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異行  作者: yoho
その3
33/47

033

 血も涙もない、という表現について、思うところがある。

 血も涙もない、ということは、血も出なければ、涙も流さない。ということなのだろう。

 時として――というより大抵の場合――いや、例外なく罵倒や侮辱の意味で使われる言葉ではあるんだけれど、でも、思うことがあるのだ。

 血も出ない。涙も流さない。それはひょっとして完全無欠の人間なのではないだろうか。

 まさか本当に血も涙もない筈がないから、あたかも血も涙もないような人間、ということなんだろうけども、それでも、その完全無欠の――いわば超人めいた人物に、人は。大衆は。つまりその言葉を言い放つ側は、一種の憧れみたいなものを抱いているのではないだろうか。

 自分より優れたものを異端と言い捨てて。切り離して。

 強いものを英雄と賛美するのではなく。

 怖いものを化け物と卑下するのだ。上にいるのに卑下というのもどうかと思うが。

 つまり何が言いたいのかというと、血も涙もない、と、そう呼ばれた人は、決して悔やむことはないし、むしろ誇って然るべきだろう。完全無欠の超人と、称されているわけなのだから。

 それはそうと、血も涙もない少女は、無理やりされても血も出なければ涙も流さないのでしょうか。教えてエロい人。











「やっほう外喰くん。いい天気だね」

「よう九里古里くりこり。いいおっぱいだな」


 星山ヶ城情報専門学校の本館3階、北側階段踊り場。朝の雑談といえば決まってこの場所である。 

 昨日――というか、もう今朝の出来事だ。今日未明の出来事だ。

 外喰要が『繁栄派』アジトに突入して、監禁拘束されていた九里古里千切ちぎりを助け出したのは。

 嫌なことをわざわざ思い出させるのも悪いので、俺からはそのことについて触れはしないが。

 

「うん。本当に。晴れてよかったね。気分爽快。お風呂も久々に入れたし。もう臭わないでしょ?」


 そう言って九里古里が首を右側に反らした。あおり気味に。

 嗅げよと言わんばかりに。


「それは、臭わないでしょふふんと得意になってるのか、それとも首筋のにおいを嗅いでいいのかどっちだ」

「嗅いでいいよ。あとにおいって言うのやめて。においって言って」

「いい匂いだったらにおいって言ってやるよ。臭かったらにおいって言う」

「分かりづらいなあ……」


 声に出すと何を言ってるのか分からない。そもそもどうして九里古里が俺の発言の意図というかニュアンスを感じ取れたのかが分からない。


「しかしあれだな。こうして嗅げと言われてみると嗅げないもんだな。予期せぬ形で嗅ぐのは全然いいんだけど」

「何も嗅げとは言ってないよ。嗅いでいいよって言ったんだ。嗅ぎたくないなら嗅がなくていいんだからね。嗅ぎたかったら嗅いでくれていいんだよ」

「そりゃ、嗅ぎたいか嗅ぎたくないかで言ったら嗅ぎたいに決まってんだろ。というかむしろ、女の子の匂いを嗅ぎたくない男なんているの?」

「私に聞かれても知らないし知りたくもない。ただ外喰くんだったらいくら嗅いでくれてもいいよ」

「お前、何だか以前よりオープンというか開放的というか、痴女っぽくなったな……」

「痴女って言い方やめてよ。誰にでもこういうことを言ってるみたいじゃん」

「分かった。認識を改めるよ。お前は俺に対してのみ痴女なんだな」

「いや。いや……違うよ?そもそも私は痴女じゃないっていう前提があるんだ。その前提を踏まえたうえで聞いてほしい。私は外喰くんがエロエロだからそれに対してエロく攻めてみようと思ってこうしてるだけで、べつに私自身が元からエロかったわけじゃないよ?」

「俺がエロエロと言われてもな……。俺は特別性的な魅力に溢れているわけでもないし、自分で言うのは癪だが童貞なんだぜ。全く微塵もエロくなんかねえよ」

「そこまで謙虚に否定されるとこっちとしても言い返しづらいんだけど……。ひょっとしてそれが狙いだったのかな……。いや、でもね、外喰くん。君は、エロいの大好きでしょ?」

「どうかな。ひとえには言い切れない議題だぜ」

「何だよもう……。往生際が悪いなあ。エロいの大好きって言えばいいじゃん。私、付き合ってもない人に胸を触られるのは嫌だった――というか今でもそれは抵抗があるけど、外喰くんがそれで落ちるならそれでもいいと思い直したんだ」

