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冬の備え



 マリンに小突かれて眼が覚めた。辺りは明るくなり、もう朝の七時は過ぎている。二人は既に身支度を整え、朝食以外の荷物をまとめにかかる所だった。


「お早う、満。朝食を食べたら早速出発するわよ」


「ああ、そうしよう」


 寝ぼけていた頭も徐々に思考が冴えてきた。死者の巣窟と化したあの病院から全員、かすり傷一つ無く生還したのだと思い出す。


 テーブルの上にはドライフルーツとクラッカー、チリビーンの缶が用意してあった。瞼を擦りながら寝袋から出て起き上がる。


「今も確認したけれど、近くには特に大きな群れも、略奪者も居ないわ」


 窓から離れ、ベッドに腰を降ろしたミカエラが報告してくれた。幸先が良い。昨日あれだけの騒ぎを起こしておきながら感染者にも略奪者にも付け狙われずに済んでいる。


もっとも、いくら若い女と貴重な医薬品があるとは言え、あれだけの感染者が動き回った場所に来るような度胸のある略奪者もそう居ないだろうが。


 テーブルに載せられた食料を前に合掌する。


 この国に来た時、チリビーンは決して好物では無かったし、今でもそうだ。特に、前の自警団に所属していた際、人気が無かったのか、下っ端の満に配られる食料はチリビーンが多かった。その為、些か苦手な物でさえあったが、顔をしかめる程ではないし、腹を満たしてくれるのは確かである。それに、この世界で贅沢を言うつもりも無い。他の二人と同様、プラスチックのスプーンでそれを取って食べる。敢えて訊ねないが、二人もこれはあまり好物ではない様子だった。


 窓の下で四体程の感染者がふらつきながら北東へと向かって行く。物資を交換したあの連中が居る工場の方角へ向かうのだろうか、と思いながらそれを見送った。


 食事を終え、三人で帰路についた。ホテルを出た通りにも感染者の群は無く、朝から全てが順風満帆に事が進んでいた。


「これだけ順調だと却って怖い気もするな」


「本当ね。でも、たまにはこんな事があっても良いでしょ。まだ家に着いた訳じゃないし、気を抜かないで」


「ああ、そうだな」


 満は時折周囲を見回して警戒するが、通りに面した建物の中にも気配は無い。


「少し、早足で帰ろう」


「危なくないの?」


「普段なら賢明とは言えないが、余りに感染者が居ない。これは確かに良い事だが、同時にハイリスクでもある」




 特定の場所に感染者が居ないのは、当然ながら別の場所に大移動している証拠だ。感染者が全て北東に向かい、家から遠ざかったのならば良い。しかし、現実はそうでは無いだろう。逆に、家のある南西の方角から大量の移動集団に出くわす可能性もある。念の為、早めに進んでおきたい。何事も無ければ家に帰れるし、万一、南西からの敵に遭遇しても、早めに進んだ分、安全な後方へ逃げ戻る事も可能だ。


 それに、昨日は微笑んでくれた神が、今日は残忍な笑みを浮かべないとも限らない。


「分かった。そうしましょう。私達も早く帰りたいし。いいわよね、ミカエラ?」


「勿論よ、早く帰ってゆっくり休みましょう」


 意見がまとまり、三人は歩くペースを上げた。程良く汗が滲むジョギング程度だが、寝具等の荷物も運ぶ為、それがほぼ限界だった。


「さて、封鎖ポイントが空いていれば良いが・・・」


 一キロ先に封鎖ポイントが見えて来た。ミカエラが肩から銃を降ろし、スコープで様子を窺った。


「今日はあまり居ないわ。今ならいけるんじゃない?」


「いいえ、周辺の建物の中に入った可能性もあるわ。下手な所で左右から一斉に襲われたら逃げられない。慎重に行きましょう。最悪、また迂回路を使うわ」


 迂回路の方は通りから逸れている為、建物の陰になってここからは確認できない。マリンの言う通り、慎重に進む方が賢明だと思えた。


「そうだな、ここまで順調に来たから、昼までの時間もたっぷりある。あと半分ほど進んだら忍び足で進もう」


 マリンが懸念した通り、封鎖ポイントに近付くにつれて建物内に感染者の気配が増えていく。外が晴れている為に休眠状態なのか、道の中央に三人の姿が見えても襲い掛かってくる様子は無い。


「・・・静かに進もう」


 言うまでも無い事だが。


 その声さえも最低限に潜め、顔を青ざめさせたマリンとミカエラと共に無言で進む。左右からいつ襲われても対処できるよう、道路の中央を姿勢を低くして進んでいるが、何百メートルも続く通りの左右から感染者に一斉に襲われては逃げ切れるとは思えない。


残念ながら、当てにしていた迂回ルートにも感染者が溢れていた。角がある分、迂回ルートのある路地の方が感染者が多かった。また一夜を過ごして感染者が減るのを待ったとしても、それで今より状況が好転するとも限らない。悪化する可能性すらある以上、今、突破しなければならない。


 


 時折、建物の中から感染者の呻き声が聞こえる度に全員の心臓が凍り付いた。


 休眠状態とはいえ、三人の身を隠す遮蔽物は一切ない。とてもではないが、生きた心地はしなかった。が、誰も泣き事一つ言わない。


 フェンスまであと二百メートル。たったの数百メートルが何キロもの道のりに感じられたが、それでも出口は着実に近づいていた。冷や汗が背筋を伝う。その汗が腰に落ちる頃には出口がもう眼と鼻の先程の距離にあった。


 帰れる。


 誰もが安堵を顕にした。ミカエラが小さな安堵の溜め息を漏らした。


 勿論、感染者に聞こえる筈が無い。それは偶然・・・不幸だった。満の警戒が緩んでいた事も災いした。


 店内に居た感染者の一体が休眠状態では無く、しかも道路側を見つめていた。その視界の中央に三人の人影が映った。


 けたたましい叫び声と共に、狂乱しながら店内から感染者が出て来た。マリンとミカエラは勿論、満でさえ思考が一瞬、途絶えた。


「なっ」


 反射的にショットガンを構え、すぐさま思い直した。マリンに抱きつこうとした感染者の前に立ちはだかり、伸縮式の銃床を渾身の力で顔面に叩き付けた。脳を潰す事は出来ないが、幾らかのダメージにはなったのか、よろけた。怯んだ感染者の胸倉を押し倒して地面に組み伏せ、今度は上から銃床で二、三度頭部を打ち付けた。今度は二度目で頭部が破裂し、赤黒い脳漿が路面を濡らした。だがそれは三人の選択肢を決定づける事でもあった。


 感染者の雄叫びが連鎖し、次々と建物内から感染者が動き出した。


「走れ!」


 最早隠密にする意味は無い。満は二人がフェンスに向かう背後に付いた。全ての感染者が走る訳で無い事がせめてもの救いだった。足の速い敵から順に狙って足を撃った。転んだ感染者が障害物となり、続く感染者が転倒した。


 だが、全てがそう上手く行く訳ではない。すり抜けた感染者は続々と、それも更に数を増して現れて来た。


「鍵を開ける!ミカエラ、援護を!」


 マリンが鍵を取り落としそうになりながら鍵穴に差しこみ、錠を解除した。満が撃ち漏らした感染者がマリンとミカエラに向かってくる。それをミカエラが拳銃で撃った。


「満、危ない!」


 満の背後から掴みかかった感染者が満の体勢を崩した。押された満の前には別の感染者が迫り、前後を挟まれた形となった。


 マリンもミカエラも最悪の光景を目に浮かべた。




 直後、獣の咆哮が轟いた。同時に二体の感染者が突き離され、片方は路面に倒れ込んだ。その咆哮が満の物だと二人が気付いたのは大分後だった。


「逃げろ!」


 満は二人の背を押し、フェンス内に逃げ込んだ。そのまま疲弊した様子でフェンス内の感染者を蹴り倒し、反対側へと走った。


 フェンスはまたも感染者の大群を防いでくれていた。が、今度こそ倒壊するのではないかと思う程に押され、金網が感染者の重みで歪んでいた。


「い、行きましょう!」


 我に帰ったミカエラがマリンと共に反対側のフェンスを開けた。外の感染者はまばらだった。


「家まで駆け足で!」


 満が最後尾を守ったまま、マリンが先頭を走った。時折振り返ると、フェンスが今にも崩れそうに軋みを上げている。それが持ちこたえる事を心から祈り、走り続けた。


 体の節々が痛くなり、マリンとミカエラはとうとうその場で足を止め、膝に手を付いて地面に向かって荒い呼吸を繰り返した。


 満は息を切らせかけながらも周囲に警戒し、気配が無い事を確認してから二人に休むよう促した。


「じきに家だが、少し息を整えよう。もう焦る必要も無いだろう」


 もう一キロと無い距離に家が見えていた。それを見た三人は、今度こそ安堵した。各々が手近な物を椅子代わりにして休む。満は壁から崩れ落ちた赤レンガを二つ、並べて敷いた。


「何だかあなた達と一緒になってから、今まで以上にスリリングになった気がするわ」


 廃車のボンネットに腰掛け、息を整わせたミカエラが悪戯っぽく満とマリンを見た。


「気のせいよ、生き残っている連中は皆同じ思いをしているわ・・・多分」


 マリンはコーラ瓶のケースから腰を上げ、その場で足のストレッチをしながら答えた。そんな二人のやりとりを眺めながら満は朝食で残していたドライフルーツを齧った。


 この二人はまるで姉妹だ、と思っていた。容姿も似ているが、やはり同年代の女性同士だけあって、気が合っている。ミカエラがこのチームに加わってから、この共同体にはより良い雰囲気が生まれた。男である自分と二人きりより、歳の近い少女が居た方がマリンも気が楽だろう。


 全員の息が整った頃、今度は寒さが肌に染みた。激しく動き回った後でかいた汗が、今度は冷やされてきたのだ。


 


