支える地と進む空
─────事件から1週間後 朝のSHR
「……さてと、もう6月中旬ということは……」
桃が、にやりと笑う。
わざとらしく間を作る。
「修学旅行だよ~☆」
教室が一気にざわついた。
この学校の修学旅行は6月末に行われる。
行き先はアメリカ。
七国祭の会場見学と、他国文化の体験が目的だ。
「海外か……」
「ミクストランド楽しみ!」
あちこちから声が上がる。
その日は、班決めや行き先の説明、注意事項の確認で丸一日が終わった。
「準備めんどくせぇな……」
「お前絶対忘れ物するだろ」
そんな声が飛び交う中、放課後が来る。
━━━ ━━━ ━━━
─────さらに1週間後 修学旅行当日 早朝
まだ空気の冷たい時間帯。
街も完全には目覚めていない。
準備を終え、玄関を出ようとしたところで呼び止められる。
「恒星」
振り返ると、恒人が立っていた。
「なにも起こらないだろうが、一応海外だ。気をつけて行くんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
短いやり取り。
軽く手を振り、恒星は家を出た。
見送った恒人は、そのまま自室へ戻る。
「恒人様、お見送りは?」
メイドが尋ねる。
「今、済ませたところだ」
「そうですか。それで……アリス様の件はお伝えしましたか?」
一瞬、間。
「……あ」
嫌な沈黙。
「忘れていた」
「やっぱりですか」
ため息。
「まあ、向こうから接触してくるだろう」
「そういう問題ではありません」
即答。
「最近、物忘れ多いですよ」
「……否定はしない」
「まだお若いんですから、しっかりしてください」
呆れ半分、心配半分の声だった。
━━━ ━━━ ━━━
─────国際転移管理機構(通称:転移港)
目的地に到着した瞬間、思わず足が止まった。
(……なんだこれ)
視界いっぱいに広がる巨大な低層建造物。
ガラスと金属だけで構成された外壁が、空の色をそのまま映し込み、無機質なはずのそれに妙な存在感を与えていた。
(空港……にしては飛行機がどこにも見当たらない)
「でか……」
「これ全部施設か?」
人の流れは絶えない。
だが、雑然とした印象はない。
全員が同じ速度で、同じ方向へ流れているような、不自然な整然さがあった。
入口には扉がない。
代わりに、空間そのものが歪んでいる。
「それじゃあ、チケットを準備してね☆」
桃の声。
「事前説明通り、近づいたら掲げるだけでいいから~」
取り出したのは、薄く発光するプレート。
「本当にこれだけでいいのかよ」
「止められたりしないのか?」
半信半疑のまま進む。
歩きながら、それをかざす。
(……通った?)
触れた感覚はない。
だが――
体の奥を、何かがすり抜けた。
骨の内側を撫でられるような、妙な違和感。
「今の……」
「なんかスキャンされた?」
一瞬の出来事。
次の瞬間には、何事もなかったかのように中へ入っていた。
「今のが事前説明にあった入場検査か?」
「私も初めてなのでわかりませんが、恐らくそうかと」
振り返ると、入口はただの壁にしか見えなかった。
「戻れなくなりそうだな……」
「やめろ、不安になる」
「みんな無事に入れたみたいだね♪」
内部は広い。
天井は高く、光は均一。
影がほとんど存在しない。
「なんだこれ……案内が浮いてる」
「見る角度で変わってるぞ」
空中に浮かぶ案内表示。
視線を向けるだけで情報が変化する。
人々は迷うことなく進んでいく。
「それじゃあみんなにこれを渡すね☆」
見知った機械が渡される。
「これは確か、シノニム……」
「これから行くのは海外だから、翻訳機がないとね☆」
耳に装着する。
わずかに、世界の音が澄んだ気がした。
その時。
「初めまして」
一人の女性が近づいてきた。
「これから三日間ガイドを務めます、クレア・ベネットです」
整った金髪は後ろで一つにまとられ、顔には柔らかな笑みを浮かべている。
だが視線は鋭く、全体を把握している。
「よろしくお願いします」
そう言いながら――
「あの……萌木桃さんですよね?」
「そだよ~☆」
一瞬で様子が変わる。
「ほんとにあの……感激です。握手して貰ってもいいですか」
「えっ、うんいいよ~」
「すげぇテンション変わったな……」
「さっきまでの人と別人じゃね?」
綾人が小声で。
「もしかして桃先生って有名人か?」
「さぁ? こう言っちゃなんだけど大人にしては珍しい容姿してるし可能性はあるかも……」
小さく肩をすくめる。
「えっと……案内お願いしてもいいかな?」
「はっ! 私ったら、すみません。取り乱しました」
咳払い一つで、元に戻る。
