィを探す数人の男が訪れたようだ。従業員達は知らない存ぜぬで通したようたが、もちろん、アビィが宿にいることなど知る訳がない。それでもアビィがいる可能性があるならと口裏を合わせたようだった。
「皆の起点の良さに助けられましたね。ハイ」
「引きこもりの割には顔が広いな」
「ほんと、びっくりしちゃった」
「随分前の研究が皆さんのお役に立ったようで、それ以来やけに持て囃されているのですよ。その頃は今と違い飲み歩いたりもしてましたしね、ハイ」
「どんな研究なんだ?」
「……うーん、忘れてしまいました」
どう考えてもそんなことは無さそうだが、アビィにも語りたくないことがあるのだろう。ルディウスもそれに勘付いたのか、それ以上言及することは無かった。
「さて。そろそろ到着ですが、どうやら厄介事が起こりそうな予感がしますね」
「追っ手か?」
「はい」
「だけど……」
暗闇のせいもあってか、周りにはそれらしき人達はない。それどころか、いくら耳を澄ましても物音一つしなかった。
「さっきも思ったんだけど、どうやって分かるの?」
「えーと、簡単にいうとワタクシを中心として円状に広範囲の感知結界を張ってます。それにより異常な動きを検知することが出来るのですよ」
「便利なもんだな」
「しかしうっかりしていましたね。研究所に入るよりも、この追っ手の方が面倒です」
「何でだよ。スライム探してたって言えば済むんじゃないのか?」
確かにルディウスがそう思うのは当然だった。もちろんわたしだって同じことを考えていた。
「追っ手が研究所の人間とは限りません」
「まさかドゥライヤの!?」
「ご名答。追っ手は一人のようですね。口封じを兼ねて撃退といきたいところですが……」
随分と過激なことを口にするものだ——だけどこの場を切り抜けるのは研究所に向かう上で避けては通れない。手っ取り早く片をつけるのなら、それが一番なのは間違いないのかもしれない。
「因みにワタクシこう見えまして、相手を傷つけるような魔術はできる限りは使いたくはありません」
「使おうと思えば使えるのか」
「はい。手加減が出来ないのです。つまり魔術を使用することは相手が死ぬことを意味します」
「随分と物騒だな。それほどなのか」
「魔術を使うのならば全力です。でなければフラストレーションが溜まる一方ですから」
「はっ、奥の手として期待しとくよ」
だとしたら今動けるのは、わたしとルディウスのみ。『青』の皆を街中で放つ訳にもいかないし、どうにかしてこの場を乗り越えるしかないだろう。
だけど……いきなりそんなことが出来るのだろうか。確かに身体能力が上がっているとはいえ、それだけだ。ドゥライヤに雇われる程の者ならば、ドゥライヤと同等の実力者が現れても何ら不思議はない。
「来ます!」
「ミオ、無理すんな! アビィの側にいろ!」
「だ、だけど——」
「っ! 危ねえっ!」
ルディウスがわたしを押し退けたその時、視界が真っ白になった。まるで突然目の前に太陽が現れたかのような閃光が辺りを包む。
「ぐあっ!」
大きな鈍い衝撃音の後、ルディウスの痛々しい声が響いた。しかし目を開くことは出来ない。
「お前、ルディウスじゃないか」
「くっ……その声は……ハイランダーか!?」
「何してんだお前。賊を相手にしてから姿をくらましたと聞いていたぞ」
「賊は始末した。くそ、どきやがれ!」
「そりゃあ良かった。しかし研究者の真似事をしてるのは訳が分からねぇよ。アビィ殿、あんたならこの状況を説明出来るのか?」
「……」
ようやく視界が開けると、そこには地に伏したルディウスに腰掛ける男が現れた。
男は長髪を後ろで一つに結っており、言葉違いからは想像がつかない優男だった。手には短い杖を構えており、それをルディウスの頭に突きつけている。
「雇い主裏切って、女ぁ引き連れて、あろうことかアビィ殿と一緒とはなあ」
舌なめずりをする男を見て背筋が凍るのを感じた。わたしが今までに出会った人間の中で、間違いなく一番冷たい目をしている。
「……逃げろ。俺が時間を稼——ああぁぁっ!」
男は杖から蒼白い光を放つと、それをルディウスに流し込むように強く押し付けた。
「相変わらず馬鹿だな、お前。どうしたら逃げ切れる思考に辿りつくんだよ。お前も死ぬし、女も死ぬんだよ」
「そんなこと許しませんよ」
「もちろんアビィ殿は殺さねえよ。うっかり痛い目に合うかもしれないがな」
「ワタクシが抵抗しないとでも?」
「ではアビィ殿が好きな交換条件といきますか。そこの女の命は保証しよう。あんたが大人しくついてくればな」
「……ルディウスさんは?」
「こいつは駄目だ。裏切り者には粛清を。それが俺達が生きていく上での決まり事だ。傭兵ってのは命を信頼に代えて結ばれてんだ。こいつを見逃すのは俺の沽券に関わる」
ルディウスと初めて会った時は、傭兵とはいえどこか人間味を感じた。だけどこのハイランダーと呼ばれた男からはそれが全く感じられない。
目の前の光景に、ただ震えることしか出来なかった。
どこか他人事でどこか夢見心地だった現実。それはどうやらこの瞬間、わたしに牙を剥き出したようだ。




