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神のい(ら)ない世界  作者: ..
5.1. 修学旅行編
18/21

空の上の競技場

 「でかいな……一体、何人入るんだ……」


 恒星が見上げた先――空に浮かぶそれは、もはや“建物”という言葉では収まらなかった。

 雲の上に、もう一つ大地が存在している。

 そんな錯覚すら覚える。

 近づいているはずなのに、距離感がうまく掴めない。

 大きすぎるせいで、逆に遠く感じるのだ。


 普通なら、スペースの問題で到底建造できない規模。

 だが、この都市では違う。

 空中という、無限にも思える空間が存在している。

 だからこそ、その異常なサイズですら“当然”のように空へ存在していた。


 外周を取り囲むリング状の構造。

 その内側に見える巨大なスタンド。

 さらに、その周囲を飛び交う無数のハロウ。

 視界に収まりきらない。


「収容人数は三十万人ぴったりになっています。有名なので知っている方もいるかもしれませんが――」


 クレアがどこか誇らしげに振り返る。


「これが、現在世界で最も大きいスタジアム、“オールド・レイトスタジアム”です」

「三十万……?」

「一つの街じゃねぇか……」


 誰かが呆然と呟いた。


「また、ここはただ大きいだけではありません」


 クレアは続ける。


「このスタジアムは、“七国祭そのもの”を保存している場所でもあるんです」


 その言葉と同時に、案内役としてのスイッチが完全に入ったらしい。

 どこか楽しそうな様子で歩き出すクレアに続き、一行はスタジアム外周へと降り立った。


 足場になっている外周部は、一枚の巨大な円盤ではない。

 幾つものリングが重なるように構成され、それぞれを細い橋や通路が繋いでいる。

 通路の隙間から、遥か下に街並みが見えた。

 高い。

 高すぎる。

 視線を落とした瞬間、足元がふわりと浮くような錯覚を覚える。


「……落ちたら、どうなるんだ?」


 誰かがぼそりと呟く。


「落ちませんよ。そういう設計ですから」


 クレアはあっさりと言う。

 だが、その“そういう設計”がどれほど異常なのか、誰にも想像できなかった。


 やがて、多数存在する入口の一つへ案内される。

 そこに扉はない。

 代わりに、薄く揺らぐ空気の膜のようなものが張られていた。


「そのまま進んでください」


 言われるまま、一歩踏み出す。

 身体を何かが通り抜ける感覚。

 わずかに視界が歪む。

 そして次の瞬間。


「……うお」


 中へ入った途端、空気そのものが変わった気がした。

 広い。

 ただ、それしか言葉が出てこない。

 天井は遥か上。

 どこまで続いているのか分からない。

 壁一面には写真や旗、トロフィーが整然と並べられている。


「ここは、七国祭が始まって三十年――その間の日本代表の活躍をまとめた展示エリアになります」


 クレアが周囲を見渡しながら説明する。

 改めて見ると、そこは単なる展示室ではなかった。

 巨大な空間そのものが、“七国祭の歴史”を保存する資料館になっている。


 壁際には歴代出場者達の写真が年代順に並び、その下には当時の試合映像や成績、戦術解説などが半透明のウィンドウとして表示されていた。

 中央には優勝トロフィー。

 歴代メダル。

 割れた装備の一部。

 有名選手が実際に使用していた武器まで展示されている。


「本物か、これ……?」

「保存状態やばくない?」


 さらに壁面では、過去の試合映像が立体投影されていた。

 轟音。

 歓声。

 崩れた街並みを駆け抜ける選手達。


 巨大な炎。

 一瞬で凍り付く地面。

 空中を裂く光。


 映像だと理解しているのに、思わず身体が反応してしまうほど迫力がある。


「うわ……」


 誰かが息を呑む。


「これは二十五年前の決勝戦ですね。当時のイギリス代表とアメリカ代表の試合です。今でも歴代最高クラスの名勝負と言われています」


 クレアが嬉しそうに説明する。

 映像の横には、当時の観客数や視聴率、フィールド使用率まで細かく表示されていた。


「同時接続……二十六億?」


 綾人が思わず読み上げる。


「その年の決勝ですね。歴代最高記録です」

「いや、世界の三分の一以上見てるじゃん……」


 恒星は半ば呆れながら周囲を見回した。

 “歴代人気選手ランキング”。

 “最速決着記録”。

 “歴代最多撃破数”。

