030
「お高くつきますよ。私のパンツを拝んだ代償は」
ふむ。いくらだろう。俺の所持金は確か5千円弱……。
パンツくらいなら、高くても3千円ってとこじゃないか?いや、相場は知らないけど。
「殺します」
「シビアッ!」
キツ過ぎる!
最低な考えが頭をよぎったというか支配したのは確かだけれど!
「これだから男は嫌ですわ。まったくもう。女の子同士なら、パンツ見放題ですものね!」
「いいなあっ!」
とか何とか言っている間に、割れた頭と折れた骨が回復した。
中庭。夜も更けてまいりました。入り口正面には市民病院のような建物があり、中庭を挟んで、向かいにある施設は、何だろう。『繁栄派』が所有しているものだろうが。随分広いんだな。
「何やらそちらが気になっているみたいですけれど、そちらは寮棟ですわ。行ってはいけませんよ。女の子の下着とか、干してありますので」
急いで向かおう!
俺は仕宮に踵を返し、寮棟へと駆け出した。
「行かせませんったら!」
背後から轟音が響く。それと同時に、俺の身体は寮棟目掛けて吹き飛ばされた。両腕を寮棟の外壁に食い込ませて、何とか背中の肉が裂ける程度のダメージに抑えることができた。
ものはついでだ。右と左の手の平に握った、この瓦礫。仕宮にぶん投げてやろう。
「そおい!」
と、投げたけど。
あれ、いない。
さっきまで2階の壁の穴からこっちを覗いていたのに。俺が投げた寮棟の壁だった物は、アジト2階の壁の穴に吸い込まれていったが、せいぜいその後通路に転がったくらいで、特に何かに当たることもなかっただろう。
既に同じ目線(向こうの方がちょっと高い)に立っていた仕宮に、視線を移すことにした。
「やですわあー。私の音の大砲、周囲に物があると破壊してしまいますので。やりづらいですわあー」
どうやら仕宮は、2階から飛び降り、その危険な音の大砲で着地の衝撃を緩和したようだ。そういやあ、振り返って瓦礫を投げる前に、でかい音してたし。
ちくしょうめ。仕宮の奴、余裕こいてやがる。
屋内での戦闘に持ち込めば、少なくとも衝撃波――音の大砲を正面から喰らう危険度は下がるだろうと考えたのだが。どうにもそうはさせてくれなさそうだ。スピードも強化はされているが、音より速く動くなんて、できる筈もない。せいぜい凄く速い人って程度だ。アバウト。
ここはやはり、陽動作戦――否、動揺作戦だな。
「ヘイ仕宮、あんた、九里古里のこと好きなんだろ?」
「何ですの?そうだと言っているではありませんか。好きも大好き。髄までしゃぶります」
おおっと。何の髄かな?
「残念だったな!あいつは俺にお熱なんだよ!」
「何ですって!?」
おおっ、効いたようだな。
自分でいうのも嫌、というか恥ずかしいが、たぶん本当なのだろうし、まあいいんじゃねえの?
「本当?本当ですの?あんなっ、千切さんのようなあんなに可愛らしい子が、本当にあなたみたいな冴えない童貞のことを慕っていらっしゃるの……?」
「童貞は関係ないというか知りもしないくせにやめろぉっ!」
傷付くだろうが!
綺麗なお姉さんに童貞童貞っていじられてみたいなあ!