 日は昼を過ぎようとしているが、それでも気温が低めのようだった。もう冬になろうとしているのだろう。他の二人も寒さを感じたのか、空を見上げて両腕を抱くように擦った。


「寒い・・・」


 マリンが微かに唇を震わせながら呟いた。


「同感だ、そろそろ家に戻ろうか」


 他の二人も頷き、腰を上げた。


―冬の間も、この二人を暖かい風呂に充分に入らせてやりたいが―


 衛生を考えると、当然入浴は必要になる。だが、冬に冷水で入浴、というのは厳しい。かといって、燃料は豊富ではない。むしろ、残りは少ない。


 それか、寒冷と無縁の地に行くか。そう単純に解決できる事でも無いし、それはそれで別の問題も生まれるのだろうが。


「あ・・・ねぇ、これ」


 マリンが立ち止り、通りに面した建物を見て満達を呼び止めた。マリンの見つめる物を満とミカエラも覗きこんだ。


 その建物は州営の事務所で、路地に面した所にプロパンガスが設置されていた。


「家まで近いな。こんな所にあったとは」


「持って帰れる?」


「転がして行くのは厳しそうだ。台車のような物があれば・・・」


「この場所を覚えておいて、また来ましょうか。これが使えれば冬の間も少しは暖かいお風呂に入れそう」


「そうしよう。さ、風邪を引く前に今日は戻ろう」


「気を付けて、感染者!あっち!」


 路地の奥から覚束ない足取りでこちらに向かってくる老婆の感染者。距離は三十メートル程で、暗がりからその姿を現した。相当の年月を経て、その頭部は殆ど原型を留めていなかった。代わりに不気味な菌類が僅かな髪の間から生えていた。


「・・・行こう。構っていると他の者が寄ってくる」


 感染者一人一人が無惨な死のカタログのようだった。自分達も、一度でも噛まれれば同じようになるのかと思うと、憂鬱だった。未だに、この嫌な気分に慣れる事はできない。それは満の後に続く二人も同じ様子だった。


 家に向かって駆け足で進む一行の前に、落ち葉が一つ舞い落ちて来た。紅葉した葉が満の肩に張り付いた。




 玄関の鍵を開け、三人は家の中に入った。満は帰宅早々、大荷物をリビングの中央に置いて閉めたカーテンの隙間から外を窺い、家中の窓から同じように警戒して回った。マリンとミカエラは荷物の整理と、昼食の用意に取り掛かった。まだ昼食を取っていなかったが、昼を過ぎ、午後も半ばに迫っていたので、缶詰めなど軽い物にする事にした。


「お昼を取る暇も無かったものね」


「満はさっき、ドライフルーツの残りを食べていたみたいだけど」


「ああ見えて甘い物が好きなのよ。何でも食べるけど」


「そうなの?まぁ、私も好きだけど」


「私もよ。寝袋を出してくれる?満の寝具を用意しないと」


「汗をかいたからとしても、急に寒くなったわね・・・もしかしたら今夜くらいから降るんじゃない?」


「まだ降雪の時期まで先よ?早すぎる」


「世界規模で人間が居なくなって、環境が激変したんだ。多少の天変地異があったとしてもおかしくない。雪が早く降ったり、とか」


 見回りを終えた満が両手に吐息を吐きかけ、二人の会話に割り込んだ。


「本当に降るかもな。今日、寝袋を取って来て大正解だ。さもなければ俺は今夜、冷凍食品になっていたかも」


「かもね。暖房が無いから、本当は三人で寄り添って寝た方が良いのかもしれないけど」


「それがいい。全員裸で、できれば俺を真ん中に」


「絶対ダメ。いい寝袋があるでしょ?」


「おお、これは確かに暖かそうだ」


 満には最も上等な寝袋と、厚い毛布を二枚、渡された。


「君達と寝るのに比べれば劣るが、遠慮なく使わせて貰うよ」


「冗談無しで、それでも本当に寒かったら言ってね。我慢だけはしないで」


「心配しなくても、そのつもりだ」


「講義するまでも無い事だけど、たかが風邪でも今じゃ命にも関わるわ。寝る時、寒くて寝付き難いような事があったら、今後は相談し合って暖を取る方法を考えましょう」


「そうとなればさっきのガス、雪が降る前に何とか運び込みたいものだな。あれさえあれば・・・」


「そうね・・・今夜は降らない事を祈りましょう。もし降ったら、その時は雪の量を見て検討しましょう」


「賛成。それに、いくら力持ちの満がいても、流石に台車が無ければ運べない」


 考えがまとまった所でミカエラが昼食の缶詰を全員に配った。肉の缶詰が一缶ずつだが、夕食が近いのだからそれで充分だった。缶詰を開け、三人で食事を取りながら市内の地図を広げた。




「大事な寝具は手に入ったが、冬を快適に過ごすにはまだ盤石とは言えないな」


 その一角に、マリンがペンで三重に円をなぞった。


「ここにホームセンターがある。業務用の台車や防寒具も、上手くいけばここで全部揃えられるわ。運が良ければ燃料も手に入るかも」


「第二、第三候補は?雪が降ったら今までのように夜を適当な建物で過ごすのも困難になるわ」


 ミカエラはそのホームセンター近辺にある店舗、建物を吟味した。


「この貸し倉庫なんて良い物があるかも。店舗と違って明確な必需品を求めにくいから略奪者の狙いから外れやすそうだし、持ち主もわざわざ取りに来ていない事が多くて、倉庫だから四季の用品が揃っている可能性が高いと思う。万一の時には泊まれるかも」


「良いな。そこを第二候補にしよう。ただ、倉庫を手当たり次第に調べていると、必需品を探すのに時間を割きそうだな」


「最初に管理人室に入って貸出人のリストをチェックすれば、ある程度目星がつくかも」


「それがいいな。几帳面な倉庫なら収納物までリストしているかもしれない」


大まかな計画が決まり、満達は入念な移動ルートを練り上げた。降雪時は日照時間が短くなるため、目的地は二つまでに絞られた。ホームセンターと貸し倉庫。その二つに絞り、もし収穫が無くても潔く諦めて日中に帰宅する事を厳守し、原則的に夜営はしないと取り決めた。


「何より怖いのは、これからの時期になると餌不足で腹を空かせた熊がやってくる事だな」


 気の立った野生動物と遭遇するのは、感染者や人間と戦うよりも恐ろしい。特に大型の熊は、銃弾すら貫通し難く、また、命中してもすぐには止まらずに反撃してくる事もある。実際、満は鹿に角で突かれかけた事がある。草食動物でさえ、時には人間や猛獣を殺すという恐ろしさを味わった。


「せめて、薪で暖を取りたいけど、ね・・・」


「狼煙を上げる訳には行かないからな。残念だが」


 冬は誰もが物資不足に陥る時期だ。もしも薪ストーブを見つけたとしても、それを使って暖を取る事は自殺行為だ。煙が見つかれば、飢えた略奪者に全てを奪われるのは目に見えている。


 今後の計画を練っている内、辺りが暗くなってきたのが分かった。計画も周到に決めた所で、満は小会議を切り上げた。


「よし、後は決行あるのみだ。天候さえ恵まれれば明日にでも実行に移そう」


「夕飯にはちょっと早いかしら?」





ミカエラの言う通り、日が暮れただけで、まだ時間は早い。遅い昼食のお蔭で空腹でも無い。


「でも他にやる事と言ったら・・・薪も充分足りているし」


 薪も煙が出てしまう為、火を起こす度に家の外に出て近くの店舗跡で最小限の火を焚くので、それ程消費していない。満もいくらか集めて来たが、それ以前にマリンが集めて来た分が十分残っていたので、事足りていた。


「そんな事もあるかと思って、病院でこれを見つけて来た」


 満は自分のバックパックに向かい、中から長方形の箱を取り出した。


「誰かの置き土産だろう。ボードゲームだ」


「ありがとう、いい暇つぶしになりそう」


「それか、簡単な格闘術を教えようか?万一の時に役立つかもしれない」


 ミカエラとマリンは暫くお互いに見合っていたが、意を決して頷いた。格闘術に限らず、生き残れる確率が少しでも上がるのなら、どんな知識やスキルでも貪欲に習得しなければならない。


「ゲームは夜ね。夕食前に格闘術よ。早速教えて」


「とは言え、アクション映画のような格闘術じゃないぞ」


 満は夕食までの間、二人に自分の習った簡易な護身術と趣味で見真似した合気道崩れの格闘術、それにナイフの使い方を少々、二人に練習させた。


 夕食を終え、二人は部屋へ戻り、満はリビングでランタンの明かりの中、就寝の準備に取り掛かった。カーペットの上に寝袋を二つ重ねて敷き、下を敷布団代わりにして、上の寝袋に毛布に包まりながら入り込んだ。


 最高の寝心地とは行かないが、安眠はできそうだった。何より、落下して頭を打つ心配も無いのが良かった。


「おお、寒い・・・」


 暫くは寝袋の中で寒さに震えるが、次第に温められ、眠気が強くなる頃には快適な暖かさに包まれる。寝袋から手を少しでも外に出せば、そこには氷のように冷たい銃が横たわっている。だが、室内の空気はその銃よりも更に冷たくなっていた。


 やがて、屋根を叩く雨のような音が予感を裏付けた。


「降ったか・・・」


 故郷での、雪を思い出す。秋の終わりを告げるように降る、あの雪を。


 起きているならばマリンとミカエラもこの音を聞いているだろう。満は凍える肩口を毛布と寝袋で出来る限り覆い隠し、目を閉じた。考える事は幾らでもあるが、それを嘆いた所でどうなる訳でもない。どうせ、明日からはこの寝袋と家以外、極寒と死の世界で生き抜いていかなければならないのだから。




 吐く吐息が真っ白に立ち上って消えていく。両手に提げた薬缶からも白い湯気が忙しげに上っている。ドアの前で肩と頭に積もる雪を払い、周囲を見回す。自分の足跡だけが往復分、くっきりと残っていた。致命的な痕跡だが、こればかりは自然の成す事で、どうにもできない。山林の中など、煩雑に入り組んだ場所なら足跡を消す事もできるが、雪原や都市部の開けた場所にできてしまった足跡は、消すだけ労力の無駄だ。


 その代わり、他者の足跡も鮮明に残る。近付く外敵があれば察知しやすくなるだろう。もっとも、他者の足跡を家の付近で見かける時には手遅れなのだろうが。少なくとも、今日は無い。


