親切な先生
保健室に入ると、白衣を着た美女が出迎えてくれた。
黒髪をひとつにキリリとまとめ、細身で長身のかっこいい女性だ。
意志の強そうな瞳が私をじっと見つめる。
「マチアスじゃない。……と、女の子?」
「他の子と揉めてるところに遭遇してね。乱暴に髪を引っ張られてたから、ちょっと診てあげて」
「あらら、ホントだ。いやだ、ちょっと血が出てるじゃない。ひどいわね」
「あの、大して痛くないんで大丈夫です。それより授業始まっちゃうんで……」
「連絡しておくから大丈夫よ。それより消毒しましょう」
有無を言わさず椅子に座らされる。
「私はベアトリス・ロアよ。今年から保健医として赴任してきたの。あなたの名前を聞いてもいいかしら」
「あ、はい。アンナ・グレースです。高等部の一年です」
ベアトリス先生は、喋りながら脱脂綿を取り出し消毒液を浸している。学年はネクタイの色で分かるのよね! とか、この学校広いわよねえ、などととりとめのない話をして頭皮にちょんちょんと塗ってくれた。大した怪我ではないけれど消毒液は結構傷にしみる。
痛みから気を逸らすために話しかけてくれたのだろう。
私を連れてきたマチアス先生は、その間横に立って手当の様子をじっと見ていた。
そして傷口の手当てが終わったあたりでようやく「さっきのことだけど……」と口火を切った。
「ああいうことはよくあるのかい? アンナさんは暴力を振るわれてもあまり動揺していなかったね」
「暴力は慣れてないですけど、文句を言われるのは慣れているかもしれないですね」
「理由を聞いても?」
「……まあ、色々ありまして」
言葉を濁すと、マチアス先生の眉間に深いしわが刻まれる。助けてもらったのに申し訳ないが、ココたちのことを説明するのは難しいし私も話したくなかった。
「いきなり訊かれても言いにくいわよね。アンナさん、だっけ? 相談してもいいと思えたら、いつでもいいから私かコイツに話してくれたら嬉しいな」
「はい」
保健室なんて一度も利用したことがなかったから知らなかったが、校医の先生が今年度から学校に常駐するようになったらしい。
ベアトリス先生は、怪我の手当てだけでなく悩み相談なども受け付けているから、昼休みでも放課後でも来てここで過ごしていいと言ってくれた。
そういえば入学式で紹介されていたような……。
今年度から医師免許を持つ人を校医に迎えたとかなんとか。
「一応ね、心理カウンセラーの資格も持っているのよ。生徒たちの悩み相談に乗るのが私の仕事なの。相談内容は決して口外しないわ」
だから安心して、と言われたが、初対面の先生に何を話せばいいのかもわからない。
口ごもっていると、先生はすぐに話題を変えた。私から無理に聞き出すつもりはないようだ。
「別にただここに来て私とおしゃべりしてくれるだけでいいのよ。ぜーんぜん生徒がきてくれないから、暇でしょうがないの! あ、ちなみにマチアスも暇だからアンナさんが話相手になってくれたら喜ぶわよ~」
ベアトリス先生に話を振られて、彼は微妙な顔で頷いた。
そう言われても、ただ行きあっただけの生徒に押しかけられても迷惑に違いない。見て見ぬふりをしなかっただけでも十分親切だ。これ以上赤の他人に迷惑をかけるわけにはいかない。
「ええと、ありがとうございました。もう大丈夫なので授業に戻ります」
「じゃあ、教室まで送りましょう」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
マチアス先生が親切にも教室まで送ると申し出てくれたが、断ってひとりで保健室を出た。
いい人たちだったな……。
馴染みのないフロアの廊下を歩きながら、つい笑みがこぼれる。
久しぶりに人の親切に触れて、嬉しくて足取りが軽くなる。
無理に聞き出そうとしないでくれたのもありがたかった。いつでも来ていいと言ってくれたのも建前じゃないだろう。
扉を静かに開け教室に入ると、もう授業は始まっていた。先生は伝言を受けていたようで、特に何も言われず、ちらりとこちらを見て頷くだけだった。
クラスの人たちからチッと舌打ちが聞こえ、ペコペコ頭を下げながら席につく。
教室も決して居心地の良い場所ではないが、ココたちが関わらなければ誰も私に興味を向けない。空気と化していられる。
午後の授業を終える。
放課後は奉仕活動の予定をいれていた。
予定表を見ると、今日は校舎回りの清掃となっていた。清掃なら気が楽だ。
生徒たちは貴族の子女だから、汚れ仕事に対して抵抗があるらしい。参加者が少ないから清掃作業は活動点数が高い。だから私は必ず申し込んでいた。
そうやってなりふり構わず点数稼ぎをしている点も、皆から嫌われる要素のひとつなのだろう。
清掃の集合場所は校舎裏の用務室だ。ひとけのない裏庭を歩いていると、その途中に佇む人影を見つけた。
「やあ、アンナ」
「……セナ」
声をかけてきたのは、セナだった。彫刻のような美しい顔が私に微笑みかける。
嫌な予感がして、背中がひやりとした。
「ちょっとお話できるかな?」
拒否できるような雰囲気ではない。
彼に従い、裏庭の人目につかないところへ歩いていく。
「ねえ、最近僕たちから離れようとしているでしょう」
ぎくりと心臓が跳ねるが、平静を装う。
「そんなことないけど」
「へえ、しらばっくれるんだ」
セナの笑みが深くなり、背筋が寒くなる。