「ば、馬鹿な……。だ、だけど、でも!千切さんの初めては私が頂きましたからっ!」
「張り合えてると思うなよお姉さん。そんな強姦紛いのことをして、愛を語るつもりか?無粋を通り越して無様だぜ。九里古里が好きなのは俺だ。身体の関係なんて、些細なもんだ。大事なのは、心だろうが」
「かっ……かはっ……」
深刻な表情で膝を着く仕宮。
何にダメージを受けてるんだこいつ。馬鹿か。いや、俺も効くかなと思って言ったんだけど。俺も馬鹿か。今この中庭、馬鹿しかいねえや。
「そんなの……そんなのぉっ!あなたを殺して、私が千切さんの心を埋めて差し上げますわ!」
両手を俺の方へ構える仕宮。かめはめ波みたいな形状で。
「ところで仕宮。初古のこと、どう思う?」
「へっ?え、初古さん?」
両膝を着いたかめはめ波の体勢のままで、仕宮が答える。
「可愛らしいですわよねえ、とっても。まだ早いかしらとは思いつつも、でもでも若いうちに教えておかなくちゃとも思いつつも――」
「あいつ、鴉のことが好きらしいぜ」
「がはぁっ!」
吐血した。
両手の形はそのままに、崩れ落ちた。
もちろん、仕宮が。
両膝を着いたまま、上半身を地面にこすり付けるような体勢で。ヨガみたいな体勢で、動かなくなった。
「え……おい。大丈夫か?仕宮?おい」
返事はない。
「下手な演技はやめろよ。仕宮。おい、かかってこいよ」
ぴくりとも動かない。
「おーい。パンツ見ちゃうぞー」
近づいてみる。
「………………」
マジか。マジで効いたのか。そんなに効くんだ。というか何で吐血したんだろう。どういう構造なんだろうこいつの身体。
本当に動かないのか。確かめる必要があるだろう。
俺は、仕宮の足側へと移動し、おもむろに長いスカートの裾を摘み、そして持ち上げた。
「ほう。まだ起きないか」
俺は、周囲を確認した。
もちろん、『繁栄派』の増援が来ないかどうか確かめたのであって、それ以外の意図はない。全くない。ある筈がない。
ヨガ失敗みたいな体勢で倒れている仕宮に跨り、背中から前方へ手を伸ばす。
おっぱいを揉んでみた。できる限り、加減して。細心の注意を払って。
当然、安否の確認というか、仕宮の意識の有無を確かめる以上の意味はそこにはない。
「万全を期さねばなるまい」
俺は『腐喰の王』を解除した。
既に全身の傷は治っているし、鴉との戦いで痒みは消化していた。
先ほどと同じ体勢で。今度は生身の腕で、仕宮のおっぱいを鷲掴みにした。
そのうえ、念には念を入れて、右の五本と左の五本、十本の指に神経を集中させて、仕宮の動向を見極めた。
よし、柔らかい!
俺は仕宮環瑚玖に勝利を収めたのだった。
「え、あ……外喰くん……?外喰くん!?外喰くん!外喰くん!」
「何て格好してんだよお前」
無事、仕宮との辛い戦いに勝利した俺は、もう一度右腕だけ『腐喰の王』を発現させ、中庭からアジトの外壁をよじ登り、鴉に進行を邪魔された例の通路まで戻った。
右腕だけ、というのは狙ってやってみたわけではなくて。いつも通りに発現させるつもりで、例の虫刺されの箇所を意識して痒みを想像したら、また右腕だけが変身したのだ。恐らくまた意識すれば左腕や、尻尾も出てくるんだろう。
通路を進み、奥の部屋。鴉の胃から取り出した銀の鍵を使って、その部屋のドアを開放した。
「外喰くん!外喰くん……!」
壮絶な拷問を受けたのだろう。顔色が悪い。
泣きじゃくって許しを請ったのだろう。目は腫れている。
歯を折られ歯茎を刻まれたのだろう。口元は血まみれだ。
食事はまともに摂らせてもらえていないのだろう。頬がこけている。
必死にもがいたのだろう。髪も乱れ放題で。
爪を剥がされ釘を打たれ切り落とされたのだろう。指まで血で汚れている。
血液と汗と尿によるものだろう。何か臭い。
いつも小綺麗にしている九里古里とは、全く違う印象を受けた。受けざるを得なかった。
よく言えば、ワイルド。悪く言えば、無残。
「外喰くん外喰くん外喰くん外喰くん外喰くん」
怖いよ。
落ち着けよ。
九里古里の両手足は、鉄製らしい枷で拘束されている。
俺は、鴉の胃から取り出した銅の鍵を使って、九里古里を解放した。
「外喰くぅん!」
「ぐおっ」
トビウオの如き勢いで、九里古里が俺の胴へとしがみつく。
おっぱいが当たる、当たる。
「幻覚じゃない!?幻覚じゃないよね!?外喰くんだよね!?」
「あんま押し当てるなよ。勃つ」
「外喰くんだあっ!」
どういう意味だよ。
ぱあっと笑顔を輝かせた(顔は汚いが)奴の言った言葉がどういう意味かはさておき、この九里古里千切という少女――俺と同じ専門学校に通う女学生であり、『繁栄派』に所属する異能力者であるこの少女は、拷問を受けていた。