 家の中に入ると、暖房も焚いていないのに天国のように暖かく感じる。眼鏡も曇る。これが満の手痛いハンディキャップだった。いざという時には命取りになる。


「お湯を持って来たぞ」


 背に掛けたショットガンにまで残っていた雪を、少しだけ開けたドアの隙間で払い出し、今度こそドアを閉めて鍵を掛けた。


「ありがとう、寒かったでしょう?」


 ミカエラもマリンも厚手の防寒コートやジャケットを身に付け、寒さを凌いでいた。


 外の雪は三日で足首の高さまで積もった。雪は二日目に一旦止んだが、三日目の今朝になってまた降り出した。


「ああ、凍りそうだ。ペットボトルをくれ」


 湯が入った薬缶の一つをマリンに渡し、ミカエラからペットボトルを三本、受け取り、それらに湯を注いでいく。容器が熱で変形しないよう、湯は適温にしてある。


「よし、出来たぞ」


 湯の入ったペットボトルを一本ずつ、全員に配った。


「ああ、暖かい。よくこんな物思い付いたわね」


「俺は雪国育ちでな。湯たんぽという素晴らしい暖房具の代わりだ」


「ゆ・・・ユタンポ?」


 二人はすっかりこの湯たんぽもどきが気に入ったようで、肌身離さず持っていた。しかしながら当然、湯たんぽ程の保温性は無く、数時間で冷えて水に戻ってしまう。朝と夜の合わせて二回、外で湯を沸かして運んでくるのであった。湯を運ぶ役目は危険な為、満が自分の仕事として独占していた。


「ああ、さすがだ。暖かい。でも人間、一度でも暖かい思いをすると、また寒い思いをするのが尚更辛くなるんだよなぁ」




「このくらいだったら何とか凌げそうだけどね。ただ、雪が長引くようならやっぱり燃料があった方がいいかもしれない」


「そうだろうな。朝から晴れる日があったら、その日に決行しよう」


 マリンは満から受け取ったケトルの湯でコーヒーを淹れ、全員に配った。残りは調理の為に使う。


「それじゃ、温めてくるわ」


「ああ、頼んだ」


 キッチンへ向かうマリンを見送り、満は冷え切った手を湯たんぽで温めた。手袋は必需品だ。だが、今使っている物も傷み始めていた。


 服や靴さえ消耗品だ。感染者を全て駆逐し、かつての世界を取り戻さなければ、本当に原始時代へと逆戻りするのでは無いかと常々思う。




―今にモヒカン頭でピアスだらけ、ヘビーメタル風の格好をした略奪者が、奇声を上げながら現れるかもな―




 そんな連中の事だ、きっと、乗り回す車には悪趣味な頭蓋骨や無駄に尖らせた鉄パイプや槍を刺して飾るのだろう、などと勝手な想像を膨らませた。実際、この国の人々にはその手の趣向がありがちだ。


「ねぇ、満」


 対面のテーブルに座っていたミカエラが怪訝そうに満を見ながら声を掛けて来た。


「何をにやけているの?」


「なに、つまらない事を想像していた。日本の超有名格闘漫画に出てくる・・・いや、君らのセクシーな水着姿もいいが」


「水着とか、考えただけでも寒くなるわ」


 ミカエラは辟易した顔で毛布を抱き込んだ。


「それは南国に行くか、夏になってから妄想するよ」


「私はいいけど、マリンが怒っても知らないわよ?」


「ああ、家を追い出されたくないからな。この話は無かった事にしよう」


「聞こえているわよ、おバカさん。でも追い出すのは朝食を食べてからにしてあげる。感謝なさい」


 


 朝食を終えた満は狩猟に出かけた。普段通り、クロスボウを手に、拳銃は万一のバックアップ用に携帯していく。


 川の他に狩り場として獲物が来やすいのは公園だった。ささやかな木の実や植物を目当てに鹿がやってくる。最初に訪れた川に獲物が居なかったので、満は公園に向かった。公園は川から北東に向かった先、市街地の中心部にあった。周囲にはオフィスビルが並んでいる。その中にある公園は今では人ではなく、動物達の餌場となっていた。


 そして、自分にとっての狩場でもある。


 目を忙しなく動かして獲物を探しつつ、別の物も探す。それは物資の気配であり、感染者の気配であり、人間の気配。




 動く物であれば、その痕跡は雪に残される。雪に残された痕跡は決して消えない。雪に残した痕跡を消すのは、野戦訓練を受けた特殊部隊員でも一苦労する。だが少なくとも今日まで、雪の上にそれらの痕跡はない。鹿や熊の足跡も見ていないが、鳥や兎の足跡だけはある。


 兎を狙っても構わないのだが、ミカエラが満の与えた兎のぬいぐるみを喜んでいたり、衣服も兎を模したキャラクターがデザインされている物を好んでいるので、なるべく探さないよう努めた。兎は農作物の敵でもあるので、満としては彼女の事が無ければ積極的に狩るつもりでいた。しかし実際、兎ほど小さな的に矢を命中させるのは困難そうであったし、外せば矢を回収できなくなる恐れがある為、狙わない方が何かと賢明だと判断した。


 結局、他の生物に一切遭遇する事無く公園に辿り着いた。荒れた入口を潜り、池のある中心部まで進んでみるが、ここにも生物の気配は感じられなかった。


―今日も収穫無しか―


 雪の積もったベンチを見つけ、積もった雪を払い落して新聞紙を敷き、その上に腰掛ける。体にはカモフラージュシートを被っておく。周りは雪景色、しかもベンチの上で森林迷彩では人間の眼はごまかせないが、動物の眼をごまかす事が目的なので、問題無い。


 そのまま、しばらく周囲の気配に気を尖らせて待つ。


 風の音。


 雪の落ちる音。 


擦れ合う葉の音。


 遠くから聞こえる鳥のさえずり。


 自分の呼吸。


 まともな生物の気配など一向に近付いてこない。太陽は雲で覆われて見えないが、まだ昼にはならない筈だ。弁当を開けるにも早すぎるので、もうしばらくここで獲物を待つ事にした。目の前の池を見て、夏になったらあの二人に水着を見つけてやってここで遊ばせたら、と不埒な想像を膨らませて寒さをごまかす。


 満が前のグループに所属していた頃から愛用している防寒具は正常に機能しており、小雪が降る中でも何も感じない。暖かくも無いが、肌寒さもない。正に適温だ。少しでも気を抜くと眠くなる。




 うっかり目を閉じてしまわないよう気を付けながら、周囲に気を配り続ける。


 一時間、二時間と時間が経って行く。時計は無いが、日の高さからして正午を過ぎたかどうかだろう。冬は日が短いので、時間の感覚も幾らか鈍っていた。


 そのままバックパックを引き寄せ、中に入っている弁当を取り出して昼食にしようとした時、異変に気付いた。


 視界の端に、何か動く物があった。弁当をバックパックに戻し、音を立てないように背負った。クロスボウを下に向けて足を掛け、矢を番えて弦を引く。最後に出るクリック音が気になったが、相手は気付かずに移動を続けている。影は公園の雪化粧した茂みの中を満の前を横切るようにして進んでいく。茂みから覗いた顔は鹿だった。内心で快哉を上げながらも鹿の行動を慎重に観察する。クロスボウの矢先をゆっくりと持ち上げ、まだ茂みに隠れている鹿の胴体を予測して狙う。ベンチに座っていたお陰で、下半身分の振れは無い。銃座に着いたような安定感を得られた。


 鹿は自分の命が狙われているとも知らず、円らな瞳に映るドングリの木に向かって歩き、その根元に辿り着くと、雪に埋もれているドングリの実や草を探して口で掘り出した。


 愛らしかった。こんな世界で無ければ、奪う必要の無い命だっただろう。


 一呼吸置き、その胴体に狙いを定め、安全装置を外した。


 一思いに頭部を撃ってやりたかったが、矢を傷めるリスクと、難易度を勘案して胴体を選んだ。地獄のような痛みに苦しむだろうが、止むを得ない。矢も限りがあるし、逃したくはない。


 引き金を引く。独特の衝撃音と共に鹿が小さな悲鳴を上げて逃げ出す。しかし長くは走れず、追走する満の前で横向きに倒れた。


 未だに猟は慣れない。目の前で哀れに苦しむ獲物を見て、とても嬉しい気分にはなれない。快哉を叫ぶのは獲物を見つけた時だけだ。今は何とも苦々しく、罪悪さえ覚える重苦しい気分だった。


 恐らくこれはどんなハンターでも一度は味わい、克服するものだろう。そしてその苦しみと克服は命の重みを受け止められるかどうか、ではないかと思う。


 愛護と不殺を説くのは容易い。誰にでもできる。


 愉悦に入るだけに殺すのも容易い。それは下衆のする事だ。


 だが、生きる為に殺し、その罪と苦しみに向き合う事は痛痒を伴う。それを知る者が本当のハンターだと思う。・・・自分がそうだと正当化したい訳ではないが。




 鹿に近づき、腰から大型ナイフを抜く。虫の息で、苦しげに満を見上げる鹿。どう止めを刺してやればいいかも分からず、その脳天に渾身の力でナイフを突き立てる。


 鹿の四肢が弱弱しくもがき、やがて動かなくなった。


「悪く思うなよ」


 鹿の死を見届けると、すぐに首と胸元を切り裂いて血を抜き、その後ナイフやグローブに付いた血を雪に吸わせ、運び出す作業に取りかかった。鹿の体にパラコードを巻き付けて結わえていく。体重は80キロ程度で、比較的若い鹿だった。


「丸ごと持っていけるな」 


 鹿に結わえたロープを掴み、それを引きずる。雪が抵抗になるせいか、重量以上に重く感じる。だが、この鹿の肉を蓄えにすれば、食料にさらに余裕ができる。問題は肉の加工だが、どうせスーパーにある製品のようには行かない。試行錯誤しながら加工するしかない。


 自分の後に鹿を引きずった跡と、流れ出る血が鮮やかな線を引いていた。これほど自分の存在を暴露してしまう痕跡も無いだろう。帰り際も周囲に人間の痕跡が無いか探りつつ移動する。


 幸いにも、何者かがこの近辺を徘徊した痕跡は無かった。雪も止み、上空には晴れ間も見えて来た。実に幸先が良い。鹿を運びながら、このまま明日まで晴れてくれないだろうかと期待した。


家まであと五百メートルの交差点にまで辿り着いた。その途端、ストリートに微かに響いている異音に気付いた。鹿を手放し、交差点の曲がり角にまで接近し、身を隠しながら様子を窺った。


 曲がり角から百メートル先の歩道で、公衆電話に何度もぶつかっている感染者が居た。片道では居なかったので、どこかの建物から出て来たか、遠くから彷徨ってきたのだろうと推測できた。


