許さないよ、アンナ
「待て、セナ!」
「頭を冷やせルイ!」
追ってこようとするルイに、セナが私の松葉杖を投げつけた。ルイはすぐ後ろにいるココを守ることを優先し、ココを抱きしめたその背中に杖が当たる。
私はその光景をセナに抱え上げられた肩越しに見ていた。
がむしゃらに走るセナの背中を叩き、必死に呼びかける。
「待って、何が起きてるの! ねえ、セナ! なんでセナが私を助けるのよ⁉」
「だから言っただろう! ココを怒らせたからだ! 周囲に集まった奴らはココの意識と同調してる。集団が暴走し始めたら、アンナを殺すまで止まらないかもしれない」
「なに、何を言って……」
セナは私を抱えたまま校舎裏から校舎へと侵入する。
教員用廊下のため、ひっそりと静まり返っている。荷物置き場となっている空き部屋へと入り、ようやく床に降ろされた。
汗だくでゼイゼイと荒い息を吐くセナに、気遣う余裕もなく問いかける。
「ねえ! こんなとこにいないで先生たちに助けを求めようよ! 殴られたって訴えれば助けてくれるって!」
「いや、ダメだ。教師の中にもココの影響を受けている奴らがいる。誰が敵に回るか判断がつかない。あの子がここまで怒ったことがないから、どれくらいの人がどれくらいの影響を受けるのか僕にも分からないんだ」
ココの気持ちが落ち着くまで隠れてやり過ごすのが一番いいとセナは言う。
「影響って、何なの? ココの感情が他人に伝播するの?」
「そうだよ。だからそういっただろ。それがあの子の持つ魔法……呪いの力だ。本人は意識していないけど、他人に意識を同調させることができる。だから危険なんだ。ココの怒りが収まるまで、アンナは逃げるしかない」
「呪いの力……そんなものがあるの?」
「旧シビラ国に存在した魔法だよ。ココはシビラ国出身だから」
赤子の時にオベール子爵の養子になったんだと、事も無げに言われ唖然とする。
マチアス先生が『その国には魔法が存在する』と話してくれた、シビラ国。
あの話を聞いた時は、キラキラして不思議な魔法使いを思い浮かべた。
素敵な物語のイメージだったのに、あれが魔法? 人を扇動して『死ね』と言わせる力が、魔法?
「じゃあ……じゃあ、皆がおかしかったのはココのせいなのね? でも、私は? その魔法にかかってないよ? ココは人を選んで魔法をかけているの?」
「それはアンナが呪いに抵抗力があるから、かからないんだよ。だからずっと君だけ正気だったんだ。精霊の加護がある人は呪いを受けにくい。この国じゃ、あまり認識されていないけどね」
セナが言うには、カールスレイ王国では単に『才能』と呼ばれる適性が、魔法が存在する国では精霊の加護と呼ばれる特別な力であるらしい。この国では精霊を視認できる者がいないから、それが稀有な力であると認識されないのだ。
マチアス先生に言われた『緑の手』。
あの言葉が別のかたちで意味を持つとは想像もしていなかった。
セナはそれを『呪い』と言った。彼はその力を魔法じゃなくて呪いだと思っているのだ。
「加護が強ければ呪いを跳ね返す力が強くなる。さっきアンナを取り囲んでいたのは、加護がなくてココの影響をもろに受けた人たちだ。今のアイツらには常識と理性とか通用しない。だからココを怒らせるなって言ったのに……」
重いため息をついてセナは頭を抱えた。
突拍子もない話に思えるが、疑う余地はない。全ての事象がセナの言葉を肯定しているから。
そしてひとつの確信を持ってセナに問いかける。
「ねえ、もしかして……これまで私が受けた嫌がらせとかも、扇動していたのはセナじゃなくて……ココの仕業だった?」
私への嫌がらせや、根拠のない悪評。教師たちまで噂を鵜呑みにして私に敵意を向けていた。
一介の生徒に過ぎないセナがどうやってそれを扇動していたのかずっと不思議だったが、ココのその力の影響だと思えば全てに納得がいく。
答えを求めてセナを見つめると、観念したように頷いた。
いろんなことに合点がいって、深くため息をつく。
「どうして……セナは自分がやったことのように言ったの?」
「いや、ほとんどはココの力のせいだけど、呪いの力に抵抗力のある生徒の意識をアンナに向けたのは僕だから、僕がやったことでもある」
加護を持つ人は、ココの呪いを無意識に感じ取って不快感を覚える。呪いを近くで受けるほど気持ち悪く感じて、それがココに対する嫌悪感につながるのだとセナは言った。
「そういえばさっき、ココが怒っている時、気持ち悪くなった」
「強烈な呪いの力にアンナの加護が抵抗していたからだろうね。僕にも覚えがある」
呪いを受けない加護持ちの生徒たち。その子たちがココの力に触れると、気持ち悪くて嫌悪感を覚えるようだ。
一部の女生徒たちは、その嫌悪感に嫉妬の感情も入り混じって、ココを激しく嫌うようになった。
異様に好意を持つ人たちと、異様に嫌悪する人たち。ココの周囲を人たちの感情は二極化する。好感度が上がるほど、嫌悪するひとたちの悪感情は募っていく。そのひとたちの怒りや不満がココに向かい始めたため、セナはココを嫌悪する人たちの意識を私に向けるように仕向けた。
