038
何かを人に任せるというのは、酷く人道的で、酷く非道いことだ。
重要な、あるいは重要でない何かを他人に任せて、自分は呆けて寝ていればそれでいい。そのうち他人が提示してきた答えに対して、意見を述べるだけでいい。最悪の場合、意見すら述べなくてもいい。賛同か批判か、もしくは曖昧な返事をしていればそれだけでいい。簡単なことだ。
自分は責任を負わなくて済むし、考える手間すら生まれない。この上ない上位に立ったと言える。
そんな無責任な生き方をしてきたと豪語するつもりもないが、してきていないと言えば嘘になる。
人に任せて、他人に任せて、世間に任せて。そうやって責任を負わずに生きてきた若者が、この先いざ責任を負う羽目になれば、それは一大事だ。養ってこなかった足りない頭で、培ってこなかった浅い経験で、全身全霊を賭して責任を逃れなければならない。もしもこの先もその先も、責任を負う羽目にならなければ、責任を負わずに済むのならば、それにこしたことはない。責任なんてものは、重みでしかない。枷でしかない。百害あって一利なし。責任なんてそんなもの、人生の――天敵だ。
「そんなことより九里古里のおっぱいの話だよ。素朴な疑問なんだがお前、揉んだことあんのか?」
夢見がちな妄想を現実へと引き戻すように、逸れた話題を本題へと戻すように、中村は言った。
「ねえよ。俺は九里古里とは付き合わないって言ってるだろうが」
「付き合う付き合わないと揉む揉まないは別の話だろーが」
「そりゃそうだけども」
ゲスい会話だ。下水の如し。
「揉んだことはないけど、下着越しには見たことあるぜ。というかお前も見てただろ」
「お前が女子高生の踊り食いしてた時の?」
「未遂だよ」
「どっちの意味でも未遂でもどう転ぼーが犯罪じゃねーか。いちいち訂正すんなや」
三ヶ月ほど前の事だ。俺が――外喰要が、九里古里千切の救出のため『繁栄派』アジトへ特攻をしかけた時の話である。
異能の力が暴走して結果的に全裸になった(誤解を生みかねない)俺に、九里古里が自身の着ていた上着を貸してくれたのだ。上半身は下着のみだった。今にして思えば、もっとよく見ておくべきだった。
「まー、そりゃ、見てたがよ。見てたよ、そりゃ。見るだろ。アホか。見るわ」
「分かったよ」
「すげー揺れてたよな。ばるんばるんだったよな。いーもん見たわー」
「確かに凄かったがな。しかし中村、少しばかり甘いぜ。お前ともあろう者が、目の付け所がいかんせんメジャー過ぎるんじゃあないか?」
「どういうことだ」
怪訝な顔をして、怪訝な視線を向けてくる中村。
「位置関係もあるわな。お前の位置からじゃ見えなかったかもしれねえ。俺は九里古里とかなり近い位置に立ってたんだけど、九里古里がお前の方を向いた時、俺からはあいつの背中が見えたんだよ」
「ほう。それで」
「うなじから背中にこう、うっすらと産毛(産毛)がな、生えてるんだよ」
「産毛」
俺の言葉を――産毛を反芻するように、中村が呟く。
俺はまとめに入る。
「普段から小綺麗にしている九里古里だからこそかもしれんが、あの、背中の無防備感。未処理感。ギャップ萌えとも言うのかもしれないな。正直、おっぱいより産毛に俺は興奮してた」
「産毛――か。じゃあ何だお前。よく女子が話してる剃った剃らないって話にも興奮してんのか?」
「馬鹿にするんじゃねえ。全部が全部ではねえよ。そりゃな新垣さんとか木村さんとかが剃った剃らないの話をしてれば興奮はするが」
「誰だよ。新垣さんと木村さん誰だよ」
「そんじゃそこらの女子が公共の場で剃るらん話を展開していたところで、場所を弁えろと侮蔑するだけだぜ」
剃るらん話とは。剃る、剃らん話の略称である。
しかし、である。
「お前、女子の体毛ってどこまで許せる?」
「許せるかっつわれてもな。俺が許さねーからと言ってどーなるわけでもねーし」
「まあまあ。そういうことはいいんだよ。どのラインまで問題なくエロい目線で見られるかという話だよ」
「まあ、そーだな。俺はお前ほど多種多様なジャンルに理解があるわけじゃねーからよ。基本的に世の女性の毛は処理済みだと考えてる。いや、処理済みであって欲しいと願っているのかもな」
「なるほど」
何だか逃げ腰の返答が来たので、具体的に聞いてみることにする。
「例えばだぜ。夏、ノースリーブの九里古里が腕を上げた時に、腋毛が見えたらどう思う?」
「それは興奮すんだろ」
「するんかい」
するらしい。
「例えばだぜ。夏、タイツ未実装の九里古里の生足をよく見たら、若干の剃り残しがあったらどう思う?」
「それは興奮すんだろ」
「するんかい」
するらしい。
「例えばだぜ。夏、海へ出かけた九里古里のビキ――」
「それは興奮すんだろ」
「早い!」
まだどこの何とは言ってないけど!