九里古里の座っていた――というより、へたり込んでいた周りには、血痕があった。というかある。それも大量に。こんなに血を流したら死ぬんじゃないかと思うけど。九里古里の身体を見てはみた(他意はない)が、外傷はあるものの、これほどの出血をするような怪我はないように感じた――が。
牙綺は言っていた。治させたと。九里古里以外の回復異能力者によって、九里古里への拷問の痕を、治させたと言っていた。やはりこの血痕、九里古里自身の出血なのか。恐らくは、確実に、そうなのだろう。
俺は、自分に抱きつき縋りつく九里古里の身体を左手で抱き返した。
「とにかく、ここを出るぞ」
そういえば、眼鏡を外した九里古里の顔を初めて見た。
「外喰くん。ねえ、外喰くん」
「何だよ」
もと来た道をなぞり戻りながらのことである。
九里古里の呼びかけに答えた。
「大丈夫だよ。私、歩けるから」
「そうか?」
俺は九里古里を担いでいた。
もちろん、異能の力あってこそできることなのだが。左腕を椅子にして九里古里を座らせ、九里古里の上半身は俺の頭に抱きついている。ファンタジー物なら、巨人と少女のコンビがこんな移動方法をとっているんじゃないかって感じの。
俺と九里古里に身長差は、残念ながらそれほどない。異様な光景であることに間違いはない。
あと頭におっぱい当たって楽しいです。
「つっても、お前を離すと危ないし、手を握ってちゃ、いざ力んだ時にお前の手を握り潰しちまうからさ。俺が、この体勢が一番都合がいいんだよ。おっぱい当たるし」
「そっか。外喰くんがいいなら、私もこのままがいいな」
おっぱいについて突っ込みがないんですが。ちょっと寂しい。
私もこのままがいい、ということは、お前おっぱい当てたいの?痴女なの?
俺は真面目な顔をしつつも、そんなことを思った。
「外喰くん。助けに来てくれたの?くれたんだよね。ありがとう」
「助けに来た……まあ、そうっちゃそうだが、べつに気にすることねえぞ。楔が世話になったみたいだから、その借りというか、そんな感じだよ」
「そう。優しいんだね」
「楔を助けたお前が悪いわけないし、友達を助けようとした楔も悪くない。当然狙われた友達が悪いなんてことはありえない。元を正せば――いや、正すまでもなく、諸悪の根源とまで言うつもりはないが、最初から決まりきっていたように、ただ単純に――『繁栄派』が悪い。だからお前、俺に助けられたとか、そういう――なんか、恩とか礼とか感じるなよ」
「うん。ありがとう」
「助けるって言い方は恩着せがましくて嫌なんだけどさ、俺がお前を助けようとするのは、まあ、なんだ。当然なんじゃねえか。だって――」
照れ臭くて、言い辛くて。俺は少し間をおいた。
こういうのは、スムーズにスラスラっと言うのが一番楽だというのは、分かっているつもりなのだけれど。
おっぱいを当てて頂いている状態で今更何を恥じる――といった正論も、見え隠れどころか――仁王立ち、といった具合ではあるが。
「友達なんだし」
「友達、だね。私と外喰くんは友達だもんね。好きだよ」
おっぱいをふんだんに当てられた状態で、好き、なんて言われたら。大抵の男は、恋だか変だか知らないが、情熱的になってしまうものなんじゃあなかろうか。
しかしまあ、俺は冷静な男だ。こういう危機的状況で男女共にいると、何ちゃらかんちゃら吊り橋効果ってな。一時の感情で物事を決めるのはよくない。そんなもんは後悔しか生まない。俺は冷静な男だった。いたって冷静に俺は、血反吐を撒き散らした。
「外喰くん!?」
情熱的も冷静も、あったもんじゃあない。
腹に、風穴が空いた。
拷問部屋から出て、通路を歩き、1階へ降り、ロビーへ向かう曲がり角。丁度ロビーへ一歩踏み入る、その時である。
「あれぇ、九里古里さん。どこへ行くつもりなんですか……?駄目ですよ。大人しくしてなくちゃあ」
見覚えのある少女の姿が、そこにはあった。
『繁栄派』内部ランキング序列3位。憂原やつり。異能『英雄の剣』を持つ少女。黒髪そばかすの地味系女子。真っ白な肌に、真っ黒な目。とてもじゃないが、明るい性格には見えない。
今日のことだ。
今朝のことだ。
俺はこの少女と出会っている。
駅のホームで。通学電車の中で。
この少女の姿を目撃している。
というかセクハラまでしている。
俺が股間に顔を埋めた、貧乳女子高生――ではないか。
「ぺっ。九里古里、ちょっと降りてろ」
腹の穴は塞がった。口内に溜まった血を床に吐き捨て、そう言った。
「そ、外喰くん。駄目だよ、その子は……。今まで、私のためというとおこがましいようだけど、私を助けるために戦ってくれたんでしょ?でも駄目だよ。今回のことに懸厳蒐さんが出てくる筈はないから、君が戦ったのは4位以下の異能力者だよね。その子は、今までの相手とはわけが違う。いくら外喰くんの異能が強力でも、守ってくれるのは嬉しいけど、でも――」
