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N.O.AH  作者: トマト


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3/9

記録されない少女

「お前、名前なんだっけ」


朝。


リオが聞くと、少女は黙ったまま栄養ゼリーを吸っていた。


数秒後。


「今はミラ」


「今は?」


少女――ミラは当然みたいな顔で言う。


「名前は変えるものだから」


リオは理解できなかった。



軌道都市ハーモニアでは、

個人情報は国家管理だ。


名前。


住所。


職歴。


感情傾向。


全部データ化される。


ユニオンでは、

“記録されること”は当たり前だった。


だがミラは違う。


彼女は端末登録すら持っていない。


戸籍もない。


指紋も偽装。


顔認証も妨害。


存在そのものがノイズみたいだった。



「セパラってみんなそうなのか?」


リオが聞く。


ミラは肩をすくめる。


「地域による」


「私は“反保存圏”育ち」


「反保存?」


「記録を嫌う文化」


リオは顔をしかめる。


「なんで」


ミラは即答した。


「記録は支配だから」



彼女は壁にもたれながら続ける。


「ユニオンは全部残すでしょ」


「会話」


「感情」


「行動履歴」


「脳波ログまで」


リオは否定できない。


実際その通りだった。


ユニオンでは、

“何かあった時のため”に

市民の情報が膨大に保存されている。


犯罪予測。


感情分析。


危険思想検知。


全部エンパシアと繋がっている。



ミラは小さく呟く。


「データは死なない」


「だから怖い」


その声は、

初めて少し人間らしかった。



リオはなんとなく端末を向ける。


「写真撮っていい?」


ミラの目が変わる。


一瞬だった。


次の瞬間。


ガンッ!!


端末が壁へ叩きつけられていた。


「うおっ!?」


画面が割れる。


リオは絶句。


ミラは真顔。


「撮るな」


「いや冗談やん!?」


「消えないから」


「普通そこまでせんだろ!」


ミラは数秒黙る。


そして小さく言う。


「……昔、それで死んだ人を見た」


部屋が静かになる。


リオはそれ以上聞けなかった。



昼。


リオはミラを連れて下層市場へ向かう。


隠れ続けるにも物資が必要だ。


市場は騒がしい。


蒸気。


ネオン。


油の匂い。


上層の綺麗な都市とは別世界。


ここでは違法改造部品も普通に流通していた。


ミラはフードを深く被って歩く。


やたら周囲を警戒していた。


「そんな見られてねえって」


「見られてる」


「気にしすぎ」


「あなたは気にしなさすぎ」



その時。


大型モニターが点灯する。


ユニオンニュース。


そこには美しい女性が映っていた。


白銀の制服。


穏やかな微笑み。


アメリア・ヴァイス。


ユニオン中央議会代表。


“共感の聖女”と呼ばれる女。


《市民の皆様》


《昨日の同期障害は既に収束しています》


《不安を共有し、支え合いましょう》


市場の人々が安心したように頷く。


空気が落ち着く。


リオは毎回不思議だった。


アメリアが喋るだけで、

本当に都市の雰囲気が変わる。


まるで感情そのものを操っているみたいに。



だがミラだけは、

露骨に顔をしかめていた。


「嫌いなのか?」


「怖い」


「え?」


ミラはモニターを睨む。


「“みんなで同じ気持ちになりましょう”って、一番危険」


リオは苦笑する。


「でも平和じゃん」


ミラは即答した。


「静かなだけ」



帰り道。


二人は検問に遭遇する。


保安局だ。


「身分証提示を」


リオは端末を出す。


問題なし。


だがミラは動かない。


空気が張る。


保安局員が眉をひそめる。


「君もだ」


ミラの指先が僅かに動く。


ナイフを抜く前兆。


リオは慌てて前へ出た。


「こ、こいつ病気なんすよ!」


「は?」


ミラが睨む。


リオは続ける。


「神経系のやつで!外部通信苦手っていうか!」


「……診断コードは?」


「えーっと……」


終わった。


と思った瞬間。


別方向で怒鳴り声。


「スリだ!!」


保安局員たちがそちらへ走る。


検問が崩れる。


リオは即座にミラの手を掴んだ。


「走るぞ!」


二人は雑踏へ飛び込む。



数分後。


人気のない通路。


ミラが壁へ寄りかかる。


呼吸が少し乱れている。


「……なんで助けるの」


またそれだ。


リオは頭を掻く。


「だから知らねえって」


ミラは少し黙る。


そして初めて、

わずかに笑った。


「変なやつ」


その瞬間だった。


リオの脳裏に、

ノイズみたいな映像が走る。


白い部屋。


誰かの声。


『同期拒絶反応を確認』


『被験体R-09――』


頭痛。


リオはふらつく。


「っ……!」


ミラが支える。


「どうした」


映像は消えていた。


リオは息を荒くする。


「……いや、なんか」


今のは何だ。


記憶?


夢?


分からない。



その頃。


ユニオン中央同期塔。


巨大なサーバ空間。


暗闇の中。


無数のモニターがリオを映している。


歩く姿。


会話。


脳波。


感情反応。


全て観測されていた。


機械音声が静かに告げる。


《観測対象R-09》


《自己認識変動を確認》


《N.O.AH適合率、上昇》


そしてモニター奥。


誰かが呟く。


「ようやく起き始めたか」

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