031
「何なんですかぁ?かわいそうな九里古里さんを助けに来たヒーロー気取り?そういうの、むかつくんですよ。格好つけちゃって。格好いいとでも思ってるんですか?」
あれからそれから、一瞬を百か二百か――数えたくもない攻防が続いた。
攻防――といっても、俺が攻めて憂原に防がれ、憂原に攻められ俺は防げず、といった、一方的な泥試合(泥でも試合でもない)を展開していたものだ。
麻柄々にも散々やられたものだが、それ以上かもしれない。
殺されることはない。死にはしない。
体力が尽きることはない。疲れはしない。
折れるとすれば、俺の心くらいのものではあるが、ここまで来て――痛いも痛い、いたたまれないほどに痛々しく、遺体になりかけつつも至った折り返し地点。せっかく九里古里を解放したというのに。してやれたというのに。ここまで来て諦めるなどということは流石に、飽き性で甲斐性なしの自堕落な専門学生の俺でも――それはできなかった。
不死身に近い生命力というのは、単純明快にして強力なメリットだと思っていたが、自分より強い相手と対峙する際には――もとい、自分より強い相手に殺される際には、ギャングパッショーネのボスよろしく、さながら等活地獄のような苦しみを味わうためだけの、とんでも性能のドMスキルになり果てるのではないかと、俺は疑った。
俺はドMではないというのに。
「思ってるよ。俺はナルシストでも何でもないけど、困ってる女の子を助けるのって、理由はどうあれ、その姿は格好いいもんなんじゃねえのかよ」
「個人の意見を押し付けないでください。気持ち悪いです」
「気持ち悪いとか言うな……」
「気持ち悪いです」
剛情に気持ち悪がられた。
女子高生は、人の心を簡単に傷つけるよな。
怖い怖い。
「あなたが困ってる女の子を助けることで、また別の女の子が困ることだってあるんですよ。それは、どうしてくれるんですか?」
「……意味が分からねえが、誰だよ。その女の子って」
「あたしです」
「………………」
お前かよ。
知らねえよ。
身体の傷は残りはしないが、衣服は同様にはいかない。牙綺にズボンの裾と靴を切り落とされ、麻柄々に上着と中のシャツとズボンを穴だらけにされ、初古に上着をくれてやり、『腐喰の王』の尻尾にズボンの後ろ側を少し破かれ(今更ではあるが、俺の名誉のために言っておくと、尻の先から生えているわけではなく、腰のやや下辺りから飛び出している)、仕宮にシャツとズボンを引き裂かれ、憂原には既にボロ切れのようなシャツとズボンに追い討ち駄目押しされた。奇跡的に局部周辺は大したダメージはなく、ポロリは免れていた。
そんなみっともない格好をしたままに俺は、姿勢を起こし憂原と向き合った。
「何が困るのか、言ってみろよ。一応聞いてやる」
「あたしは不幸な九里古里さんが見たかったのに……、これじゃ、逆効果じゃないですか。拷問されて、心身共に限界だってところで、王子様が助けに来てくれたんじゃあ、駄目じゃないですか。こんなハッピーサプライズ。落として上げるって、このことですよ」
「お前は性根が腐りきってるな……」
「腐らせたのは周りです。皆が悪い。あたしはただかわいそうなだけ」
開き直り、じゃねえか。
「かわいそうだと思うでしょ?惨めだと思うでしょ?目も当てられないでしょ?醜いでしょ?死んじゃえばいいって、思ってるでしょ?いなくていいって、思ってるでしょ?」
憂原がこちらへ。俺の方へ。歩み寄ってくる。
完全な優位だからなのか。俺が攻撃してきたところで喰らわない。そう考えているのか。
余裕の表情で――薄ら笑いで、歩み寄ってくる。
「あなたもあたしのこと、嫌いでしょ?」
「殴られたのは滅茶苦茶痛いし恨むけど、べつに嫌いではねえよ」
憂原と俺の距離は、既に1メートルもない。というか、グダグダとモノローグを語っている間に憂原の両手が俺の頬を包んだ。
こんな時になんだけれど、冷たい感触が気持ちよかった。
「嫌いじゃないならどうなんですか?好きってことはないですよねぇ?じゃあそうだぁ、どうでもいい……って、そう言うんでしょ?」
「そうだよ。九里古里にも、ついでに俺にも関わらないで、ひっそりと生きて死ね」
ここまで接近したことはあったが、ここまで油断を見せたこともなかった。
憂原の顔面が目の前にある今なら、唾液を吐き掛けることができるんじゃないか。目でも鼻でも口でもいい。どこか粘膜に触れさえすれば、異形の蝿が、こいつを食い殺す。
やるのならば――今。
最大の――チャンス。
