汽車の来ないトンネル
道が細くなるにつれ、お父さんはよくしゃべるようになった。
「昔はこの先に汽車が走ってたんだ。爺ちゃんに連れてきてもらったことがある。線路はもうないけど、トンネルが一つ残ってる」
山肌の石垣は、ところどころ草に埋まっていた。その上だけ木が生えず、細い道が山の奥へ延びている。
朝はカーブを曲がるたび、菜々と柿の木を探していた。今は曲がるたび、後ろを振り返ってしまう。ついさっき通った道が、もう石垣の陰に隠れていた。
カーブを曲がる直前、茂みの向こうに黒いトンネルの口が見えた。お父さんは懐かしそうに話していたけれど、私はもう汽車の来ない入口から目を離せなかった。
旅行の時はいつも、お父さんはこうして昔の話をしてくれた。晴が何か尋ねると、知っていることを全部教えようとする。私もそういうときのお父さんは好きだった。
今も声は同じなのに、うまく相槌が打てなかった。
「汽車なら帰りも乗れるね」と晴が言った。
「昔はな」
「いまは?」
「車の方が便利だろ」
晴が私のノートを指さした。
「姉ちゃん、帰りの道、書いた?」
「まだ。着いてから書くよ」
「三ツ瀬岬のあと、真っ白じゃん」
「あとで書くから」
思ったより強い声が出た。
晴が口を閉じたので、私はすぐに「ごめん」と言った。ノートを裏返すと、挟んでいた便箋が手の下で少しずれた。
晴には見せられない。
もし見つけたら、きっと声に出して読む。あの子はわからないことがあると、すぐに人に聞く。今までなら私が答えてやれたけれど、あの手紙のことだけは、何を聞かれても答えられそうになかった。
お父さんにも聞こえてしまう。
ノートを両手で押さえた。中の便箋が折れてもかまわなかった。
「梨央」
お父さんに呼ばれて、肩が跳ねた。
「さっきから静かだな」
「ちょっと眠いだけ」
「せっかく連れてきたのに」
ルームミラーにお父さんの目が映っていた。
私は反射的に「ごめんなさい」と言いそうになった。そう言って、笑って、ありがとうと続ければ、いつもならそれで済んだ。
「楽しいよ。ありがとう」
お父さんは満足したように前を向いた。
私は膝の上で手を握り直した。爪が食い込んで、少し痛かった。
お父さんは、私たちが死ぬことを知っている。
そう考えると息が苦しくなった。でも、運転席にいるのは、いつものお父さんだった。
去年、私の自転車のチェーンが外れたとき、お父さんは夕飯を後回しにして直してくれた。黒くなった指を見せながら、これでまたどこへでも行けるぞ、と笑った。
あのときは、私もうれしかった。帰り道に遠回りをして、直してもらった自転車でどこまで走れるか試したくらいだった。
そのお父さんが、私たちの名前を書いていた。
もしかしたら、仕事のことで誰かに脅されているのかもしれない。手紙を書いたときは本気でも、旅行に出てから気が変わったのかもしれない。今だって、みんなが楽しそうにしているうちに、やめようと思ってくれるかもしれない。
私は運転席の背中を見た。
聞いてみたかった。
ねえ、お父さん。私たち、ちゃんと帰るんだよね。




