その怒りは伝播する
「ねえ、どうして何も言ってくれないの? ねえ、どこにいたの? ねえ、いつ学校に戻って来るの? ねえ……どうしてそんな顔、してるの……?」
血の気が引いて真っ青な私の顔に、ココは白くて細い手を伸ばしてくる。
「やっ、やめて!」
ついその手を振り払うと、ココは『いたッ』と小さく叫び声をあげ、驚いた顔で私をまじまじと見つめた。
「……ねえ、どうして暴力を振るうの? ねえ、私のこと、嫌いになったの? ねえ、私はこんなにアンナのこと心配してたのに、どうしてアンナは私のこと心配しないの?」
「わ、私があの事故でどんな目に遭ったか知ってるでしょ! 学校の誰にも会いたくないの! 私、学校辞めるの。もう戻らない!」
ひゅっと息を呑む音が聞こえた気がした。
ふと見ると、セナが真っ青な顔で私を見ている。
『ココを怒らせないで』
あの時、セナはココと仲直りするよう言ってきた。あの子を怒らせると周りに伝染する。君の身が危険になる。そんな脅し文句だった気がする。
ふとそんなことを思い出した時、かばうようにルイが前に出た。
「アンナ! ココにひどいこと言わないでくれ。悪いのは俺なんだ。ココは純粋にアンナのこと心配していたんだから、そんな言い方をしたらダメだ!」
的外れな庇い方をするルイに、忘れていた怒りが蘇る。
「……怪我した私を見捨てていった二人に言われたくないんだけど。心配してたって言うなら、あの事故のあといつ私のこと思い出した? ココなんか、私が馬に蹴られたとこみてたでしょ? でもルイに救助された時、私を振り返りもしなかったもんね。それで、どの口が心配? 馬鹿にするのもいい加減にしてよ」
感情のままに思っていることを、ルイと、そしてココに向けて全部ぶちまけた。
どうせ学校を辞めるんだからという思いが、今まで抑えていた感情の蓋を開けた。ココに対してこんなキツイ言い方をしたのは初めてだったから、『傷つけるかも』と少しだけためらう気持ちがあったけれど、出てくる言葉を止められなかった。
だけど私はまだ、少しだけココに期待していたのかもしれない。
マチアス先生のいう『本当の友達』なら、不満や嫌だったことを我慢するほうがおかしいだろう。
私の気持ちをぶつけられてケンカになっても、仲直りできれば『本当の友達』になれるんじゃないかと、淡い期待が含まれていた。
私からキツイ言葉をぶつけられたココは……。
真っ白な顔色で、私を凝視していた。
瞳の色が揺れている。なぜか奇麗な青色が濁って見える。背筋がぞわぞわして、無意識に足が後ろに下がった。
「アンナは私の『友達』なのに……どうしてそんなひどいこと言うの? 友達なら、私の心配をしてくれるものでしょう? 友達は、私に怒ったりしない……」
ブツブツと呟く声が聞こえて、それと同時に急に吐き気がこみ上げてくる。視界が歪んで、中毒症状を起こしたみたいに気分が悪くなった。
「アンナ! ココに謝ってくれ! 早く!」
セナが叫ぶ声が聞こえたけれど、吐き気がして返事ができない。下を向くと、たくさんの足が目に入った。周囲を取り囲むように、たくさんの足が。
え、と声が漏れて周りを見回すと、すぐそばに知らない生徒たちが周りに立っていた。
私を取り囲むのは、全く知らない生徒たち。学年すら違う人たちが混じっている。
全員が私を見ているけれど、目が合わない。焦点の合っていない人たちに取り囲まれ、ぞっとして震えが止まらなくなる。
異様な雰囲気に言葉も出てこなかった。
ココを見ると、無表情でこちらを見ていた。彼女が一歩前に出ると、周囲の人が統率された動きで道を開ける。
「アンナは私の……友達、じゃないの?」
ココが低い声で問いかけてくる。すぐには答えられなかった。
多分、下手な答え方をしたらココと周囲の人たちの感情を逆なでする。まともに答えちゃいけない。適当に誤魔化してこの場をやり過ごすべきだ。
頭ではそう分かっているのに、感情が先に言葉になってこぼれた。
「友達って、お互いを思いやる気持ちがあってこそ、友達になれるんだよ。ココはただ、友達っていう『演者』がほしいだけでしょう? 理想の友達役を演じてくれる人が欲しいだけなら、私はココと友達になれない」
足を踏まれて痛みで顔を歪めている友達を見ても、無視できるココはきっと私の友達じゃない。私が苦しんでいても彼女にとってはどうでもいいことだったんだ。