「死ねって言った。死ねって言った。死ねって言った!死ねって!死ねって!死ねって今、言いましたよね!あたしに死ねって言いましたよね!死ねって言いましたよね!死ねって死ねって死ねって!死ねって言いましたよね!」
頬の両側からの圧力が強くなる。潰そうと思えば容易い筈だが、憂原はそうはしない。
「やっぱりだぁ……あたしのこと死ねって言う……。あなたも皆と同じなんですね。嫌な人。怖い人。酷い人……」
憂原は、涙目になりつつも俺のことを罵倒する。
何がどうしたのか。鬱のスイッチが入っちゃったのか。
至極どうでもいいが、よく見たらこいつ眉毛ねえや。
「何だよ憂原。お前案外、饒舌じゃねえか。学校でも『繁栄派』でも喋る相手がいないのに、よくもまあ噛まずにきちんと会話ができるな」
「………………」
「これは俺の憶測だけど、お前――独り言多いだろ。誰にも聞かれないようなところで、自分一人で喋り倒して盛り上がってんだろ。暗いねえ、惨めだねえ」
「そうですね……否定はしません。独り言が多いのも、惨めであることも。でも、惨めな自分が嫌いじゃないんです」
「分かる分かる。俺も独り言が多いし、自分は情けない人間だと思うよ。だけど、こんな自分を嫌いになれない。何せ、自分なんだからな」
「だから、何?何が言いたいの?」
イラついたように――イラついたのだろう。憂原は(眉毛はないけど)眉間に皺を寄せて、俺の方を睨むように見た。
「お前、自分以外は嫌いなんだろ?そうやって自分に言い聞かせて、嫌いな人間と関わらないのは当然だって、自分を正当化――というか、安心しようとしてるんだろ?」
「急に何ですか?話術サイド?あたしのこと、知りもしないくせに」
話術サイドとか言うな。上条さんか俺は。
「知らねえよ。だけど、まあ、分かるとは言わねえが、分かりそうな気がするよ。俺も似たようなもんだから。他人の不幸はおいしいし、嫌いな奴は嫌いだ。一人でいるのは楽だけど、寂しくないわけじゃない」
「そんなこと言ったって……あなたには、友達がいるんでしょ?」
「いるよ。一人だけ。立派な友達が。一人だけいる」
「自慢がしたいの……?」
「そうだよ。自慢だぜ。羨ましいだろ。お前も欲しいだろ、友達。俺がなってやるよ」
生まれて初めてこんなことを言った。
友達になってくださいとか、友達にしてくださいとか、そういう気持ち悪いことを。
どうして上から目線なのか。自分でもよく分からなかったが、俺の方が年上だから、いいんじゃないでしょうか。
友達が全くいないのと、一人いるのでは、まるで違う。それで優劣上下が決まるわけでも何でもないが、絶対的な違いがある。俺自身、友達ができてどう変わったわけでもないが、とにかく違うのだ。
「友達なら、いた。でも、あたしにお金を払わせて、用事のある時だけ笑顔を向けて、いいように使うだけ使って。仲良くしたいなんて、思ってないんです」
「あっそう。俺だって、ただの専門学生だ。親にお小遣いをせびって生活している身だ。お前は繁栄派から、きっちりばっちり金がもらえるんだろ?だけど、お前に全額出せとは言わねえよ。俺が全額出すとも言わねえ。きっちり割り勘にしようなんてことも、言いやしねえ。女の子の前で格好付けようとして、俺が払うこともあるかもしれない。お前が気まぐれ起こして出してくれてもいい。出したくなけりゃ出したくないと言え。俺はせびる。そしたらお前は更に文句を言え。俺はお前の意見を聞く。聞いた上で文句を言う。ごちゃごちゃ言い合って、決めようぜ。友達ならさ」
「そんな、格好悪……」
「格好悪くていいだろ。格好付けたきゃその時付ける。格好付ける必要なんて、どこにもねえんだから」
友達が何かなんて、悟っているわけでも、知っているわけでもないが。見聞きかじった友達がどういうものかを、自分の中で噛み砕いた理想像というものを。そうであれと思うものを。言葉にしてみた。
「そんな、そんなの、ずるい……!ずるいずるいずるい!ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいっ!」
視界が暗転した。眼球も脳も、潰された。憂原の両手に。
「友達なんていらないもん!寂しくなんてないもん!もういいですよ!殺す!殺してやる!」
「何だよ憂原ァ!びびってんじゃねえよ!こんなもんに!内気で社会不適合者の童貞なんかに、びびってんじゃねえよ!」
再生した頭で、脳で、その口で、謎の挑発をする。
挑発をして。したところで。
