006
「わお、似合うじゃん!まだまだ全然いけるね覇嶺さん!」
「そ、そうですか……?」
妹のブレザーを着て、その様子を褒められ、満更でもなさそうな覇嶺さんを、俺は二人から少し離れて眺めていた。
婚期に焦ってないことを大声で宣言しながら出口へと向かった覇嶺さんだったが、見事な足掛けを妹に決められ、我が家からの脱出を阻止された。
その後妹と俺に引き止められ、もうしばらくお邪魔してもらっている。
今は、俺の部屋で妹と遊んでいる。
破壊されたベッドが片付けられ、妙に広くなったこの部屋の隅で、俺は眺めていた。
「ど、どうですか要くん。似合います…?」
「うん。すごく似合います。ちゃっかり靴下まで自分のを脱いで揃えているあたり、本気度が感じられて愛くるしいです」
「ありがとうございます!」
顔を真っ赤にして投げやりな礼を言う覇嶺さん。
ううむ、しかし、本当にいいものだ。似合うかどうかは別として、いいものだ。
先程も話題に上がったが、江角マキコさんが、飲食店の店長に肩を叩かれる番組で、女子の学生服を着ているのを見て、俺は不覚にも家族団欒のリビングで、あれがああなってしまったことがある。
気まずさと背徳感に裏付けられる生物としての宿命。悲しいかな、俺は――俺と、俺の息子は、真っ直ぐに生きようとしていた。
「覇嶺さん、何気にスカート折ってるね。私のを貸しているというのに、その気概というか本気度には驚かされたよ。流石よね」
「借り物を折ったことは謝りますけど、何か馬鹿にしてませんか?してますよね?」
「覇嶺さんは足が細くて綺麗だねっ」
「ありがとうございます!」
年代差のある女子二人の――、いや、女子と、女性のやりとりを眺めながら、俺はぼうっとしていた。
しかし、そんな平穏は長くは続かなかった。
形あるものはやがて崩れる。だがそれは、形なき平穏とて、また同じことであった。
「兄貴……。そういえばずっと思ってたけど、けっこう体つき細いよね?」
「うん?そうか?特に言われるほどでもないと思うけど」
「まあ、体つき細いよねっていうのは建前だけど。次の展開に持ち込むための口実だけど」
「何の話をしているのか分からないぞ妹」
「私が何着持っているか知っているか兄」
な、何を言っているんだこの妹…。不可解だ…。
「着てみない?」
「着てみない」
即答だった。
機敏にして俊敏な応答だった。
「まあまあ、そう言わずにさ。一回だけ。一回とは言わずに数回だけ」
「何故既にまた次の機会の可能性を示唆されているのか!」
「要くんも、制服着てくれるんですか…?」
覇嶺さんが、こちらを見る。俺の方を見る。ガン見る。
や、やめろ…そんな目で俺を見るな……。
すると楔が、覇嶺さんの声色を真似て。
「要くんが制服着たとこ、はみ姉も見てみたいなっ」
「うるせえ楔!お前とっちめてやる!」
「はみ姉はやめてください!」
「おういいぜ兄貴、かかって来いよ。とっちめてみな。だがその代わりこっちも本気だぜ。無理やり剥いで制服着させてやる」
「言ったな楔。お前こそ化けの皮ひん剥いて歳相応の格好にしてやる」
覇嶺さんの講義をよそに、兄妹は立ち上がった。
――15分後。
無残にも女子生徒のブレザーを着て倒れ込む俺の姿がそこにはあった。
しっかりとリボンを襟に巻き、白のソックスを履き、スカートを折られた俺の姿がそこにはあった。
「可愛い!可愛いですよ要くん!」
「だってさ兄貴、よかったじゃん」
「………………」
『歳相応の格好』というフレーズがタブーだったのか。予想以上に本気で襲い掛かってくる妹の前に俺は無力だった。
そもそも、体格差がないこの兄妹間。それに加えて、高校でもろくに部活に励むわけでもなかった俺に対して、この妹の楔は、去年まで運動部だった。肉弾戦で、俺が勝てる筈がなかった。
ゆっくりと起き上がる。
「仕方がない。対等条件での決闘の結果だ。甘んじて受けよう」
「潔いね兄貴。それでこそ私の兄貴だよ」
「お前はこんな兄貴で満足なのか」
妹の学制服を着た兄で。
いやまあ、着せたのはこいつだから、それでいいんだろうけども。