「俺に言うなよ……。というか今あさだぞ……」

「朝だから何?24時間世界のどこかで誰かしらセックスしてるんだよ」

「生々しい話はやめろおっ!」


 そういう単語を出されちゃうと逆にやりづらい。

 先手を打たれた――とでも言うべきか。言うべきか否か。たぶんどっちでもいいし、きっとどうでもいい。


「あのさ、九里古里。お前は分かってないようだから言っておくけれど、触っていいよと言われて触る馬鹿がいると思うか?いねえだろ。そんなもんまず罠を疑うよ。どこにポリスを待機させてるか分かったもんじゃねえ。仮に罠でなかったとしても、触っていいおっぱいを触ったところで、それは触ってもいいおっぱいだろうが。触っちゃいけないおっぱいを触る快感と比べりゃ格段に劣るもんなんじゃねえか?」

「何を言ってるんだろうこの人。でも外喰くん。付き合い始めたばかりの彼女に『いいよ……?』って言われたら、ときめくでしょ?」


 九里古里は俺より少し背が低い。はいている靴はヒールでも厚底でもない。

 中々演技派である。

 普段は淡々と喋り倒す奴だからこその、ギャップ萌えとでも言うのだろうか。言うのでしょう。

 上目遣いしつつ、少しだけ胸元をはだけさせて、小首を傾げながら、吐息混じりに『いいよ……?』と言い放ったのだ。何がいいんだ。何をだ。


「ああ、ときめくな。それはときめく。そりゃそうだ」

「外喰くん、どうしたの?ときめくのは分かったけど、何でしゃがみこんだの?お腹痛いの?」

「そうそう、腹痛え。あー、腹痛え。盲腸かもしれんなこれは」

「大丈夫?本当に痛いなら救急車呼ぶけど」

「いや、その必要はねえよ。俺救急車に乗ると四散して死ぬから」

「何そのスプラッターギミック。えげつない構造してるね」


 口からでまかせ。


「それはそうと一限始まるよ。もうこんな時間だね。楽しい時間は過ぎるのが早いって本当だよ。外喰くんと話してると、すぐ時間経っちゃうもんなあ」

「あんまり俺のことを良く言うと怒るぞ」

「外喰くんは気難しいね……」


 恥ずかしいわ。

 クッソ恥ずかしいわ。

 大体お前こんな階段の踊り場なんて人目に付くところで長々と変な会話しやがって聞こえなくとも目にはつくんじゃお前付き合ってると思われたらどうすんだよ。

 それに、あんまり好き好き言われると、振りづらいじゃん。

 俺はお前と付き合うつもりはないっつってんじゃん。

 誰も幸せにならねえぞ。


「私は外喰くんのこと好きだけど、べつに外喰くんが私を好きでいる必要はないからね。好きになってくれたらそんなに嬉しいことはないけど、でも、強要はしないし、できないし、したくない。嫌いなら嫌いって言って。ウザかったらウザいって言って。君の前では泣かないようにするよ。私は外喰くんを好きでいられることが、もうそれだけで嬉しいから」


 あーあ。こんなことまで言っちゃってるよ。

 この場合、九里古里に惚れない俺が悪いのだろうか。

 色々あったし、ツタヤで話した時よりも仲良くなっているし、好きか嫌いかで言えばそりゃ好きだけれど、でも付き合いたいかと問われればそれはどうなんだろう。

 以前と答えは依然変わらず。

 中途半端な気持ちでは、応えられない。

 それがどういう結果であろうと。

 全か一か。二者択一。半熟卵。

 ただ、セクハラは続けていくつもりです。

 とんだクズ野郎――もとい、外喰要です。











「平然といるのな、お前」

「は?登校は学生の義務だろーが」


 当然のように当然のことを言ってのける中村にイラっとしながら、俺は自分の席に着いた。

 担当教員が既に教卓の前に立っている。始業の鐘(放送)は鳴っていない。


「うわー、嫌だなー。悪の組織のトップが後ろの席にいるなんて嫌だなー」

「悪の組織半壊させたテロリストが前の席にいる方がこえーよ」


 半壊って言うほどか?