ビキニラインからはみ出た海草の話とかしてないけど!
してないけどお!
「でも流石にあれだな。眉毛がうっすら繋がってたり、口髭が濃くなってたりしてんのは見るに耐えねーよ」
「うん、まあ。それは俺も同意するが」
「しかしよ外喰。アレだなお前」
呆れたような顔をして話を切ろうとする中村。呆れられるような話をしている自覚はあるが、それはこの男にではない。こいつに呆れられる筋合いは微塵もない。
「悪の組織に拘束された女の子を助けに来て、ボスを倒した後でよくもまあその女の子の背中の産毛を見ている余裕があったなお前」
俺の大物加減もいよいよといったところで、それまでのトーンの低いトークに、やや高めのトーンが混じる。
「よくもまあ本人を目の前に猥談を続けられるものだね二人共。その精神力には毎度のことながら驚かされるよ」
男二人のトークに、女子のトーンが混じる。
例の如く、机におっぱい(とついでに肘)を乗せたままの体勢で、(この男二人の会話をほぼ最初から聞いていたためかどうかは理解の範疇外だが)最大限に冷たい目線のまま話題のその人――九里古里千切が言い放った。
いや、これはむしろ、本人がいるからこそ猥談に花を咲かせているのであって、本人に隠れて陰で女子を猥談のネタにしていたら、それはもうまるで恐ろしい変態のようじゃないか。失礼極まりない奴だ。どうか一つ謝辞を願いたい。
多少は恥じらいが欲しいところではあったが、冷たい眼光が頂けただけで、今回はまずまずとしておきますね。
「猥談もいいけどさ、君達は他に考えるべきことがあるんじゃないの?」
まったくもった正論を、放課後の教室内で、違う学科の九里古里千切に突き付けられた。
夏は過ぎ、九月も九月、時期はと言えば新学期。この星山ヶ城専門学校では、毎年十月に文化祭染みた催し物が行われる。もちろんのこと、外喰、中村が所属するこのデザイン科では、生徒がそれぞれ自分の作品を展示発表するのだけれど、それに加えて今年はもう一つ、クラスの出し物をやるのだそうだ。というか俺は実行委員なのだそうだ。中村もなのだそうだ。断りきれなかったのだそうだ。クソが。
そんなに欲張る必要ないんじゃないの?デザイン科の教室は作品展示でいっぱいなんだから、無理して変なもの増やさない方がいいんじゃないの?身の為じゃないの?どうなの?
