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異行  作者: yoho
その3
32/47

032

「外喰お前、俺よりちっちぇーな」


 聞きなれたクラスメイトの、そんな声。

 中村万推ばんすいの、そんな一言。

 何と何を比べてそんなことを言っているのか。

 虚ろに俺は考える。


「何ってそりゃお前、ナニとナニだろーよ」


 俺は、全裸で立ち尽くしていた。


「アイエエエエ!ゼンラ!? ゼンラナンデ!?」


 激しい動揺が俺を襲う!

 そこへ、背後から九里古里くりこりが。


「大丈夫だよ外喰くん。私は、外喰くんのお尻しか見てないから、大丈夫」


 何がだ。

 何が大丈夫だ。


「ごめんね。服の切れ端でも残ってれば、一緒に直すことができたんだけど、バラバラ散り散りみたいでさ」

「い、いや、いいよ……。悪いな、助けに来たのに、逆に助けられちまった」

「そんなことないよ。外喰くん、あんなに無理してまで、戦ってくれたんだよね。ありがとう。嬉しい。ありがとう」

「全裸でいいムードすんなや」


 中村に、すっぱりと流れを切られる。

 そうだよ――こいつ。


「おい中村、お前……」

「話は聞くけど、その前に隠せよな」

「え、あ、ああ……。それもそうだな」


 周囲を見渡す。

 中村の向こうに、憂原うさはらが倒れている。死んではいないだろう。学生服は開けにくいお土産の包装紙の如く裂かれているが、身体に損傷はない。もちろん恐らく、九里古里が治していたんじゃあないですかね?

 意識もないようだ。さっきのさっきまで喋っていたし、失神しているわけでもないだろう。緊張と恐怖から解放されて、眠ってしまったのだろうか。

 俺は憂原に近づいて、所々裂け目の入ったスカートに手をかけた。


「ちょっと待って。ストップ。ストップ外喰くん」

「何だよ九里古里。お前まさか、俺にずっと全裸でいることを強要するつもりかよ。流石にそれはないぜ。引くわー」


 俺のことが好きだとは言え、そこまでの変態だとは思わなかったわー。


「寝てる女の子の服を脱がそうとするのもどうかと思うよ」

「起きてる女の子の服を脱がすよりはマシじゃねえか?」

「どっちもどっちだよ!」

「ったく……じゃあどうしろって言うんだよ。マジに全裸を強要するつもりかよ」

「違うよ」


 そう言って九里古里は、上着を脱いだ。春と夏の間のこの時期である。薄手の長袖を一枚。乾いて変色した、血の付いた上着を脱いで、俺に差し出した。


「これ、巻いて」


 たゆん。

 硬い殻を打ち破ったかのような。

 重い鎖を解き放ったかのような。

 冷たい氷の幕が溶け去ったかのような。

 九里古里の豊満な、その豊満なバストが、豊満至上豊満な、はなはだ豊満なバストが、あらわになった。

 たゆんと。ぶるんと。上着を脱ぐ際に、胸が――乳房が引っかかるというか、押し退けられるというか、そういった要因に依り。見事、無事に脱ぎ抜くことができた暁には、めでたく解放された二つのおっぱいは、重力も手伝って、それはもうあられもなく暴れよった。暴れよったのだ。ばるんっ!

 ブラジャーをしていてもこんなに揺れるものなのでしょうか。僕は服の上から揺れているのを見て、その場合、この人はブラしてないんじゃないか、なんて、思っていたのですけれど、そんなことはないのでしょうか。むしろ、ブラしてる方が揺れるとかいうトリックがあるんでしょうか。いえ、ないと思います。


「は、外したら、もっと凄いのか……?」

「……万推くんは見ないで」

「あ、ああ、悪ィ……」


 中村も、見ていたらしい。

 そりゃあそうだろう。

 あいつ、九里古里の乳揺れを眺めるのが趣味だ何だとのたまっていたし。

 そりゃあ見るだろう。

 そうでなくとも見るだろう。

 男なんだし。男なんだから。そりゃあ見るだろう!