より一層激化した憂原の攻撃に、晒されるだけである。
頭を砕かれ。足を折られ。心臓を貫かれる。
足を折られ、心臓を貫かれ、頭を砕かれる。
心臓を貫かれ、頭を砕かれ、足を折られる。
足を折られ、頭を砕かれ、心臓を貫かれる。
頭を砕かれ、心臓を貫かれ、足を折られる。
心臓を貫かれ、足を折られ、頭を砕かれる。
これの繰り返し。
順番が変わるだけだ。
死なない程度に死に続ける。
所詮俺は、カウンセラーでも、ご意見番でも、ましてや話術サイドでも何でもない。
憂原のことをかわいそうと思ったのは事実だ。
俺に似たところがあると思ったのは事実だ。
九里古里を助けに来て忙しない奴だと自分でも思うが、何とかしてやりたいと、少なからず思ったのは事実だ。
しかしまあ、こんな意思の弱い人間の言葉など、心を閉ざした少女には届かないものだ。届くわけがなかった。
物語なんかじゃあよく見る、主人公が哀れな少女と戦いながらも、その果てに身も心も救い出す――そんな展開。まさかそう都合よくはいくまい。俺は、俺の人生の主人公であって、物語の主人公でも何でもない。60億人の、平凡な主人公の、一人に過ぎないのだ。
死なない程度に死に続けながら、そのうち俺は、全身の痒みを感じながら、意識を失った。
痒い。
「全身……変態した……?変態だけに……」
痒い。痒い。
「右腕だけだって、元々は聞いてたんですけど……。左腕や、尻尾が使えるなんてのも、聞いてなかったですよ」
痒い。痒い。痒い。
「ね、ねえ……何とか言ったらどうですか?はっきり言って気持ち悪いですよ、その見た目……」
痒い。痒い。痒い。痒い。
「どうせあたしの方が強いんですからね。『英雄の剣』……知らないですよねぇ?教えてあげる。自分の強さに相手の強さを足す異能。あたしはあたし一人分、相手より強くなるんです。だから分かった?どう足掻いたって、あたしの方が強いんですよ」
痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。
「ね――」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「うごっ」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「ふ、ふふ……。流石に見掛け倒し……ってことはないですよね……!いいですよ、もっと殺してあげるんだから」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「いっ、えっ……あれ?な、何でっ?あれっ?」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「あ、ありえない……そんなわけ、ある筈ないし……!」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「死んじゃえっ!」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「うわ!……も、もおっ……!」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「ちょっ、待っ……!………………当たらないんだから……!」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「いい加減にしてよぉっ!」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
「すばしっこいなぁ……もお……」
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い。
感覚が、あるような。ないような。
よく分からない。
全身に走る痒みは、強烈に、激烈に、滅裂に感じるのだけれど。
地に足の着く感覚も、腕に力を込める感覚も、痛みもまるで、感じない。
しかし視界が、何とも変だ。
映画とかで、クリーチャー(エイリアンとかプレデターとか)視点で映すシーンなんかがあるけど、まさに、あんな感じだ。
自分の視界――というより、どうにも、何か別の映像を客観的に見ているような。そんな感覚だ。
「どうせあたしの方が力は強いんです。負けるわけないんです」
憂原が、目の前で、そんなことを言った。
そういえば、いつもより目線が高い。俺、こんなに背が高かったっけ?