 離れた距離とはいえ、感染者の前を鹿を引きずって通りたくは無い。それに、家に近付かれるのも面倒の元だ。


 腰からナイフを抜き、感染者に向かって歩く。五十メートル程の距離にまで近付いた時、感染者が満に気付き、ふらつきながら近付いてきた。


 その胴体に前蹴りを入れて突き倒し、組み伏せながらナイフを頭部に突き立てた。


 始末を終え、早足で鹿の元に戻った。血の匂いに連れられて感染者が鹿を狙ってやってくるかもしれない。苦労して得た大切な獲物を横取りされる訳には行かない。


 再び鹿を引きずり、家へと向かった。




 家に到着すると、まずミカエラとマリンに声を掛け、一階のガレージの鍵を受け取る。それから手に入れた鹿を家のガレージ内に運び込んだ。シートを敷いた上に鹿を横たえる。二階から二人が下りてきて、仕留めた鹿を見て感嘆の声を上げた。ミカエラから受け取ったエプロンを掛ける。


「すごいじゃない!もう捕まえるなんて!」


「ああ、これだけあれば当分はたんぱく質に困らない。大事に、有難く頂こう」


 だが、ここからは未知の作業である。前のグループでの満の仕事は獲物を仕留めてくるだけで、その後の加工は知識を持つ者が行っていた。


感染者に使ったナイフは間違って使わないよう洗って消毒した上で片付け、別に所持していた作業用の鋭利なナイフで鹿の皮をたどたどしく剥いでいく。不慣れな為、何度か毛皮を切り抜いてしまった。皮は毛皮として使えそうなので、表皮に着いている血脂を落とし、皮を水に浸けて汚れを落としておいた。


 肉の表面に着いている皮脂を落とし、肉を適当に切り分けてみる。マリンとミカエラは流石に見続ける事ができず、二階へと戻って行った。


 肉を切り分けるのに一時間ほど掛かった。燻製にする作業に取り掛かりたかったが、辺りは暗くなってきたので諦めた。夜に焚く火は煙こそ隠してくれるが、火は一段分かりやすくなる。それに、夏に比べて活動が鈍っているとはいえ、暗くなると感染者が徘徊するのは冬でも変わらない。


切り分けた肉をそのままにしておき、今日の作業を終えた。日が落ちてくると同時に寒さも身に沁みてくる。風が無いとは言え、コンクリート造りのガレージも相当寒い。消毒を終えた大型ナイフを取ってケースに戻し、作業用のナイフは軽く洗ってよく拭き、乾かしておく。


それから早足で二階へと戻った。


 二階へと戻ると、決して暖かくは無いが、ガレージよりは遥かにマシだった。だが、もう一仕事ある。湯を沸かして来ると言う大事な仕事が残っていた。


「マリン、薬缶をくれるか?湯を沸かして来る」


 呼んでもマリンは返事をしなかった。寝ているのかと思いながらキッチンへと向かう途中、ミカエラがリビングから出て来た。満から預かっているショットガンをしっかりと肩に掛けていた。


「あの、マリンならさっき、お湯を沸かしに行ったんだけど」


「マリンが?何故?」


「満は忙しいからって・・・三十分くらい前に」


「心配だな。ミカエラ、留守番を頼むぞ」


 


 ミカエラの返事も待たず、満は玄関口に向かった。扉を開けるが、マリンが戻る様子はない。いくら女の足でも行き帰りで十分も掛からない距離の筈だ。湯を沸かすのにも十分あれば済む筈だ。些か遅すぎる。


 日は直接見えないものの、辺りの暗さが日暮れの時間を知らせていた。


 いつも通っている道を走り抜け、火を焚くコンビニ跡へと向かう。


 金属音が聞こえた。膨れ上がる嫌な予感を押し退け、音のした方角へと疾走する。やがて、見慣れた店舗が見えて来た。店舗に近付くと走るのを止め、忍び足で近付いた。


 気配がある。何事も無ければその気配の主はマリンだろう。だが、その気配は無防備に店内をうろついていた。棚にぶつかったのか、再び物音が響く。


 先程の音といい、マリンならこんな失態を何度も犯さない筈だ。とすれば、考えられるのは略奪者か感染者。不用意に音を立てている所からして後者だろう。マリンの安否を確認する為、ナイフを抜いて更に近付く。ガラスの無くなった窓枠を盾にして内部を覗きこむと、カウンターの前で苛立たしげに唸る感染者が居た。やや大柄で、まだ筋肉が多く残った感染者だった。この手の感染者に組み付かれると、体術に覚えのある者でも大きな危険を伴う。痛覚を失い、食欲の権化と化した怪物だ。関節技や絞め技も効果的ではなく、圧倒的な重量と凶暴性に押し切られ、投げ飛ばす事も出来ずに噛みつかれる危険もある。


 その時、カウンターの裏からコートの端が出ているのに気付いた。窓枠の外を移動し、その裏側が見える角度から覗いた。


 マリンが居た。怪我をした様子も無く、満は一旦安堵した。が、状況は危険なままだ。大男はマリンの隠れるカウンター近くから離れない。恐らく、店内でマリンを視認したのだろう。そしてマリンは突然の襲撃から逃げ切れず、その場に隠れる事しかできなかった。


 感染者の思考力は極めて低いが、単純な思考であるが故に厄介な時もある。今がそうだ。獲物を逃がした際、その獲物を最後に視認した場所に留まり続ける傾向がある。新たに獲物を見つけない限り、そこに留まるだろう。そうなればマリンが見つかり、襲われるのは時間の問題だ。見つかれば、銃を持たないマリンでは間違いなく殺されてしまう。


 


 自分が囮になるという手は最初に考え付いた。だが、既に何度も音を立てている以上、この近辺に感染者が集まりつつある可能性が否定できない。実際、今日は既に一体始末している。ここで目立つ行動を取れば、他の感染者の相手もしなければならなくなる可能性があり、それは銃の使用が必須になる危険がある。家の近くでの発砲は極力避けたい。


 拳銃はあるが、慌てていてクロスボウを家に置いて来てしまったのは失敗だった。ならば、この大男と直接格闘するしかない。だが、この大男との格闘戦は命懸けだ。仕掛けるタイミングを失すれば自分かマリンのどちらかが確実に犠牲になる。


 洗ったばかりの大型ナイフを抜く。マリンは鉈を所持している。いざという時には自衛できる筈だ。満が音を立てずに窓枠を乗り越えようとした時、マリンが満の存在に気付いて安堵の表情を見せた。満も「任せろ」と頷いて安心させつつ、大男の背後から忍び寄った。


 迂闊だった。


 マリンと大男に気を取られ過ぎていた。足元に転がるガラス片を踏んだ満に、大男が向き直った。予想以上に早い動きだった。距離は三メートル程。最悪の距離だった。致命的な状況にも関わらず、振り返った感染者の顔を見た満は思わず噴き出した。崩れかけながらも獰猛な表情をした凶悪な顔に、汚れた歯をむき出しにして吠える男の頭頂部から生えた菌が、ちょうど、”丁髷”のような形になり、不意討ちのギャグと絶望的な今の状況のギャップが可笑しかった。だが、笑いはすぐに恐怖へと変わる。


 感染者が、怒声にも似た咆哮を上げながら突進してきた。


 反射的にナイフを逆手に構え、前蹴りで感染者を牽制するが、その蹴りに怯む事無く感染者は満に組み付いた。満の腕力でも接近を防ぐのが精一杯という力で、その場で満に馬乗りになって覆い被さろうとする大男。満はナイフを握っていたが、下手に相手の手を払って、その手で引っ掻かれようものなら感染しかねない。疲れを知らない感染者は徐々に満の手を押し下げて行き、その首筋に噛みつこうと大口を開けて迫った。


 カウンターの裏からマリンが身を出し、鉈を構えて男に近付いた。そして鉈を振り上げ、斜めから首を切り落とそうと振り下ろした。


 野太い首に半分ほどまで切り込んだ鉈。だが、両断は出来なかった。感染者がマリンに気付き、振り返る。




 感染者に味の嗜好が存在するかどうかは知らない。が、その時点で感染者は捉えていた満を放棄し、マリンに狙いを定めた。満から起き上がり、後じさるマリンに向き直り、飛び掛かった。


「させるかッ、この丁髷もどきめ!」 


満は渾身の力で感染者の顎と額を絞めて押さえつけ、マリンを噛ませないようにした。動きが止まった隙に首に深々と刺さった鉈を抜き、その鉈の刃を噛ませた。


「マリン、こいつは俺が抑える!その鉈を押し込め!」


 マリンは自分の肩を掴まれながらもその手を放し、満に言われた通り鉈を更に押し込んでいった。鉈が口を引き裂き、喉奥の辺りまで行った所で満がマリンの手に自分の手を重ねた。


 そのまま一気に引き裂いた。重量のある首が二人の間を転がった。


「口と眼を閉じろ!血を入れるな!」


 それはマリンも知っていたので既に固く閉じていた。それ程強烈に飛び散らなかったものの、一滴でも眼や口に入れば感染してしまう。


 生首が床を転がり、重量のある身体を満がゆっくりと床に降ろした。


「満ぅ・・・」


 安心し、脱力したマリンがその場にへたり込んだ。その肩を満が支えて起き上らせる。


「お礼なら後でいいぞ。ローンを組んでもいい」


「白馬の王子様に見えたけど、一瞬で変わったわ」


「悲しいが、それが現実だ」


 冗談を言い合いながらも再び湯を沸かしに掛かった。


「お湯が湧いてきた頃に現れて、すぐに見つかったわ。物凄い早さで、隠れる事しかできなかった」


 床に転がった死体を睨みながらマリンがその時の状況を語った。満は窓枠の陰から外の様子を見張りながら頷いた。


「手強い略奪者は勿論だが、感染者も足音をあまり立てない奴がいる。裸足だとか」


「来てくれなければ危なかったわ」


「だから、湯を沸かすのは俺の仕事にしていたんだ」


「忙しそうだったから・・・」


 ふてくされそうに呟くマリンに向き直る。


「分かっているさ。・・・ありがとう」




 中々帰らない二人を心配し、ミカエラもショットガンを強く握り締め、心許ない思いで窓辺を行き来していた。辺りは暗くなり始め、今後の行動決定も迫られた。


 探しに行くか。


 ここで待ち続けるか。


 満とマリンは非常に頼もしい存在である。生存していく上で二人の存在は大きなアドバンテージとなる事は間違いない。


 だが、メリット・デメリット以前に二人は心から大事に思える仲間だった。見ず知らずの自分を同じ屋根の下に迎え、必要な物全てを分けてくれた。


 その二人が危険な状況にあるかも知れない。なのに、自分だけ生き残っても仕方ない、と思った。


 意を決し、家の鍵を持ち、ドアノブに手を伸ばした。


 不意にドアの向こう側に気配を感じ、ミカエラは手を止めてドアに向けてショットガンを構えた。しかし、向こうから聞こえて来た声は満の物だった。


「豚の上で寝るミケネコ」


 その奇妙な言葉は、満が提案した合言葉だった。まず、この国の人は発音しない。ミカエラは安心し、扉を開けた。


「待たせたな」


 満とマリンが戻ってきた。マリンはコートに返り血を浴びていたが、どちらにも怪我は無い。


「良かったぁ、探しに行こうと思った所よ」


「行き違いにならなくて良かった。感染者に襲われたけど、この通り無事よ」


「湯も持ってきた。取りあえず暖まろう」




 三人は夕食を終え、リビングで毛布に包まりながらソファに座って寛いでいた。満は週に一度は必ず行う定期的な各種銃器のメンテナンスを行っているが、それが彼なりのリラックスタイムらしい。実際、ライフルやショットガンを手に取るその顔はどこか幸せそうだ。