俺は、決闘が行われる寸前まで座っていた位置に戻り、再び腰を下ろす。
「か、要くんっ。パンツ見えてますよ!」
「あ、すいません」
何故か謝ってしまった。
スカートを2段くらい折られたのだ。胡坐をかいたら、そりゃ中が見える。
しかし、スカートの中が見えないように女の子座りをするというのも気持ち悪い。というか足が痛い。
俺は自分の部屋で女装し、正座していた。
なんてことだ。これじゃまるで変態だ。たとえ俺が変態であることを望んでいたとしても、これは違う。俺のあるべき姿はこうじゃない。
こんなの変態じゃない!
「つまり平常ってことか…」
「え?何言ってるの兄貴」
「あ、いや、何でもない」
こんな平常があってたまるか。
わけの分からない禅問答を終えた俺に、覇嶺さんがこんなことを言ってきた。いや、禅問答に終わりはないのか。じゃあこれは禅問答じゃなかったのだろうか。分からない。禅問答は――深い。
「要くん、写真撮らせてください」
「いいですけど、じゃあ、覇嶺さんのも撮らせてください」
自己犠牲の精神を発揮した私でした。
禅問答の成果である。
「え、ええー……。くっ……仕方がない…。いいでしょう。どうぞおばさんの制服姿を収めてください」
ここに来て何か自虐を始めたが、俺は特に気に留めなかった。
俺は既に覇嶺さんの制服姿を写真に残すことしか考えていなかった。
作業に専念したいので、自分の撮影を先に終わらせてしまおう。
「じゃあ、先にどうぞ。なんなら、ポーズでもとりましょうか」
「うーん、そうですね。それじゃ――」
俺の番は早く終わらせてしまおう。
こんな女装野郎の撮影会は長く続いても地球に優しくない。
「投げキッスで。具体的には、顔はやや横向き、右手はおおざっぱな感じで大きく広げて。やや右肩上がりな感じに。左手はグーにして腰に手首を当てる形で。姿勢良く胸を張るようなポーズで、足は肩幅くらいに開いて、つま先を上げてください」
「は、覇嶺さん?」
予想外に細かい。
やたら流暢にポージングの指定をしてくる覇嶺さんに、俺は若干の恐怖を覚えた。
「ああ、駄目です要くん。もっと笑って。何で真顔なんですか」
「いや、キッスの口で笑うって難しいんですよ。ちょっとやってみてください」
覇嶺さんは、俺に分かりやすく、大げさにやって見せてくれた。
結果的に、俺に口だけで投げキッスを飛ばして来る形になった。やったね。
「自然に自然に。いいですか、撮りますよ。えいっ!」
写真を撮るのに、相手に対してでなく、自分のモチベーションを上げるようなその掛け声は必要あるのだろうか。
「覇嶺さん覇嶺さん。その写メ、あとで私にもちょうだい」
「えー、どうしましょっかねー」
まあ、いいや。
次は覇嶺さんの番。というより、ここからが、俺の番だ。
「よし。じゃあ、覇嶺さん。今度は俺が撮りますよ。楔、椅子から降りろ」
俺は、俺の学習椅子を占拠していた妹に、退去を命じた。
「覇嶺さん、椅子に座ってください。こう、逆向きに。椅子に膝立ちの状態に」
「こうですか?」
「そんな感じ。片膝だけ乗っけて、で、もう片方は床に着けて。手は椅子の背もたれを掴んでください」
「こ、こうですか…?」
「もっと腰を突き出してください」
「こ、こう……?」
「そうそう!顔はそのままこっち向いててください!」
「は、はいっ!」
「いいですか!じゃあ撮りますよ!」
「どうぞっ!」
ポーズは決まった。完璧だ。
後は俺のポジショニング。ここでどの位置取りをするかで勝負の結果は大きく変わってくる。
完璧なポージングには、完璧なポジショニングが必要だ。
俺は、覇嶺さんの後方で、最良手を探していた。
「ちょ、ちょっと要くん?そこからじゃ、パンツ見えません?」
「見えません。全然見えません」
「本当ですか?私今日黒の透け透けだから恥ずかしいんですけど」
「え?ピンクのフリフリじゃないですか」
「見えてるじゃないですかあ!というか言わないでくださいよ!」
言うなっていうのはつまり、楔に聞かせるなってこと?俺だけなら見てもいいってこと?
