025
冤罪というのは怖いものだ。
俺は冤罪を受けたことはないが、罪とは言わずとも濡れ衣を着せられたことくらいならある。
かつて外喰家にて起きた事になるのだが。かつてというのもかつて、外喰要がおよそ8歳の頃の出来事である。母親と一緒に要と楔――俺と妹は、家族で食べる昼食のサンドイッチを作っていた。
母親が台所を留守にした少しの間、俺と妹は思い思い自由にパンに好きな具を詰め込んでいた。いざ昼食の時になって、親父の怒号が居間に響いた。俺達の作ったサンドイッチを口にしてからである。正確には、妹の作ったサンドイッチを口にしてからである。いちごジャムだと思って食べたそれが――そのサンドイッチの具が、いちごジャムでなく福神漬けだったからである。
今となっては気付けよと思うばかりではあるが、その当時の彼には、それは分からなかったのだろう。甘いと思って食べてみれば、カレーに添えたい風味が口内に広がるのだ。それは失意に飲まれたことだろう。
外喰要は怒られた。こっぴどく怒られた。もちろん俺はそんないたずらはしていない。間違えたわけでもない。そもそも俺は玉子しか詰めていない。やったのは妹の楔である。だけど、俺が怒られた。決め付けられて。怒られた。
俺は冤罪を許さない。この世から排除しなくてはならないと、切に願う。
「違うんです」
俺の声だ。
「違うんです」
俺はただひたすらに弁解していた。
目の前の女の子に対してである。
「違うって何が……?」
駅のホーム。
俺はいつも通り、電車に乗って学校へと向かっていた。大抵の場合、この時間のこの列車は満員というわけでもないが、座れはしない程度の込み具合で、当然俺も、どうせ次の駅で降りるのだし、出入り口に窓の方を向いて立っていた。
吊り革には掴まっていなかった。理由を挙げるとするのならば、他人の手垢が気持ち悪いのと、自力で立っていた方がなんだか格好いいからである。自力で立てれば格好いいのだが、それは自力で立っているのが難しいからで、今日も俺は自身の両足に神経を集中させて、電車の揺れに抗い立っていた(これは格好悪い)。窓の方を向いて立っていた――というと、あたかも俺が窓際ナンバーワンというように思うかもしれないが、そうではない。俺は窓際ナンバーツーだった。窓際ナンバーワンには、女の子が立っていた。
高校生だろう。通学途中によく見かける黒い制服(楔はブレザーだがこの子はセーラー服)を着て、短い黒髪を片方だけ細いおさげにした、いかにも地味そうなそばかすの女の子が、ドアに寄りかかって立っていた。俺と向かい合う形で立っていた。
俺だって好きで向かい合っているわけではない。恥ずかしい。背後でおっさんがこちらを向いて咳き込んでいなければ、俺だって女の子に背を向けていた。
このトンネルを抜ければもう目的の駅に着く。そして、ここの揺れが最も大きい。俺は耐えた。必死によく耐えた。耐え抜くことはできなかった。バランスを崩し、格好悪く前へとつんのめった。その時である。俺は気が付いた。
このままでは、真正面の女の子にパイタッチしてしまう。
俺は恐れた。
冤罪を恐れた。
痴漢の冤罪なんて、まっぴらごめんだ。
そうはいくか。
スマホを持って前へと出ている右手を引っ込めた。そこで俺は気が付いた。急な挙動により、バランスを失った己の肉体に。思い切り、前へ。倒れ――なかった。
これまでの19年を、無駄にしてなるものか。この先の人生を、失ってなるものか。
意地だけが、我が右足を動かしていた。決して力強くはない。決して心強くもない。だが、俺の右足は大地(電車の床)を踏みつけた。
しかし、左足はそうはいかなかった。想定以上の揺れに、右足だけで対処できなかった俺は、左足をも踏み出していたのだが。それは反射であって、意思による対処ではない。結果的に俺はバランスを崩しながら、かなりの中腰で2歩前へと進んだ。
俺は顔面から少女の股間へと突っ込んだ。
ドアの開く音が聞こえた。
以上回想。
「違うってほら、違うんだよ。俺は君の股間に顔を埋めたくて埋めたわけじゃないんだよ」
「でもぉ、埋めたじゃないですかぁ……」
「あり――」
ありがとうございました。
危ねえ!あっぶねえ!お礼を言うところだった!
慎重になれ外喰要!お前の人生がかかっている!