 もっとも、湯たんぽが無ければリラックスと言えるほど快適な環境では無い。寒さで手足が凍りそうだし、背筋は肌寒い。ミカエラもマリンも、毛布に包まった中では湯の入ったペットボトルをバスタオルで包んで抱きしめていた。それでもこうして一つの部屋に複数の人間がいれば、その体温で空間がいくらかは温まる。


「そう言えばミカエラ、貴女はお医者さんみたいにある程度の治療まで出来ると言っていたけど、どうしてそんな事ができるの?」




「診療や手術の補助をしながら観察している内に、自然と覚えて来たのよ。殆どの看護師もそうだろうけど。勿論、世界がまともだった頃にはそんな事はできなかったけど、病院に立て篭もって患者を診ている時には、見様見真似で簡単な手術はしたわ。その後は慣れね」


「この世界じゃ医者ほど貴重な存在は無いだろうな。俺達は本当に恵まれている」


「でも、もしこれから先、苦しんでいる人を見かけたら・・・ミカエラ、貴女はどうする?」


 ミカエラがマリンを見返した。返す言葉に詰まったように口を微かに開け、それから意を決したように唇を閉じた。


「二人には迷惑になるかもしれないけど、私は助けを求められたら、やはり応えてあげたい。満やマリンがそうしているように」


「そう言われれば、止める事も出来ないわね」


「俺の場合は下心あっての物でもあるが」


 二人からの冷たい視線に気付き、慌てて言葉を付け足す。


「そ・・・それでも、人の為という心を持ち続けるのは素晴らしい。応援したい」


「それにしても、何で急に感染者が増えたのかしら。家の近くではあまり見なかったのに」


 コーヒーを傾けるマリンに、部品にメンテナンススプレーを吹きかけた満が答えた。


「推測だが、奴らも生きた人間にありつけなくなって、動物を追ってここまで来たのかも」


「じゃあ、これからもっと感染者が来るかも知れないって事?」


 ミカエラが不安を顕に満を見た。


「あくまで推測に過ぎない。それに、いくらなんでも毎日毎日大勢来るとも思えない。ただ、今までより頻度は高まる可能性はあるから、警戒するに越したことは無い。だから、外へ水を汲みに行ったり湯を沸かしたり、家から離れる作業は基本、俺に一任してほしい」


 満ばかりに危険を負わせる取り決めに、二人は暫く黙って反対を意思表示した。だが、自分達が役割を担っても、今日のように却って危険を増幅させてしまいかねない事は明白だった。幸か不幸か、満は二人と違い、一定のサバイバル知識を持ち、戦闘と隠密のプロだった。危険な仕事に最適任なのだ。


 暫くの沈黙の後、ミカエラと頷き合ったマリンが口を開く。


「分かった。悪いけど、冬の間に限って満に任せるわ」


「ありがとう。それで俺も安心して仕事に集中できる」


「それじゃ、会議が終わった所で・・・始めましょうか」 


 


 ミカエラがカードをテーブルの上に並べ、マリンが自分の分を取った。満も整備が終わった銃を片づけ、自分の持ち札を確認した。


 一日の終わりに何か娯楽が欲しいと、全員で決めたゲームだった。


「俺は病院で見つけたこれを」


 カウンターに置かれていた、大粒のキャンディーをテーブルの中央に置き、自信ありげにソファに座った。


「いいわね。じゃ、私はこれ」


 マリンは高級そうな時計をポケットから取り出し、飴玉の横に置いた。


「いいのか?誰かの形見だったりしたら寝覚めが悪いぞ」


「大丈夫、お店で物色した物だから」


「私はこれ」


 ミカエラはソファの足元に置いていた自分のバックパックから、カラカラと音のする小瓶を取り出した。満もマリンもそれを興味深そうに覗いた。


「それは・・・薬か?」


「いいえ、ただのサプリメント。各種ビタミンが入っている錠剤」


「今日は初めから中々豪華だな。始めよう」


 賭ける物があった方が盛り上がるから、という理由だけで、実際にはどんなつまらない物でも賭け金になる。賭ける物が無ければ普通に遊んでも良いのだ。そして実際、一日の終わりに行うゲームは、全員の楽しみになっているようだった。何せ、こんなくだらないゲームでも無ければ、食べ物と物資と、先行きの見えない暗い話しか話題がないのだから。


普段は負けが続く満も、今日に限って持ち札に恵まれて勝利することができた。


「オールイン・・・悪いね、御婦人方」


 その日の勝者の手元に、景品が並んだ。


「まぁ、たまには我が家で働き者の庭師さんに勝たせてあげないとね」


「ご光栄に預かるとしよう。鹿の事と良い、幸先がいい」


「良かったわね。所で、燻製の方はどうするの?」


「明日、天気を見ながら決めるが、家の近くにあるドラム缶を使って試してみよう。俺は燻製の経験が無いが・・・誰かやった事は?」


 マリンもミカエラも首を振った。


「お祖母ちゃんの家で手伝った事はあったけど、とてもじゃないけど経験なんて言える物じゃないわ。携帯ばかり見てたのは失敗だった。こんな事になるって知っていたらよく見ていたんだけどね」


「仕方ないさ。試行錯誤でやってみるしかない」


「とにかく、保存さえ出来れば味はどうにでもなるんじゃない?調味料だけはどこの店でも残っているし」




その通り、調味料は食料や粉ミルクのように注視され難く、お蔭でどこの店でも多少は残っている。ただ、同じ事を考える者も多いのか、塩や胡椒類は品薄だった。ミカエラは料理も得意なので、味付けの方も期待できる。


 明日の予定と役割も決めて解散し、それぞれの寝床に戻った。顔を出し、雪の明かりで僅かに見える室内に息を吐き掛ける。吐きかけた息が凍りつくような寒さに部屋中が張り詰めている。


 贅沢を言えば、暖炉があれば完璧だった。そうすればいくらでも暖が取れたし、湯も好きな時に沸かせる。こうしてリビングで寝ても快適だった筈だ。


 しかし、満に宛がわれた寝具が上等品なので、それほど寒くも無い。湯たんぽもあればもう怖い物なしで夜を過ごせる。現に布団の中でまどろむ満は程良い暖かさに包まれ、心地良い眠りに落ちようとしていた。


 その安眠を、遠くから聞こえて来た遠吠えが台無しにした。否が応にも目は醒めてしまう。恐らく、寝室で寝ているマリンやミカエラも目を覚ました事だろう。


 だが、近所で無い以上、わざわざ冬の夜に声の主を始末しに行くつもりは無い。これが家の近くだったならすぐにでも射殺し、明日の朝に矢を回収するのだが。更に聞こえてくる雄叫びを防ごうと、毛布を深く被って目を閉じる。


 一晩中眠れないかと心配したのも束の間、疲労もあるお蔭ですぐに眠れた。結局、この世界では順応性が大事だ。




 三週間が過ぎた。雪は気まぐれに降っていた。大雪かと思えば突然笑顔のような晴天を覗かせ、暖かな陽気に大喜びで寝具や洗濯物を干そうとするマリンとミカエラを、再び雪を降らせて泣かせた。


「去年より凄い雪だわ。降り続ける期間も長くなったように感じる」


「天候が読み難くなってきているな。この天気は気まぐれというより、精神不安定という表現が似合う」


「燻製を終えて置いて良かったね」


 ミカエラとチェスで駒を取り合う満も、頬杖をついて横殴りに窓に叩きつけられる雪を眺めた。その窓にマリンが再びカーテンを閉める。温度維持の為だ。


 物干しのスペースである部屋の一部には、女物が多めの洗濯物が干され、品の無い飾り付けの様になっていた。最初こそ目のやり場に困ったが、もう見慣れてしまった。外の気温は氷点下で何度だろう。吹雪の音を聞くだけで考えるのも嫌になる。


朝の湯沸かしの際は、まるで氷漬けの地獄に放り込まれたような冷え込みだった。




 だが、吹雪の時はまだ良い。雪国育ちである満の経験上、こうして風が吹き荒れている時よりも、風の無い時が一番怖い。普段から荒れている人間よりも、寡黙な人間が沸点に達した時のそれと同じように、雪や風の無い、無音の冷え込みこそが極寒の寒さだと思っている。


「この調子じゃ、中々身動きができないな。明日から、晴れを待たずに多少の雪だったらホームセンターに行ってみないか?」


「多少の雪って?」


「取りあえず、今ほどの悪天候で無ければ」


 マリンは少し考えたが、事実、このままの装備では本当の寒波が来た時、全員が耐え抜けるか確信が持てない。アウトブレイク前でさえ、この国を襲った寒波で死者を出しているのだ。暖房の無いこの環境では更に過酷な物となるだろう。満の提案は危険も伴うが、必要な判断だと思えた。


「私も賛成ね。ミカエラはどう?」


「気は進まないけど、私も賛成。正直、今でさえ寝る時に寒いのに、これで寒波なんて来たら、冗談抜きで三人一緒に寝るか、部屋の中でも何か燃やさなきゃ厳しいと思う」


「俺は前者なら大歓迎だ。もちろん俺が中・・・」


 ミカエラが満のクイーンを盤上から弾き落とした。


「石油ストーブは近くの民家にあったが、肝心な石油が無いからな・・・」


 満は盤上を見下ろしたまま、渋い表情で唸った。


「決まったわね。詳しい事はまた、夜に打ち合わせをしましょう」


「了解。降参だ、ミカエラ」


「意外と満って、クールな戦術家に見えてゲームでは猪突猛進よね。可愛い過ぎるくらい考えがバレバレ」


 ミカエラから辛辣な評価を受けて肩を落とす満を見て、マリンも頷いた。


 昼から夕食までの間、ほとんど体を動かす機会の無いミカエラとマリンにとって、満から教えられる格闘訓練は大事な運動の一つだった。雪が降ってからはほぼ毎日、午前と午後に一時間半ずつ行っており、日課となりつつあった。


