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N.O.AH  作者: トマト


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1/1

落下する少女

2172年。


軌道都市ハーモニア


地球上空三万六千キロ。


巨大なリング型都市は、静かに青い星を見下ろしていた。



「……また詰まってる」


リオは工具を咥えながら、配管パネルを睨んだ。


狭い。


暑い。


油臭い。


軌道都市の“裏側”は、夢も未来もない。


表通りでは清潔な白い服を着た市民たちが穏やかに笑っているが、その裏では大量の配線と冷却管が都市を支えていた。


リオの仕事は、その修理。


十九歳。


下層整備員。


将来性なし。


彼はレンチを回しながらため息をつく。


「俺も上層生まれならなぁ……」


すると耳元の端末が震えた。


《エンパシア感情流量:安定》


《都市幸福指数:92》


またこれだ。


ユニオン政府自慢の感情同期ネットワーク《エンパシア》。


都市中の人間の感情を薄く共有するシステム。


誰かが強く悲しめば、周囲も少し悲しくなる。


誰かが怒れば、空気が悪くなる。


だから暴力は減った。


犯罪も減った。


戦争も減った。


少なくとも政府はそう言っている。


リオにはよく分からなかった。


みんなが「今日は空気重い」と言っても、彼にはそこまで感じられない。


鈍いのかもしれない。


昔からそうだった。



ガンッ!!


突然、上層通路の方から爆発音。


天井が揺れる。


「は?」


次の瞬間。


何かが落ちてきた。


人。


しかも。


「うおおおおっ!?」


ドゴォン!!


リオの上へ直撃。


二人まとめて床を転がる。


肺から空気が全部抜けた。


「っ……!?」


目の前。


銀色の髪。


黒いジャケット。


赤い目。


少女だった。


だが普通じゃない。


首筋には見たことのない神経コネクタ。


腕にはセパラ系義体特有の発光ライン。


少女は即座に起き上がる。


動きが異様に速い。


そして。


カチッ。


ナイフがリオの喉元へ突きつけられた。


「通報した?」


声は冷たい。


リオは硬直する。


「し、してねえよ!」


数秒。


沈黙。


少女の赤い目が、じっとリオを観察する。


まるで機械みたいだった。



その時。


警報が鳴る。


《警告》


《未登録改造体を検知》


《保安局が出動しました》


《市民は直ちに――》


少女が舌打ちした。


「最悪」


彼女は立ち上がろうとして、ふらつく。


右足から血。


怪我していた。


リオは思わず言う。


「……逃げるならそっちじゃねえぞ」


少女が睨む。


「なんで教えるの?」


「いや……」


自分でも分からない。


普通なら通報する。


未登録改造体なんて、ユニオンじゃ重犯罪者扱いだ。


でも。


なぜか放っておけなかった。



遠くから足音。


保安局だ。


少女が構える。


リオは反射的に叫ぶ。


「こっち!」


配管整備用ダクトへ飛び込む。


少女も続いた。


狭い。


暗い。


熱気がこもる。


背後で保安局員の声。


「この区画だ!」


ライトが走る。


リオは息を殺す。


少女は無言。


だが近くで見ると、かなり若い。


自分と同じくらいだ。



数分後。


足音が遠ざかる。


リオが安堵した瞬間。


少女が崩れる。


「お、おい!?」


足の傷が深かった。


血が配管に落ちる。


少女は小さく呟く。


「……失敗した」


「何が」


返事はない。


意識が飛びかけている。


リオは頭を掻いた。


「マジかよ……」


保安局へ渡せば終わる。


でも。


たぶん、この少女は死ぬ。



結局。


リオは彼女を自室へ連れて帰った。


六畳。


配管だらけ。


工具だらけ。


少女はベッドへ倒れ込む。


リオは応急処置キットを取り出す。


「動くなよ」


「……」


少女は黙っている。


傷口は鋭利な弾痕だった。


軍用。


ただの犯罪者じゃない。



処置を終えた頃。


少女が小さく言った。


「なんで助けたの」


「知らねえ」


本当に分からない。


少女は少しだけ目を細める。


その顔は、初めて年相応に見えた。



突然。


端末に政府ニュース。


《本日、セパラ系工作員侵入事件を確認》


《市民は不審人物を発見次第――》


リオは端末を切る。


部屋が静かになる。


外では人工雨が降り始めていた。


軌道都市特有の環境制御雨。


金属の壁を淡く叩く音。



その時。


床に小さな物が落ちているのに気づく。


データチップ。


さっき少女の服から落ちたらしい。


リオは拾う。


表面には文字。


《N.O.AH》


「……なんだこれ」


少女の表情が変わる。


初めて。


本当に焦った顔だった。


「それ、見たの?」


「いや、名前だけ」


少女は数秒黙る。


そして静かに言った。


「なら、まだ戻れる」


「は?」


彼女は窓の外の地球を見た。


青くて綺麗な星。


でもその目は、何かを恐れていた。


「……それを知ったら」


「世界が壊れるから」

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