007
しまった。声が大き過ぎた。外の鴉にまで聞こえてしまっていた。
まずい、もともと暴れる気がなかったとしても、この状況ではどう出るか分からない。
「ん?おじさん、見たことあるぞ?」
空気の読めない妹が、鴉を見て、そんなことを言い出した。
「俺はお前のことは知らんな。外喰妹。どこかで俺を見たというのも、何らおかしな話じゃない。俺はセブンにも行くし、ツタヤにも行く」
「いや、庶民派アピールはいらないけどさ。一昨日、だったかな。うちの前の通りで、兄貴と喧嘩してたよね?」
「えっ」
最後の間抜けな声は、俺のものだ。
楔の発言を、思い返す。
一昨日、だったかな。うちの前の通りで、兄貴と喧嘩してたよね?
それは、つまり。
「見られてたってことですかあ楔さん!?」
「見てましたってことですよお要さん!!」
無意味にテンションを合わせて言ってくる妹。
もう、何だよこいつ。
「兄貴の部屋からすごい音が聞こえたから飛び起きて、何かと思ってたら、窓から出てくし、誰かと話してるし、何してんのかなーと思って見てたけど、終わって、兄貴も部屋に戻ったみたいだったから。安心して寝たけど、次の日起きたら、ベッドが壊れてるんだもんね。夢だけど、夢じゃなかったって。いや、そもそも夢じゃないから、夢じゃないし、夢じゃなかったって感じかな」
「最後のくだり必要あったかよ……」
力ない突っ込みを入れる。
「異能バトル物に首を突っ込んでいる兄を持つ妹としては、知らん顔が正解かなと思って。まあそれも今日までだけど。立て込んだ話があるんならどうぞ。私も聞いてていい?」
「構わん」
「構いません」
「いや、構うよ」
しれっという覇嶺さんと鴉に対して、今度は俺が突っ込んだ。
「妹にこんな物騒な話聞かせられるかよ!特に鴉、お前は勧誘のために妹をダシにしそうでマジでヤバい!」
「あー、思いつかなかったがなるほど。お前がそう言うならそんなのもありだな」
「ああもうくそっ!」
「それより兄貴今何て言った?可愛い妹にこんな物騒な話聞かせられるかよって言った?」
「言ってねえ!可愛いは言ってねえ!……ともかく楔、お前はちょっと外に出てろよ」
「全く、私を部外者扱いかよ。お前は私の兄かっつーの」
「いや、うん、俺はお前の兄だよ」
最後に意味の分からない掛け合いをして、楔が部屋を出て行く。
これで、部屋に残されたのは。
立ったままの鴉。
ブレザーを着て、立ち尽くす俺。
そして同じくブレザーを着て、椅子に片膝を乗っけて腰を突き出すポージングをしたままの覇嶺さん。
「座蔵覇嶺。お前、何してんだ」
「ち、違いますよ、鴉枕。これは要くんに言われて…」
「ち、ちがっ。違くないけど違う!少なくとも制服を着ているのは俺のせいじゃない!」
「……座蔵覇嶺。お前は歳を考えろ」
「いっ、言いましたね鴉枕…。それは私に対する宣戦布告ということですか…」
「いや、何というか、大人としての助言」
もっともだった。
今この場で『繁栄派』と『粛正派』の決着をつけるというのならば。
『繁栄派』の圧勝だった。
「覇嶺さん。とりあえず、椅子から降りていいです。というかポージングやめていいです」
「あ、そうですか。まだ撮ってませんよね?」
「まだ撮ってません。いつか撮ります」
覇嶺さんが、椅子を降りて、部屋のカーペットの上に座る。その様子を見て、鴉もその場に腰を下ろした。
俺も座ることにしました。
「本題に移らせてもらうぞ座蔵覇嶺」
「お前強引だな…」
「外喰の所有権を『繁栄派』に渡せ」
「お前、強引だな…」
そもそも、俺は『粛正派』にも属していないので、所有権はどこにもないのだけど。というかこいつ、人の所有権をどうのこうのって、知ってはいたけど失礼な奴だな。
「要くんはべつに、『粛正派』じゃないですよ?」
「完全に『粛正派』に付くとなれば、もう殺すしかないからな。俺も困りどころなんだよ」
「困るのは俺だ」
何も俺だって、無所属が格好いいと思っているから『粛正派』と『繁栄派』のどちらにも属さないわけではない。ただ単に選べないのだ。無法集団の『繁栄派』には絶対入りたくないし、『繁栄派』に狙われるのであれば『粛正派』にも絶対入りたくない。
つまりどちらにも絶対入りたくない。