 様々な記録が並んでいる。


 さらに奥では、歴代代表選手達の入場シーンが繰り返し再生されていた。

 七つの国旗。

 歓声。

 地鳴りのようなコール。

 その映像をぼんやり眺めていた時だった。


「あれ……?」


 徹が足を止める。


「どうした?」

「いや、今の人……」


 指差した先。

 ちょうど日本代表チームの入場映像が流れていた。

 歓声の中、選手達がフィールドへ歩いていく。

 その先頭付近に――


「……桃ちゃん先生?」


 映っていたのは、今とほとんど変わらない萌木の姿だった。

 小柄な体格。

 派手な服装。

 観客席へ向かって笑顔で手を振る仕草まで同じ。


「間違いない……やっぱ桃ちゃん先生だ!」


 徹が慌てて映像と本人を見比べる。


「でもこれ、かなり昔の映像だよな……?」


 映像端には、“第十一回七国祭”の文字。

 表示されていた年号を見て、綾人が固まる。


「……二十年前?」


 一瞬、空気が止まった。

 全員の視線が、ゆっくり萌木へ向く。


「そだよー☆」


 当の本人は、いつも通り軽い調子だった。


「いやー懐かしいなー。あの頃は若かったよ~」

「普通、二十年経ったらそんな変わらないって事あります!?」

「えー? そうかなー?」


 全く気にした様子もなく笑っている。

 だが、その隣でクレアだけは完全に目を輝かせていた。


「実は私、ずっとファンだったんです!」

「え、そうなのー?」

「もちろんです! “妖精フェアリー”って呼ばれてたの、知ってますよね!? 小柄なのに圧倒的な機動力で――」


 そこから先は、完全にファンのテンションだった。

 クレアは興奮気味に当時の試合内容を語り始め、ついにはサインまで頼み始める。


「えー、ここで書くのー?」


 そう言いながらも、まんざらではなさそうにサインを書く萌木。

 そんな二人を眺めながら、恒星は再び映像へ視線を向けた。

 二十年前の映像の中で笑う萌木。

 そして今、隣で笑っている萌木。


 同じ笑顔のはずなのに。

 今の方には、どこか薄い陰りが混じっているような気がした。


「そういえば、獅子王さんは今何されてるんですか? やっぱりまだ萌木さんとコンビを?」


 クレアが何気なく尋ねる。


「えっ、あー……そうそう。狂平も元気でやってるよー」


 わずかに間のある返答。

 その空気に、誰もそれ以上踏み込めなかった。


「そういえば、ここにある説明文って全部日本語ですけど、日本人以外が来たらどうするんですか?」


 徹が自然に話題を変える。


「いいところに気づきましたね」


 クレアがぱっと表情を戻した。


「皆さんにお渡ししたい物がありますので、少々お待ちください」


 そう言ってスタジアム中央へ続く通路へ走っていく。

 ほどなくして戻ってきた彼女の腕には、箱が抱えられていた。

 中には、首輪のような装置がいくつも入っている。


「これはAC――オーグメント・チョーカーです。使い方は後で説明しますので、とりあえず装着してみてください」


 言われるまま首へ付ける。

 サイズが合うはずもない。

 なのに、不思議とぴたりと収まった。


「それでは、首の付け根にあるボタンを押してください」


 押した瞬間――世界が変わった。


「うわっ!?」


 空中に無数のウィンドウが展開される。

 ただの壁だった場所に、情報が重なって表示される。

 文字の横には、“言語切替”の表示。

 試しに触れると、確かな感触が返ってきた。


「このACにはAR技術が組み込まれています。ARで作られた映像を可視化し、さらに“触れる”ことも可能にしてくれる装置です」

「……触れる、って……」


 恒星はもう一度ウィンドウへ触れる。

 ガラスでも何でもない。

 だが、確かにそこに“存在”していた。


「これは皆さんへのプレゼントです。スタジアム内だけではなく、この国では至る所でAR技術が使われていますから」


 クレアが少し楽しそうに笑う。


「街へ出た時、きっと驚きますよ」


 再び通路を進む。

 途中、いくつもの扉や区画が見えたが、


「そちらは他国の展示エリアですので、機会があればまた……」


 と軽く流され、そのまま奥へ進んでいく。


「そうそう。別に付けたままでもいいんですけど、一応ACの電源は切っておいてくださいね」


 指示通りに電源を落とす。

 さっきまで視界を埋めていた表示が、一斉に消えた。

