ティーリア‐3
「えっと……お名前、教えてもらってもいいかな?」
「……ネル」
恐らくネルは犬系の動物なのだと推測できた。大きな耳に尻尾、まんまるの青い瞳、そして八重歯がすごく特徴的だからだ。それにしても、あの時はそれどころでは無かったが、こうしてまじまじと顔を見てみると、なんだかとても可愛いく思える。服装もボロボロのオーバーオールにブカブカの靴を履いて……うん、やっぱりすごく可愛い。
「ネル君、あのね——」
「あの男の話ならさっき聞いたよ」
明らかに拗ねた様子で、頬を少し膨らませネルはそっぽを向いた。こんなにもあからさまな態度があるのだろうか。自分をどう魅せれば一番可愛いのかを生まれながらに分かっていないと無理な所作だ。
「あいつのこと、許してあげて欲しいんだ。ルディウスも今は君の友達を助けようとしてくれてる。もちろんわたし達も手伝うつもりだし、悪いようにはしないから」
ネルの瞳からは今にも大粒の涙が溢れそうだった——いまだかつて、こんなにも母性本能がくすぐられてることがあっただろうか。いや……無い。
これはわたしの無類の犬好きがかなり影響しているのは間違いがないのだが、プニちゃんの粘液でドロドロになっていようが、今すぐに抱きしめたくなるほどネルは可愛かった。
「……ちょっとミオ。その慈しみの表情はなんなの」
「はっ!」
『ネルは狼の幼体です。攫われたのは妹のようですよ』
「あれ? でも、確かネル以外にも何人かいたよね」
あの時——ネルが馬車を襲撃した時、少なくとも三人はいた筈だ。それなのになんで……。
『珍種は瘴気に当てられて進化を遂げた種のことを指し、稀に恩恵を得ることがあります。それはネルのように言語や魔術を扱えるようになったりと様々なのです』
「ネルは魔術を使って分身していたんだよ」
確かにわたしが目にした変異種達は、原型が分からないくらいの異形であり、少なくとも目の前のいるなるのように可愛らしい姿形はしていなかった。
もちろん魔術を扱うことも無ければ、言語など発するわけもなく、ひたすら不気味な呻き声を上げるばかりだった。
『しかし、だからこそ、余計に奴隷として目をつけられたのかもしれませんね。本来とはまた違った目的で」
グリモワールは、労働の為にではなく、物珍しさからくる一種のコレクションのような扱いを受ける為にさらわれた可能性があると、暗に言っているのであろう。
考えれば考えるほど、想像すればするほどに、悪趣味な趣味を持っている人間が存在するものだ。どんな環境で育ち、どんな人生を歩めばそのような思考にたどり着くのだろう。
決して同情するわけでは無いが、わたしには想像も及ばない熾烈なものであることには違いない。
「そう思うと散々暴れたネルの気持ちも分かるけどね。僕だって仲間が同じ目にあったらと考えるとげんなりするよ」
『かなり暴れましたけどね。わたしもミカゲなる失礼な小娘が、澪様に牙を向いた時はそれなりに頭に血が昇ってましたが、ネルもかなりのものでした』
「僕からすればどっちもどっちだったけど」
プニちゃんの心中察して余るな。ことグリモワールの戦闘力を目の前で見ているので尚更だ。しかもまだまだ底を見せる様子もない。
「お、目が覚めたのか。良かったな」
「そうなんだよ。とりあえずは安心——ルディウス!?」
あまりにも自然に、当たり前のように会話に入ってきたものだから思わず会話を続けそうになってしまった——振り返るとルディウスは、さも当たり前かのように部屋に入ってきていた。
「あ、あんた、いつのまに? ノックぐらいしなさいよ」
「いや扉空いてたし……お前らこそ何やってんだ。わざわざ身をくらませてティーリアに来たってこに、不用心にも程があるだろ」
「え、開いてた?」
ぐうの音も出ないルディウスの言い分に「それは……ごめん」と素直に謝るしかなかった。プニちゃんは笑って誤魔化しているし、グリモワール至ってはシカトである。
「ともあれ、あの時は悪かったな。謝りたいとは思ってたんだ」
「そんなことより……お前、本当にあの男と繋がってないんだな?」
ネルはルディウスを睨みつけると小さく唸り声を出しながら威嚇を始めた。小さな手には血管が浮かび上がるほどに力が込められており、可愛らしい見た目からは想像も出来ないほどに禍々しい爪をちらつかせている。