 その他に、アウトブレイク前から元々行っていたヨガやエクササイズも多少は継続している為、体力においては三人とも不安は無かった。


 ただ、満が生まれつき持っていた喘息は小さな不安だった。しかも幼少の頃、病気に掛かり易い体質だったという事もミカエラの気掛かりになっていた。一応、肺炎や喘息に対処する医薬品もあるのだが、薬自体も五年前の物だし、専門の医者がいないこの世界で油断はできない。




 夕食を済ませ、三人でリビングに集まる。


「それじゃ、ホームセンターへの物資調達について始めるわ」


 所々傷みが目立ち始めた地図を広げ、マリンが会議を進行させた。


「明日の天候次第で決行するわ。決行かどうかの判断は満がして」


「現時点では多少の雨天決行、って所だな」


「目的地はここから二キロ離れたホームセンター。もしも目当ての台車や防寒品が手に入らなかったら、第二候補としてこの貸し倉庫を探索しましょう。単純な内容だし、距離も短いから安心してしまいそうだけど・・・土地勘は皆無だし、言うまでも無く雪がある状況下だと他の季節とは勝手が違う。感染者も最近になって増えてきている。皆、十分注意して。それと、帰宅時間厳守で行動しましょう」


「分かったわ」


「あとは決行あるのみだな」


 その日はゲームをしなかった。代わりに全員で成功を祈って酒を交わし、早めに眠って体力を温存した。


 満達が眠りに落ちる頃、吹き荒れる風音も収まってきていた。




 極寒の世界と言うには大袈裟だろう。しかし、スキー用のウェアが欲しくなる程の冷え込みだった。各自が防寒具を付けているにも関わらず、それでも歯の根が合わなくなる冷気に満ちた街を、三人で一塊りになりながら進んだ。


 敵は寒気だけでは無い。


 寒さで集中力が薄れそうになるのを、気を引き締め直して警戒する。いつ、感染者や略奪者の襲撃に遭うかも知れない。いつでも応戦できるよう、小まめに手足を動かして体を温めておく。特に銃を持つ指が凍え、咄嗟の応戦に引き金を引けない事や、逆に暴発が無いよう注意する。


 雪国育ちの満だが、満の場合、手足の先が特に弱かった。今はフリース地の手袋を着用しているが、これでは寒風を防ぎきれず、銃を構えながら進む満の手は震えていた。後ろに続くミカエラとマリンも辛そうだ。


「二人とも、大丈夫か?」


 そう声を掛ける自分も決して平気では無い。フリースのネックウォーマーをしていても顔が痛いような寒さだ。願わくばバラクラバとウォッカ、ついでに極地に向くAK小銃が欲しい。


「寒いけど何とか大丈夫」


「見えて来た。もう少しの辛抱だ」


 白く凍りついた視界の先に、赤い屋根が見えて来た。遠くから見れば小屋のようにも見えるデザインが印象的だった。




 建物に入れば風が無い分、寒さもマシになるだろう。走ってでも早く辿り着きたい所だが、そうも行かなくなった。


「待った・・・感染者だ」


 吹雪の中、上半身に殆ど衣服を纏っていない半裸の感染者が、寒さも感じさせない動きで歩いていた。ただ、エネルギーを消耗しているのか、夏場程の活力は感じられない。距離は二十メートル程。満達が雪を踏みしめる音に感づいたのか、立ち止って落ち着きなく辺りを見回し始めた。満は舌打ちを漏らした。


「・・・面倒だな」


 寒い。一刻も早く建物に辿り着きたい。


「気付かれないようやり過ごそう。路地をもう一つ分離れて進めばさすがに気付かれないだろう」


「わ、分かった」


 早速、感染者から距離を取って移動した。時刻は九時頃だろうか。それほど明るくもないせいか、街のあちらこちらに感染者の気配を感じる。周囲の建物の中にも寒風を避けて潜んでいるのだろうか。


 寒いからと言って無闇に建物内に入り込めば、そのまま巣の餌にされてしまいかねない。


 ならば、ホームセンター内はどうなっているのだろうか。感染者が少ない事を祈るしか無い。それ以上に今は思考も冴えない。


 漸くの思いでそのホームセンターの駐車場まで辿り着いた。駐車されたままの車が至る所に並んでおり、その殆どは窓ガラスを割られたり、ガソリンを抜き取られていた。


「燃料は期待できないな」


「車は?」


「五年以上も野ざらしで放置されているんだ。今頃、エンジン始動をどうにかしたとしても、そもそもバッテリーが上がっているだろう」


「そんな物、あっても必ず誰かが持って行くわね」


「直す事は?」


 車と車の間をすり抜けながら、ホームセンターへの侵入口を探した。


「俺にそんな技術は無いが、専門家と使える設備があれば或いは、な」


「何にせよ、車を足にする事は期待できない訳ね」


「そう言う事だ。気を付けろ、車の影になっていて見えないが、何かいるようだ」


 全員が声を潜めた。満が地を這うかのような低姿勢で相手の位置を確認しつつ進んだ。見るまでも無く感染者だ。車の影で大人しく蹲っている。


「やけに元気が無いわね」




「感覚が無いとは言え、食料も無くこの寒さだ。活動力が低下するのは確かなようだ。その分・・・見つかったら死に物狂いで喰らい付いて来るだろうな」


「満、マリン、あそこから入れそう」


 ミカエラが指し示す先に、割れた窓ガラスが見えた。


「よし、気を付けて行こう。感染者だけでは無いかもしれない」


 満が先行し、窓枠に手を掛けた。ガラスは綺麗に取り除かれた後で、生存者が侵入した後である事は容易に想像できる。問題は、それが既に用を終えて出て行ったか、まだ中にいるか、である。後者で無い事を祈りつつ、中の様子を覗いた。


 男子トイレだった。十ある便器の内、四つが欠けていた。年数は経過しているが、それほど汚れもない。


「大丈夫だ、入って良いぞ」


 窓枠を飛び越え、個室を確認するが、誰も居ない。ひとまず安堵した。それに、中に入っただけで暖かく感じた。続く二人をエスコートし、全員がトイレ内に侵入した。


「ふぅ・・・一息つきたいけど、ここじゃ落ち着かないわね」


「出よう。この辺は気配を感じない。でも音は立てないように」


 ショットガンを手に進む満に続き二人も男子トイレを出た。通路を移動すると広いホールがあり、その奥に売り場が見えた。


「ホームセンターって言っても、一階がそうで、二階は複合店舗だったからね。カフェと食品、ガンショップだったかしら」


「ガンショップ?」


 一瞬、満の眼が輝いた。


「まず諦めて良いわ、こんな風になったら誰でもここに来るもの。だから今までここには近付かなかったんだけど、今更来る人間は限られているでしょうから」


「要するに、残り物セールって訳か」


「そう言う事よ。一階から始めましょう」


「手分けしよう。レディはペアでごゆっくりお買い物をどうぞ」


「久しぶりに女子の買い物を楽しませてもらうわ」


 満と別れ、二人は売り場の一角を探索した。二人とも拳銃を片手に、常に周囲に気を配りながら進んだ。売り場の少し離れた場所から、満の気配もする。ただしそれが満だと分かるのは、彼がここにいると知っているからであり、それを知らなければ察知できない程、満は気配を消して行動していた。これが略奪者、敵だったなら、と思うと恐ろしい。




 満が天性のハンターとして資質を持っているであろう事は、二人も薄々察知している。恐らく狩りの対象が動物でも感染者でも、人間でも・・・その能力は存分に発揮される事だろう。


「見て、色々な電池がある」


「適当に持って行きましょう。後で満が仕分けて、不足があれば自分で取りに来てくれるわ」


「アウトドアコーナーはあっちね。満が行くだろうから、私達は反対の家具コーナーに行ってみましょう」


 棚が迷路の壁のように並び、その中を進んで行く。ミカエラが左側を、マリンが右側を警戒・探索しながら進む。満が居ると思われるアウトドア用品コーナーからは離れた。小声で呼びかけても声が届かない程の距離だった。


「あっちには鋸とか金槌、大工用品ね」


「窓に板でも張る?」


「でも、可愛くないし暗くなるから嫌」


「じゃあ、ペンキで可愛く・・・」


「デコレーションする?」


 緊張が解け、隙が生まれたその一瞬後。


 すぐ近くで棚が崩れる音に二人は背筋を凍らせた。


「満ッ?」


 それが満の立てた物音だったらどれだけ良いか。しかし満は離れた場所にいる。


「感染者!」


 既に感染者は二人の会話を聞きつけ、棚を崩しながら迫っていた。ミカエラが拳銃を構える前に、マリンが先に撃った。


 轟音。更に続く轟音と銃火。静寂そのものだったその場に、本来の賑やかさが戻ったかのようだった。


 その騒ぎは当然、テント用品を漁っていた満にも聞こえた。大きな物音の後、九ミリの銃声が立て続けに二回鳴り響き、その後に別の銃声が続いた。考えるまでも無く、マリンとミカエラだ。


 ショットガンを構え、迷路のような売り場を進んで銃声のした場所を目指す。しかし辿り着いた所には感染者の死体だけで、二人の姿は無かった。


「マリン?ミカエラ?」


 小声で二人を呼んで見るが、返事は無い。悪態を吐きながら二人の痕跡を探そうとするが、その視線が不吉な物を捉えた。


 感染者の倒れている場所から点々と続く真っ赤な血の後。血の量は大して多くないが、感染者の物では無い。色も異なる上、それは感染者が棚を倒して襲ってきた場所とは別方向に向かって続いていた。