「あのですねえ鴉枕。要くんは自分の意思でどちらにも属さないと決めてるんですから、それ以上勧誘するのは無粋ってものですよ」
「俺は粋な生き方をする柄じゃないんだが」
「無粋かどうかはともかくよくないと思いますよ。子供一人に大人が寄って集ってみっともない」
「今のお前にみっともないと言われる筋合いはないし、今のお前じゃなくても言われる筋合いはない」
「……これはあんまり関係ない話ですけど、『繁栄派』の連中に私がこんな格好をしていたことは言わないでくださいね」
「いや、言う。絶対に言ってしまう」
たぶん俺も、共通の知り合いがいたら言ってしまうと思う。
異能力者3人集まって、くだらない会話だった。
「というか、さあ。鴉」
「何だ、『繁栄派』に付く気になったか外喰」
「ならんわ。そこまでして俺を仲間にしたいんなら、もっとこう、待遇をよくするとかそういういかにも俺が釣られそうな有益な情報を小出しにするっていう手はないのか?」
もちろんそんな情報を提示されたところで入るつもりはないけれども。
「金で得た信用は金で奪われるからな」
「ごもっとも…」
確かにごもっともだけど、それを割り切った上で、さばさばやっている組織かと思っていたんだが、どうにも違うらしい。意外に和気藹々とファミリー感満載なんだろうか。
「そもそもお前の口から聞いてなかったけど、『繁栄派』ってどんなことをするんだよ」
「入ってからのお楽しみだ」
入るかそんなもん。
「前にも言ったけれど、『粛正派』は異能力者へのボランティア活動みたいなことを…」
「あ、大丈夫です」
覇嶺さんが流れに乗ってこようとしてきたので、阻止しておいた。覇嶺さんはバスガイドよろしく話し出すと同時に広げたその手を、大人しく膝の上に戻した。
「それに、話は戻るが外喰。金やあるいはお前にとって有益な物でお前を釣ってまで、もしくは何かをダシにしてまでお前を仲間にしようとは考えていないよ」
「え、そうなの?そりゃ、どうして」
「お前一人にそう構ってられないからな」
「あ、そう……」
傷付いた。
いや、それを聞いて安心ではあるんだけど、何か、傷付いた。
「もし仮に敵対したとしたら、その時はその時で潰すだけだからな。お前が思っているよりも流行が過ぎ去るのは早いんだぜ」
「え、何、俺は流行だったの?『繁栄派』の上層部で俺の勧誘が流行みたいになってたの?」
鴉は何も言わなかった。
その代わりと言うわけではないが、いや、でも、その代わり。
「やっほー外喰要。勧誘に来てやったわ…よ……!?」
余口初古の挨拶がやけに静かな俺の部屋に響いた。
本人は何やら驚いた風な顔をしているが。驚いたのはこっちである。
「な、何でっ?何でお前俺んちに!?」
「いっ、いやっ!そこじゃないでしょ!私の事はいいわよ!座蔵覇嶺!あんた何て格好してんの!?」
「ああああああ!余口ちゃんにも見られた!要くんどうしましょう!」
「いや俺に振られても――」
「きゃあああああ!あんたもじゃないの外喰要!全く堂々としているから特に注目しなかったけど、世間的にはそういうのは変態って言うのかも!」
「かもじゃない、こういうのは変態だ!」
何故か確固たる自信を持って、小粋に親指の先で胸の辺りを指し示し、俺は自らを変態だと名乗っていた。錯乱しているようだ。
「……。私はこれでもけっこう大人だから、あまり詮索はしないでおくわね」
「待て、聞け。大いに詮索しろ」
「私はこの通りまだ若いから、女子高生のコスチュームプレイに興じる男女の関係なんて詮索したくないです……うっぷ…」
「何目に見えて弱ってんだ!しっかりしろ!あと吐きそうならトイレに行け!」
「……心配無用よ。私帰ろうかな…」
「待てっつってんだろ!帰るのはいいけどその前に言い訳をさせてくださいお願いします!」
ゴミを見るような目の初古をなだめておだてて引き止めて、言い訳をさせてもらった。
結果、俺に女装癖はないことが明らかになったが、妹に力で惨敗する情けない兄であることも明らかになった。
ちなみにこれは俺には関係のない話だが、覇嶺さんは自分から楽しんで着た上に満更でもなさそうにし、ノリノリでポーズをとっていたという事を特に何の気もなく話した。以降の初古の覇嶺さんを見る目が、もう何を含んでいるのか分からない濁り方をしていた。