なるほど、分かりやすい!
「と言いつつもポージングを崩さない辺り、プロ根性を感じるね」
黙っていた楔が、そんなことを言う。
何言ってんだこいつ。
「私?私は縞パンに決まってるだろ。女子高生なんだから」
「聞いてないし女子高生と縞パンの結びつきがいまいち分からない」
「要くん!?この体勢意外ときついですよ!?」
覇嶺さんが早くパンツを撮ってくれと急かすので、俺は仕方なく、パンツが見える角度からのベストショットを――
ピンポーン。
ピンポーンと、1階の方から音がした。
言わずもがな、我が家のピンポン――もとい、インターホンが押された音である。
邪魔しやがって。
苛立ちつつも、携帯を下ろす。
「ちょっと見てきますから、動かないでください」
「この体勢きついんですけど!」
「兄貴のいかがわしい商品の宅配じゃない?私が行こうか?」
「だったらなおさらお前に行かせるわけには行かないだろうが」
部屋を出る。
誰だろう。宅配便なら、『宅配でーす!』の一声が、ある筈だ。
親戚のおばさんが、通りがかりに立ち寄ったのだろうか。
まあ、どうでもいい。
人見知り体質の俺は、客人を笑顔で迎えたことがない。そして今日も、仏頂面で迎えてやるつもりだ。
玄関口まで来て、わざと気だるそうに戸を開ける。
「はいはい、どなたでしょうか」
「俺だ」
鴉枕だった。
「何でお前っ…、2話連続で出てきていいような面してないだろお前」
「女装して何言ってる」
「えっ」
驚愕。愕然。
困惑。惑乱。
眩暈がした。
俺は何故こんな格好をしている。
俺は何故女学生用のブレザーを着ている。
意味が分からなかった。
「ち、違う。これは違うぞ鴉」
「サイズの話か。ぴったりの様に見えるが」
「違う。サイズは不思議と合ってる。そうじゃない。俺の趣味ではない。決して。これは人に強制されているんだ。不可抗力で」
「世間がお前にその格好を強要してるんだな。分かった分かった」
「違う!その蔑む様な目をやめろ!」
「蔑む様と言うか事実蔑んでるんだが」
「分かったすいません!妹に無理やり着させられたんだ!悪気はない!」
「悪気があるとは端から思ってなかったが、そうか。お前の家では妹が主権を握っていて、常日頃お前にそういった格好を強要――」
「そこまでじゃねえ!今回が初めてだ!たまたまそのタイミングでお前が来てしまっただけだ!」
「そうか。それは悪いことをしたな。お気の毒に」
「気を使うなァーッ!」
日曜日の昼間から自宅の玄関口で訪問者に怒鳴りつける女装した男がいた。
これ以上なくみっともなかった。
この話を続けていても不毛だと、鴉も判断したようだ。本来の目的を告げる。
「まあ、その、なんだ。上から言われたもんでな。お前の勧誘を再開するよ」
「いや、だから入らないって言ってるじゃん。いい加減分かれよ。馬鹿なの?」
「初古が負けただの勝てなかっただの、すごく強かっただのと興奮気味に喋り散らすものだから、上の連中もお前を無視できなくなったんだろう」
「あいつ、わざとやっているんだとしたら相当狡猾な奴だな…」