 確かにロビーは滅茶苦茶にしたし、通路の壁も削りまくったけど、半壊って言うほどじゃなくない?主力メンバーを6人と構成員も数十人倒したけど、全員無事なんだろ?じゃあいいじゃん。

 あとテロリストって言うな。


「それと外喰、訂正するけどな。俺はあくまでランキングのトップであって組織のトップじゃねーぞ」

「あ?上層部って奴らがトップ?」

「まーそうだな。『奴ら』って複数形なのにトップってのも変な話だがそうだ。俺はあいつらに口出しできるけど、はっきり言ってめんどくせーからほぼノータッチ。言われたことをこなしてる方が楽でいいぜ」

「じゃあお前下っ端とやってること変わらねえんじゃねえの?」

「そーかもな」


 教室内の他の生徒は、各々別の会話をしている。

 聞こえているかもしれないが、聞かれたところで、頭のおかしい設定をなぞる頭のおかしい二人にしか見えないだろう。

 問題はなかった。


「そういやお前は、どんなことやってるんだ?『戦闘班』とか、『勧誘班』とかあるんだろ?」

「俺は『戦闘班』だな。勧誘は向いてねーし、諜報もできねー。会計もできねーし、宴会の盛り上げもできねー」

「え、何?『繁栄派』って『会計班』とか『宴会班』まであんの?」

「いやねーけど」

「ないのかよ!」


 何で言ったんだよ。


「あるわけねーだろ。つーか、他の連中が何やってんのかなんて興味ねーわ」

「何だよ使えねえな。お前から『繁栄派』のことを色々聞き出そうと思ってたのに」

「聞き出そーって?なるほどな、お前も中々性格の悪いこと考えるじゃねーか。クラスメイトの性格が悪いことが発覚した記念だ。一つ教えてやるがな外喰。鴉の部屋は換気扇が付いてる」

「クッソどうでもいい!」


 煙草を吸うから換気扇?

 それを聞いて俺は何に活かせばいいんだろう。


「それって、あれなのか?上位ランカーだから、特別待遇みたいな」

「そーゆーことだな。つってもまあ、やることやってりゃ金が貰えるわけだから、各自勝手にやりゃいーんだけど。とはいえ換気扇付けるのは流石にな。工事の人入るし」

「アジトに一般人入れていいのかよ……」

「あー……そこはあんま深入りしねー方がいいぞ。今日一日のコンディションっつーかテンションに関わる」

「恐ろしいぼかし方すんなや!」


 消されたのか!工事の人工事終わったら消されたとでもいうのか!無慈悲な!


「実際には目隠ししたまま関係ねー所を車でぐるぐる走り回って、部屋まで着いたら工事だけさせて、帰りも同様ってことらしーぜ」

「でも、換気扇じゃ部屋の外まで出るだろ。それはいいのか?」

「そこに気付いちまったか。無駄に鋭いなお前も。真実を話そう。ただの工事の人に知られたところでどーということもねーから普通に呼んで普通に工事させて普通に帰した」

「この上なく普通!」

「ちなみに俺の部屋のテレビは80インチだ」

「うわ、なんか素直に羨ましい」

「おーなんだ。今度見に来るか?そん時は俺以外の異能力者が完璧な布陣でお前を迎え撃つだろーけど」

「うわ、なんか絶対行きたくない」


 まあ、そりゃそうなるよな。あれだけのことをしたんだし。

 しかし、あれだけのことをして、上層部共々俺にノータッチという姿勢を貫かせたこいつは、一体何をどうしたのやら。


「べつに何も?外喰の勧誘に失敗したから、俺が一層頑張りますと――あァ、べつに敬語で喋っちゃいねーが、そう言っただけだよ。渋い顔を渋くさせて、それ以上はあいつら何も言わねー。無口な年寄りは怖いな。死体みてーで」

「酷いこと言ってる!」


 超酷いこと言ってる!

 滅茶苦茶酷いこと言ってる!

 無口な年寄りが死体みたいって!

 尋常じゃなく酷い!

 流石は『繁栄派』内部ランキング序列1位!キレッキレだあ!


「あーでも、牙綺きばきには気をつけろよ。あいつ、まだお前のこと恨んでるみてーだから」

「とんでもねえ逆恨みだよ。というかあいつは恨むべきなのは鴉じゃないのか?」

「そこんとこどーなんだろーな。変態の考えることは分かんねーよ。俺は変態じゃないから」

「それもそうだな。確かにいくら考えても答えが出る筈がないよな。俺は変態じゃないから」


 始業ベルの放送が鳴り響いた。











 やったぜ。

 いつもと変わらず中村と駄弁り、授業を終え、しつこく食い下がってきた九里古里と駅まで一緒に帰り、ついでに泊めてと言われたのでそれを断り、帰りの電車に乗り込んだ。

 ここで驚くべきことが一つ!

