私は去る
びくっと震えて後ずさる私を見て、セナはなぜか傷ついたような表情をした。
これ以上距離を詰められたら、逃げられない……。
怖くて逃げ道を探すように目線を動かすと、セナは一歩引いてそれ以上近づいてこなかった。
そして小さな声で私に向かって話しかける。
「アンナ……悪かった。あの時、僕が近くにいればこんなことにはならなかったのに」
まるで味方のような言い方をされて、カッと頭に血が昇る。
「近くにいれば、何? 私が赤の他人からも嫌悪されるようになったのは、セナがそう仕向けた結果じゃない! 嫌われ役をさせられた結果があれでしょ! どうせ私は壊していい使い捨ての駒だもんね!」
「違うんだ! あの時ココが……アンナに突き飛ばされたことを、意地悪だと誤解していたんだよ。それで、アンナに対してココが怒って、そのせいで周囲の奴らがその怒りに影響されて……僕がいなかったから止めようがなかったんだ」
「はあ? 救助している人たちにわざわざ私がココを突き飛ばしたひどい奴とかって言い触らしていたの? あんな状況でわざわざ私を貶めるなんて馬鹿じゃないの。もっとやるべきことがあるでしょ」
あの時のココに、悪口を言いまわる余裕があったはずない。
それができるとしたらセナだろう。いつも私が嫌われるように仕向けていた張本人のくせに、いざとなったらココのせいにするのか。
だがセナはもどかしそうに首を横に振る。
「そういうことじゃない! ココが、そう思ってしまったことが原因なんだ。今はもう、アンナが助けるためにやったことだとココも理解しているよ。君がとっさに逃がしてくれなかったら、大怪我していたのはココのほうだったから」
「確かにあの時ココを助けたつもりでいたけど……だからなんなの? ココが何をしたっていうの?」
半ば呆れながら訊くと、セナは『信じられないだろうけど』と前置きしてから答えた。
「あの時、ココが君に対して腹を立てた。その怒りの感情が、周囲に伝染したんだ。あの子は感情が高ぶると、周囲を巻き込むんだ」
「……は?」
セナの言うことが要領を得なくて意味が分からない。
突き飛ばしたのは事実だし、それで転んだココは私に対してムカッときたかもしれない。
それが周囲の人間に伝染した? 言って回ったわけではなく?
セナを見ると、今まで見たことがないような苦悩に満ちた顔で唇を噛んでいる。
「分からないよね。分からなくていい。でも、あの事故の時おかしいと思わなかった? 顔も知らない相手がアンナを嫌悪していて、どうしてと思っただろ? それは、ココがアンナに突き飛ばされて『怒っていた』からだよ」
「なにを……言っているの?」
「あの場にいた奴らは皆、ココの怒りの感情に引きずられていた」
言われてみれば確かに、あんな場面で顔も知らない人たちが罵ってくるのは変だ。混乱状態で、助けるほうも人の顔を見分けている余裕なんてないはずなのに。
……あの場にいた全員が、私に敵意を向けていた。
「その前から、ココはアンナに怒っていたんだ。ココが休んでいる間に友達を作ったのも気に入らなかったらしい」
「友達? って、コーブス君のこと? 別に友達ってほど仲良くないけど」
「笑顔で楽しそうに話していたよね。ココと喋る時はすごくつまらなそうなのに」
「……それは」
「あれでまずココを怒らせた。コーブスが君にベタベタするから、ココの怒りはまず彼に向かった。君と関わらなきゃ、彼だってあんなことにならなかったのに」
「あんなこと? 待って、もしかして事故のこと?」
小さなつぶやきを聞き逃さず聞き返すと、セナはハッとしたように口を噤む。
コーブス・レイン。あの暴走した馬に乗っていた生徒。
私を色眼鏡で見ずに普通に話してくれるいい人。
『ココがコーブスに怒っている』ことが、『あんなこと』につながる?
セナは問いかけには答えない。でも沈黙こそが答えだ。
「セナ。何を隠しているの? 私にどうしてほしいの?」
「ココを怒らせないで。仲直りをして」
「無理だよ」
間髪入れずに拒否する。
以前のようになんて戻れない。私は皆が怖いし、ココたちには嫌悪感すら抱いている。
「でも、仲直りしなければいずれ君の身が危険になる」
「脅迫のつもり?」
「違う。起こり得る可能性の話。言っただろ? ココが怒ると、その感情が周囲の人間に伝染するんだって。そうなった時にアンナがどんな目に遭うか、僕にも想像がつかない」
苦しそうな表情で言うセナを見て、言葉が出てこなかった。
……これも演技なのだろうか? 普通の言い訳ではもう説得できないと思って、不可思議な話を交えて私を不安にさせようとしている?