「そんな、まさか・・・」


 得体の知れない焦燥感に駆られ、満は血の後を追った。


「満、こっち」




 声に気付き、辺りを見回してみると階段の下に隠れたマリンが満を手招いていた。


「おい、この血は・・・」


「ミカエラが怪我をしたの」


「嘘だろ、そんな・・・」


「落ちついて」


 マリンの影で体を休めるミカエラが苦笑した。


「ただの刺し傷よ。工具棚の留め具か釘が刺さっただけ。一応、感染症が怖いから消毒と止血は自分でしておくけど」


「噛まれたかと思ったぞ・・・」


 満は安堵しつつ、周囲に散らばっている木材を集め始めた。


「これだけの銃声が響いたんだ、聞こえる範囲の感染者は向かってきている筈だが・・・幸いにもまだその様子は無い。取りあえず念の為、上に移動しよう。マリン、ミカエラを頼む」


「わかった」


 マリンがミカエラに肩を貸して階段を上る間、満は上の階の安全を一通り確認してきた。敵が居ない事を確認し終え、その場で木材に火を付けて焚火を起こした。


「少し休もう。どうせ昼に近い」


「そうね、痛いし、少し疲れた」


 カフェのテーブルやソファに腰掛け、皆が体を温めた。満は階段を見下ろせる席に座り、下の様子を見張りながら休んだ。床の塗料が熱され、少し嫌な匂いがしたが、暖かければどうでもいい事だった。


 暖まり始めた所で、ミカエラは自分のバックパックの外側に取りつけた着脱式のポーチから、愛用している白地に赤十字のマークが描かれた救急キットを取り出した。ビニール製のポーチで、その中にメンバーが負傷した際に特に必要な医薬品が入っている。バックパックには更に止血帯や包帯、添え木、消毒薬や洗浄水、更には簡易な外科手術が可能な器具と医薬品が最低限入っている。その為、ミカエラは常に一定の重量を負担しており、物資を多く回収する事は出来ないが、万一の際の命の保証として彼女の医療器具は欠かせない。


『緊急キットか・・・定番のアイテムだな』


 キットを開き、手慣れた様子で自分の手当をするミカエラを見ながら、満は自分の収穫物をテーブルの上に置いた。


「所で、下では何か収穫が?」


「いいえ、まだ何も・・・電池くらいしか」


「おお、ドットサイトに使える物がある。これはいい」


「あとはライトに使える物もね。まだ色々残っているわ」


「いや、これだけあれば十分だろう。これ以上は重さも出てくる」


 電池類をバックパックに詰め、満は再び腰を下ろした。




「俺の方はテントを三つ。あとはカーペットくらいしか見つけていないが、運ぶべきかどうか迷っている」


「家の物で充分だと思うわ。かさばるし、いらないかな」


「まだ台車を見つけていなかったな」


「もうしばらく様子を見る?」


 そのミカエラの提案にマリンが首を振った。


「そうしたいし、その方が安全だけど、ここであまり時間を使っていられないわ。下で物音がしなければすぐに戻って再開した方がよさそうね」


「ああ、冬はすぐに日が暮れる。ここは広い分寒くなるだろう。最悪、火を焚けば何とかなるかも知れないが・・・それに、天候がまた荒れないとも限らない」


 猛吹雪にでもなれば、明るくても方向が分からなくなる。ましてや暗闇の中でライトを頼りに進んでも、無事に帰れるとは思えない。


「取りあえず、昼食を取ってから取りかかりましょ。何にする?」


 マリンがバックパックを降ろし、詰めていた缶詰やクラッカーをテーブルの上に広げた。皆でそれを囲み、昼食を取る。その他に非常時に備えた缶詰めを三つ余計に入れてある。


 昼食を食べ終え、満を先頭に三人で再び下へと戻った。


 先行する満が踊り場の影から一階のフロアを覗いている。その後ろで二人が指示を待つ。


「どんな感じ?」


「ああ、問題無い。降りてきて大丈夫だ。でも念の為、なるべく音は立てない様に行こう」


「オーケー」


 下のフロアから見える限り、新たに感染者が動き回った様子は無い。


「あの一体だけで済んだのか?もしそうだとしたら運が良いな」


「慎重にね。ミカエラ、腕の具合はどう?」


「ちゃんと手当もしたし、痛み止めを飲んだから大丈夫」 


「無理をするなよ。辛かったら物陰から見張りをしてくれればいい」


「平気よ、ありがとう」


 感染者に襲われた売り場の方へと、壁伝いに進む。物音はしないが、外で吹き荒れる風が建物にぶつかって響いてくる。


 静寂を取り戻した売り場の中へと足を踏み入れた。満が手近にあったレンチを拾い上げ、放り投げた。弧を描きながら落下したレンチが、甲高い悲鳴を上げたが、反応は一切無い。


「大丈夫そうだな」


 続いて台車のありそうな場所を探す。満が勘を頼りに進もうとした所でマリンが案内板を見つけ、それを全員で確認した。


「大型資材か、家具売り場なら、売り物の台車は無くても店で使っていた物があるんじゃない?」


「そうだな、行ってみよう」




 資材置き場に向かうと、材木が所狭しと陳列されている。幅が三メートルほどの通路を進み、目当ての台車を探す。


「台車を狙う輩はそう多く無いと思うが」


 箱入りの釘を一つ摘んだままのカートを押し退け、通路の左右に目をやりながら探索する。やがて、左側を見ていたミカエラが声を上げた。


「ね、あれじゃない?」


「正解ね」


 喜々としてその台車を取り囲み、状態を確認した。


「大きさも丁度よさそうだ。ロープでも貰って行けばあのガス缶を運んで行けるだろう。タイヤも問題ない」


「これで、必要な物は揃ったわね」


 満は工具コーナーで手に入れた長柄の斧や釘、金槌などの工具を台車に積みこんた。


「ああ、もう十分だ。早い所帰ろう」


「じゃ、計画通り隊形変更ね」


 満が台車を運び、その台車に全ての荷物を積み込む。輸送係の満を中心として挟むように前をミカエラ、後ろをマリンが守って移動を開始した。満のショットガンはマリンに預けた。


「予定より早く済んだわね。これなら余裕で家に帰れるわ」


 資材売り場から外へと続くシャッターに近付き、マリンが軽い足取りでシャッターの隣の通用口に向かった。


「待っていて、今開ける」


「何も居ないとは思うが気を付けろ」


「了解」


 内鍵を開け、扉を開けた。小さな雪が風と共に吹き込んで来る。雪は可愛らしい小雪だ。


しかし、外の駐車場に出た一同は固まった。


「何てこと・・・」


「参ったな」


 雪はそれ程積もっていない。時間もまだ昼を過ぎたばかりだろう。


 ただ、帰り道の先に掛かる雲はどす黒く、猛吹雪が近付いているのが分かった。鉢合わせればホワイトアウトになる事は間違いない。町中で、建物の壁を伝って進んでも、全員がこの街の全ての地利を記憶している訳ではない。迷う可能性は大いにある。


「ど、どうする?突っ切るの?」


「いや・・・街中で迷って夜にでもなったら絶対に命は無い」


「じゃあ、ここで泊るの?」


「それもどうかな・・・貸し倉庫・・・そうだ、貸し倉庫が近いって言っていたな?」


「ええ、確かここからすぐの場所ね。ここへ来た道から少し逸れた場所にあるわ」


「貸し倉庫の中なら暖を取れるだろう。運が良ければ管理人用の個室もあるかも。それに、物資調達もできて一石二鳥だ。感染者の巣窟、という事もないだろう」


「他に方法はなさそうね・・・」




 泊まるだけなら、居住性が保証されている民家に逃げ込む手もある。だが、民家の中は大抵、感染者の巣となっている。獲物にあり付けず凶暴化している感染者が待ち受ける巣に逃げ込む事はなるべく避けたい。


「でも、貸し倉庫だって倉庫の集まりで広いでしょう?もしかしたら感染者が・・・」


「いや、危ないのは感染発生時に人が大勢いた場所、発生後に多くの人が集中した場所だ。貸し倉庫に来る人間は多くない筈だ」


「急がないと、時間が無くなるわね・・・オーケー、急ぎましょう」


「満、雪の中でも押せる?」


「何とかな・・・ただ、これはかなりキツイ」


 雪の中で台車を押して進むが、想定よりも過酷だった。路面に積もった雪が台車のタイヤに抵抗し、まるで正面から押し返されて妨害されているかのようだった。


「私達の荷物くらいは自分で持つわ」


「いや、この状態だと俺は殆ど応戦できない。二人には少しでも身軽になってもらって、俺を守ってもらわなければならない。それに、貸し倉庫までの辛抱だ」


「分かった。しっかり守るから安心して運んで」


「頼もしい女騎士たちだ。任せた」


 風が強まってきた。小粒の雪が一斉に顔を叩いてくる。風に当たった顔が凍りつきそうだったが、いつ襲われるとも知れない所で顔を下げる訳には行かない。


 まだ明るいと言うのに、視界は悪くなる一方だ。まるで小麦粉を振り撒かれたかのように白く霞んだ視界の中で、薄らと輪郭を保つ建物を目印に進むしかない。道路標識や地名が書かれた看板も雪を被り、見えなくなっていた。マリンが手近な看板に近付き、その根元を蹴った。雪が落ち、地名が何とか判別できるようになる。


「合ってる!このまま進んで」


「了解した!」


 呑気な亀のような速度を必死の形相で台車を押す満に合わせ、一行は進んだ。脇に延びる細い路地にもミカエラとマリンが注意し、銃口を忙しなく動かして回る。




 だが、そうして手を前に突き出している二人の指先も、吹き付ける風雪で凍りかけていた。同じく指を凍りつかせながら台車を押す満の耳に、風に混じって何か聞こえた気がした。


 それは風の唸り声にも、生物の声にも思えた。


「くそ・・・気のせいか?」


「私にも何か聞こえた・・・」


 前を歩くミカエラも、後ろを歩くマリンも顔を見合わせた。


「急ごう」


 それしかない。この状況下での戦闘は余りに不利だ。感染者は活動こそ鈍っているが、猛吹雪となりつつあるこの雪の中でも獲物さえ見つければ寒さも気にせず襲ってくる。対してこちらは、既に指先も神経も鈍りつつあり、応戦するだけで多大な疲労を強いられる。顔に吹き付ける猛吹雪も戦闘の大きな阻害になる。


