第二話 ストレスフル兄ちゃん
(えーっとこれはどういう事かな?)
目の前のソファにはコリンと一人の若い男性――ソニアと同い年か一・二歳上だろうか――が座り、その向かいにソニアが座っていた。
目の前の男性は、フワリと優しげな微笑みを浮かべている。ただその微笑みは何だか必要以上に歩み寄る事を拒むかのような壁を感じる。
決して視線を合わせる事はない。
ソニアは視線を男性からコリンへと動かした。
コリンと目が合う。
「兄ちゃんを助けてあげて欲しいんです」
とコリンは可愛らしい顔で真剣な表情をして言う。
(うん。何か頼まれる雰囲気はあった。でも私まだコリンに魔術見せてもいないし、何を私に頼もうとしているのかしら。不思議)
テッドの森から村に帰るコリンに護衛代わりついて行くと、彼の家族に必要以上に饗された。
彼は村長の息子だったのだ。末の息子で一つ上の子どもとは十歳は離れた子どもだったようで大層可愛がられていた。
(うん。そこまではまだいい)
夕ご飯をコリンの自宅で頂いて、お礼を言って帰る予定だった。にも関わらずこの状況は、と思い戸惑っていると
「本当にすみません。コリンには大丈夫だからって何度も言ったんですけど、聞かなくて」
兄ちゃんと呼ばれた男性はポリポリと頬を掻きながら腰を低くして謝り話し始めた。
ここでやっと彼と視線が合う。
「お、私はラウルと言います。実は……」
と言っておずおずと彼は話し始めた。
ラウルはこの村の住人ではない。所謂冒険者だったらしいが、一年程前この村に来てからは住み心地の良さに暫く腰を落ち着けていた。
なので、兄ちゃんと呼ばれているがコリンの兄ではない。
そのラウルはこのところ睡眠不足で悩んでいた。最近村近く、村の南東側にある洞窟に住みついた魔獣のせいだ。
その魔獣はかなり五月蝿いらしく、夜もまともに眠る事が出来ないと言う。ラウルのその目元には薄らとクマが見える。
今のところラウルにそれ以外の直接的な害はないが、近隣の住民からも苦情が相次いでいてコリンの父である村長も対応に追われているらしい。
ちなみにコリンの家は村の中でも魔獣の棲家とは反対、西側にあり、その被害には家族一人も合っていない。
そんな中、ラウルの睡眠不足がピークに達した。
ラウルは特異体質なのだそうだ。
この世界の人間は魔力を持って生まれてくる者が多い。普通、魔力は身体全体を巡り、魔術を詠唱し、意識を集中する事で手のひら等から放出する事が出来る。
しかしラウルの魔力は身体全体を巡らない。ひたすら左手に集まりそこから放出出来ない。その為左手は常に高温で物に触れられないと言う。
左手には焚き火用のグローブを裏返しにして着けている。
ソニアがそうっとその左手に触れると火傷するほどではないがかなりの熱さがグローブの上からじんわりと伝わってくる。
ラウルのこの特異体質が睡眠不足によって悪化していた。イライラが募り、グローブをしていても外に手の熱さが伝わってしまう。人に触れて火傷をさせたり、家具を燃やしたりした事もあった。
「それはお困りでしょう」
ソニアは一旦間を置き、すぐパンっと両手の平を叩き合わせるとこう言った。
「とりあえず、ラウルさんは眠りましょうか」
「え?」
ラウルは目を丸くした。
ラウルが眠ってストレスを軽減出来ればとりあえず一旦は手の熱さも落ち着くのではないかという考えからだった。
なるほど、とラウルも納得した。
そうしてソニアは早速いそいそと準備を始める。
リュック括り付けてあるのは杖だけではない。ムビラという楽器が杖の反対側に括られている。
それをソニアは手に取ると両手で掴んで指で弾くとピーンと奏で始める。
そしてソニアは魔術を詠い始めた。
彼女が一番得意な眠りの詩なので魔術書を開く必要はない。
本来は古代語で書かれる眠りの詩。
これは魔術の子守唄である。
「ゆらゆら きらめき せいれいいのる つきあかり
ゆらゆら またたき けものしずまる ながれぼし
ゆらゆら ふかく にんげんねむる よるのやみ
あかつきも あかりも ときがたつのを わすれ
ねむれ ねむれ ねむれ」
詩も聞いただけでは古代語を知らない者には分からない。
だが、同じ音の繰り返しが人に寄っては心地よく感じられるのもまた道理であろう。
一言一句、ゆーっくりゆーっくり詠えば次第にラウルはゆらゆらと体が揺れて、その瞳はぼんやりとしてくる。
ソニアは詠い終わりにラウルを優しく見つめた。
ラウルの瞳はそこから更にぼぅっと宙を見つめ虚ろになる。
そして突然体の力が抜けた。
「うぉっ重っ!」
次の瞬間コリンはラウルに押しつぶされそうになっていた。ラウルは少年に寄りかかり眠りこけていたのであった。
***
「……ルさん、ラウルさん、目……覚めましたか?」
ソニアがソファで横になっているラウルにそっと声を掛けると直ぐにラウルは目を開いた。
今は夜の九時。
ラウルがソニアの眠りの詩で眠ってから二時間が経過している。
ラウルは体を起こし、向かいに座るソニアへ視線を合わせた。
(あら、今度はすんなり目を合わせてくれたのね。体調の所為だったのかしら?)
眠る前になかなか視線を合わせてくれなかった事を思い出し、体調が落ち着いたのであろう事を推測して安堵する。
ラウルの目元にあったクマはソニアから見ても明らかに良くなっている。
「…………凄い。目元の疲労感もないし、頭もスッキリしてる」
ラウルは感動して涙目になっている。
(相当参っていたのね。)
「……さてと、次の問題は魔獣と特異体質」
ソニアは気持ちを切り替えて立ち上がった。
「たぶんだけど……」
ソニアは少し考える風にして続ける。
「ラウルさんの特異体質は魔力滞留症という病気だと思うの。稀にあるらしいわ。問題は、何が原因か……なんだけど」
(その原因が分からないと対処のしようがないのよね)
ソニアはそう言うとずいっとラウルに近づいた。
思わずラウルが遠ざかろうとソファに手を付くとその手をソニアが押さえつけた。
「この位置!」
ラウルはビクリとしてそこに止まると、至近距離にあるソニアの顔をマジマジと見つめた。
「ご……ごめんなさい。ラウルさんが動くから……近くで詠唱したかったのよね。その方が効果あるかと思って?」
少し頬を赤らめて照れたようにソニアは囁き、ラウルから手を離した。
「あぁ、そういう事か」
ラウルも頬を赤らめ頭を掻いた。
コリンはというとラウルの背後、何やら物知り顔でニヤニヤとしていたのであった。