 というか、俺の発言に触れないのかよ。そりゃ「もっと凄いよ」とか言われても困るけど。いや、とは言え、今回ばかりは俺も怒られようとしてこんな発言をしたわけではない。こんな失言をしたわけではない。

 つい口から出てしまったというだけのことだ。

 つまり、あれが俺の心からの言葉である。


「いや、しかしお前、脱ぐと凄いな……。下着の上からとは言え、生乳を見たのが初めてだからかもしれないけど……でかいな」

「はは……、あんまり褒められると、照れるな……。そう言う外喰くんは――その、私は平均とか分からないんだけど、想像との差異で言うと……小さいね」

「お前らTPOをわきまえろよ」


 中村が珍しく正論を放った。











「そーだぜ。俺は異能使いで、『繁栄派』で、ランキング1位だ」


 無人の受付。砕けた柱。僅かに無事な椅子に座って、中村はそう言った。

 俺はというと、九里古里の上着を腰に巻いて(隠しきれている)、同じく無事な椅子に座っていた。

 九里古里も同じく、無事だった椅子に座っている。腕は肩を抱く――というより、胸を覆う(覆いきれていない)ような体勢で、座っている。

 憂原は床で寝ている。


「隠してて悪かったな。べつに何が何でも隠そーと思って隠してたわけじゃねーし、バレたところで何の問題もねーけど」


 中村は、いつも調子でそう言った。


「……お前、俺のこと知ってたんだろ?」


 学校で、何も言ってこなかったことに対して、不満があったというか、何というか。

 そんな意味があって、俺は中村に聞いてみた。


「そりゃーな。『新進気鋭の異能力者――外喰要。右腕を異形の化け物に変身させ、脅威の戦闘能力と再生能力を誇る要注意人物。無造作な黒髪に、やる気なさな面構え。目つきは悪く三白眼。左目元に泣き黒子ぼくろ。若干童顔で、身長は160センチ程度。よくパーカーを着用しているのを目撃される。たぶん童貞』……流石に他人じゃねーだろうと思ったね」

「決定打は最後の一文じゃないだろうな」


 返事はなかった。


「変身は右腕だけって聞いてたんだけどな。どーゆーことだよ」

「俺だって分かんねえよ。今までは『腐喰の王コラゼブル』の――この異能の、一部だけを使ってたってことなんだろ」

「んなスクライドみてーな」

「スクライド言うな」

「異能が暴走するってのは、まあない話じゃねー。大抵は発現直後とかだったりするけど、お前の場合は、完全に発現した直後っつーべきか」


 完全に発現。


「暴走も暴走だ。いーとこだぜお前。女子高生の踊り食いとか」

「その言い方やめろ!」


 どう捉えても犯罪じゃねえか!

 ナニが暴走してるんだそれ!


「つーか、あんまだべってる時間もねーんだよな」


 中村は、俺の方を見たまま続けた。


「お前が九里古里を連れて脱出するなら……だけど」

「………………」


 こいつは、分かってるのか。

 分かっていて当然か。


「止めないのかよ」

「俺自身はともかく、上は黙っちゃいねーだろーな。九里古里の『隷属回帰バニッシャー』は『繁栄派』にとっちゃでけーメリットだ。それをむざむざ引き渡すと思うか?思わねーだろーよ。そのうえ、こうも大打撃を受けた現状だ。外喰要を何が何でも始末しよーとすんじゃねーか?」

「お前もか?」

「上に言われりゃな」


 刃物で肉を深く裂いたような、そんな傷ましい目と口で、中村は言う。

 人を殺したような顔をしていると常々思っていたが(思っていたし本人にも言ったことがあるが)、本当に殺したことが――これはありそうなものだ。


「九里古里を奪い返し、外喰を殺す。これがたぶん、現状『繁栄派』が目標にすべきことだ。加えて言やぁ――言わんでも分かるだろーが、お前がのしてきた今までの連中に、そいつは無理だ。宮方も麻柄々まからがらも鴉も余口よぐち牙綺きばきも仕宮も憂原も、お前を殺せない。お前の方が強ェ。あ、いや、憂原に限ってはお前より強ェのか」