寝る子は育つというが、一瞬意識がなくなっただけで、まさか急成長するなどありえないだろう。びっくりだよそんなもん。
俺も憂原に対して何か言おうと思ったが、声が出ない。
喋るのって、どうやるんだっけ?
声出すのって、どうやるんだっけ?
口開けるのって、どうやるんだっけ?
身体が思うように動かないとは、こういうことか。まさに。まさにこういうことか。
なんて。考えている間に、視界が揺れた。揺れたというか、急速に動いただけなのだが。恐らく今の今まで床に足を着いていたのだと思うのだけれど、どうやら今度は飛んだらしい。跳躍ではなく、飛翔だ。自由な曲線を描いて、視界がぐるんぐるん。あ、いかん、酔いそう……。
翻弄しているのか気ままなのか見当もつかないが、意図がどうであれ翻弄された憂原に目掛けて視界が急接近する。そしてそのまま、見慣れたものより一回り太い、長い、大きい腕が、憂原を襲った。
「うっぐ……」
一回り――と言えば、憂原が言っていたような気がする。『英雄の剣』――つまり、相手より一回り強くなる異能。一回り、である。確実ではあるが、圧倒的ではない。12と24では倍だが、1000と1012では大差ない。だから何だ。
憂原は俺の動きを、一回り上の動体視力で見切り。
俺の攻撃を、一回り上の身体能力で避け。
俺に、一回り上の力で攻撃を加える。
そういうことだ。
その僅差で俺は完敗を喫していたわけだが。憂原に対して、一発も攻撃を当てられていなかったのだが。
どうにもこの視界は、俺の仇討ちでもしてくれようというのか。俺にできないことを平然とやってのけたッ!
一回り屈強で、一回り頑丈。一回り。一回りだ。言えばたったの、一回り。
憂原は、先ほど散々やられていた俺と同様に、見た目通り軽そうなその身体を、いとも容易く吹っ飛ばされた。いや、この視点で言うと、違和感はあるが、俺が吹っ飛ばしたことになるのだろうか。
やがて――と言うまでもなく、一拍おいて、憂原は壁に叩きつけられた。
「え、え……?痛い……痛いよ……?」
信じられない。とでも言いたげな、そんな顔を浮かべる憂原。
しばらく眺めていたい表情ではあるが、俺の思考と、この視界はまるでリンクしていない。またしても気持ち悪いくらいの急速運動で憂原に接近した。
「うやっ……」
憂原が何を言おうとしたのかは全く分からないが、憂原の左胸部下辺り。肋骨が露呈した。露骨と言うべきか。露骨な肋骨(リブズ・ブレードではない)。
俺(たぶん)の尻尾が、憂原の左胸部下を突き刺したのだ。『腐喰の王』と同等の強さを得る、と言っても、再生能力は流石に得られないのだろう。代わりにその分の防御力強化がされているのだろうが、鴉の『孤独の亡骸』をぶち抜いた尻尾の一撃には、耐えられなかったようだ。
皮は破られ、肉は裂かれ、骨は砕かれ飛び出して、血飛沫撒いて少女は倒れた。
「あああああああああああああっ!ああっ……ああああああああああああああああ!」
