退学手続き
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荒い文字で書いた退学届けを手に、私は学生課を訪れていた。
松葉杖で現れた女生徒を見て、職員のひとは何かを察したような顔をして椅子を勧めてくれたが、それを断って退学届けを差し出す。
紙を受け取った職員は一瞬ぎょっとして固まっていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと……ええと、こちらの部屋で待っていてもらえるかな?」
少し待つように言われ別室に通され、そのままひとりぼっちで待たされている。
あれから一時間以上経つが、誰も来ない。
もしかして忘れられたのでは? と怖くなりソファから立ち上がりかけた時、ドアが開いた。
「アンナ!」
「と、とうさん? かあさんまで!」
部屋に入ってきたのは久しぶりに会う両親だった。
領地から王都まで遠いから帰省もろくにしていなかった。両親と直接会うのは実に三年ぶりだ。
「怪我の具合はどうなんだい? すぐに来られなくてすまなかったね」
「来なくても大丈夫って手紙に書いたじゃないですか。お仕事は大丈夫なんですか?」
「何言っているのよ。娘が大怪我して心配しない親がどこにいますか」
手紙は早馬ではなく行商の便で送ったから届くまで時間がかかる。来なくていいという手紙を受けとってすぐに出発して来てくれたのだろう。
忙しい両親に来てもらって申し訳ないが、退学の意思を固めた今、ものすごくいいタイミングで来てくれた。
「とうさんかあさん。申し訳ないんですが、私はこの学校を退学します」
「えっ? どうして……あなた成績優秀なのに」
「すみません。もう決めたことなんです。でも、あの、私が辞めたことでガブとジェシーに迷惑がかかることがないように、ちゃんと学校と話をつけますんで。心配しないでください」
怪我や病気でやむを得ず退学するなら、グレース家への汚名にはならないはずだ。
今回の事故で学校側は私に負い目があるし、弟妹が入学するとき不利にならないよう約束してもらえると予想しての退学だ。
そういう話を両親に説明すると、なんと母が泣き出した。
「しっかり者のあなたが辞めるというくらいだから、よっぽどのことがあったんでしょう? 迷惑とか考えなくていいの。つらかったのね、随分と痩せたわ」
気付かなかったけれど私は入院中にかなり痩せていたらしい。涙を流して頬を撫でる母につられて、私も涙があふれてくる。
「ご、ごめんなさい。弟と妹のことを考えて、できるだけ、頑張った、んです、けど……」
「ふたりのことは親である私たちが考えるべきことで、アンナが背負うことじゃないわ。アンナだって、私たちの大切な子どもなのよ。あなたはもっと自分のことだけ考えていいの」
「そうだよアンナ。お前が怪我をしたと聞いて、どれだけ心配したか……。こんな時にまで弟妹のことに気を回さなくていいんだよ」
「……っ、はい」
卒業認定が取れないことも、弟妹に迷惑をかけることも、両親は一言も責めなかった。
どんな事情があろうと退学した事実は貴族令嬢としては瑕疵になる。
良い家に縁づくことも不可能になったというのに。裕福でない我が家では嫁の貰い手がなくなった娘なんてお荷物だと思われてもしかたがないのに、両親からは心配する言葉しか出てこない。
弟妹が生まれ、両親は幼い子たちにかかりきりになり、私はなんでも自分でできるようにならなくては、と思うあまりいつしか両親にも他人行儀に接するようになっていた。
弟妹が優先されて当たり前、長子の私はほうっておかれても仕方がない。
そんな考えていたから、弟妹を留守番させて遠い領地からわざわざ私の見舞いに来てくれるなんて想像もしていなかった。
――ああ、私のことを心から想ってくれる人がちゃんといたんだ。
私は自分のことを、名前のない脇役だと思っていた。その他大勢で、誰にとってもどうでもいい存在だと卑下していたけれど、両親にとっては大切な娘で替えの利かない存在なのだ。
当たり前のことのはずだったのに、いつの間にか自分を脇役に当てはめていた。
「来てくれて、ありがとうございます……」