「上着一枚で下着もなしに帰って着て、痛かっただの激しかっただの、速かっただのと興奮気味に…」
「誰が早いだとこの野郎!」
おっと。
思わず変なところに食いついてしまった。
「邪魔するぞ」
「あ、おい。勝手に入るな」
図体のでかい鴉だ。俺の制止など言葉も物理も押しのけて、我が家へと侵入してしまった。
「ふうむ。いい家だな。落ち着きがある」
「何なんだよお前ら!どうして人の家に評価をつける!」
「お前ら?」
「あ」
やべ。
覇嶺さんがさっき家を褒めてくれたのが記憶に残っていたためか、鴉に言われた時に既視感を覚えてしまった。
そこで思わず突っ込んでしまった。
「何のことだ。俺の他にも訪問者がいるのか?というか玄関に、座蔵覇嶺の靴があったっけなあ」
ばれていた。
記憶力がいいんだな、こいつ。
しかし、二人は敵対している。初古ならば覇嶺さんを敵視しているとはいえ、人の家でドンパチ始めることはないだろうが、こいつは。鴉は、危険だ。俺の家だろうと殺し合いを始めてしまうかもしれない。可能性は、全くゼロとは言えなかった。
「いや、来ていない。あの靴は、覇嶺さんの靴の匂いを嗅ぐプレイに使うために俺がわざわざサイズからメーカーまで調べ上げて買ってきた代物だ」
「だとしたら、お前をここで殺しておこう」
「ちょっと待って!今のは嘘だけど、どうしてお前に性犯罪を未然に防ぐための個人的遊戯を過剰に取り締まられなくちゃいけないんだ!」
焦った。こいつはこんなに手厳しい奴だとは。
「2階から声がするな」
鴉が2階へと歩を進める。
それはまずい。覇嶺さんに合わせるわけにもいかないし、妹にはもっと合わせられない。
「いやいや、待てよ。仮に覇嶺さんがうちにいるとして、それでお前どうするんだ?家の中で殺し合いを始めるつもりなら、俺は黙っているわけにはいかないんだが」
「まさか。いつでも殺せる勧誘下手な商売敵を消しちまって、次にここいらを仕切る『粛正派』が、優秀な奴だったらどうする」
なんか。
残念な評価をされている覇嶺さんだった。
「会って、お前の所有権を話し合うだけだ」
「待て、その場には俺が必要不可欠じゃないのか」
「心配するな。必要ない」
「あるって!」
階段を登る鴉の後を追い、講義する。
もはや、止めても無駄か。
でもやはり、妹は隔離しておきたい。
「なあ、鴉。正直に言うとさ、覇嶺さんは今俺の部屋にいるよ。でも、妹も一緒なんだ。妹を遠ざけたいから、ちょっと待ってくれないか?」
「ふうん。まあいいだろう。20秒で連れ出して説得しろ」
「分かった」
鴉を、俺の部屋の入り口から少し離れた所で待たせておいて。
俺一人で部屋に入り、状況を説明する。
鴉に言ったのとは、異なる内容を。
「覇嶺さん――」
「ねえ要くん!?長かったですよ!きついんですよこの体勢!でも要くんやっぱり可愛い!」
「は、覇嶺さん、鴉です。鴉が来てます。俺が説得するんで、楔を連れてどこかへ――」
「か、鴉…!?」
覇嶺さんもやはり驚いた。
当然だ。こんな状況でいきなり――
「話が違うな外喰、これはつまり、俺も一つルールを犯しても不問ということだよな」