「いいから降りてろ。戦うつもりなんてねえよ。俺は、セクハラの続きをするだけだ」
少女の。憂原やつりの目が。光のない目が、見開かれた。
「あっ……!今朝の、痴漢……!」
「えっ?」
疑問の声を上げたのは、九里古里である。
「格好悪いことを言って格好いいことをするのが外喰くんだと思ってたんだけど、もしかして本当にセクハラしたの?いや、セクハラくらい君は誰にでもするんだろうけど、痴漢行為を働いたの?」
「いや、働いていない。事実、本人は気にしてないと言っていた。軽いセクハラだ。痴漢では断じてない」
「あ、あれはっ、あんまり騒ぎにしたくないから……泣き寝入りしただけだし……!」
「そういう子がフィニッシュまでやられちまうんだよ!」
「外喰くん!?落ち着いて!落ち着いて!?」
俺は何を熱くなっているのやら。
「九里古里、ふざけてる場合じゃないぜ。離れてな。『繁栄派』の連中が来たら大声で俺に知らせろ。すぐ行くから」
「う、うん。何だか君と憂原さんを二人にするのが心配になってきたけど、信じてるからね。色んな意味で」
安心しろ。俺は巨乳派だ。
九里古里が通路の奥へと避難する。
「さあて、やってくれたな女子高生。言っておくがな、俺は宮方、麻柄々、鴉、初古、牙綺、仕宮を既に下している。覚悟しておくことだぜ」
あ、自分で言ってて何だかすんごく小物臭い。ワンパンで沈められそう。
「ふうん。そうなんだ……だから何?それがどうしたの?あたしにどうしろって言うんですか?」
「お前もそいつらのように、このアジトを墓廟にするってことだよ。祈ってろ。痛みも感じずに終わることをな」
ああ、ああ。やばい。俺のかませ臭がやばい。
「全員殺したの……?酷いですね。どうでもいいけど」
言葉の通りに、まるで興味ない。といった風に、少女は口にした。
この少女の――憂原の、さっきの攻撃は何だ。完全に油断していたから、よく見ていなかった。けれど、確か、殴った……よな。
この子、出会い頭で俺に腹パンしやがったよな。それも、尋常じゃない威力の。
「噂には聞いてますよぉ。あなた、強いんでしょ……?おかしいですね。今あたし、軽くどついただけだったんだけど……痛かったんですか?」
「ああ痛ぇよ。死ぬほど痛ぇっつうんだよ!」
渾身のボディブローをかます!
この――ええと、憂原の口ぶりからして、肉体派の異能使いであると判断した。全力で殴っても、問題はないと判断した。もし違ったとして、九里古里がいる。最悪即死さえしなければ、助けられる。
「いつも皆、あたしをどつくんですよ?」
受け止められた。
こいつ、俺の股間埋めすら避けられない身体能力ではなかったのか。
あの時は。今朝の電車内での時は、気が童貞――間違えた。気が動転していたとはいえ、しっかりと鼻腔を駆使した深呼吸は忘れなかった俺だ。いやまあ、流石に学生服もギリギリ衣替え前――冬服で、夏服と比較すれば厚手の物。万が一にも股間の匂いをダイレクトに近い状態で嗅げるとは思っていなかった。思っていなかったし、もちろん(俺は女性の股間の匂いを直に嗅いだことはないが)そういった箇所特有の異臭を嗅ぎ取るということは、幸か不幸か――なかった。最近クリーニングに出したのか。それとも彼女の家――あるいは部屋に篭る、いわゆる『その人の匂い』というヤツなのか。強い香水の臭いとかでもなく、年頃の女子らしいというのもおかしな表現ではあるが(というか俺の変態性に拍車がかかる気がするが)、まあ、年頃の女の子らしい、女の子の匂いがした。女の子の匂いというのは、決して何らかの比喩表現ではないと、念を押しておく。
話が逸れに逸れたが、一体何だというのか。この反応速度。この守備速度。
「ごぷっ」
アッパーカットを受けて、顔面が吹き飛んだ。ガン=カタか。
吹き飛びつつも辛うじて神経の繋がった眼球で、憂原が顔をしかめるのを見た。言ってみればまるで、グロ画像を踏んだ時のような。てめえでやったんじゃねえか。人の顔を何だと思ってやがる。
顔が再生すると同時に、左腕を変身させる。
「左も使えるんだぁ?」
感心するように。あるいは嘲るように。憂原は余裕綽々――そう言った。
奴に左手の爪が届く、寸前。
硬化していない二の腕に手刀を受けた。つけ爪もマニキュアも、何の装飾も施されていない、几帳面に切り揃えられた爪を先端に、同じく揃えられた指で形作られた彼女の手刀の一閃により、俺の左腕は宙を舞った。
今一歩。今一歩届かない。
憂原の方が、一歩早い。一瞬早い。少しだけ、俺よりも先を行く。
「この野郎、余裕だな!」
左腕が返って来るよりも早く、今度は尻尾を出し、憂原の脇腹を目掛けて一気に伸ばした。
貫いてやる。
そのくらいの――意思で。
が……駄目っ…………!
