君は悪くない
奉仕活動の依頼書を握りしめ、薬草学の研究室へと向かう。
研究室のドアは開け放ったままになっていて、のぞき込むと奥の机にマチアス先生がいた。
「あの……アンナ・グレースです。依頼を出してくださった、奉仕活動について伺いに」
「ああ、アンナさん。どうぞ入って」
笑顔で出迎えてもらえて、ホッとして中に入る。
研究室の中は、所狭しと実験器具が置いてあり、その隙間に色々な植物が栽培されていて、気を付けて歩かないと何かを壊しそうで怖い。
「ごめんね、散らかっていて。実験の解析が立て込んでいて片付けにまで手が回らないんだ」
マチアス先生は高等部では授業を受け持っておらず、アカデミーのほうで時折講義をするだけで、基本的にはこの研究室にいる。
薬の分析をして評価するなどの裏方仕事を担っているらしい。
私たち高等部の生徒が授業で作った薬の定量検査などもしていると教えてもらった。
ひとりでここを管理しているから、本当に人手が足りず困っていたと先生は言う。だがさほど人手を必要としているようには見えない。ただ私に気を遣って依頼を出してくれたのだろう。
「依頼を出してもらえて私は有難いんですけど、ご迷惑になっていませんか?」
「いや、アンナさんはちょうど薬草学を専攻しているから、器具の扱いにも慣れているだろうし、来てくれたら本当に助かる。実は、ベアトリスが依頼を出した保健室の手伝いは却下されたんだ。あそこは相談室でもあるから、難しいらしい」
実は保健室の奉仕活動依頼は諸事情により却下になっていた。
だから代わりにマチアス先生が依頼を作成してくれたのだ。無理ならそれでもよかったのに……と思ったが、やっぱり気にかけてもらえるのは嬉しかった。
「じゃあ有難く奉仕活動の依頼をお受けします。なにからやればいいですか?」
「放課後からでいいよ。アンナさん、お昼まだだろう? 時間もないだろうし、よければ食べていかないか? 作りすぎちゃってね。ベアトリスも来るはずだったが、間に合なそうだから先に食べてしまおう」
油紙に包まれたサンドイッチを手渡される。ごちそうになるなんて申し訳ないと遠慮したが、多めに作ってきたし食べながら話がしたいからと言われ、有難くいただくことにした。
野菜とハムがぎゅっとつめられた具沢山サンドイッチはマチアス先生のお手製だという。売っているものより食べ応えがあって美味しい。
「奉仕活動の依頼だけでなく……お昼ご飯まで頂いちゃって申し訳ないです」
「いや、教師と昼飯なんて気づまりだろうに、こっちこそ無理に誘って悪いね」
「むしろ、天国みたいに気が楽です。ココたちと食べている時はずっと気を張ってるから……あ、いや」
この先生の前だと気が緩んで、いつもなら絶対出ない愚痴が漏れた。親切にされたからって、調子に乗ってはいけないと慌てて口を噤む。
「そのココさんという子は、アンナさんがつらそうにしているのに、気づいてくれないんだよね。だったらその子は本当の友達じゃない。一緒にいてつらく感じるのは当然だ」
「本当の友達……ですか?」
「ここには僕しかいないんだから、つらい気持ちを我慢しなくていいよ」
「つらい」と言っていいと肯定してもらえて、心がスッと軽くなる。
マチアス先生を見ると、穏やかに微笑んで私の言葉を待ってくれていた。
「友達って……なんだろうって、彼女といると分からなくなって」
私はココの友達だと胸を張って言えない。
セナに用意された『友達役』という意識が強かった。
「セナに脅されるようになってからは、一緒にいても失言しないよう気を張っていて。だからずっと逃げることしか考えられなくなっていたんです。……でも……」
「でも?」
「さっきココに、明日は一緒にお昼を食べようねって言ったらすごく喜んでくれて。よく考えたら私、自分から彼女に声をかけたことなかったなって気がついて」
いつも働きかけてくれるのはココのほうからで、私からは話しかけることすらしていなかった。最初は私なんかが馴れ馴れしくするのはおこがましいと遠慮していたからだが、今は誘われると迷惑に感じていた。
避けていると気づかれないようにしていたつもりだけど、よく考えたら私から誘ったことは一度もなかった。
――友達になりたいって言われて、喜んで了承したくせに。
それなのに、不利益があるからとあっさりココを切り捨てようとする。
セナには、私がいい時だけ友人面して困ったときは逃げ出す薄情な奴に見えたのかも。
一方的に自分は被害者のようなつもりでいたが、友達に避けられてココは内心傷ついていたのだろうか。
「一度もまともに、ココと友達として向き合ったことがなかったなって……なんか申し訳ない気持ちになったんです」
大好き、と言われた時、とっさに『私も』と答えた。
ココを好きな気持ちは、半分嘘だけど、もう半分は本当だった。
純粋で優しい彼女に慕われて、愛さずにはいられないと感じる時もあれば、その残酷なまでの純粋さに何度も傷つけられて、憎くてたまらなくなる時もある。
逃げたいと思いながら、明日の約束をしただけで喜んでくれたココを愛しく思う気持ちも湧いてくる。私はこれからどうすべきなのか。どうしたいのか。
「そうだね、嫌がらせを受け始めた時に、君はまずココさんにそれを伝えるべきだったね。それで彼女がちゃんと向き合ってくれたら、君たちは友達になれたかもしれない。けれどその機会を、セナ君が奪ったんだよ」
「奪った?」
セナはココを傷つけないために、私を黙らせた。その時点で私たちは『友達』になる機会を永遠に失ったのだとマチアス先生は言った。
「でもなあ、アンナさんが言わなくても、周りの態度を見れば君が嫌がらせを受けているってココさんも分かるはずだ。それなのに何も変わらず何も対処しないなんて、黙認しているのと変わらないよ」
「……でもココは……本当に気づいていないのかも」
「だとしたら、彼女は君のことを何も見ていないんだ。こんなつらそうな顔をしているのに気づかないなんて、本当に友達だったらあり得ない」
「そう、なんでしょうか」
「そうだよ。だから申し訳なく思う必要はないよ。君は何も悪くなんだから」
こらえきれず、ぼろぼろと涙があふれた。
味方なんてひとりもいなくて、こうなったのはやっぱり私が悪かったからなのかと自分を責めたりもした。
何も悪くないなんて言葉をかけてもらえたのは初めてだった。