「……お前には?」

「無理だろーな。俺はよく、失敗するからよ」


 けたけたけたと、中村が笑う。


「俺はお前と殺し合いたくはねーし、なるようになれと傍観者を決め込んじゃいたが、九里古里が酷い目に合うのも実の実を言うと好ましくはねー。だから外喰、提案させてもらうがよ。九里古里を奪い返し外喰を殺す以外の解決法」


 俺だって、中村と戦いたくはない。

 友達――ではないが、仲良くできてた方だと思う。

 気を遣わない、馬鹿なクラスメイトだ。

 それを失いたいとは、思わない。


「お前が『繁栄派』に入れ。それで全部丸く収まる」

「ふざけんな」


 『繁栄派』の勧誘。

 何だかちょっと久しぶりに受けた気もする。

 もちろん答えは、変わりはしないけども。


「誰が入るか。そんなもんクソ喰らえだ」

「入れよ。てめー次第だ。事を荒立てたくはねーだろ?」

「荒立てたくねえよ。できれば絶対、何が何でも荒立てたくはねえ。だけど、『繁栄派』に入るなんて選択肢は最初から存在すらしてねえ」

「そー頑なに拒むなよ。入ってみりゃ何のことはねーぞ?危険思想の異能集団。結構じゃねーか。すぐに慣れる。お前だって余口とかとは仲良くやってんだろ?」


 そうだ。

 初古は違う。

 初古は違かった。

 今回の件を、知らされていなかった。

 あいつは例外だ。

 だけど、それ以外の連中は。


「中村。九里古里の拷問は、知ってたんだろ?」

「あ?知ってたよ。だからそー言ってんじゃねーか。話の分かんねー奴だな」

「お前、本気で言ってるんだよな。九里古里がどうなるか、想像がつかなかったわけないよな」

「想像つくよ。牙綺が仕切しきんだ。ひでーことにはなるってことくらい分かる。九里古里には酷だけどな。それが『繁栄派ここ』のやり方だ」


 立ち上がった。

 拳に力を込めて。

 立ち上がった。

 立ち上がったと思ったら。既に拳は、中村の顔面に突き刺さっていた。


「何だよ外喰。カッカすんじゃねーよ」


 ついでに股間もポロリしていた。腰に巻いていた九里古里の上着が、ゆるりゆるりとほどけて落ちた。

 血液一つ垂らさない。表情一つ崩れない。

 人をなめ切った不快な笑みで、中村は続けた。


「熱くなるなよ外喰よー。九里古里に何の情があってそこまで激怒してんだよ。お前ほどの男が。惚れてんのか?」

「惚れてねえよ。友達なんだよ」

「そ、外喰くん。出てる、出てる」


 九里古里が緊張感のない慌てた声を出す。


「たった一人の友達なんだよ。お前だって、九里古里のこと散々可愛いだ何だと言ってたじゃねえか。あれは嘘かよ。冗談かよ。興味があったんじゃねえのかよ」

「嘘でも冗談でもねーよ。事実可愛いと思うぜ。それが?だから何だ?どーしろっつーんだ?」

「助けてやろうと思わないのかよ」

「思わねー。『繁栄派ここ』でやっていく以上はな。こういうもんは慣れていくしかねー。誰かがピンチになる度つっかかってたら、俺だっていられなくなるだろーが。そんな不器用な真似はしねーよ。アホくせー」

「お前……」

「お前は俺と似てると思ってたよ」


 突然(会話の最中に発言したのだから、突然とは言わないのだろうか。しかし、会話の流れを無下にした発言なのであれば、突然という言い方も間違ってはいないのではないかと、そう思う)そんなことを言い出す中村。