最近学校をサボりがちな中村に実行委員を押し付けるのはいいと思うがしかし、それに俺を巻き込むなんて無慈悲なクラスメイトである。言うには「だって、中村くんと仲いいじゃん」だと。ふざけるなと。仲良くないわと。お前ら全員盲剣かと。宇水かと。十本刀二番手の達人かと。
「考えて出るならさっさと出してさっさと帰ってるよ。お前はそうやって理想論を語るのか?」
「そーだぞ九里古里ィ。部外者のくせに文句をつける暇があったら乳でも揺らしてろや」
「何このアウェー感……。私ひょっとして嫌われてる……?」
九里古里は何やら被害妄想で忙しそうなのでスルーした。
この九里古里、毎度のことながら恥ずかしい話、一緒に帰ろうとわざわざ違う階の違う学科のこの教室まで足を運んでいるのだ。今日も今日とて教室から退出し下校へと移る生徒達と入れ違いつつすれ違いつつ、この教室へと入って来た。遅くなるから先に帰れと言ったのだけれど、面白がって居座っている。椅子に座って居座っているのだ。
これは余談だが、女子が席を立った際に残される、椅子のクッションが女子の尻圧によって変形した様子というのは、どうしてああも奥ゆかしいのだろうか。見ていて飽きない。触る嗅ぐの話ではない。造形美である。
「おい中村。それはどうなんだ?乳揺れって天然巨乳の子がマラソン大会の練習で必死こいて走る度にばるんばるんと揺れるんだけれど、本人はそれに気付かずマラソンに夢中。片や見学組の男子は天然巨乳に釘付けで、そちらの騒ぎでようやく自分のばるんがたゆんしてるのに気付いてそこで顔を真っ赤にして恥らうというのがあるべき姿なんじゃないのか?」
「はん、童貞がしゃしゃってんじゃねーぞ。強制された乳揺れが絶対だとは言わねーが、計算された乳揺れ――つまり、セックスアピールとしての乳揺れを侮ってんじゃあねーぜ。自身の魅力を知っている女のその魅力を最大限に生かした悩殺術に、罠だと理解しつつもかかりゆく男の気持ちをてめー何とするよ」
「じゃあ天然巨乳マラソンが養殖巨乳マラソンなら万事解決なんじゃないか?」
「おいおい、そんな大衆に見せ付けるクソビッチに興味はねーよ」
「ちょっと待って」
スルーされた九里古里が、寂しいのか構ってちゃんなのか自己主張の激しいタイプなのか、話に割り込んできた。
「ばるんがたゆんって何。天然巨乳マラソンって何。養殖巨乳マラソンって何」
「質問攻めはよくないぜ九里古里。物事は順を追うべきだ」
「実はそんな質問したくもないよ。興味ないよ。文化祭の出し物はいいの?」
「いやあ、今出す物といったら、なあ中村……」
「まァー、そうなるよな……」
「気持ち悪いっ!そっと二人してズボンに手をかけないでよ!三点リーダが異常に気持ち悪いよ!」
三点リーダって何?意味の分からない罵倒を俺たちに浴びせた九里古里は、やがて落ち着きを取り戻し、乳を揺らしながら席を立った。ばるたゆっ。
「……出し物考えるなら手伝ってあげようかと思ってたけど、私もう帰るね。たぶん今日は文化祭の話題に触れないと思うから」
「出すとか手伝うとか、触れるとか、何なん?誘ってんの?」
「少なくとも今は誘ってねえよ!馬鹿!それとも後でする!?ん!?」
……いや、しないけども。
レアなキレ方をして九里古里は教室から出て行くのだった。
少なくとも今は、という部分が引っかからないでもないが、気にしないことに。
「…………ちーっとばかしやり過ぎた感はあるが、アレだな外喰」
「何だよ」
「鼻フックした時の無様さが増すから、鼻毛は完全に処理されてなくていいな」
俺と中村は、静かな教室で互いの拳をかち合わせた。
「おろー?要ちゃんじゃん。どうしたのこんな時間まで。課題か何か?」
日の暮れた駅前で麻柄々と会った。
流石は『繁栄派』――神出鬼没というか、こう、とても庶民的なばったり感だった。
「何故今封印騎士団の元団長の名前を口走った」
「誰もオロー団長の話はしてないよ。おろー?って緋村抜刀斎の感嘆詞と似たようなものだよ」
「そうかい。……課題っちゃ課題なのかもな。お前こそ何してんの?キャッチ?」
「殺すぞ」