 空いてる!

 電車の到着を待つ人々の列の、最前線に俺は立っていた。珍しく。そのおかげもあり、更には乗客が普段と比べて気持ち少なめだったのだ。つまり、席が空いていたのだ!それも端っこ!肘置きがあり、隣の人が片方しかいない!無敵!

 俺は帰りの電車で座ることができたのだ。これは大きなアドバンテージである。寝れるし。

 俺が座った後から続々と、他の客が乗り込んできた。遅いのだ。もはや手遅れだ。この席は俺が座ってしまったのだ。お前らは立っているのがお似合いなのだ。

 優越感にひたっていた。

 浸っていた、その時である。

 黒装束が車両内に乗り込んで来るのが視界の隅に映った。

 そしてそのまま黒装束は、俺の眼前の手すり(天井からぶら下がってる方じゃなくて席から生えてるポールみたいなヤツ)に掴まったのだ。


「………………」

「………………」


 憂原うさはらだった。

 憂原やつりだった。

 昨晩から明朝にかけて俺を半殺しにし続け、挙句の果てに俺が食い殺しかけた『繁栄派』の少女であった。

 黒装束というか黒い学生服だった。

 制服の替えを持っていなかったのだろうか。昨日というか今日見たのとは違う服装をしている。一言で言えば夏服を着ている。

 そりゃあまあ、ズタボロの制服を着ていくよりは、衣替えフライングする方がマシだろうけど。でもこいつ、クラスで浮いてんだよな。凄いいじられそう。そもそも九里古里も、身体だけじゃなくて服も直してやりゃあよかったのに。まあ、身体も服も俺が引き裂いたんだけど。よくあの後で普通に登校したな、こいつも。

 憂原は、何も反応しなかった。

 俺に気付いてないのだろうか。

 携帯電話の画面を見ている。携帯電話の画面だけを見ている。携帯電話の画面だけを見るようにしている。

 外界を視界に入れないように精一杯のようだ。

 そっとしておこう。


「あ、外喰…………さん」


 そっとしておこう。


「ん、んんっ」


 どういう意図があるのかは分からないが、憂原は咳払いをした。

 そっとしておこう。


「外喰、さん」


 せっかく携帯電話の画面を見るのに夢中なのだ。邪魔をしては申し訳ない。

 そっとしておこう。


「外喰さん……で、合ってますよね……?名前……」


 俺のことを言ってるのなら合ってるよ。

 そっとしておこう。


「ねえ。ねえねえ」


 そっとしておこう。


「憂原です。昨日……あ、会いましたよね……?」


 電車はまだ出発しない。

 雑踏雑音にまみれてはいるが、普通に喋れば普通に通る。

 まるで一人で喋っているかのような憂原に対して、周りの乗客がどんな印象を抱いているかは知るところではないけども、当の憂原本人としては、一人で喋っている人という現状に不満があるらしく、というか恥ずかしいらしく、ふと目をやると耳が真っ赤になっていた。

 そっとしておこう。


「怒ってます……?怒ってますよね……?そりゃあ、怒ってますよねぇ……?」


 べつに何も怒っちゃいないが。

 そっとしておこう。


「せっかく会えたから、ちょっと聞きたいことがあったんだけど……。それは、あの、また今度に……というか、えっと……あ、いや、いいです。何でもないです。ごめんなさい。何でもないです」


 消え入るようにそうぼそって(ぼそぼそと喋っての略)憂原は俺の正面から立ち去ろうとした。

 声をかけてみよう。


「何だよやっちゃん」

「うひぃ!?や、やっちゃん?あたし?あたしのことですかぁ……?」

「他に誰がいるんだよ」

「高須泰子……?」


 どうして今そのやっちゃんを呼ぶのか。呼ばなきゃいけないのか。というか俺とらドラ!観てねえよ。

 あ、そういえば高須泰子も33歳だな。べつに誰と同じだと思ったわけでもないけど。33歳に何か思うところがあるわけではないけど。


「何だよ憂原。俺に聞きたいことって何だ。あとべつに怒ってねえから普通にしろよ」

「怒ってない?本当?散々ぶったけど大丈夫ですか?」

「俺が酷く情けなく聞こえるからやめろ!」


 事実情けなかったけれども!