またしても見切られた。憂原は、こってりつやつや黒光りする――言ってしまえば巨大な百足のような俺の尻尾を両手でがっしり掴むと、俺の身体を宙へ引っ張り上げ、自分を挟んで反対の床へ叩きつけた。
「てめえっ……」
死んだヤモリよろしく、四肢を投げ出して無様に床に張り付いて死ぬようなことはない(というかヤモリは壁だ)。腕を突き立て、顔面ダイブは免れたが、依然尻尾は掴まれたままだ。
「こんなの生やして……気持ち悪いっ……」
正直だな!
憂原は、勢いよく尻尾ごと俺を振り回して(ジャイアントスイングとまではいかないが、それに似たようなもの)、その勢いのまま放り投げた。その後、ぱっ、ぱっ、と音が聞こえたが、恐らく自分の制服のスカートで手を払ったのだろう。尻尾を掴んだから。
人を汚い物のように!
空中制御の効かない俺は、素直にロビーの天井に叩きつけられた。
また頭が潰れたよ。酷いことするよね。毎度のこととは言え、いい加減嫌気が差すものである。毎度のこととは言ったけれど、毎度のことになんて、絶対にしたくはない。そもそも毎度と言うほど毎度でもないんじゃないかとも思う。ここ最近、というか、今日一日のみの毎度なのではないだろうか。今日は、外喰要の人生で、最も頭が潰れた日になることだろう。
「……何だよ、えらくパワフルな異能じゃねえか。それとも、お前自身が格闘技の天才か?」
頭を天井に突っ込んだまま、俺は言った。
「違います。あたしの異能……『英雄の剣』……」
分かってるよ。
「勝てないでしょ?あたしには。他の人たちには勝ったみたいだけど……あたしには勝てないでしょ……?どう?ねえ?凄いでしょ……?」
口元が綻んでいる。
ちょっと嬉しそうに。ちょっと誇らしげに、憂原は俺に確認してきた。
何を喜んでるんだ。頭おかしいんじゃねえのか。弱者を見下す愉悦?今の状況のことを指すならば、むしろ見上げているんだけれど。
そういやさっきこいつ、気になることを言っていたような。
傷が癒えてから天井から頭を引き抜き、引き抜いたそばから尻尾を天井へ突き刺す。俺は空中に留まった。
「お前さっき、何つった?皆がどつく?どういう意味だよ」
「意味分かんないんですか……?学校で、皆私をどつくんです。毎日、毎日。お弁当だって踏んづけられるし、鞄だって蹴っ飛ばされるの。お母さんが作ってくれたのになぁ。お母さんが買ってくれたのになぁ」
ああ、何だ。いじめられっ子か。
今時そういういじめってあるんだな。もっと間接的なやり方にシフトチェンジしたのかと思っていたけど。
登校したら上履きに画鋲がびっしり、だとか。教室の黒板に死ねだの帰れだの書かれている、だとか。トイレに入っていたら上からバケツで水を被せられる、だとか。フィクションにしか存在しないいじめなのだと思っていたけど。だって俺は、見たことがないし。
「じゃあ、反撃すればいいだろ。お前強いんだから、クラスの連中なんて一瞬で肉片だろ」
俺は冗談めいて、憂原を試すように、そう言った。
「しませんよ、そんなこと。そんなことしたら、死んだ皆の両親は、悲しむでしょ?」
正論だけど、どこかずれている。
両親が悲しむ。家族が悲しむ。そりゃあそうだろう。よほど忌み嫌われていない限り、息子や、娘――孫や甥姪――兄弟姉妹が唐突に、ある日突然。生物じゃなくて物体になって学校から帰ってきたら、そりゃあ悲しみに打ちひしがれ、驚きを隠せずに、怒り狂うだろう。だけど、そうじゃない。本人の意思を、まるで考えていない。