元々本人にも理由がよく分からない嫌悪感だから、苛立ちや怒りをぶつける相手がいれば昇華させることができる。
私の立ち位置はその悪感情の昇華場所として最適だったらしい。
ーー理屈は分かった。けど当然納得はできない。
「その勝手な理由で私は学年全員から嫌われる羽目になったんだけど。そこまでする必要あった? 少しでも仲良くしてくれる子がいれば、まだ救われたのに」
「ココがアンナを自分だけの友達にしたがったからね。呪いを受けない子たちと結託されたくなかった」
「自分だけの? 他の子と少しでも仲良くするなって?」
「そうだよ。アンナが誰かと楽しそうに話していたら、ココの怒りを買うからね。その誰かは排除の対象になるから危険なんだ」
「排除って……そんなことできるの?」
自分で言いながら、ココならできるだろうと頭の中で考えていた。教師を操れるなら、生徒たちなんてどうにでもできる。
「ココは独占欲が強いんだ」
暗い目をしてセナが呟く。
私は『ココの友達』だけでいてほしいから、他に友達を作るのが許せなかった。ただそれだけの理由で、私はずっと孤立していた。
それがどれだけ辛いことか、ココは少しも考えなかったのか。本当に彼女は私のことをひとりの人間として見ていなかったのだ。
セナは私を嫌われ者にすることで、周囲の人間を守ろうとしたのか。
だとすれば……あのひとが怪我をしたのは、やっぱり私のせいだったんだ。
「じゃあコーブス君の事故は、ココのせい?」
「あれはコーブスにアンナを盗られたってココが激怒したせいだ。アイツの友達もアンナと仲良くなりたいとかってココの耳に届くような大声で喋るからいけないんだよ。だからふたりとも粛清対象になった」
粛清、という言葉にぞっとする。
誰がそれをしたのか。ココに操られている人ならいくらでも動かせるだろうが、私はひとつの確信を持ってセナに問いかける。
「コーブス君の馬に毒草を食べさせたのは、ルイ?」
ココが私を『いらない』と言った時、真っ先に動いたのはルイだった。
友達と言った相手を、ためらいなく『排除』しようとした。ココの望みを真っ先に叶えようとするルイが、コーブスを排除したのではないか。
「そうだね。何かするとは思っていたけど、まさか僕にも黙って実行するとは予想していなかったよ。でもココまで危険に晒してしまって、あのあとルイはものすごく後悔していたけど」
止めきれなかった、と後悔のにじむ声でぽつりとこぼした。
そういえば、セナとコーブスは同じ寮で顔見知りだと言っていた。
あの日、セナは馬術練習場で怪我をしたと言っていた。彼はコーブスを助けようとしたのだろうか。ルイがしたことだとすぐに気付いたのだろうか。
分からないけれど、訊ねる気になれなかった。それらを知って、セナを許したくなるのが嫌だった。
ずっと黒幕だと思っていたセナが、実は守っている側だったかもしれないと知って何を思えばいいか分からなくなっていた。
受けてきた仕打ちを思えば、セナには憎しみしかないはず。
でもルイが殴りかかった時、迷いなくかばってくれたのは彼だった。
憎まれ役を演じながら、最悪の事態にならないよう守ってくれていたのだとしたら、私は全く何も真実が見えていなかった。
あの事故が起きるまで、ルイは高潔な騎士で、ココは悪意なんてない無垢な子だとずっと信じていた。
私がもっと真実を見抜けていれば、コーブスを巻き込まずに済んだのに。彼は取り返しのつかない怪我を負った。
許せることじゃない。ココたちは罰せられるべきだ。
「セナ、先生たちに助けを求めよう。絶対に助けてくれる人を私は知ってる。ココのおかしな力のことだって、先生だったら理解してくれるよ。絶対、大丈夫だから」
ココの怒りが収まるまでルイたちの暴走は止まらない。マチアス先生ならココには取り込まれていないはずだ。呪いという荒唐無稽の話でもちゃんと耳を傾けて、助けてくれる。そう確信できる。
立ち上がってセナに手を差し伸べる。
私はセナが同意してくれると信じて疑わなかった。
だが、彼が発したのは、全く予想していない言葉だった。
「アンナは、その男が好きなの?」
「……えっ?」
唐突な問いかけに、ぽかんとする。
「あの男に手を出された? いつからそういう関係になった? 少し前までルイが好きだったくせに、いつあの男に乗り換えた?」
「ま、待って。セナ、何を言って……」
急に雰囲気が変わったセナに恐怖を覚え、とっさに後ろに下がろうとした。だが手を掴まれ、グイっと引っ張られる。
「許さないよ、アンナ。僕から離れるなんて許さない。君はずっと、僕が守ってきたんだ。誰にもやらない。誰にも、誰にもだ」
痛いくらい手首を握りしめ、目を見開き私を見つめてくる。
どこかで見たことのある目。表情。
ココと同じだ……と気づいた時、言葉が口からこぼれていた。
「マチアス先生の、虚偽通報をしたのは、セナだったのね」
セナは何も答えず、返事の代わりとばかりに私に唇を重ねてきた。
***
次からまた少し更新にお時間いただきます。