「いいんだよそんなことは。俺もお前をグズグズにしてやったからな。痛み分けということにしようじゃねえか」

「引き分けってこと?」

「いや、俺の勝ちだけどな?」

「あっそう……」


 俺と憂原の勝敗など、今となってはどうでもいい。どうでもいいのだ。


「あの、あのね。昨日……昨日じゃないか。もう今日ですね。外喰さんが言ってたことなんだけど……」

「昨日から今日にかけて俺が言ったこととなると、かなり範囲が広いぞ。8話分くらい喋ってるからな」

「何の話ですか……」


 何の話だろうね。


「その時、ちょっと気になること言ってて。というか、言われまして……」

「どの時だ。お前に眉毛がないことに気が付いた辺りか」

「いつ気付いたんですか……。恥ずかしいからあんまり言わないでください……」

「お前に顔を押し潰されるちょっと前」

「あ、ああ……。近かったですからね……。でも確かに、その辺りだったかもしれません。確か、言ってたんですよ、外喰さん」

「何て?」

「あの、その、あーっと……あの、ほら、そ、その……」


 憂原の真っ黒な瞳は、俺を捉えない。捉えようとしない。避けまくっている!

 その時あの時何か言ったか。

 そもそも当時(今日のことだけど)は必死で何言ってたかなんて覚えてねえよ。

 思い返す。思い出す。思い込む。


「あ、そういやお前、何でもするって言ったよな?」

「え?あたし?」


 思い出した。

 俺が言ったことでもないし、憂原が希望しているのもこのことではないだろうけども。

 何でもするって言ったよね。


「あたしが言ったことじゃなくて……」

「いや、この際俺の発言なんてのはどうでもいいよ。お前は確かに言ったな。『助けて、お願い殺さないで。お願いしますお願いします。何でもしますから』と言ったな」

「何でそこは一言一句違わずに覚えてるんですかぁ……。というか外喰さん、その時怪物になってたじゃないですか。記憶あるんですね」

「記憶はある。しっかり聞こえてた。だから話をはぐらかすのはやめろ」

「ごめんなさい……。言いましたね。言いましたよ。何でもしますって。結果的に助けてくれたのは中村さんだったけど、その後あたしを殺す機会はいくらでもあっただろうにも関わらず、こうして登下校できてることに関して感謝の気持ちがあるので……はい、何でもします」


 こいつは言ったのだ。

 何でもしますと。

 憂原やつりは、外喰要に対して何でもしますとそう言ったのだ。

 命からがら、死に際と言っても過言ではない状況での発言だ。

 誓ったと言ってもいい。

 宣誓である。

 この女子高校生は、この俺に対して、何でもしますと、そう誓ったのだった。

 仕方がない。やれやれだ。俺にはまったくその気はないが、そこまで言うなら仕方がない。無理強いは好みではないが、本人の強い希望だというので致し方あるまい。


「俺と友達になってくれ」

「え?」


 あ。

 超恥ずかしい。

 死ぬかもしれない。

 恥ずか死。

 何言ってんだ俺。

 周りに乗客いるんだぞ。

 気持ち悪い。

 何だこの台詞。

 友達になってくれ。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 死ぬ。

 死のう。

 下校してる場合じゃねえや。

 死のうっと。


「外喰さん、凄い汗ですよ。顔も真っ赤だし。大丈夫……?」

「大丈夫じゃない。死ぬ。死のうと思う。これから忙しくなるぞ。さあて、死ぬ準備だ」

「殺してあげましょうかぁ」

「必要ない。心配ない。一人で死ねる。俺なら一人で死ねる」

「いや、だって、その、ね?と、友達なら、送って……あげたい」


 恥ずかしいことを言った俺に恥ずかしいことを返す憂原。

 恥の塗りっこ。

 友達になるだならないだと、そんな台詞を言うことがあるのかないのか俺の知る範疇を越えているので知ったこっちゃねえが、仮に言ってるんだとしたら、よく言えるもんだな。素面で。