「何を言っているの。怪我したって手紙が来て、心配で眠れなかったわ」
「ガブリエルとジェシカもすごく心配していたよ。一緒に来るってうるさくって。振り切ってくるのが大変だったよ」
両親は私を抱きしめてくれた。
長女なのだから早く自立しなければと思って、両親と心の距離を取ったのは私自身だ。寮に入って学校という閉ざされた空間にいて、すっかり視野が狭くなっていた気がする。
退学を決意したその日に両親が到着したのは、きっと神様の思し召しなのだ。
マチアス先生との縁は切れるが、悲しむよりも先生を守る決断ができたことを喜ぼう。
両親と一緒に退学の手続きをする。
学生課の職員は相変わらずオロオロしていたが、一応手続きはしてくれた。
だが提出して終わりというわけにはいかず、学校長と面談して承認をもらう必要があると言われた。
どういった理由で辞めるのかなど話し合いの内容は書面に残す必要があるらしい。はっきり言わないが、両親とのやり取りを聞いている限り、どうやら示談交渉のようなものになるようだ。
だったら、私の怪我の理由を明記してもらって、『やめざるを得なかった』ということを明確にしておきたい。弟妹の入学時に不利にならないように、上手く交渉しないと。
「それとですね……アンナさんの怪我がまだ治療途中ですので、退学後もこちらの療養院に通うのでしたら無料で治療を受けられますが、領地にお帰りになるなら診断書をお渡ししますので、そちらでお医者様を探していただくことになります」
学生課の職員にそう言われ、治療のことをすっかり忘れていたと気がつく。
足はまだギプスが取れていない。治療費はどれくらいかかるのか。リハビリが必要になるのかしらと考えると即返事はできなかった。
「明日、その件も含め学校長とお話になってから決めていただいても結構ですよ」
「あ、すみません。じゃあ……そうさせていただきます」
口ごもる私に助け舟を出してくれた。
学校長とは明日両親と共に話し合いをすることとなり、ひとまず両親は帰ると言った。
「じゃあ私たちは明日また来るよ。アンナは何も心配しないでゆっくり休みなさい」
見送らなくていいと両親は言ったが、名残惜しくて馬車の発着場所まで一緒に向かった。
「そんなに歩いて平気なの? 無理したら治るのが遅くなるんじゃないかしら」
「もう全然痛まないし、あとはギプスが取れるだけですから。むしろそろそろリハビリで動いたほうがいいんです」
そう言って、松葉杖なしに歩いて見せる。
まだリハビリは始まってないのに、適当なことを答えている自覚はある。両親に心配されたのが嬉しくて強がりを言い無駄に饒舌になっていた。
「アンナ。念のためにもう一度訊くけど、退学して本当に後悔しないのね? あなた勉強が好きだったから、まだ学びたいことがあったんじゃないの?」
「いいんです。勉強なら自分でもできますし」
若干嘘をついたが、両親はそれで納得して引き下がってくれた。
校門前に馬車が停まり、乗り込む両親を見送る。
「また明日来るからね」
「あったかくして寝るのよ」
子ども扱いが面映ゆい。
また明日会えると分かっているのに、馬車が見えなくなるまで手を振った。
「……アンナ? アンナだよね?」
遠くから名を呼ばれ、ハッとして振り向く。
しまった、と後悔するがもう遅い。のんびりしていたせいで下校時間になってしまっていた。生徒たちが少しずつ校舎から出てきている。
入り口にココの姿があった。そしてルイとセナの姿も。
三人が揃って私を凝視している。
急いでこの場を離れようとしたが、その前に駆けてきたココに腕を掴まれた。
「ねえ、今のご両親? お見舞いに来たの? ねえ、どうしてアンナは寮にいないの? ねえ、私すっごく探したんだよ? アンナがどこにいるのか誰も教えてくれないから。ねえ、どうして連絡してくれなかったの? ねえ、私すっごく心配してたんだよ?」
「コ、ココ……」
奇麗な目を見開いて、腕を握りしめてくる。爪が食い込んで、痛みで顔がゆがむ。ココの異様な雰囲気に圧倒され、言葉が出てこない。
校舎から出てきた生徒たちが不思議そうに私たちを見ている。
自然と周囲に人が集まり、注目を浴びて私はあの事故の時を思い出して、体が震えてきた。