「ああ、だとしたらこいつらと一緒にいない」
「どうだか。なんにせよお前には最後まで付き合ってもらうぞ」
「願ってもないな」
何か不安が拭えないやり取りではあるが、とりあえずは大丈夫……なのかもしれない。それにしてもグリモワールにルディウス、そしてネル。
似たもの同士が惹かれ合うのかは定かでは無いが、こうも血の気の多い連中が集まるとは。プニちゃんが見た目通りのキャラクターで救われてるな。
『さて、ひと段落ついたところでティーリアでの注意事項をお伝えしましょうか』
「グリモワール達ってティーリアは初めてじゃないの?」
『何回かあります。だからこそ身を隠していました』
「僕は初めてだよ。悪い噂は聞いてるから身を隠していたけど」
「俺は何回かある。まあ、あまり関わりたく場所だから立ち寄ったレベルで、詳しくは無いな」
「……」
恐らくネルは初めてなのだろう。それどころか住処から遠く離れること自体が初めてかもしれない。
「一応注意事項は渡されたぜ。なんか細かい文字で長々と書いてあるから見るかも失せるけどな」
『その中でも特に気をつけた方がいいことは——」
グリモワールの説明を要約すると、ティーリアに滞在中は身勝手な行動は慎みなさいということだった。
一つ、街中での魔術は使用禁止。
一つ、暴力的な振る舞いは即捕縛。
一つ、ティーリアに於ける研究施設へ許可なく侵入することを禁ずる。
一つ、研究に於ける如何なる情報も持ち出すことを禁ずる。
他にも細々と取り決められていたが、特に気をつけねばならない点はこの四点だった。
しかしこうも秘密主義貫いていると、何が行われているのかが不透明過ぎて様々な方面から目をつけられそうなものだが、ティーリアは遥か昔からこうなので、もはや誰も気にしていないらしい。
魔術の研究が医療や暮らしに大きく役立っていることも、不可侵がまかり通っていることに大きく関わっているのだ。とりわけ医療に関しては、諸国のお偉いさんからの絶大な信頼を得ており、普通に生活していたらお目にかかれないような人達からの信頼も大きい。
いわば鎖国ともとれる、他とは違う異様なしきたりは、そのような有力者からの圧力も深く関わっているのかもしれない。
『最後に、この街の住人は、老若男女が魔術を操ることに長けています。そして須く魔術に対して異常なほどに執着しています」
「老若男女ってところがすごいね」
『だからこそ街中での魔術は使用禁止なのです。個々人間の争いが大きな被害を生む可能性がありますから」
小さないざこざが魔術を使用した大喧嘩に発展する可能性があるということだ。確かにそうなったらグリモワールとルディウスが手合わせした時とは訳が違うだろう。
それはグリモワールの魔術を目の当たりにしていれば、一目瞭然である。それに雷を操れるならば、火や水を操ることももちろん可能なのだろう。
肩がぶつかっただけで、逆上した相手に全身着火されたり、感電させられる危険性すらあるのだ。そう考えると街中での魔術を使用禁止なのは納得である。
『何より全員の知識欲が凄まじく、その為にはあらゆる犠牲を払う精神も兼ね備えています。街中でスライムなんて発見したら即刻実験台行きですし、自らの理解を超える魔術を使用する人物なんて発見したら、攫われて頭の中をほじくり回させれたりします』
……怖過ぎだろ。頭をほじくり返して何が分かるわけでもあるまいし、そんなのはただの人殺しじゃないか。穏やかで牧歌的な街並みとは裏腹に、住民達はかなり過激な思想を持っているようだ。
『しかし、それ以外にはてんで無頓着であり、私達の目的——つまり、ドゥライヤの潜伏場所等を聞き込みをして回っても大して怪しまれずに済むかもしれませんね』
「なんか極端過ぎな気もするけど……」
『噂にすらならないですよ。多分ね』
多分というのが少しだけ引っかかるが、ともあれグリモワールがそう言うのであれば、一先ずは安心してもいいのであろう。
いざこざが起こることは……いや、わたし達がこれからいざこざを起こすことは確定的なのだが、それまではなるべく穏便に済ませたいのも本音である。