麻柄々が俺の額に指先を向けるよりも早く、俺は両手を頭の上へと上げていた。手馴れたものである。中々のホールドアッパー振りだと自賛したい。
「仕事だよ。要ちゃんは部外者だからこれ以上は教えてあげないよ」
「ああ、そう。いいよべつに。俺、血生臭いのは事務所NGなんで」
「私と血生臭いことした仲じゃないっすか」
「その言い方やめろ」
中村万推という男が思いの外使えなかったので、文化祭の出し物については何一つとして決まっていない。というか意見すら出ていない。もう本当何をしていたのか分からない。
楽しい時間ではあったのかもしれないが、今となってはただただ嫌な疲労感が残るばかりである。
ずっと同じ姿勢で話をしていたせいもあって、体が痛いような気もする。おもむろに肩を回して柔軟だか何だかを図っていると、麻柄々が心配そう(でもない)な顔で。
「お疲れみたいっすね。ねえ、何かあったのってば。悩み事でもあるの?聞くよ?」
「悩み……。悩んではいないかな」
悩めよと自分でも思いながらも続けた。
「ただちょっと考え事と言えば、考え事かな」
「ふーん。要ちゃんも真面目なこと考えるんすね。いっつもエロいことしか考えてないのかと思ってた」
「俺をエロい人みたいに言うなよ。べつにお前の乳首の色を想像するのがわりと楽しいとか、そのくらいだよ」
「ばんっ!」
口で言ったし、マジで撃った。
当てられはしなかったけど。空に向けて撃ったけど。
そいつは、脅しの道具じゃないんだぜ。
正直ちびるかと思った。学校を出る前にトイレ行っておいてよかった。
「要ちゃんが私の乳首の色をどう想像してようがいいんだけどさあ。相談とか、してくれていいんだぜ?要ちゃんはクソみてーなド変態だとは思ってるけど、もう友達だとも思ってるからさ。頼りにしてよ」
「酷いことを言うよな」
「要ちゃんだって私のことをクソビッチだと思ってるんでしょ?」
「そうだけど……」
俺は、ある種のチキンレースを楽しんでいるのかもしれない。
「いいしいいし。べつにいいし。千切ちゃん家に泊まった時、酔って脱いだのは事実だし。要ちゃんの布団に潜り込んだのも事実だし。要ちゃんから見た私の印象は要ちゃんに一任するよ」
千切ちゃん家に泊まった時とは、夏休みの間に、俺と初古、麻柄々の三人で九里古里のアパートに宿泊した時のことを言っている。それはここでは語らないけども。
「じゃなくて、じゃなくて。何か力になれるならなるっすよ。全然助けますよ。どう?お姉さんに相談してみ?」
「お姉さんって感じかよ」
「お姉さんって感じじゃない?要ちゃんより年上だし、要ちゃんより大きいし」
「そりゃあ、俺におっぱいはねえよ」
「おっぱいのサイズじゃねーよ」
身長のことに関していじられそうだったので、いじる部位をおっぱいにシフトチェンジしておいた。
身代わりおっぱい。
「そこまで言うなら言うけどよお姉ちゃん」
「何すか僕」
「今度、うちの学校で文化祭めいた謎の催し物があるんだよ」
「あー、千切ちゃんも言ってた。去年の時は教えてくれなかったけど、今年は言ってた」
何だその壁。女子同士の、壁。
「それで、クラスの出し物の実行委員を押し付けられちまってさ」
「あっはは。何にするか迷ってんの?いいじゃん。やりたい放題で」
「いや麻柄々さんはヤりたい放題かもしれませんが、僕らはまだ学生なので……」
刹那!顎の下に麻柄々の爪が触れる。指先が、つんと当てられる。
「焼きそばとかでいいんじゃないっすか?定番」
俺の顎に銃口を突き付けたまま、麻柄々は続けた。
「焼きそばはもう他でやるんだってよ。というか食い物系は全部取られた。もはやスペースもない」
「スペースないの?じゃあもう無理じゃん」
「俺らの教室で、作品展示があるんだけど、そこの隅を使うか、もしくは夏は暑くて冬は寒い渡り廊下が一応空いてる」
「おっ、いいじゃん渡り廊下。やるのは秋だし時期的にもキツくないでしょ。そこで蝿の栽培でもしてれば?」
「悪趣味過ぎィ!」
確かに実行委員を押し付けた連中は少なからず憎らしく思っているけれど、だからといって何もそこまでではないよ!蝿を校内に撒き散らしてパンデミックするほど恨んではいないよ!
あと蝿は栽培するものではないよ!