こいつの中で、自分をいじめた奴は、人間としてカウントされないのか。それとも、殺していい人間だとカウントされるのか。ただ、その家族だけが、箍になっているのか。
実際どう考えているのかは知らないが、やはり、最近の――いや、最近でなくとも、女子高生の考えることは、よく分からない。
「何ですか、あなた?あたしの話聞いてくれるんですか……?」
「そりゃ、殴られるよりは話聞いてた方が千倍マシだよ。何、お前。『繁栄派』にも友達いないのか?ここでもぼっちなの?」
俺も似たようなもんですけどね。
「そうですよ。皆あたしのこと嫌いなんですから」
「九里古里は?あいついい奴だろ」
「九里古里さんは美人だからむかつく……」
「初古は?あいつ馬鹿だし人懐っこいだろ」
「子どもは嫌い……」
「麻柄々は?嫌でも絡んできそうだろ」
「うるさいから苦手……」
「仕宮は?あいつレズだろ」
「怖い……」
本人に問題有りだな。
周りに心を開かない。周りが心を開かない。悪循環。デフレスパイラル。負のループ。ウロボロス。
美人に嫉妬するのは構わないが、子どもが嫌いって。子どもと言ったって、お前とさして歳は変わらねえだろ。
それに、うるさく絡んでくるタイプは嫌だと。俺も、クラスの中心的な人物――わいわい騒いで率先して馬鹿をやるようなタイプは苦手といえば苦手だけれど、それを上手くかわすか、最悪いじってもらわないと、友達はできねえぞ。いや、俺にそんな友達はいないけど。
レズに関しては……まあいいや。
「皆嫌い皆嫌い。……だから、今回の件も私が推したんですよ」
「今回の件?」
それは、あれか?
九里古里の拷問のことか?
「そうですよ。九里古里さんは美人だし……学校も楽しそう。だからね、二度と笑えないようにしちゃえばいいや、って、思ったんです。あのね、私も、上の人たちの会議に参加できるんですよ。だから、ええと、その。そこでその案を出したら、懸厳蒐さんが肉付けしてくれて、通ったん……です、よ?」
「え、九里古里を拷問しようって言い出したの、お前なの?」
「そうですけど」
「お前さっき、クラスメイトを殺したら、その両親がかわいそうとか何とか、言ってなかったっけ?」
「べつに、殺すわけじゃないですよ?それに、九里古里さんには、もう家族がいないじゃないですか。だから――」
だから。
家族がいないから、何だと言うのか。
悲しむ家族がいないから、悲しむ人間がまるでいないとでも、そう言うのか。
いるんだな。ここに。
「いいんじゃないかな……って」
「いいわけあるか!」
間違った道徳観を育てやがって!
小学校のころ道徳の授業をまともに受けないと、下手すりゃこういうことになるから、気をつけた方がいいぞ!
しならせた尻尾で、俺自身を弾き飛ばすように、憂原へと突っ込んだ。
「だから無理ですよ。勝てるわけないじゃないですか。あたしの方が強いんだから」
とは言われつつも!
俺は何とか、どの部位も破壊されずに、憂原に接近することができた。
憂原はなめているのか調子に乗っているのか知る由もないが、俺のパンチに、自らのパンチをぶつけてきた。初めて正面から打ち合って分かったことだが。分かってしまったことだが。
彼女が既に答えを提示してくれているにも関わらず、それを信用せずに痺れる右腕の感覚等を頼りに自分の回答を出したところ、全く彼女の言う通りで情けない話ではあるが、力負けしている。
『腐喰の王』よりも――『英雄の剣』の方が強い。
外喰要よりも――憂原やつりの方が強い。
年下の女子高生に、現実を教えられたのだった。