叫び声を上げる憂原。
苦痛のせいか。驚愕のせいか。恐怖のせいか。あるいは、そのどれもか。
俺が今どんな姿なのか分からないが、女子高生を襲う怪物だ。それはもう東洋制作のB級映画のような絵面になっていることだろう。
「痛いっ!痛い痛い痛いぃぃいいいっ!」
B級映画のヒロイン、もしくはやられ役――に見えなくもない憂原は、泣き喚いてうずくまった。
『英雄の剣』。
相手よりも強くなる異能。
無敵の異能。
無敵だからこそ。
打たれ弱い。
敗北の二文字が浮かんだ時点で――敗北を覚悟する。
憂原の戦意は、喪失された。闘志は、燃え尽きた。闘争心は、へし折れた。
「憂原さ――え、そ、外喰くん!?」
九里古里の声だ。俺の意思ではこの視界は動かせないが、なんとまあご親切に、九里古里を一瞥してくれた。正真正銘九里古里だ。憂原の悲鳴を聞いて駆けつけたはいいものの、そこにいる筈の外喰要が怪物になってしまっているのを見て、まあ、多少なり驚いてしまったのだろう。無理もない。そりゃないわ。
以上の通り、一瞥してはくれたが、それだけで。本当にそれだけで、九里古里には何の興味もなさそうに、この視界は憂原へと再度接近した。
うずくまる。憂原へ。
「ひっ、やっ……来な――ぶっ」
踏みつけた。
続けて、さながらサッカーボールのように、軽快に小さな身体を蹴り飛ばした。
「外喰くん!?外喰くん!」
九里古里が俺の名前を呼ぶ。
憂原が壁に激突するよりも早く視界は追いついて、両腕で渾身の一撃。今度は床へ、憂原を叩き落した。蝿なのに叩き落すって……。
「もういいよ!憂原さんはもう戦えないってば!」
九里古里が何かを言っている。
床にめり込んだ憂原に対し、視界で見る限り、怒涛のラッシュを叩き込んでいるようだ。
右腕と、左腕と、右足と、左足と、尻尾と、頭と、胴。身体を全て使って(見ているこっちはすごく酔う)、回転するように、憂原の全身を嬲る、嬲る。
全身を使うのは、やはり、痒みを消化するためだろうか。凄まじい痒みが迸る、この頭蓋を。胴体を。四肢を。少しでも楽にするためだろうか。
「がっ、うぇっ、ぎゃっ……!」
弱々しい、彼女らしい、小さな声。
ボロ雑巾、とまでは言わないが、中途半端に食い散らかされたサバンナの野生動物(一層酷い気もする)のようになった憂原を。動かなくなった憂原を両腕でがしと掴んで、視界は更に憂原へと近付く。
「駄目だよ!外喰くん!それ以上は駄目!やっちゃ駄目!」
九里古里がまた何かを言っている。
視界は、近付く。近付いていく。
「い、いやぁ……!やだ、やだやだぁ……!」
近付いていく。
「たっ、助けて、お願い殺さないで!お願いしますお願いします!何でもしますからぁっ!」
近付いていく。
「許してくださいあたしが悪かったですごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
見ているだけだが、見ているに、これは、憂原を食おうとしている?