「あそこ!」


 ミカエラが大声で声を掛けた。大声で無ければお互いに意思疎通も出来ない状態だった。この吹雪で感染者も音は聞こえ辛くなっているだろう。そう願った。


「あったな!もう少しだ!」


 吹雪に紛れ、道の向こうに何かが見えた。最初はゴミ箱か何かかと思ったが、道の真ん中に立っている筈はない。しかも、動いていた。


「チッ!」


 既にこちらを視認し、足早に向かってきていた。或いはこの吹雪の中でも、獲物の声は聞き分けられるとでも言うのか。だとしたら、今更ながら恐るべき聴力である。


「私が撃つ!」


 ミカエラが拳銃を手に立ちはだかった。マリンは背後や両脇、周囲に警戒した。満はミカエラの後に続いて台車を押し続ける。が、万が一の為に腰の拳銃は常に意識しておく。


 ミカエラが発砲した。感染者が大きな悲鳴を上げるが、まだ仕留めた様子は無い。


 二発目の発砲で感染者の短い悲鳴が上がった。それはすぐに途切れたので、急所を撃ち抜いたのだと分かった。


「前からまた来た!」


「後ろと横は居ないわ!」


 二匹目の感染者が雪を蹴飛ばしながら迫ってくる。ミカエラが再び銃を構えようとするが、今度はマリンが前に出た。




「今度は私が!ミカエラ、周りを見ていて!満は進み続けて!」


「頼むぞ!」


 十メートル程の距離にまで引きつけ、マリンがショットガンを撃った。見事に首の付け根から上の頭部を破壊していた。


「痛っ」


 反動に顔をしかめつつ、マリンは次の敵が来ないか見張った。貸し倉庫の前まで辿り着き、台車を路肩に止めて置いた。


「寒い・・・一気に寒くなってきたわ」


「中へ入りたいけど・・・やっぱり鍵が掛かってるわね」


「よし、任せてくれ」


 ホームセンターで手に入れて来た長柄の斧を使い、ドアの鍵を力づくで叩き壊して行く。重労働の後ではあったが、殆ど感覚の無くなった腕でも何十回か打ち付けて壊すことができた。


「待たせたな、いいぞ」


「鍵が掛かっているって事は、誰も来ていないのね」


 台車の中から必要な荷物だけ取り出し、足早に中へと入る。


「そうだな。運が良い。とにかく、奥へ行ってここを塞げる物を探してくる。このままじゃ安心できないからな。そっちは二人でマスターキーを探してきてくれるか?」


「オーケー、気を付けてね」


「そっちもな」


 満はカウンターの裏にあった棚を持ち運び、鍵を壊してしまった扉に立て掛けて用心棒代わりにした。それだけでは心許ないので、台車から持ってきた金槌と釘で更に工夫しようと考え始めた。


 ミカエラとマリンはカウンターの周りを探し、鍵を探した。やがて、カウンターの引き出しから鍵を見つけ、それを手に取った。


「これかな?一つだけ特別そうにしてあった」


「貸出人の帳簿はあるけど、さすがに、預かっている物は大まかにしか記録されていないね・・・雑貨類とか、家具類とか」


「手探りで行くしかないわね」


 出入り口を仮封鎖した満が道具を置き、二人に向き直った。


「こっちは終わった。取りあえず試してみよう」


 早速、三人で奥へと進んだ。誰もが震え、凍えた息を吐き出していた。疲労も大きい。


「ストーブでもあれば・・・ああ、あっても燃料が要るんだった」


 ミカエラが自問自答して肩を落とす。


「せめてタオルと毛布があれば良いんだが・・・これだけの荷物を預かっているんだから、何かしらありそうだが・・・」


 長い通路の両脇に、無機質な扉が幾つも並んでいる。その、日本では見慣れなかった光景に満は奇妙な感覚を覚えていた。




『何だか、不気味に見えるな』


「開いたわ。この鍵でいいみたいね」


「時間も余っている。虱潰しに探して行こう。まずはタオルが欲しいな」


 倉庫の中にはキャスターに積まれた段ボールや骨董品、家具などが雑多に置かれていた。その山全てを崩していては埒が明かないので、適当に目星を付けて探って見る。


「手分けして行こう。ミカエラは鍵で開けて行ってくれ。俺とマリンが別々に調べる」


「分かったわ」


 段ボールにナイフを突き立て、引き裂く。隙間に手を入れて乱暴に開くと、中からCDの束が落ちて散らばった。それには目もくれず、手近な家具の引き出しを無造作に開けて行く。その内の一つからフェイスタオルを見つけ、それをバックパックのポケットに突っ込む。部屋を出るとマリンとミカエラがそれぞれ仕事をこなしていた。マリンは別の部屋で何枚かのシーツを手に入れ、小脇に抱えていた。ミカエラは新たに部屋の扉を開け、また次の部屋の扉の鍵を開けに向かった。今、ミカエラが開けた部屋の中に入って中を調べた。


 その部屋にはアジア旅行の土産と思しき品が並んでいた。奇妙な仮面、壷、日本の掛け軸まであった。


 そこに描かれた漢字を見て、故郷が恋しくなる。漢字を見るのはいつ以来だろうか。この国では漢字のタトゥーが流行っていた事もあり、ごく稀に見かける事もあった。


 感傷に浸る中、部屋の一角に見逃す事の出来ない物が鎮座していた。


「これは・・・まさか」


 心躍りながらそれに近付く。タンスの上に置かれた刀掛に、大小二本の日本刀が飾られていた。


「大当たりだな」


 口元を歪ませながら大刀の方を掴み、柄に手を掛けた。


「懐かしい・・・堪らん」


 煌びやかな装飾の鞘に手を掛ける。剣道時代にはこの手の武具に触れる機会が多かった。それ以来だろうか?後は旅行で触った模造刀くらいでしか無かったが。


 とにかく、自分は多少なりともこの武器を扱える。あまりにもド定番だが、感染者相手には最強と言ってもいい武器だ。


 だが、鞘から抜き払おうとした途端、違和感に気付いた。


「これは・・・」


 模造刀だった。買った事があるので、鞘から抜く際の感覚で察した。刃の無い模造刀では何の戦力にもならない。せいぜい、略奪者に遭遇した時のこけおどし程度だろう。それでも邪魔な飾りになる。




「大外れだな」


 落胆しながら刀を元の位置に戻した。そう毎回、都合よく武器が手に入る程甘く無い。


 その後も次々と倉庫の中を漁り続け、毛布やシーツ・寝袋など、寝具は整った。タオルも手に入ったので、全員で体を乾かしながら休憩を挟み、全ての倉庫を調べ尽くす事にした。


古めかしい石油ストーブも見つけたが、当然、燃料は置いていなかった。


「もう大分暗くなってきたわね」


「一通り、倉庫は見て回ったからな。あとはこの五部屋だけで、後は空の倉庫だ」


 その内の一つに満が入った。ミカエラは全倉庫の鍵を開け終え、捜索に加わった。


「家具ばかり。何も無し」


「こっちもだ」


「こっちも。あと二部屋ね」


 二手に分かれて倉庫の中を物色した。やはり貸し倉庫に置かれるのは古くなった家具などが多く、その次にアルバムや思い出の品だった。満の入った最後の倉庫も、そうした家具や家電、小物などが置かれていた。やはり、目ぼしい物は無い。


「こっちは無し。そっちは?」


「運がいいわね、非常食とか道具が入った持ち出し袋があった」


「普通、それは家に置いておく物だがな」


「ロッカーの中に一緒になって入っていたから、忘れていたのね。お陰で助かるわ。有難く頂きましょ」


「今夜の夕食だな。よし、ベッドやソファがあったから、ここで寝よう」


「寒いから全員一緒の部屋で寝た方がいいわね」


「満は床で悪いわね」


「勿論だ。それは良いが、まずは飯にしよう。持ち出し袋を開けてみてくれ」


 ミカエラがリュックサックを逆さにして中身を出した。ライト、予備電池、クラッカーが四袋、栄養バーが三本入っていた。


「丁度いいな」


「一食分しか持っていなかったからね。明日の朝抜きを覚悟していたけど、助かったわ」


「明日もどうなるか分からないものね」


「もっと大きな貸し倉庫だと自販機とかも置いてあるんだけど・・・残念ながらここには無いみたいね」


「まぁ、毛布と服、ランタンが手に入った。これで家に帰れば冬を乗り切れる」


 必要な物は揃った。冬の用意だけでなく、春になってからここを出て隣の州へ行く為の用意も整えた。後は無事に家に帰るだけだ。




「ワイン見つけたけど、飲む?」


「頂くわ」


「俺も」


 見つけたカップやグラスに注ぎ、乾杯した。


「今日も生き延びたな」


「ええ、こんなに忙しいのは久しぶり」


 マリンはコップを一気に傾け、ミカエラはもう頬を赤らめていた。ほろ酔いの様子で自らの上着を脱ぎ、腕に巻いた包帯を解いて新しい物に交換しはじめた。


「大丈夫か?」


「ええ、もう血は止まっているし、感染症の心配も無いわ。ありがとう」


「感染者に襲われた時に怪我をしていたのには、本当に肝を冷やしたぞ」


「本当に紛らわしかったわね。突き飛ばされた所に金具があったから」


「とにかく無事でよかったよ・・・マリンもな」


 わざと膨れて見せたマリンにも笑いかける。そう、二人とも大事な存在だ。絶対に失えない。


 だが、そんな大事なものこそ、この世界では失い易い。過去に出会った人々も今は居ない。皆死んでいった。これまでに守り切ることができた命など無い。


 目の前にいる二人も、やはり自分の目の前で死んでいってしまうのだろうか。それを思うと心苦しくて堪らなかった。守ることより、その責任を放棄して逃げる事の方が遥かに楽だ。愛しい人に会えなくなるとしても、その最期をただ見るよりは。


 守り切ればいいだけの話だ。過去もそう決意し、死力を尽くして守ろうとした。だが、どうやっても最後には誰も守れなかった。逃げ場も無くなってきた。そんな自分に、或いはこの世界に嫌気が差してきた時、マリンに出会った。行くあても無く、死期を待っていた満にとって、彼女を守ることが最期のチャンスであり、使命だと思った。今にして見れば、あの時マリンに出会わなければ自分は生きていなかっただろう。力や技術だけで生き続けられるほど自分は強くない。


 この二人を守り抜き、それが叶わなかった時を自分の最期の時にする。そう決めていた。


 そんな満の悲壮な決意を知る由も無い二人は・・・段ボールから取り出したパーティー用のモンスターマスク・・・憤怒の形相のゴリラと下卑た笑みを浮かべるゴブリンのマスクを被って遊び始めた。


「・・・中々お似合いだぞ」


 二人から同時に肘打ちを喰らい、満は大袈裟に倒れた。

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