 少しだけ、世界が静かになった気がした。

 やがて、大きなゲートの前へ辿り着く。


 中を覗く。

 何もない。


 ただ、だだっ広い空間が広がっているだけだった。


「……ここで試合するのか?」


 誰かが呟く。

 クレアは答えない。

 そのまま門をくぐる。

 続いて全員が中へ入った、その瞬間――

 勝手にACの電源が入った。


 視界が切り替わる。

 そして次の瞬間。

 何も無かったはずの空間に、日本の街並みが出現していた。


「……は?」


 誰かが声を漏らす。

 建物。

 道路。

 電柱。

 看板。

 細部まで、あまりにも現実そのままだった。


「電源を切った状態で入ると、自動で起動するようになっています」


 クレアの声が響く。


「そして、このフィールド内では如何なる事があってもACの電源を切ることはできません。また、外へ出ると自動で停止します」


 説明を聞いても、現実感はなかった。

 恒星は地面へ視線を落とす。


 石畳の感触。

 踏みしめた時の硬さ。

 空気の匂いまで違う。

 どう見ても、本物だった。


「これも七国祭で使用される競技フィールドの一つです。他にも別の国の街並みを再現したものや、完全オリジナルのフィールドも存在しています」

「……これ、全部……?」

「ええ。“見えているだけ”ではありませんよ」


 その一言に、背筋がわずかに冷えた。


 映像ではない。

 触れられる。

 歩ける。

 戦える。


 現実そのものを書き換えているような感覚。

 他のフィールドも見せて欲しいと頼んだが、日本以外については“七国祭当日のお楽しみ”という事で却下された。

 名残惜しさを感じながらも、時間の都合でスタジアムを後にする。

 そして、外へ出た瞬間。


「……え?」


 恒星は思わず足を止めた。

 景色が違う。

 いや、正確には――“見えていなかったもの”が増えていた。

 空中に浮かぶ半透明の案内表示。

 建物側面へ投影された巨大広告。

 人が近づく度に内容が変化している。


 ハロウの進行方向には光のラインが表示され、複雑な空中交通路を色分けしていた。

 さらに、遠くの建物同士を繋ぐ透明な通路まで存在している。


「うわっ、なんだこれ……!」


 徹が驚きの声を上げる。

 今まで何も無かった空間へ、“もう一つの街”が重なったようだった。

 道行く人々も普通ではない。

 空中に浮かぶウィンドウを指先で弾いて操作していたり、小さな立体映像を連れ歩いていたり、中にはペットのようなARキャラクターを肩へ乗せている人までいる。


 だが、誰もそれを特別視していない。

 この国では、それが“日常”なのだ。


「これ全部……見えてなかっただけなのか?」


 恒星が呟く。


「そういう事です」


 クレアが少し嬉しそうに頷いた。


「アメリカではAR技術が生活の一部になっていますから。皆さんが今見ているものも、元々ずっと存在していたんですよ」


 そう言われても、現実感がない。

 ビルの壁面では巨大なクジラの立体映像が泳ぎ、空中ではホログラムの鳥が群れを成して飛んでいる。

 だが、それはただの映像ではない。

 近くを通ると風が揺れ、水飛沫のような感覚まで肌に伝わってきた。


「……本当に触れられるんだな」


 恒星は目の前に浮かぶ案内表示へ、そっと手を伸ばす。

 指先に返ってくる、確かな感触。

 ガラスのようで、少し柔らかい。

 不思議な感覚だった。


「すっげぇ……!」


 さっきまで疲れ気味だったクラスメイト達も、一気にテンションが上がっていた。


 周囲を見回す度、新しい発見がある。

 遠くの空中庭園。

 ARで作られた噴水。

 現実の建物へ重なる巨大時計。

 世界そのものが“拡張”されている。

 さっきまでと同じ空のはずなのに、もう別の場所へ来てしまったような感覚。

 現実と虚構の境界が曖昧になる。


 それでも、この国の人々は当然のようにその中で暮らしていた。

 もう少し見ていたかった。

 だが、迎えのハロウが到着し、全員が乗り込む。

 浮かび上がったハロウが、ゆっくりと進み始めた。

 窓の外では、ARの光が夜の街へ溶け込むように広がっている。

 そして後方では、オールド・レイトスタジアムが静かに遠ざかっていった。

 空に浮かぶ巨大な影は、まるで“別世界への入口”そのもののように見えた。

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