「なー外喰。お前も俺と同じで、真面目にやるのはかっこわりー、本気を出すのはクソだせー、そんな考えを持ってるもんだと思い込んでたよ。思い込んでたんだけどな。だけどどーにも、違うみてーだな?」


 何が言いたいのか。


「熱くなんなよ。うざってーな」


 中村万推はそう、自分の考えを、吐き出した。


「……確かに、そういうところもあるよ。真面目にやるのは格好悪い。本気を出すのはクソださい。熱くなるのはうざったい。そう思うよ。だけどな中村」


 俺は俺の考えをぶつける。

 人として。

 男として。

 クラスメイトとして。

 今朝見た女子高生がどうだとか、買ってきたエロ本がこうだとか、電車で向かいに座ったOLがああだとか、そういうのだっていいけれど。

 エロい話するだけが、友達じゃないだろう。


「俺はお前と同じなんかじゃねえよ。俺は必死で生きてんだ。明日のラッキースケベを期待して、一生懸命今日を生きるんだ。いつだって本気だ。お前と一緒にすんじゃねえ」


 はは――と。

 肉食獣めいた鋭利な白い歯を見せて、中村は乾いた笑いを上げた。


「はっはは。はは。ひひっ。ひっひっひぇははははは。相容れねーな。俺とお前は中と外。混ざり合う筈ねーよなー」


 中村と外喰。

 確かによくできた偶然だが、それをいうならお前は内村の方がよかったんじゃないの?


「やっぱり面白ェーな、お前。俺が今まで会ったどんな奴より面白ェーよ。だけどよ外喰、じゃあ何だ?お前は九里古里を助けて、明日のラッキーおっぱいを期待してるってことか?」

「違えよ。べつに九里古里はそんなんじゃねえ」

「あ?」

「ただの友達だって、言ってんだろ」

「ぶっ殺すぞ」


 特に低くなるわけでもなく。

 特にドスを聞かせるわけでもなく。

 いつも通りに、普段通りの、そんなテンションで、俺に殺意を向けてきた。


「あー、悪ィ。何でもねー」


 あ。


「中村、お前――」


 こいつに限って。

 そんな当たり前の。

 いじらしいほど恥ずかしい。呆れるほどに純粋な。

 下心こそあれど、恋心ではないものと思っていたが。


「九里古里のこと好きなの?」

「あ?」

「九里古里のこと好きなの?」

「……あ?」

「九里古里のこ――」

「聞こえてんだようるせーな!」


 この動揺。

 図星なのか。

 気持ち悪い。


「好きだぜ?だから前から言ってんじゃねーか。九里古里は可愛いって。九里古里の乳揺れを見るのが趣味だって。言ってんじゃねーか。やりてーって言ってんじゃねーか」

「いや、無理に汚い話にしなくていいよ。お前が九里古里に相手されてないのは知ってるけど。それなのにちょくちょくちょっかいかけてあしらわれて、笑いながら帰って来るの見てるけど。本気で好きだとは思ってなかった。お前って、恋とかしなさそうだし」

「おい。気持ち悪ィ話すんじゃねー」

「お前には言ってなかったけど、俺、九里古里に告白されてるんだ。知ってただろ?お前、初古から聞いてただろ」

「人の恋路にがっつくガキはうざってーよな、本当によ」


 それを知ったうえで。

 九里古里に告白されて、九里古里を振って、それでも好意を向けられている俺が。九里古里のことをあくまで友達と。そう言い張るのを見て。聞いて。

 何だかとっても軽い言い方になるけれど、つまり。

 イラついたのだろう。


「それで何だ。まさかとは思うが、九里古里を諦めるために、諦めざるを得ない状況を作るために、今回の件を見逃したとか、そういう話じゃないよな」


 中村は、黙った。

 俺も黙った。

 九里古里も何も言わなかった。

 あと俺は全裸だ。


「んなわけあるかよ。おセンチ野郎にもほどがあんだろ。気色悪ィ。そんな青春送るくらいなら去勢した方が手っ取り早いわ」

「嫌な奴ではあるけど、悪い奴じゃないもんな、お前。憂原が俺に食われる前に、止めてくれたもんな。クラスメイトの可愛い女の子が酷い目に遭うのを、見過ごす奴じゃ――ないもんな」

