共感ノイズ
朝。
軌道都市は、いつも通り静かだった。
人工太陽。
人工空。
人工気候。
全部が完璧に管理されている。
だがリオの部屋だけは違った。
工具。
配線。
空き缶。
そして知らない少女。
「……夢じゃねえよな」
床で寝ていたリオは頭を抱える。
ベッドでは銀髪の少女が眠っていた。
昨日拾った。
いや、“落ちてきた”。
普通に考えれば人生終了案件だ。
ユニオンで未登録改造体を匿うのは重罪。
最悪、“反社会協力罪”。
都市追放コースである。
⸻
少女がゆっくり目を開ける。
赤い目。
機械みたいな視線。
だが昨日より少し弱って見えた。
「……ここどこ」
「俺ん家」
「最悪」
「こっちの台詞だわ」
リオは栄養バーを投げる。
少女は数秒警戒したあと、受け取った。
「毒入ってない?」
「だったら先に食うなよ」
少女は小さく鼻を鳴らす。
その時。
端末が鳴った。
《エンパシア異常値を検知》
《下層B-17区画勤務員は直ちに出動してください》
リオが顔をしかめる。
「仕事かよ……」
⸻
数十分後。
下層区画。
空気が妙だった。
ざわざわしている。
人々が苛立っている。
誰かが怒鳴っていた。
「ふざけんなよ!!」
別の場所では泣き声。
さらに別の場所では笑い声。
感情がバラバラだ。
エンパシア都市では珍しい。
普通、人々の感情はある程度均される。
空気が共有されるからだ。
だが今日は違う。
混線している。
⸻
リオは整備ゲートへ入る。
同期中枢。
巨大な演算機が並び、青い光が脈動していた。
技師たちが怒鳴り合っている。
「同期率戻らない!」
「感情流量が逆流してる!」
「どこから流入してるんだ!?」
リオは配線パネルを開く。
ノイズが酷い。
耳鳴りみたいな感覚。
だが周囲ほどではない。
隣の技師は頭を押さえていた。
「くそ……吐きそう……」
別の技師は泣いている。
「なんでこんな悲しいんだ……」
リオだけが比較的平然としていた。
上司が気づく。
「お前……平気なのか?」
「いやまあ、ちょっと頭痛いくらい」
その瞬間。
全員がリオを見る。
妙な沈黙。
エンパシアノイズは普通、
全員へ強制的に流れ込む。
なのに。
なぜかリオだけ影響が薄い。
⸻
突然。
モニターが赤く染まる。
《感情同期暴走》
《感情識別不能》
《警戒レベル3》
次の瞬間。
区画全体へ感情が流れ込む。
怒り。
恐怖。
絶望。
悲鳴。
大量の感情が一気に脳へ叩き込まれる。
技師たちが倒れる。
誰かが叫ぶ。
「止めろ!!」
「誰の感情だこれ!?」
「一人じゃない!」
リオは思わず後退する。
流石にキツい。
でも耐えられる。
なぜだ。
⸻
その時だった。
モニターへ一瞬だけ謎の文字列。
《N.O.AH》
すぐ消える。
誰も気づいていない。
リオだけが見る。
「……は?」
直後。
システム停止。
都市全体が一瞬ブラックアウトした。
⸻
帰宅途中。
街は妙に静かだった。
誰もが疲弊している。
空気が重い。
道端で泣いている女。
笑い続けている男。
放心している老人。
エンパシアが乱れると、
都市そのものが精神不安定になる。
リオは初めて少し怖くなった。
この街は、
“みんな繋がってる”前提で作られている。
だから一箇所壊れると全部壊れる。
⸻
部屋へ戻る。
少女は起きていた。
リオを見るなり言う。
「ノイズ、起きたでしょ」
「なんで分かる」
「始まったから」
「何が」
少女は窓の外を見る。
遠くの人工空。
そこには政府広報ドローンが飛んでいる。
《市民の皆様へ》
《本日の同期異常は軽微なシステム障害です》
《不安を感じる必要はありません》
少女は小さく笑った。
冷たい笑い。
「この都市、壊れ始めてる」
リオは眉をひそめる。
「……お前、何知ってんだ」
少女は答えない。
代わりに。
昨日のチップを見つめる。
《N.O.AH》
その文字を見た瞬間だけ、
彼女は明確に怯えていた。
⸻
夜。
リオは眠れなかった。
外では人工雨。
静かな都市。
だが耳の奥で、
誰かの感情が微かに響いている気がした。
悲しい。
怖い。
苦しい。
エンパシアの残響。
この都市では、
他人の感情は完全には消えない。
リオは天井を見る。
そしてふと思う。
「……俺、自分の感情ってちゃんと分かってんのかな」
その頃。
都市中央同期塔。
巨大サーバ群の奥。
誰もいないはずの部屋で、
一つのモニターだけが点灯していた。
《観測対象:リオ》
《同期適合率:異常値》
《N.O.AH予測誤差:増大中》
そして。
画面の奥で、
誰かが笑っていた。