そんな風に、見て取れた。
泣きじゃくって顔面を歪め、なんかもう色んな液体を飛び散らせて懇願する憂原ではあるが、生憎、俺にこの視界の――身体の主導権は、ない。
「嫌だああぁぁぁ!助けて!助けて!助けて!やだぁっ!お母さんんっ!おがあさぁぁん!」
「外喰くんっ!駄目っ!」
この視界を見始めてから。
つまり、聞いた話でしかないので、こういう言い方になるが、全身が変身したらしい時から。
思考が何だか、おかしい。
ぼんやりしているわけではない。状況は飲み込めているし、誰が何を言っているかも理解できる。
ただ、何か。欠落している。感情が、欠落している。
憂原を殺すということに。食い殺すということに。何の疑問も抱かない。何の恐怖も感じない。
九里古里の静止の声も。耳障りでしかない。
怪物だなんだと言っていたが、まさにその通り。
人を殺して食い散らかす。
人を襲って嬲り殺す。
人を攫って解剖し尽くす。
人を殺して当然の。
暴虐の限りを尽くす、ただの化け物。
異形の怪物。
怪物で。怪獣で。
化物で。魔物で。
妖怪で。妖魔で。
悪魔で。悪鬼で。
人間ではない。
人間らしい感情が、欠落している。
小さな雌の人間の頭に齧り付く。
そんな動作を、した時だった。
「お前、外喰――なんだよな。そんくれーにしとけって」
この身体の、上顎と下顎を掴んだような体勢で、見知った人間が、そこにいた。
「ば、万推……くん……」
九里古里が、男の名を呼ぶ。
「ひでー有り様だな、こりゃ。ロビーはしばらく使えねーし、憂原はこれ……生きてんだろーな?」
万推。
男はそう呼ばれた。
「何でここに……?」
九里古里が男に――万推に問いかける。
「何で、ってそりゃお前、揉めてるみてーだったからよ。見に来たんだよ」
万推。
「でも、万推くんはこの時間、いつも寝てるでしょ?」
外側に向かってはねた、淡い茶髪。
「いや、まあ、寝てるけど。起きたんだよ。起こされたんだよ。つーか、俺をまるでジジイキャラもしくは偏屈なねぼすけみてーに言うんじゃねーよ」
深い裂傷のような鋭い目。
「誰かを助けるなんて真似、絶対しなさそうなのに……」
ラフなTシャツ(大きな文字で『明察』と書かれている)に、足元はサンダル。
「ああん?見くびってもらっちゃ困るぜ。俺は女子高生に目がなくてな。憂原に興味はねーけど、女子高生を見殺しにするわけにもいかねーだろーよ。まあ、ここまで来なきゃ、そもそも見殺しにすらならねーけどな」
気の抜けるような、砕けに砕け切った雑な口調。
「外喰くんの妹さんが襲われてた時も助けてくれたよね……。何考えてるの……?」
『繁栄派』内部ランキング序列1位。
「あの時だって変わらねー。女子高生がその場にいたからだ。俺には女子高生センサーが内臓されててなァ」
異能『怠臥の王』を持つ青年。
「酷い嘘だ……」
中村万推。
「ところで外喰、お前背ェ伸びた?」
ギチギチギチギチギチギチギチギチ。
気持ち悪い音がした。
耳のすぐそばで。
というか自分の口元で。
「中村、さん……」
憂原が万推に――中村の名前を呼んだ。
俺に掴まれたままの状態で。俺の上顎と下顎を掴んだままの中村の名を。
「黙れ憂原ァ。俺のことは万推と呼べっつったろーが。中村って何人いんだよ。区別がつかねーだろーが」
「助けてください……」
「俺に頼みごとはしねー方がいいぞ」
上顎と下顎が震える。力を加えている。
が、動かない。
「失敗するからな」
にやけた表情のままで、中村は続けた。
「おい九里古里。こっちに来い」
「ええ、あ、危なくない……?」
指名を受けて困惑する九里古里。
そりゃあ嫌だろうよ。俺だって怪物の近くへなんて寄りたくはない。
「いいから来いや。憂原が死ぬぞ」
「死にたくなぁい……!」
便乗して懇願する憂原。
人(俺)が大変(変態)だって時に。何のコントをしていやがる。
「おい外喰、攻撃すんなら俺にしとけよ。前科がつくぞ」
お前ならつかないのか。
「尻尾に気をつけろよ。まあ、気をつけたところで、攻撃されたら避けられねーだろーし、まず死ぬだろーけどな」
「怖いことを言わないでよ……」
ああ。
そうか。
なるほど。
九里古里の『隷属回帰』で、俺の身体を元に戻そうってことか。
全ての変化を以前に戻す『隷属回帰』なら、『腐喰の王』を発症前に、戻すことができる。
そんなことを考えながら、俺は視界が暗くなるのを感じていた。