だってココにとって私は、ただの友達役のエキストラだから。感情があるとかないとか、楽しいとか悲しいとか、私がどんな気持ちでいるか考えもしない。
いつも三人で完結しているのに、そこに私を置く理由が分からなかった。でもココが私を友達役のエキストラとしてとらえているなら、すごく納得がいく。
――あなたの役は、私の友達なんだから、ちゃんとそこにいてくれなきゃ。
そんな幻聴が聞こえてきそうで、頭がぐらりと揺れる。
ココはそういう理想の『友達役』を求めていて、私はそれに応えられない。だったら、ココとは一生分かり合えない。
私の本音を聞いたココは、信じられないという顔で呆然としていた。その隣に立つルイも、同じ顔をしている。
――そして周囲の人たちも、全く同じ顔をしていた。
「……えっ?」
セナだけが、絶望的な表情をしていた。
「じゃあ、もう、アンナはいらない」
ココが呟いた一言で、空気が変わった。
気持ちの悪いナニカに肌を撫でられたような、ぞわっとする感覚がしてまた吐き気がこみ上げてくる。
口元を押さえる私とは対照的に、周りにいる人たちは急に大声を上げ始めた。
「友達の心配すらしないなんて!」
「最低な人間だわ!」
「自己中心的で我儘」
「自分のことしか考えてない」
「身勝手だよ!」
「ココさんに謝れ!」
「死ね! 死んで詫びろ!」
顔も知らない人たちが口々に私を罵ってくる。
どうして、と思うより先に、拳を振り上げるルイの姿が目に入った。
「アンナならココを大事にしてくれると思ったのに。期待外れだよ。残念だ」
「っ、やめろ!」
ガツッと打撃音が聞こえた瞬間、セナがこちらへ倒れ込んできた。ルイに殴られたのだ。いや、私を殴ろうとしたルイから、セナが庇ってくれたのだ。
「セナ! なっ、なんでルイ……こんなこと」
「ココが君を見ると不快になるから、排除しないと」
仕方がない、とでも言いたげに首を振るルイ。薄く笑ってすらいる。
たった今私を殴ろうと拳を振り上げたひとの表情が、これ?
友人を、幼馴染を、いつも一緒だったセナを殴り飛ばしたのに、痛みに顔を歪める彼には全く目線を向けない。
なんだこれ、なんだこれ。何が起きてるの?
セナが庇ってくれなかったら、本当に私はルイに殴られていたの? 信じられない。騎士を目指すひとが? 無抵抗のひとを殴る?
「ルイっ! それがあなたにとって『誇れる振る舞い』なのっ? 正しい人間でありたいって言ったじゃない! あなたの今のそれは! 騎士道に反しないの⁉ 幼馴染のセナを殴って、本当に正しいって思うの?」
騎士道、という言葉でルイが少しだけ首をかしげる。
「……俺は、ココの騎士だから、ココを害する者を排除するのは、正しい行いだよ。セナは自業自得だ」
セナの存在を今思い出したかのように、彼のほうへ目線を向ける。
「お前、ココがこんなに悲しんでるのになんでアンナを庇うんだ? ココはもう『いらない』って言っているんだぞ」
「ルイ、落ち着けって。この場で騒ぎを起こすのはココのためにならない。僕はココを守るために行動しているんだ」
セナが立ちあがって私を庇うように前に立つ。
どうしてセナが庇ってくれるのか分からない。
ふたりの会話をただ聞いているだけの私は、寒気が止まらなかった。ココはずっと黙ったままなのに、勝手に話が進んでいく。
「お前が守れていないからココがこんなに悲しんでいるんだろ。裏切り者が。ああ、ココごめんな。セナもお仕置きしないとダメだよな。大丈夫、わかってるって」
ニコッと微笑み、ルイはココを優しい目で見つめた。
そしてこちらに目線を映した彼は、氷のように冷たい表情に変わる。そちらに気を取られていた時、後ろからグイっと髪を引っ張られた。
「痛っ! やめ、やめて!」
知らない人が私の髪を引っ張っている。ぐいぐいと力任せに引っ張られ、痛みで涙がにじむ。
「やめろ! アンナを離せ!」
「……あがっ!」
私の髪を掴む男子生徒にセナが掌底を食らわせた。顎にまともに食らった彼は一瞬で意識喪失して、ばったりと倒れる。
それを見て周囲にいた子たちがハッと我に返ったような顔になり、セナと倒れた子を交互に見て悲鳴を上げた。
「ひ、ひとごろし!」
白目をむいて倒れた子を見て、死んだと思ったのか女生徒が叫び、つられて皆が叫び出す。
取り囲む子たちの輪が崩れ、人の隙間ができる。その隙を見逃さず、セナが私を抱えて走り出した。




