マチアス・ブラン5
シビラ国に滞在していた期間があるマチアスは、魔法が存在すると知ってはいた。だが魔法の力を持つ高位貴族は狂王によって数を減らし、民間の研究所で働いているだけのマチアスは魔法使いと直接会う機会など恵まれなかった。
国を出たことがないベアトリスやアランはもっと魔法に対して理解がない。
だからココ・オベールにそこまで危機感を抱いていなかったが、シビラ国からの返答を受けて、事態は思ったよりも危険な状況にあるのでは……とようやく気付いた。
全員で頭を抱えて黙り込む。
呪われた力の話をされてもどこか絵空事のように感じていた。アンナから相談を受けている時も、ココ・オベールは純粋にアンナを慕っているように聞いていたため、嫌がらせの件に結びつかなかった。
――警戒すべきはセナ・ブランシェではなかったのだ。
まだ想像の域を出ない推論だが、全ての出来事がココ・オベールに行きつく。
こうなったらもう、不可思議な力は存在するという前提で問題に向き合わねばならない。
「でもココ・オベールはアンナさんを友達だと思って慕っているんじゃなかったか?」
アランがパッと思いついたように口を開く。
アンナを友達として慕っているなら、ココ・オベールの意識が周囲に影響しても好意的な感情にしかならないはずでは? と言いたいらしい。
「そ、そうよね。ココさんの友達であるアンナさんが、ココさんの力の影響で攻撃されるようになるのはおかしいわよね」
アンナから聞いた話からも、周囲を扇動しているのはセナであってココ・オベールは何も知らないで純粋にアンナを友達として慕っているようだった。
ココ・オベールの力によってアンナが嫌われるのは辻褄が合わないのでは、とベアトリスは言う。
ふたりはココ・オベールが扇動していると言う意見に懐疑的だったが、マチアスだけは渋い表情でそれを否定する。
「人の心なんて他人には分からないよ。俺の元婚約者だって、表面上はニコニコしていたのに、その裏で俺を陥れる算段を整えていたしな」
事件が起きるまで、元婚約者に憎まれているなんて考えもしなかった。憎む理由も身勝手で理不尽なことで今でも理解できないが、普通では理解が及ばない人間が存在するのだと経験者のマチアスは知っている。
「じゃあ……どうすればいいのよ。何が起きているのか分からないのに、処罰も指導もできないじゃない。アンナさんに何て言えば……」
「いや、シビラ国から来た魔法士が、彼女に『呪われた力』があるって判定した場合は、ココ・オベールは退学させることで話がついている。このまま何事もなく在籍させることはしない」
国が教育費の全てを負担するこの学校で、元他国の人間が問題を起こすなら在籍させられないというのが学校側の判断だ。その後のココ・オベールの『処理』はシビラ国と話し合いで決めるが、それは国家間の問題になる。
アランが『処理』という言葉を使ったことにマチアスは驚いたが、あえてそう表現したように感じた。そういう事態になっているのだ、と言われている気がした。
「じゃあ、ココ・オベールの退学は決まっているのか」
「一応魔法士の鑑定を待ってからの判断だ。だがもしシロだと判定されても、卒業に必要な出席日数を満たせないという理由で退学勧告をする予定でいる」
ココ・オベールは定期的に体調を崩し長期に欠席することが続いている。このままのペースで休みが続けば、どれだけ試験で良い成績をとっても卒業資格を与えられない。いずれにせよ彼女が退学になるのは時間の問題だ。
「ココ・オベールが退学すれば、セナ・ブランシェとルイ・ベッソンも一緒に辞めるんじゃないか? そうすればアンナさんの問題も解決だろ」
「教員の立場でそれを解決と呼ぶのは少々気が咎めるけど、まあそうね」
ふたりの意見にマチアスも頷く。
アンナのことを想うなら、元凶の彼らがいなくなるのは良いことだ。
「じゃあ、アンナさんが回復する頃には彼らのことに決着がつきそうか?」
「そうだな。でもココ・オベールの件は極秘事項だから、口を滑らせないでくれよ。同窓のお前たちだから話したんだからな」
アランの忠告にベアトリスが笑顔で応じる。
「分かってるわよ。でもアンナさんがようやく安心して学校に通えるようになると思うと、ホッとするわ。あの子、ずっと辛い思いをしてきたから」
少し涙ぐみながら語るベアトリス。マチアスも同じ想いで彼女の言葉に頷いた。
問題はまだ残っているが、この時はもうアンナの件は解決のめどが立った気でいた。
だからアンナが『学校を辞めるつもり』と言うのを、なんとか思いとどまるよう説得を続けた。
退学してしまっては就ける職の幅が狭まる。被害者のアンナが割を食う結果にしたくなかった。
いずれココ・オベールが学校を去るからそれまでの辛抱だ、と言ってやりたいが、外交問題も絡むことだからまだ口外できない。
もう少し、もう少し待ってくれれば時間が解決してくれる。アンナが普通授業に復帰できるよう、体制を整えて……とベアトリスも学校側と協議を重ねていた。
――それが全て、あの匿名の通報によって台無しにされた。
マチアスのために『退学する』と宣言したアンナ。
怒りを抑えて理路整然と退学する理由を述べる彼女に、大人たちは何も言い返せなかった。
そもそも、誰が通報したのか。
あの三人の誰かかと思ったが、アンナを追い詰める結果になるこの通報を彼らがするとは思えない。アンナを辞めさせたいわけでなく、どうにか戻ってきてほしいようだから、性被害を受けたなんて噂を立てたくないはずだ。そんなことをしたら確実にアンナが教室に戻れなくなると分からないほど彼らは馬鹿ではないだろう。
まだアンナに対する悪評が収まっていないなら、一般生徒が彼女を貶めるネタを探して嫌がらせのためにしたことだと考えられる。
「留学か……」
今更アンナがクラスに復帰して普通に学校生活を送るのは不可能だ。だから環境が変わる留学は悪い案じゃない。
ただ、留学先がシビラ国なのがひっかかる。
今のシビラ国は人々も穏やかでよそ者のマチアスにも親切な良い国だった。だが、ココ・オベールの祖国だというなら、避けたほうがいいように思う。
いずれにしても、学校に不信感を抱くアンナが退学の意思を翻すことはなさそうだ。
学校を辞めてしまうと、どんな理由であれ希望の職に就くのは難しくなるだろう。貴族令嬢としても縁談に障りがあるかもしれない。辞めた後、どうにか彼女が希望の進路へ進めるよう手を貸してやれないものか。
でも退学後の彼女に関わろうとするのは教師として越権行為だろうか。
それこそ下心があるんじゃなどと邪推されかねない。
虚偽通報すらまともに反論できなかった自分が、退学後のアンナに関わっていいものか分からない。
己の進退も含め、これからどうすべきかマチアスは頭を悩ませていた。
***
マチアス先生の話はここで終わりです。
次からまたアンナの視点に戻ります。