「事実見過ごしてんだろーが」

「それだけ好きだったんだろ。そうでもしなくけりゃ諦められないくらい、好きだったんだろ」


 好きだ何だと、彼女いない暦がイコールで年齢になるような男が申しておりますけども。

 俺だって、今までに恋をしたことくらいはある。同じクラスの女の子を、いいなと思ったことくらいはある。告白したことがないだけで。付き合ったことがないだけで。

 恋をしたことくらいはある。

 報われない恋を。

 報われなかった恋を。

 高校2年生の夏のこと。クラスメイトのあの子は、可愛く明るく優しかった。友達が少ない俺にでも、可愛らしく振舞って、明るく声をかけて、優しく接してくれたのだ。ある雨の日のことだ。一人で下校する俺の傘の中に、突如として甘い香りを振り撒きながら、水溜りを跳ね返らせながら、入り込んできたその子。はにかみながらも入れてと言う彼女の願いを、俺はクールぶって快諾した。雨に濡れたブラウスの上からは、下着の肩紐が見えていて、俺はそれを横目で盗み見しながら、そういえば最近聞きかじった歌の歌詞に何だか同調しているような気がして、浮かれきっていた。嬉し恥ずかし能天気、幸せな時間もそろそろ終わりかという帰りの駅の手前で、彼女は立ち止まった。釣られてか気を遣ってか忘れたが、俺もすぐに立ち止まって、彼女を見た。彼女も俺の顔をじっと見ていた。たぶん、10秒くらい。沈黙に耐え切れなくなった俺が、どうしたと尋ねると、彼女は、その子は――俺が恋していたその女の子は、何でもない、と言って、また歩き始めた。そしてその先には何もなかったよ!

 思いを伝えていれば、恋仲になれたのだろうか。

 気持ちを伝えていれば、童貞卒業できていたのだろうか。

 今となっても分からない。

 分かることといえば、俺にそんな勇気はなかったということくらいのものだ。

 人を好きになるなんて、格好悪い。

 告白して振られるなんて、クソださい。

 恋人といちゃいちゃするなんて、うざったい。

 だけど、好きなものは好きだからしょうがない(18禁BLゲーは関係ない)。

 俺が誰かを好きだったのは、事実なのだ。

 格好悪いと思うけれど、格好悪くて何が悪い(格好が悪い)。

 こいつも――中村も、誰かを好きになることくらい、あるだろう。

 それが九里古里だったとして、そんなもん俺の知ったこっちゃない。好きにすればいい。好きなのだったら。好きにすればいい。

 俺に気を遣うなとか、偉そうなことを言うつもりはない。

 九里古里に気を遣うなとまでは言わないが、気を遣ったうえで、自分の気持ちを尊重しろとか、そんなことを俺は言いたい。

 俺は、恋の伝道師にでも、なるつもりだろうか。

 そんなつもりはない。


「くだらねー」


 中村は肩をすくませてそう言った。


「呆れて何も言えねーよ。おめでてー奴だな。恋愛脳の童貞なんざ、目もあてられねーぜ、外喰。だからとっとと出てけよ。服を着てからな」

「え、いや――」

「今は俺が連中を止めてんだよ。ここに入って来ねーように、差し止めてんだよ。だから、早く行け。九里古里を連れて、さっさと帰れ。二度と来んな」

「ばん――いや、中村くん」


 静観を決めていた九里古里が、口を開いた。

 中村が自分に思いを寄せていると知って、流石に思うところもあるのだろう。

 いやまあ、中村本人がちゃんと肯定したわけじゃないけど。どうせ好きだろこいつ。

 そんな感じだった。


「何だよ九里古里。心配すんじゃねーよ。お前はもう『繁栄派ここ』にはいられねーが、貯金もあるだろ。新しい住居が見つかったら教えろ。お前の荷物は送ってやる。金がなくなったら相談しろ。くれてやる。『繁栄派』の追っ手も出さねーようにしてやる。お前の拷問を止めなかった一人として、連中のトップとして、責任をとってやんよ」