 同時に、九里古里に驚愕した。

 あいつは俺に対して、友達になってほしいと言っていた。俺は承諾した。承諾しただけだ。

 なんて奴だ。

 凄まじい精神力。

 眼鏡。おっぱい。精神力。

 大した奴だ……。


「な、なあ憂原。友達って、何かもう響きだけで恥ずかしくねえ?」

「恥ずかしいですね。恥ずかしいですね、こういうの。でも何だかあたし、テンション上がってきました」

「変わってんなあお前。俺が言ったことなかったことにしてくんねえかな」

「え、嫌ですそれは。あたし友達一人目だったのに……」

「いいじゃねえかべつに。友達なんていなくたって死にはしねえよ」

「でも友達ほしい……」


 顎に梅干めいた皺を作って、目に涙を浮かべる憂原。泣くほどのことか……。

 というか電車内だよ。何度も言うけど電車内なんだよ。

 周りの乗客もう俺たち二人にドン引きなんじゃないか。案外そんなに気にしてないかな。電車を降りた後で、変な人が乗ってたってちょっと話題になる程度かな。だったらいいな。


「分かった。分かった憂原。こうしよう。俺は友達になろうなんてことは言えないことが分かった。今判明した。びっくりした。そしてお前にも無理だ。無理だろ?」

「無理です」

「じゃあこうしよう。今度だ。今度俺たちが会ったら。奇遇にもばったり偶然鉢合わせることが会ったら、その時既に俺たちは友達同士だ」

「今度会ったら友達……」

「そうだ。これならいいんじゃないか?何を解決しようとしてるのかも分からねえけど、きっとこれが俺たちにできる最良の手段だ。友達になる手段。これ以上は危険だ。はっきり言ってどちらか命を落とす可能性がある」

「今度会ったら友達……」

「話を聞け憂原。お前は友達がほしいと言ったな。俺も友達は実は多い方がいいんじゃないかとひっそり思ってたところだ。利害は一致してるな。だから、今度会ったら友達だ。自然と友達だ。俺にビビる必要はねえぞ」

「今度会ったら友達……」

「俺から挨拶はたぶんしない。お前からしろ。いいな」


 さっきの区切りと同じなような気もするが、発車のベルが鳴り響いた。

 この後――つまり、電車が走行というか運行している最中にも、憂原が何かしら話しかけてきていたような気もするけれど、電車の音で何も聞こえなかったのでスルーした。憂原はしょんぼりしていた。言ってしまえば、俺が電車を降りるまで憂原との会話は一切なかった。ついでに言うと、俺が降りる際に当然席を立つのだが、憂原がニヤついたまま動かないので邪魔くさいし気持ち悪いしで大変だった。俺の座っていた所が空いたので、一応座っていいぞと声はかけたけども、駅のホームで最後に振り返った時はまだじっとポールに掴まっていた。なんか怖かった。

 と、まあ。

 一見すると意味がないどころか意味が分からないどころかもう話終わってるんじゃないかというような、先ほどの俺と憂原の友達うんぬんのやりとりだが、その実我々にとっては意味がある。意味があるというより、これ以外の方法がない。

 そこまで言ったらもう今友達でいいじゃんと思うかもしれないが、俺自身そう思うが、しかし、友達がいない、あるいは少ない人間――作れない人間は「俺たちもう友達だろ?」とか言う感覚が分からないのだ。

 何をしたら友達なのか。

 どこまでいったら友達なのか。

 友達なのか知り合いなのかクラスメイトなのか先輩なのか後輩なのか同僚なのか上司なのか部下なのか戦友は友達なのか穴兄弟は友達に含めるのか。

 友達の定義を深く考え過ぎてしまう、と、言えばいいのか。

 仲がいいと思っている相手に、俺たち友達だよな?なんて聞いて、微妙な反応をされてみろ。俺はそいつと一切の関係を絶つだろう。

 だから、最初に友達であると銘打っておかなければ、安心できないのだ。枕を高くして眠れないのだ。

 だから、双方承知のルールを設けた。

 今度会ったら、その時既に友達。

 実に分かりやすい。

 次に会った時は、気軽に話しかければいい。自分が抱く友達への接し方をすればいい。失敗したところでいいのだ。もはや友達なのだから。

 いつ会うのかは分からない。

 それまでにどちらかが心変わりしているかもしれない。

 もしそうだったとしても、それはそれでいいのだ。

 そこで友達になれなかったのならば、そもそも友達としてやっていくことなどできなかったのだろうから。

 それはさておき、私は無事に翌日の電車内で憂原やつりちゃんと友達になりました。

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