研究所
「に、逃げたって、どうやって」
「単純に走って逃げられちゃったんだよね。ネルって思った以上に俊敏でびっくりしたよ」
びっくりって……こっちがびっくりだよ。ものの数分でこんなことになるなんて——だけど、この可能性は十分に考えられたことなのかもしれない。
妹を奪われるなんて想像にし難い現実だ。ネルの気持ちも分からなくもない。わたしだって、大切な人を奪われたらいてもたってもいられないだろう。
そう考えると一概にプニちゃんを責めることは出来ない。むしろわたし達にだって責任はあるはずだ。もう少しネルの気持ちに寄り添ってあげていれば、きっとこんなことには……。
「あらら。大変ですよ、それ。仮にネルさんが研究所に向かっているのならそれは大変危険です」
「だろうな。ただでさえ警備が強固な上、今は夜更けときてる。あっという間に捕まるのが関の山だ」
「それにネルさんって人間じゃないですよね?」
「っ! 何でそれを」
「これでも研究者の前に魔導士のはしくれですから。内包する魔力は隠しきれていませんでしたし、若干ですが瘴気の臭いもしました。ここからはただの憶測ですが、彼は瘴気に侵された経験があるのでは?」
アビィにかかれば、どんな小さなきっかけからでも正解に辿り着かれてしまうのではないだろうか。そう思わされるほど彼女の考察力や観察力には舌を巻かれる。
「やはり、そうなのですね。ならば尚更危険です。幸いワタクシには興味の無いことですが、研究所には様々な研究者が存在します」
「つまり……捕まるだけでは済まない可能性があるってわけか」
「その点で言えばプニさんも危ないです。スライムは特段珍しくはない存在ですが、実験体なんて多いに越したことはないですからね、ハイ」
「そんなに淡々と怖いこと言わないでよ。分かっていたとはいえ、いざ研究者にそれを言われると少し気が引けちゃうよ」
「付け加えると魔物の命を軽視している節すらあります」
「……やめてって」
◇
アビィの作戦は、まさかの正面突破というシンプルかつ大胆なものだった。警備が厳しいというのなら魔術を駆使したり、研究所側が気付いていない穴を突くのかと考えていたが、アビィ曰くそれこそが悪手だと言い放った。
「考えられる可能性を事細かく潰していくのはあちら側からしたらお手のものですから」
「だからって正面突破かよ」
ルディウスがそういうのも無理はない。これはわたしも同意見だった。可能性を潰すならば、それこそ真っ先に警戒されそうなものである。
「あちらが正面突破は不可能だと思い込んでいるからこそ、そこに穴があるのです。そして、そんな時こそ方法はシンプルでいいのですよ」
するとアビィはどこから取り出したのか、自身が纏う白衣と同等の物をテーブルに並べ始めた。その上には小さな鉄格子と入館証も置かれている。
「作戦というほどのものでもないのですけどね。まずワタクシが研究所から逃亡した理由は彼方にはバレておりません」
「あー……何となく想像ついたかも」
「プニさんには鉄格子に入ってもらいます」
「だよね」
「わたしも分かったかも」
「作戦なんてこれくらいシンプルでいいのです。色々と理屈をつけてこねくり回すから粗が出るしボロも出る。ワタクシの知識好奇心が極限にまで達し、実験体を捕らえに行っていたと話せばいいだけのことです、ハイ」
「それが追っ手から逃げていた理由になるの?」
「はい、十分です。それくらいのことは日常茶飯事ですから。今まで逃走という手段をとらなかっただけと思われるくらいでしょうね」
アビィが自信有り気に話すところをみると、成功の可能性は高いのだろう。どうも信じ難いとこではあるが。
しかしプニちゃんはそれでいいとしてだ。わたしとルディウスはどうしたらいいのだろうか。二着の白衣が用意されいるのだから変装することは何となく分かる。
だけどそれくらいで厳重と評される警備を突破することは可能なのだろうか。
「可能です。正面の警備は人造人間が務めていますから」
「人造人間って……おい、それマジで言ってるのか?」
「どうしたの、ルディウス」
「はい、事実です。ティーリアが今もっとも研究に力を注いでいるのは生命そのものですよ」
ルディウスはアビィの言葉を聞き絶句している。
「それは……そんなに驚くことなの?」
人造人間——もちろん知らないわけではないが、いまいち実感が湧かない。そもそも、わたしが知っているのは魔術ではなく、物語なんかで読んだ錬金術の話だ。
ルディウスが驚いているのは、魔術においても錬金術と同じく禁忌とされている行為だからだろうか。
「ティーリアが異様な程の箝口令を敷いているのは、これが理由です。そしてその実験は、今正に実を結ぼうとしているのが実態です」
「お前ら……とんでもねぇな。興味心だけでそこまでやるかよ」
「なんとなく常識の範囲外の行為ってことは理解できるけど、やっぱりそれって凄いことなの?」
「断っておくとワタクシは専門外ですよ。色々な利用方法があるって話です。そうですね……例えば、生まれながらの従順な奴隷を育てたり、医療においては健康な臓器の確保、極め付けは家族に恵まれなかった人へ疑似家族の提供など様々です」
「一時期はかなり話題になったが、非人道的な行為には批判がつきものだ。世界のお偉いさん方が率先して中止になった研究だと聞いたが……」
「そのお偉いさん方に支えられているのがティーリアなのですよ」
「……そんな馬鹿な話があるかよ」
この世界で生活している人達にとってはかなり衝撃の事実なのだろう。わたしはというと……やはりピンと来ないのが本音だ。
これは、まだわたしが身の回りで起きている出来事を現実として見ていない証拠なのかもしれない。
他人事のように、どこか夢見心地のように。
「アビィはそんな話をしても大丈夫なの? それって機密事項というか、絶対知られちゃいけないことなんじゃないの?」
「そりゃあバレたら大変ですよ。最悪、命まで取られてしまうかもしれませんね、ハイ」
平然と、淡々と、表情を少しも崩すことなくアビィは言った。
「大変じゃないか。僕達がそれを口外しないって確信があったとしても言うべきでは無かったんじゃないかい?」
「いいのですよ。正直な話、もうあそこで研究出来ることは全てやり尽くしました。それに……ワタクシが一番興味が惹かれるものは『魔導書』そのものなのです」
「どういう意味?」
「ミオさん、提示された交換条件は既に達成しています。ここからは貴女達を無事に研究所内に送り届ける代わりに、お願いしたいことがあるのです」
相変わらずの口調のアビィに少しだけ気後れしたのは否めない。彼女が話す言葉には終始力強さを感じる。
「グリモワールさんとネルさんの件、そしてドゥライヤさんの件が無事に解決したら、ワタクシを同行させれてはもらえませんか?」
それは少し意外な提案だった。三年も研究室に篭りっぱなしの根っからの研究者が旅に同行することもそうだし、何より彼女にとっては研究こそが生き甲斐なのだと思い込んでいたからだ。
「答えは後でも構いません。あくまでもこれはお願いです。前向きに考えて頂けると幸いです、ハイ」