「私のこと好きなの?」


 俺も、中村も、呆気にとられた。

 九里古里千切。

 こいつもこいつで、図太い神経してるよな。

 このタイミングで聞くか、普通。聞けるか、普通。


「……早く出てけっつーの。空気読まねー奴らが出てくるかもしんねーぞ」

「好きなの?」


 中村は見た。

 上半身下着姿の九里古里を、舐めるように。舐め回すように。

 やり過ぎなくらいに。えげつないほどに。下心だけをさらけ出すようにして、とにかく見た。


「ああ、好きだぜ。そそる身体してっからな」

「あっそ。私は、中村くんのこと嫌い。特に、そういうところが」


 ばっさりだ。

 九里古里のいう『そういうところ』というのが、いやらしいところなのか、下卑たところなのか、淫奔なところなのか、それともそれ以外の何かを指しているのかは、俺には分からない。

 しかし、変態力で言えば、俺と中村は拮抗している筈(ベクトルは違えど、それぞれレベルとしては同等と判断した)なので、そういうところではないんじゃないかと、勝手にそう思った。


「でも、感謝してる。ありがとう。さっきの話、凄く助かる。お言葉に甘えさせてもらうけど、たぶん連絡する。その時はお願い」

「おー」

「見逃してくれることに関しても、お礼を言うね。助けてくれてありがとう」

「お前を助けたのは外喰だろーが」

「『繁栄派』から守ってくれるんでしょ?」

「馬鹿な連中を止めるだけだ」

「ありがとう」


 俺は二人の会話を聞きながら、服どうしよう、なんて考えていた。


「私の拷問を止めなかったことも、怒ってないから。元々私が首を突っ込み過ぎたのが悪かったんだし、中村くんには立場ってものがあるもんね。私のことが嫌いで、憎くて憎くてしょうがなかったっていうなら、怒るけど」

「あーそォー」


 中村は、かつてないほどに、呆けた顔をした。

 俺は九里古里と並んで。

 中村はそれに向き合って。

 三人は一斉に、発言した。


「じゃ、また明日。学校で」











「中村も言ってたけどさ、お前住むとこどうすんの?」


 中村に頼み込んで服(大きな文字で万里と書いてある)を貸してもらい、『繁栄派』のアジトを出た。

 俺が行きで通った道を。

 牙綺に襲われたあの道を、今度は逆に歩きながらのこと(ここまでに滅茶苦茶ありがとうと言われて、若干聞き飽きた)。

 一度は俺の股間に巻きつけられた上着を嫌な顔一つせずに着こなす九里古里に、気になった疑問を投げかけた。


「それなんだよね……。『繁栄派』のことがこんなに丸く収まるとは思ってなかったけど――いや、思ってなかったからこそ、現実的な問題が浮き彫りになっちゃったな。ねえ、外喰くん、助けてもらって図々しいけど、しばらく泊めてくれないかな?」