麻柄々の指が顎の下から離れるのを感じ、同時に安堵するのを感じ。素朴な疑問が浮かぶ。
「だけど麻柄々、蝿を育てるならまずは蛆じゃないのか?」
「蝿が先か蛆が先か――みたいなね」
「それは蛆が先だけど、言われてみれば卵生の生物なら何にでも適応できるよな」
「蝿が先か卵が先かってことすか?」
「恐竜が先か卵が先か――とかさ」
「遡り過ぎて逆に話が見えなくなってるような気もするけど、鳥の祖先は恐竜なわけだから、話自体は変わってないのかな」
「つまり鳥が先か恐竜が先かってことになるわけだ」
「それは恐竜が圧倒的に先だね」
「なら鳥は卵と争っていると思っているだけで、実際卵は鳥の祖先である恐竜と争っているんだから、『鳥の奴、卵さんをライバル視とか思い上がりも甚だしいよねー』って話が終着点、か?」
「鳥が争っているのは鳥の卵なんすけど。そもそも争ってはいないし。というか終わりのない話について終わりのなさそうな話をしておいて終わらせるつもりあったのね」
「うん?俺は活路を常に探しているからな」
逃げ道ともいう。
「話が逸れちゃったけど、何だっけ。蝿の話?蛆の話?」
「蛆といえば、お前の脇腹から出て来た蝿は、最初から蝿だったのか?蛆が超速成長したとかじゃなくて」
「トラウマ!トラウマ!ほじくらないでよ!」
俺の唾液が対象に蝿の卵を産み付けるのか、蛆を直接散布するのか、はたまた成虫の蝿を散布するのか。べつに、どうだっていいんだけど。
「麻柄々。ほじくらないでよ……って、もう一回しっとりとした感じで言ってくれないか」
「嫌だ」
「そうか……」
ずれてきたズボンを腰の辺りまで上げながら、俺は再び口を開く。
「まあいいや。悪いな引き止めて。人殺しに行くんだろ。遅刻しちゃまずいんじゃないのか」
「引き止めたのは私の方っすけど。殺すかどうかは分からないねー。行ってみてだねー」
灰色の前髪と、黒色の後ろ髪を両手の人差し指でくるくるくるくると弄りながら、麻柄々は続ける。
「遅刻とか、べつにないよ。商談や決闘じゃないんだからさ」
「そうなのか」
「うん。時間は全然余裕。要ちゃんお腹空いてない?ご飯行く?」
「食事に誘われた!」
奢り。奢りで、いいんだな?
「いいっすよ。ファミレスか牛丼だけどね」
「ああ!俺はファミレスと牛丼が大好きなんだ!」
「やっすー」
「金がかかる男よりいいだろ」
「いやいや、ちょっと貢ぎ甲斐がないんじゃない?私は男に貢ぐタイプじゃないと自分では思っているけど、安くて何も言わない男より高くて喜んでくれる男の方が、たぶん女としては付き合ってて楽しい」
「安くて大喜びでいいんじゃねえの?」
「馬鹿みたいじゃん」
「ぐう」
難しい。
貢がれるにも気を遣わなくちゃいけないのか。何でもかんでも喜んでちゃいかんのか?飴と鞭じゃあないが、女の貢ぎ方にも良し悪し評価をつけなくちゃならんのか?
『自分の懐は満たす』『女の自尊心も満たす』「両方」やらなくっちゃあならないってのが「男」のつらいところだな。
なんて面倒臭い。
「じゃあ、どっか入ろうよ。私はお腹空いてないけど」
「え?あ、そうなの?ならいいよ。俺一人だけ飯食ってお前に奢らせるのは悪いよ」
「いいよいいよ、気にすんなって。何ていうかさ、ほら、アレだから」
少し間が開いた。
「要ちゃん見て気が抜けちゃったから、スイッチ切り替えるまで時間が欲しいだけ」
「声かけたのお前じゃねえかよ……」
「そうなんだけどね。まあいいじゃないっすか。ほら行こうよ。チョコ食べる?」
「食う」
麻柄々の上着ポケットから取り出された板チョコを受け取る。
スイッチ……ということは、殺すかどうかはともかくとして、暴力沙汰なのは間違いなさそうだ。俺を見て気が抜けたとは失礼な奴だ。俺はシリアスムードメーカーだ。
二人して板チョコをバリバリボリボリ食べながら歩く。
「……お前、明治ミルク派じゃなかったのかよ」
「んえ?ああ、初対面の時ね?『今は』って言わなかったっけ?私はチョコレート全般好きだけど、メインは板チョコなんすよね。定期的に常食板チョコをシフトしてるんすよ」
常食すんなや。糖尿病になるぞ。