さらについでに、勧誘の話はもう終わったとも告げた。
「ふうん?私はこれからも勧誘を続けるつもりだけどね?ま、挨拶代わりに?」
「何だよそれ。迷惑だろ、やめろ」
「ああそうだ。来たばかりでなんだけど私はもう帰るけどね、これ、返すわ」
初古が、手に持っていたトートバッグから、見慣れたパーカーを取り出した。
俺が貸した物である。
「ごめん。本当はクリーニング出してから返そうと思ったんだけど。あんた着る物ないかなと思って」
「あるわ。パーカー一着しか上着持ってない奴いんのか」
「あ、そう。ならよかったけど。どうしよう?今からでもクリーニング出してこようか?洗濯でもいい?ああでも、こういうのって、普通に洗濯していいの?ジッパーが駄目になったりしない?」
「いやいいよ。そこまで気にしたことないし」
というか洗濯なんて親に任せてるから知らない。
「んー、あんたがいいならいいんだけどね」
「俺がいいからいいよ」
そう言って、初古から綺麗に折りたたまれたパーカーを受け取る。
右袖の先端が、ちょっとほつれている。右腕を変身させた際に、まくってはいたが、突起に引っかかったんだろう。
俺は何気なくそのパーカーに顔を埋めた。
深呼吸。
「ちょ、ちょっと?何してるの外喰要…?」
顔を上げる。
パーカーを広げてみた。
表から見ると、丁度胸の辺りにエンブレムが入っている。そのさらに丁度真裏の生地に鼻を当ててみる。
自分でも何を言っているのかよく分からないので簡潔に言うと、全裸でこれを羽織ったら乳首の当たる部位に顔を埋めてみる。
深呼吸。
「乳臭い」
「嘘付けえ!分かるかそんなん!というか出てないわ!出ないわボケェ!」
「違う違う。お前がまだ若くて初々しいって意味の乳臭い」
「私は乳臭くないって事ですかね…」
わざわざ会話に割り込んでまでそんなことを言ってくる覇嶺さん。俺はそんな、不安げな顔をしている覇嶺さんに。
「いや、覇嶺さんは母乳臭いです」
「えっ!?出てません!出てませんよ!?もし仮に私が母乳臭かったとしても、それは私の母乳ではないですよ!?」
覇嶺さんが母乳臭いというのはもちろん嘘だが、それにしたってその発言はおかしい。他人の母乳の臭いがする成人女性って何だ。
いかん、何か分からんが興奮してきた。
「……まあいいわ。それじゃあ、借りてた服もかえしたし。私の用は済んだから」
茶番を見かねたというような表情で、初古は言った。
「おう。じゃあな。服を返しに来ただけみたいになって悪いな」
「ううん。借りっぱなしは気持ちが悪いし、べつに私も好都合だからいいわよ。もともと服返して勧誘に来ただけだから」
「何だ。服返しに来ただけか。悪いなわざわざ」
「……………」
初古は不満げな表情をして、部屋から出て行った。
初古は出て行ったが。
「鴉、お前、いつまでいんの?」
「うん?間が悪いからな。今帰ったら、初古が帰るから俺も帰るみたいになるだろ」
「いや、いいじゃんそれで。いいから帰れよ」
「帰るよ。ジャンプ読み終わったらな」
「今すぐ帰れー!」
何でジャンプ読んでんだこいつ。
鴉は、手に持っていたジャンプを無造作に床に投げ捨て、いかにもかったるそうに腰を上げた。
「仕方がない。では帰るとするが外喰。ToLOVEるって終わったのか?」
「とっくの昔にスクエアに移籍したわ!」
俺の返事を聞き終える前に、鴉は部屋から出て行った。
何だ。何だもう。何だもうあの野郎。
「それにしても大変でしたね要くん。私もどうなるかと思いましたよ」
覇嶺さんが、ふう、と、深く息を吐いた。
「本当ですよ。鴉が家にまで来るとは。いや、そもそも一昨日初めて会った時は家に来てたんだけど」
「そういえばそうだって言ってましたね。感知系異能力者がいると厄介ですよ」
あんたのとこにもいるだろ。
「……それはそうと覇嶺さん」
「はい?何でしょう要くん?」
「写真撮りますから、ポージングお願いします」
「あっ、あの体勢きついんですけどっ…!」
この日俺は、3枚(本当はもっと撮るつもりだったが、覇嶺さんに静かに怒られたのでやめた)の覇嶺さんの写真を携帯に収めた。