噂と違う
マチアス先生の研究室で奉仕活動をするようになってまだ一ヶ月だけど、私はこの時間が楽しみでしょうがなくなっていた。
放課後の日が暮れるまでの短い時間だけど、これがあるから一週間頑張れるというくらい、心の支えになっていた。
正直、奉仕活動は全部マチアス先生のところにしたい。
でもそうすると私への批判が先生に向かう可能性がある。
だから不自然にならないように、頻度を抑えて他の活動も今まで通りに申し込んでいる。
他の活動では、生徒が大勢いると嫌な顔をされることも多い。
だからなるべく目立たないようにしている。黙って作業していると、マチアス先生のところで過ごす時間と違いすぎて少し辛くなるけれど、楽しいことを考えて黙々と作業をこなす。
その日は、授業で使う冊子を作る軽作業に参加していた。
比較的楽な作業で、何より事前に授業内容を確認できるとあって、この奉仕活動には参加者が多数いた。
プリントをまとめて穴を開け、紐でまとめるだけの単純作業。
友達同士で参加しておしゃべりをしている人も少なくなかったが、私は当然ひとりなので作業がとても早く進んだ。
おしゃべりして手を動かしていない人たちは、作業が進まず終了時間が近づいてもまだ作成が終わっていない。
私は内心、「大丈夫かな……」と思っていたが、私が口出しできるはずもないので黙っていた。
「ねえ、もう帰る時間になるけどコレどうする?」
「えー? このままでいいんじゃない?」
終わりの時間が近づいてきて、その子たちは呑気そうにそんなことを言っていた。
奉仕活動にあまり参加したことがない子たちのようだ。
割り当てられた分が終わっていないと、点数がもらえないこともあるというのを知らないらしい。
早く作業したほうがいいよ……と思いながら、出来上がった冊子を読む。先に読んで予習できるのは作業の特権のひとつである。
「あなたたち、終わらなかったら残って作業することになるわよ。早くやったほうがいいわ」
見かねた人が、彼女たちに忠告した。
残って作業と言われ、急にその子たちは驚き慌てて冊子を作り始めた。
だがまだ半分以上が残っている。このペースでは時間内に終わるのは無理だ。助けを求めるように周囲を見回している。
そしてひとりで座っている私に目を付けた。
「ねえ、あなた。それと交換してくれない?」
声をかけてきた子が、私が作った冊子を指さしている。
作成した冊子と、終わっていないプリントの束を交換しろと言っているのかと気づいて、少し呆れながら断る。
「いや……困ります」
「どうせひとりぼっちで暇でしょ? これよろしくね」
有無を言わさず、プリントを押し付けようとしてくる。
あちらは四人分だから、私一人ではどう頑張ったって終わるわけがない。普段は監督の先生がいるからこういうことはないのに、今日は単純作業のせいか先生が常駐していなかった。
「喋る相手もいなくて時間潰すのも大変だろうから、こっちは親切で言ってあげてるのよ? 有難く受け取りなさいよ」
「私ひとりじゃこの量は終わりませんよ。時間内に終わらないと先生にも迷惑をかけてしまうし、手伝いますから皆で終わらせましょうよ」
「は? なんで私たちの中に混ざろうとしてるの? 図々しい」
とにかくやれ、無理、の押し付け合いでだんだん声が大きくなる。
周りは押し付ける彼女たちが非常識とは分かっているだろうが、押し付け相手が私だから助けに入る気にならないらしく傍観している。
こんなことをしているあいだに手を動かせばいいのに……と思いながらも、結局は数で負けて押し付けられそうになった時、窘める声が割り込んできた。
「一人分の割り当てが決まっているんだから、彼女の分と交換したところで意味ないだろ。無駄なことしてる暇あるならまず手を動かせよ」
私も思っていたことを言ってもらえて、彼女たちを窘めてくれる人がいたことに驚いた。声の主を探すと、見たことがある男子だった。
確かCクラスの……コーブス・レインとかいう名前だった気がする。
クラスが違うが、彼も奉仕活動によく参加しているので顔を覚えていた。そして最近セナの口からその名を聞いたから、私のなかでは彼は警戒対象だった。
コーブスが彼女たちを非難したから、周囲の人たちからも非常識な彼女らを責める声が上がり始めた。
分が悪いと判断した彼女らは、気まずそうにプリントを引き上げていった。
無駄なことに時間を費やしていたせいで作業は全く進んでいないまま、終了時間が迫っていた。
どう見ても終わりそうにない量を前に、彼女たちは半泣きになっている。
「あの……手伝おうか?」
「はあ?」
見かねてつい声をかけた。案の定睨まれた。
他の人ならともかく、私に情けをかけられるなんて屈辱だったんだろう。やっぱり黙っておけばよかったと後悔していると、彼女たちから引き留められた。
「……入れてあげるから、やってよ」
微妙な言い方だったが、そこを咎めてケンカするほど気力はない。プリントを手に取り黙って冊子を作る。
周囲で様子見していた人たちも、私が手伝いに入ったことで「仕方ないなあ」という雰囲気になり手伝う人が増えて、なんとか終了時間に全て冊子が出来上がった。
「終わってよかった」
独り言が口から漏れる。女生徒たちが私の呟きに気づき、パチッと目が合った。
「……助かったわ」
女生徒のひとりの口が小さく動き、そんな言葉が聞こえた気がした。でもすぐに目を逸らされたので、気のせいだったのかも。
「悪い、遅くなったー。全員作業終えているかー?」
終了時間を数分過ぎて、ようやく担当の先生が来た。
出来上がった冊子を確認すると、皆に奉仕活動完了のサインをして解散となった。
絡んできた女生徒たちは、サインをもらうと駆け足で教室を出て行った。
私は少し迷ったが、帰り支度をしていたコーブスに声をかける。
「あの、さっきは助け船だしてくれてありがとう」
彼が声を上げてくれなかったら、あの量を押し付けられていたかもしれない。奉仕活動なのにズルしようとする人が許せなかっただけで、私などにお礼を言われて気分を害するかもしれないが、人としてお礼を言うべきだ。
返事を待たず背を向けたが、彼が呼び止めてきた。
「アンタさ……あんだけコケにされてたのに、なんで手伝うとか言ったわけ?」
「え? いや、終わらなそうだったから」
あの程度の冷遇は日常茶飯事だから、どうとも思わない。物理的な暴力がないだけ優しいとすら思うようになっている。
「なんか、アンタ噂とずいぶん印象が違うな」
「どんな噂か知らないから、そんなこと言われてもなんて答えたらいいか分からないわ」
「余計なお世話かもしれないけど、誤解されてンならちゃんと弁明したほうがいいんじゃないか?」
「誰に何を弁明すればいいの?」
コーブスがぐっと言葉に詰まる。
言い訳や弁明をする相手すら私にはいない。
「ちなみに噂って、ココたちにつきまとっているとか、そういうやつ?」
「あー、まあそれもあるけど……横暴とか常識がないとか、自己中な奴っていう評判」
「へえ」
「でもさ、俺、アンタと奉仕活動がかぶることが結構あったけど、黙々と作業して文句ひとつ言わないじゃん。そんな奴が横暴とか、なんか変だなって前から思ってたんだよ。今日の行動見て、やっぱ違うんじゃないかなって」
一瞬喜んでしまいそうになるが、セナの口からこの人の名前が出たことがあるのを思い出す。だからこれも何かセナの仕込みという可能性がある。