「すまなかった。あれは事故だった。言ってしまえば列車の事故だった。本当に申し訳ないことをしたと思っている。どうか許してくれないだろうか」
「そこまで言うことはないですけど……。そんなに俯かなくても……」
「これは君への謝罪の気持ちだ。こういった態度に気を悪くするなら改めよう」
とか言いながら足を見ていた。黒ストいいわあ。
「べ、べつにいいですよ……。き、気には、してませんから……」
「本当だな?」
「うえー……え、ええと……」
「気にしてないんだな?」
「全くしてないというわけじゃないけど……」
「全く気にする必要はない」
「だけど、それだと埋め放題だと思われそうで……」
「よく――」
よく俺の考えてることが分かったな。
危ねえ!あっぶねえ!白状するところだった!
いい加減にしろ外喰要!初対面の女子高生にセクハラするのは自殺行為だぞ!
「何をわけの分からないことを言ってるんだ」
「気にはしてますけど、痴漢とか、そういう風には思ってませんから……。わざとじゃないし、不可抗力だし……」
「ふむ、分かってくれたならいいんだ。では、私も学校に行かなくてはならないんでね。悪いが、失礼させてもらうよ」
何だこの口調。誰だこれは。誰だ俺は。
モラトリアムだった。
「あ、はい……失礼します……」
女の子が見えなくなるまで、俺はそこにいた。
「なあ、お前、九里古里って分かるよな?」
「あん?九里古里?イラスト科の九里古里千切?」
「うん」
昼休み。
俺は学校から少し離れた所にあるコンビニの裏で、買った弁当を食いながら、クラスメイトの中村と話をしていた。
九里古里について。今日も今日とて不登校。最近学校に来ていないことについて、誰か何か知らないかと思って。
「イラスト科で一番絵が下手な九里古里千切?」
「うん」
「階段を降りる度におっぱいが揺れる九里古里千切?」
「うん」
こいつが何を知ってるとも、思えなかったが。
「分かるよ、そりゃ。あいつ可愛いもんな。目を付けてたよ」
「そういう話じゃねえんだけど……」
そういう話をしたかったわけではないが、急に九里古里がどうして学校に来ないのかなんて、聞いても怪しい。変だ。噂される。
それは嫌だった。
「あいつ、最近来てないよな?」
「そういや見ねーな。俺ぁあいつが階段を降りる時に階段を登るのが趣味だっつーのに」
「クソみてえな趣味だな」
気持ちは分かるが。
「それがどーしたよ外喰。九里古里のこと好きなのかよ?」
「いや、好きじゃない。それはない」
何だか、九里古里に悪い気がした。
いや、うん?気にすることもないな。
「サボったりする奴じゃないだろ?眼鏡だし」
「おめーそれは眼鏡に対する偏見だろーがよ。眼鏡キャラが必ずしも真面目だとは限らねーじゃねーか」
「え、眼鏡キャラって真面目に勉強したから目が悪くなったんじゃないの?」
「真面目にゲームしてたかもしれねーだろ」
「それもそうだな」
実際、九里古里はゲーム好きだった。
あいつの視力低下の原因はゲームのやり過ぎか。馬鹿な奴だ。
「つーかお前、最近九里古里と仲いいもんな」
中村が言った。
あれ、バレてる?バレてるってべつに、隠してることでもないんだけど。というか、仲がいいというほど仲良くはないんだけど。
確かに九里古里、毎朝廊下で待ってて挨拶してくるし、同じ教室で授業をする時は毎回話しかけてくるし、昼休みは一緒に食べようって誘ってくるし、放課後は一緒に帰ろうって廊下で待ってるし(俺の方が先に終わった場合はさっさと帰る)、人目につくのは致し方ないのかもしれない。
そりゃあそう思われるのも当然か。
「べつに?仲よくねえよ?あいつがちょっかいかけてくるだけで」
九里古里のことを鬱陶しいと思ったことはない。嫌いなわけでもない。好意を抱かれて悪い気はしない。べつに、好きというわけでもないけど。
苦手とまで言うつもりはないが、何と言えばいいか、こう、苦手なのだ。好意を抱かれるというのが。今まで生きてきた19年間、誰かに好かれるというのが、誰かに愛の告白を受けるというのが、初めてで。どうしたらいいのか分からない。どう感じたらいいのか分からない。はっきり言って、何が何だか分からない。
彼氏彼女恋人カップルというものがどういうものなのか、体験して体感する意味で、付き合ってみてもよかったのかもしれない。だけど、それは九里古里に対して失礼だと思った。それはできなかった。そんな度胸は俺にはないし、そんな卑劣さも俺にはないと信じたい。