「こちらへどうぞ」
案内された先には、複数の円形の装置が並んでいた。
無機質な外観。
だが近づくほどに、ただの機械ではないと分かる。
「これが転移装置です。中に入った人から椅子に座ってください」
「思ったより普通だな」
「普通に怖いんだけど」
指示通りに座る。
「これから手足が固定されますが、あくまで安全のためですのでご安心ください」
ベルトが出てきて、手足を固定する。
「うわ、ほんとに動けねぇ」
「逃げようと思っても逃げられないなこれ」
続いてヘルメットが降りてくる。
「こちらは視界を遮るためのものです。自動で装着されるのでじっとしておいてくださいね」
カチリ、と音。
みんなの準備が整ったのを確認し、クレアはテキパキと操作を進めていく。
「それでは――転移を開始します」
一瞬、静寂。
次の瞬間。
(……なんだこれ)
感覚がずれる。
自分の体が、ばらけるような違和感。
怖い、と感じる前に――
戻る。
「到着しました」
固定が外れる。
「今の……」
「やばかったな……」
「慣れれば意外と平気ですよ」
クレアがさらっと言う。
「慣れたくはないな……」
転移港から出る。
そして。
「……なっ?」
目に飛び込んできた景色に思わず息を呑む。
視界に広がる、幾層にも重なった都市。
地上にはビル群。
その上に、さらに都市。
空中に浮かぶ構造物。
まるで空そのものに都市が張り付いているようだった。
「浮いてる……?」
「現実かこれ……」
距離感が狂う。
遠いはずの建物が近く見え、近いものが遠く感じる。
空を滑る乗り物。
タイヤはない。
音もほとんどない。
ただ、正確に流れている。
「なんだよあれ……」
思わず呟く。
その時。
「みなさん、あちらへ」
クレアが指差す。
半球状の機体が一機、静かに近づいてくる。
空気だけがわずかに揺れる。
「これが“ハロウ”です」
クレアが説明する。
「この都市で使われている主要な移動手段で、地上と上層、両方を繋ぐ乗り物になります」
「これが……乗り物?」
「車っていうか……大きいドローンみたい」
「イメージとしては近いですね」
側面が開く。
「どうぞ」
中へ入る。
「広いな……」
「見た目より中がでかい」
座る。
体が自然に固定される。
「ベルトもないのに安定してるな」
「姿勢制御が働いているので不要なんですよ」
扉が閉じる。
そして――
浮く。
「……動いた」
「もう飛んでるのか」
滑るように上昇する。
窓の外に広がる多層都市。
「見えてきましたね」
クレアが示す。
「下に見えるのが旧市街です」
「普通だな……でも、逆に安心する」
だが、その上に別の世界。
「そして、上層区画」
空中都市。
「こちらは"始まりの人"、ジェイス・ウォルトンが作ったエーテル・アンカーを使用して空中に建造された都市です」
「ジェイス・ウォルトン?」
「世界で初めて現れた、超頭脳を持つ特異体質者ですよ、お兄様。」
恒がこっそり教えてくれる。
「ただし現在は行方不明であり、エーテル・アンカーの研究は、この修学旅行でも行く予定となっているノーラン・クラーク国立研究所が引き継いでいます」
ハロウが上層へ滑り込む。
「この都市は現在、役割ごとに上下で分かれています」
「上と下で役割分担していると?」
「はい。簡単に言うと――下は“支える側”、上は“進める側”です」
クレアは窓の外へ視線を向ける。
「地上には発電施設や資源管理、物流など、都市を維持するための基盤が集まっています。いわば、この都市の“土台”ですね」
「インフラ担当ってことか」
「その通りです」
今度は、上層を指し示す。
「一方、上層区画は研究機関や新技術の実証エリアが中心です。エーテル・アンカーの応用や、新素材を使った建造物なども、あちらで開発・実装されています」
「だからあんな変な建物があるのか……」
「ええ。あそこは“試せる場所”でもあるんです」
一瞬だけ言葉を区切り、続ける。
「ただし――上下は完全に切り離されているわけではありません」
ハロウが層と層の間を滑る。
「地上で生み出されたエネルギーが上層を支え、上層で生まれた技術が地上へ還元される。そうやって、この都市は循環しています」
「なるほどな……分業だけど、ちゃんと繋がってるってわけか」
「はい。それがこの都市の特徴です」
外を走るハロウの群れ。
「移動も完全に統合されています」
「すげぇな……」
やがて。
視界の先に巨大な建造物が現れる。
「あれが……」
「七国祭の会場です」
クレアが告げる。
「オールド・レイトスタジアム」
ハロウがゆっくりと減速する。
目的地へ――。