あ、うん?でもこいつは『高圧縮衝撃炸裂弾甘美』の弾丸としてチョコのカロリーと満足感を消費できるから、糖も残らないのか。便利な異能だな。
見たことのないアルファベットのロゴが並んだ(既に破れた)パッケージを見ながら、呟いてみる。
「味うっすいな、これ」
「ね。うっすいよね。失敗っすよ。スーパーの輸入品コーナーで冒険してみたんだけど、やっぱりチョコは日本製っすね」
「まったくだな。だけど、ウォンカチョコは美味くね?あれ、結構好きなんだけど」
「あー!あれゲロ美味いよね!」
ゲロって……。
「でもこの辺じゃ全然見かけなくない?今度見つけたら箱買いしてやろうと画策してるんすけどー」
「ネットで買えばいいだろ」
「私、通販、できないの!」
「おばあちゃんか」
いや、おばあちゃんでも通販してるな。
「もうじき発売時期だし、俺ん家来ればやるけど」
「ま、マジっすか!?くれるっすか!?」
「金さえ出せば大量に仕入れるけど」
「よっしゃー!」
きゃっきゃきゃっきゃきゃきゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ麻柄々を横目に、味の薄いチョコをかじる。
というか、九里古里とかに頼めばよかっただろ。あいつAmazonで大人の玩具とか買ってるだろ。知らないけど。そこまで頭が回らないのか?アナログ人間というかただの馬鹿なのか?
「要ちゃん!今夜の晩飯は奢るけど、何かお礼をしようか!何がいい!?おっぱい!?おっぱい触る!?」
「おう!」
「へそ!?へそ舐める!?」
「おう!」
「もうする!?一発ヤっとく!?」
「おう!」
直後、二人は向かい合って速やかにファイティングポーズをとった。ビビットにしてスムーズな移行だった。
じり、じり。
テンションの落差にもはや俺自身ついていけてないが、互いに互いを睨みつけるようにして、一定の距離を保っている。
「ヤるわけないじゃん。ビッチビッチと言うけどさ、まさか本当にチョコで身体を売ると思ったの?」
「お前こそな。そんな軽率な一時の感情で、俺がそうも簡単に童貞を捨てるとでも思ったのか?」
何故か俺はダメージを受けた。
「ま、冗談はこの程度にしてさ、一つ貸しね。何かあったらいつでも言ってよ」
「借りだろ。何さらっと俺の非だけを増やしてくれてるんだ」
「ああ、そう。借り借り。私が一つ借りね。でも要ちゃん、貸し借りを非だなんて捻くれてるよ。そんなんじゃモテないぞー」
「こんなんだからモテてねえよ」
「知ってる……とは言うけど、千切ちゃんにモテモテじゃないっすか。モテ期ってヤツ?もう二度とないだろーからねー。大事にしなよ?」
その憐れむような目をやめろ。
「大事にするってのは……九里古里をか?」
「ううん?モテ期を」
「どうやって!」
そりゃできるものならしたいけども!今俺にモテ期が到来していると仮定してそのモテ期を長引かせることができるのなら何でも(とはちょっと言えないので)ある程度の努力は惜しまないつもりだけども!
ループ物ならいいのだろうか。ループ展開に突入すればいいのだろうか。永遠にモテ期を繰り返し続ける男。いや、でも、そうなったって、モテ期が続くだけで、ただモテ続けるというだけで、その先がないのでは何の意味もない。
ただモテたって何の意味もないんだよ!分かったかモテる男は!死ね!
「……違うだろ、麻柄々。大事にするのはモテ期じゃなくて、モテ期に得た経験だろ」
「おっ、いいこと言うねー要ちゃん。じゃあモテ期が過ぎてから『あの頃はよかったなあ……』ってしみじみするんだ?」
「しねえよ!何でだよ!そういうことじゃねえよ!モテ期間での酸いや甘いをその後の人生の糧にするという意味で言ったのであって縋るための過去にするつもりは一切ねえよ!そもそもお前いいこと言うねって言ってんだろうが!」
「おーおーいいねー。そうやって生き生きと突っ込んでれば、そのうちイきイきと突っ込めるようになるよ」
「何の繋がりもないしここへきて最低の下ネタだな!」
この後麻柄々に飯を奢ってもらったが、文化祭の出し物については何一つ触れなかった。