だが、セナならもっとそれらしい言い訳を考えられるだろう。意味の分からない嘘をつくのは理知的なセナらしくない。逆に本当のことを言っているように感じる。
「わ、分からないよ。セナの言うこと、全然分からない」
混乱して頭を抱える。
セナが近づいてこようとした時、パタパタと誰かが廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
「っ、アンナ。僕の言ったことをよく考えておいて」
逃げるようにセナが出て行く。
扉の外で揉めるような声が聞こえて、慌てた様子でベアトリス先生が飛び込んできた。
「アンナさん! 今そこでセナ君らしき子とすれ違ったんだけど……」
「あ……そうです。セナと、さっきルイも来て……でも何もされてませんし、大丈夫です。それよりも、マチアス先生はどうなりましたか?」
セナに言われたことが頭のなかでぐるぐるして、まだ混乱していた。だが今はそのことよりマチアス先生にかけられた冤罪のほうが重要だ。気持ちを切り替えてベアトリス先生に向き直る。
「あっ、そうだった。あのね、悪いんだけど一応アンナさんの話も聞きたいから相談室まで来てもらってもいい?」
現在学校長も含めた会議になっていて、マチアス先生の弁明が終わったところらしい。容疑に対して先生は当然全否定するため話し合いは平行線で、そこで被害者とされる私の話も聞こうとなり、ベアトリス先生が呼びに来たのだ。
「行きます」
松葉杖を取って立ち上がる。心が急いて、松葉杖を投げて走って行きたくなる。ベアトリス先生に支えられながら急ぎ足で相談室へと向かう。
相談室の奥に広い会議室のようなスペースがあり、そこに大勢の大人たちがいた。
官府らしき制服や士官とおぼしき人たちがいて、恐らくこの人たちが「外部から来た調査員」なのだろう。集まっている人数から、かなり大ごとになっているのだと一目で分かる。
マチアス先生が奥の椅子に座っている。顔色がひどく悪い。
みんなから寄ってたかって先生が責められたのかと思うと、腹の底から怒りが湧いてくる。
この瞬間、私は決意した。
見たことない顔の女性が私に近づいてきて、無遠慮に肩を抱かれる。
「アンナ・グレースさん。いくつかお伺いしたいことがあるのでそちらの相談スペースでお話伺ってよろしいでしょうか? ロア保険医も同席いたしますので、まずわたくしがあなたと……」
「この場で訊いていただいて構いません。私は性被害を受けたことはありません。マチアス先生は怪我をした私を助けてくれて、療養中の今も面倒をみてくれているだけです。感謝こそすれ、何か嫌なことなんて一度もされていません」
個室で話を聞くという相談員の話を遮って、一息に喋る。
怒り交じりの私に、相談員は面喰ったような表情をしていた。
「そうですか。でもこの場では人に言いにくい事柄もあるでしょうから……アンナさん、わたくしとふたりきりで少しお話してみませんか?」
「結構です。私はこれまで同級生たちとのトラブルについて教師に相談したこともありますが、何も対処してもらえませんでした。そんななか、たまたま事情を知ったマチアス先生が私を助けてくれたんです。学校は今まで私の事なんて無視してたのに、どうして今回の通報だけ対処するんですか?」
その場にいた大人たちが、それぞれ困ったように唸る。
私は嫌味を言いたいわけじゃない。だがこれまで学校は何も対処してこなかったのに、根拠のない下劣な通報にはすぐ飛びつくのかと思うと腹が立って我慢できなかった。
「それはこれまでの学校の体制が良くなかったから、改善するべく私たちが派遣されてきたんですよ」
「でしたらもう結構です。私は退学しますから」
退学を口にすると、大人たちが一気にざわつき始める。マチアス先生の驚いた表情が見えて、申し訳ない気持ちになった。
「早まらないでください。問題のあった教師たちは異動が決まっていますし、生徒間の問題も対処できるように学校側も体制を変えています。ですから……」
「誰も助けてくれないなか、無関係なのに手を差し伸べてくれたマチアス先生を貶めるようなこの通報をどうしても許せません」
声を張り上げると、その場にいる全員が唖然としていた。
「冤罪が証明されても、不名誉な疑惑をかけられた事実は変えられない。私は、今回の通報も私を良く思わない人たちによる嫌がらせじゃないかと思っています。私がいる限りこう言うことが続くのでしょうから、退学します。もうこんなところに一秒だっていたくない」
この通報が誰によるものか分からない。
けれど、私はずっと嫌われてきたのだ。学校の体制が変わったところで生徒たちのその意識が変わるわけじゃない。
私の味方をしたマチアス先生が攻撃された。この事実が全てだ。
私にはもう退学以外の選択肢はない。
「アンナさん! 落ち着いて。僕のことで学校を辞めるなんて言わないでくれ」
マチアス先生が悲痛な声で私に訴えかける。
「ごめんなさい、先生のせいじゃありません。でももう決めたことですから」
立ったまま話していた私は、扉を開けて相談室から出て行った。
実家には怪我をした旨の手紙だけ送ってある。心配する内容の手紙が返ってきていた。様子を見に来たいと言う両親に、来なくていいと断る手紙を送ったばかりだったが、こうなった以上退学手続きで一度来てもらわないといけない。
卒業できなかったことを、両親に申し訳なく思う。
だが大切な人が攻撃されるのならば、どれだけ両親を悲しませても退学するしかない。
出ていった私を、先生たちは追いかけて来なかった。
私は辞める手続きを思い浮かべながら、自室へと急ぐ。
ココもルイも、セナのことも、もう私の頭から抜け落ちていた。
嫌な気持ちも記憶も、この学校に捨て置いて、私は去る。
***
次から別視点のお話が入ります。
毎日の更新にお付き合いいただきありがとうございます。
少し見直す時間が欲しいのでこの先不定期更新になりますが、完結までもうちょっとです。
あまり間を開けず進めていきます。最後までお付き合いいただければ嬉しいです。




