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旅のしおり  作者: 大窟凱人


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9/14

店員さん

 鈴がもう一度鳴った。

 開いたガラス戸から冷たい風が入り、レジの横に吊るされた菓子の袋がかすかに揺れた。

 お父さんだった。

 私と目が合うと、お父さんの口が少し開いた。

 怒鳴られる。

 けれど、お父さんは店員さんに目を移し、笑った。


「いやあ、よかった」


 家では聞いたことのないほど穏やかな声だった。

 お父さんが近づいてくる。店内にはほかに客がいない。蛍光灯の下に値札の束が積まれ、その向こうで古い冷蔵庫が唸っていた。


「すみません。娘がこちらへ来ていたんですね」


 店員さんは値札を貼る手を止めた。親指の腹に赤いインクがついている。


「ええ、今いらしたところですけど」


「トイレに行ったきり戻らなくて。腹が痛いと言っていたので、心配で探してたんです」


「そうでしたか」


「お騒がせしてすみません。ほら、梨央も謝って」


「……すみません」


 お父さんが笑った。


「ほんと、困った子で」


 店員さんは小さく頷き、値札を一枚剥がした。

 その音を聞いているあいだに、お父さんは私の前に立った。


「帰るぞ」


 出口へ行くには、お父さんの横を通らなければならなかった。

 私は足を動かせなかった。

 店員さんが値札を置いた。


「あら、怪我してるじゃない」


 視線の先で、破れたズボンに血が滲んでいた。


「トイレで転んだみたいで」とお父さんが答えた。


「痛くない?」


 首を振りかけた。膝はまだじくじく痛んでいる。

 お父さんが私を見た。


「……大丈夫です」


「消毒ぐらいした方がいいんじゃない?」


「車に救急箱があるので、大丈夫ですよ」


「そうですか」


 店員さんは頷いた。けれど、値札には手を伸ばさなかった。


「お腹は?」


「はい?」


「お嬢ちゃん。お腹が痛かったんでしょう?」


 お父さんが私を見る。


「……もう、痛くないです」


「よかったですね」


「ええ、本当に」


 お父さんも笑った。

 店員さんは値札の束を指先で揃えていた。もう貼ってはいない。

 服の内側で、便箋の角が肌に当たった。

 警察を呼んでください。

 私は息を吸った。


「あの」


 店員さんが顔を上げた。


「はい?」


 お父さんもこちらを見た。

 私は服の裾を握った。


「どうしたの?」と店員さんが聞いた。


「……あの、その」


 お父さんの手が肩に置かれた。


「何か買いたいのか?」


 指が肩の骨に食い込んだ。

 店員さんはレジの向こうにいる。目が合っているのに、何も言えなかった。


「お腹が空いてるんだろ。さっきから何も食べてないもんな」


 お父さんは私の顔をのぞき込んだ。


「そうだろ?」


 私は頷いた。


「さあ、戻ろう。弟たちも待っていますから」


 お父さんは店員さんに頭を下げた。

 頭を下げているあいだも、肩の指は離れなかった。


「でも、膝から血が出てますよ」


「お気遣いなく。もう出ますので」


 お父さんは私を棚の陰へ寄せた。

 レジが見えなくなった。

 お父さんの声が低くなった。


「手紙は?」

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