「俺ん?えー……」


 そういうのって、すげードキドキするけど。

 おいしい展開だなーと思うけど。

 楔に。それより両親に何て言われるか分かんないし。とんでもなく恥ずかしいし。


「やだ」

「だよね……」


 断った。


「本当にどうしよう。いや、そこまで外喰くんに悩んでもらうことはないんだけど、本当にどうしよう。困ったなあ。私、家に泊まれるほど仲のいい友達がいないんだよね」

「お前友達多いだろ。俺に対する当て付けか」

「そんなつもりはなかったんだけど、気に障ったのならごめん。そもそも、こんな深夜に電話して泊めてくれるわけないよね」

「俺は女子から深夜に今晩泊めてなんて連絡が来たら、急いでシャワーを浴びて部屋を片付けて妹の部屋のドアを外から固定したうえで快諾する」

「今晩泊めて」

「やだ」

「話が違うよ……」


 好きだと言われてから。九里古里にそういうことをするのは、彼女の好意を利用してるみたいで気が引けて、必要以上に九里古里を避けるようになってしまっている気がする。

 難しい男心なのだった。というか童貞思考か。


「あ、そうだ。九里古里。覇嶺さん家は?」

「座蔵覇嶺?」

「おう。あの人は一人暮らしで、彼氏もいない筈だし、女子一人くらい余裕だと思うぜ」

「『繁栄派』を抜けた今となっては敵対する意味も必要もないんだけど、そんな急に転がり込むなんて無理だよ。どんな顔して会ったらいいのか分かんないし」

「特に顔作ってく必要はないと思うぞ」

「そういう意味じゃないよ」


 変顔とか、キメ顔とか、いらないと思うよ。


「仕方ない。お金下ろして貯金崩して、アパート借りるまではホテルに泊まることにするよ」

「へえ。そりゃあ結構。しかしお前、どうやって今日ホテルまで行くんだ?」


 俺は、充電残量が30パーセントを切ったスマートフォンに目をやる。

 アジトのロビーで柱や壁や椅子の破片に混じって落っこちていた俺のスマートフォンは、奇跡的に無事だった。

 その液晶画面を見るに、現在時刻は午前2時56分。


「終電、行っちゃったね」

「やかましい」


 見送れすらしてないわ。というか駅に着いてすらないわ。


「だけどお前さ、こんな途方にくれることもなかったんじゃねえか?たぶん『繁栄派』にもいられたし、拷問されて洗脳されるってのも、すぐ取り止めてくれたと思うぜ」


 条件が一つ。


「中村と付き合えばよかったじゃん」


 途端、ぱぁん、と。

 乾いた音が左頬から響いた。

 九里古里にビンタを喰らったのだ。

 自分でも、心無いことを言ったような気がしないでもないけど。


「ごめん。でも、今のはちょっと頭に来た」


 と、更に一歩寄る九里古里。自慢(かどうか知らないけど)の巨乳が、当たるか当たらないかという距離まで近寄った。

 ひりひりと痺れるように痛む左頬と、かつてぷにぷにそうで好きだと言われた右頬を、九里古里に両手で少しだけ強めに挟まれて、そしてそのまま――キスされた。

 緊張で乾いた俺の唇に、拷問明けで乾いた九里古里の唇が重なる!

 カッサカサ!

 カッサカサだったのだ!

 ファーストキスがカッサカサだあっ!

 唇は離れて、両の頬も解放された。

 九里古里はああ言っているけど。こう言っているけど。

 俺は九里古里と付き合うつもりはないんだって。

 ファーストキスは好きな子とするんだ、とか、強固な貞操観念を見せ付ける気もべつにないんだけれど。

 俺はなびきやすいクソ童貞である。

 優しくされると好きになるクソ童貞である。

 ラブとライクを勘違いするクソ童貞である。

 九里古里は、はっきり言って可愛い。

 正直俺には勿体無いくらいの女の子だと思う。いや、そんなことを言うと、もし仮に俺に彼女ができたとして、その彼女に申し訳ないんだけど。俺に見合ったレベルだとか、そういうんじゃないんだけど。

 おピンク脳での独断専行を回避するために。

 既成事実を回避するために。

 死因痴情のもつれを回避するために。

 必死で探した、この空気を台無しにする決め台詞。

 救出した直後から、感じてはいた。気を遣って言わなかったというのもある。そんなことに気を回している場合ではなかったというのもある。

 仕方ないことだとは思う。

 監禁され、拘束され、入浴もさせてもらえずに。


「………………九里古里、お前臭うよ」


 左と右。両頬に、お揃いの手形が残った。

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