あんまりモテなかったがために、鬱屈してしまっているのかもしれない。告白されたのは、罰ゲーム、だとか。流石にあの状況――殺人鬼との死闘を終えた直後――で罰ゲーム告白というのはないだろうけども。それに似た何かを感じ取っているのかもしれない。疑心暗鬼なのかな。
ありきたりな言葉を遣う自分に辟易するけれど、俺は自分の気持ちが分からなかった。
「何だよ外喰。昨晩抜いた後で良さ気な動画のサムネイルを発見したけどその時には関心が持てずそのままブラウザを閉じたはいいものの後になって考えるとお気に入りに入れておいて、今晩使えばよかった、みたいな顔してよ」
「真面目な顔してたんだけど」
「気持ち悪ーよ」
「お前は人を傷つけることを平気で言うよな」
「そりゃあ、俺は傷付かねーからな」
「お前はあれか、他人の痛みが分からない人間か」
「当たり前だろ。他人の痛みは他人にしか分からねーよ。何言ってんだ。湧いてんのか?」
「お前は口が悪いよな!」
「それは認める」
結局、九里古里のことは何も分からなかった。
「ねえ、千切さんとは上手くやってんの?」
「あ?」
夕食後のこと。
居間のソファでテレビを見るわけでもなくだらけていたところに、妹の楔がふざけたことを言ってきやがった。
「千切って何?技名?」
「随分とえげつなさそうな技だな、おい。違うよ。九里古里千切さんだよ。クラスメイトなんでしょ?」
「クラスメイトじゃねえよ。同学年で同じ学校に通ってるだけだ。というか、何でお前が九里古里のこと知ってんだよ。高校だって違う筈だぞ」
楔と俺は、同じ地元の高校を卒業している。妹も無事卒業している。卒業している。
高校に九里古里なんて奴はいなかったし。あいつの地元がどこなのかは知らないけど、専門学校で初めて会ったのだ。どうして楔が九里古里を知ってるんだろうか。
「何でだっていいじゃん。それとも何だ兄貴。あの女とつるむと巨乳が感染るから縁を切れ、とか言うんじゃあるまいな」
「何それ凄い興味ある!」
巨乳って感染るの!?
というかそれならもっと仲良くしていいよ!べつに妹の胸に興味はないけど!
「聞いたんだぜ兄貴。お前、千切さんに告白されたんだろ?どうして振ったんだよ。もったいない」
「もったいないか。もったいないね。なるほど。どういう意味だ」
「兄貴みたいな無職童貞を好いてくれる黒髪ショート眼鏡の巨乳美人なんて、そうそういないぜ」
「無職はいいだろ学生なんだから!」
「属性が限定され過ぎだろ、って突っ込みが一応模範解答だったんだけど……。まあ、兄貴はそろそろ半ヒキオタ童貞として完成予定だからな。無職って単語に過敏になってしまうのも無理はない」
「お前自分の兄貴がそうなってもいいのか!」
「べつにいいよ。生きてりゃそれでいい」
何こいつ。かっけえ。
無礼な上にかっけえ。手のつけようがねえ。
「兄貴が童貞かどうかはどうでもいいんだよ。というか童貞なんだし」
「うるせえよ!というか無職について異論申し立てただけで童貞については触れてねえよ!あと決め付けんじゃねえ!」
「決め付けるなと言われても……。兄貴が誰かとセックスしてるの見たことないし」
「ある方が問題だからなそれは!」
「機会が会ったら是非見せてくれよ」
「見せるかあっ!」
実の妹が見てる前で本番とか。
全員が不幸になる罰ゲームじゃねえか。企画物AVとかにありそうな。
「というかお前、俺のことばかり童貞童貞と馬鹿にするけれど、お前だって処女じゃねえか」
「何で知ってるの?見たの?」
何を!?
聞こうと思って、やめた。
どうせろくな答えは返ってこない。
「処女はメリットだろ?童貞と違って」
「はん。言ってろ。そのうち言えなくなるからな」
「私は兄貴と違って、彼氏がいたこともあるんだけどなー」
「え、マジでえっ!?」
嘘だろ!?正気か!?
俺の妹に彼氏がいた!?
そんなことありえるのかよ!
「マジよマジマジ大マジよ。まあ、最後まで清いお付き合いだったから、膜は破られてないんだけどな」
「膜とか言うな」
身内のそういう話は気持ち悪い。
「種は撒かれてないんだけどな」
「種とか言うなあ!」
気持ち悪いっつってんだろ!
「兄貴さ、キスしたことある?」
「………………」
ない。
「私はあるぜ。1人は、今言った彼氏。もう1人は――」
何を勿体ぶってやがる。
聞きたくもないが聞いてやってるんだ。早く言え。
「最近できた友達なんだけど、すげー可愛い子なんだ」
「え、何?お前ショタコンだったの?」
「は?何で?」
「いや、すげー可愛い子って……」
「違うよ。女の子だよ」
「お前レズだったの!?」
違うよ。
――と、楔は言った。その後に、たぶん――とも言った。
「おふざけでな、女子同士だし、まああることよ」
「男同士ではないぞ」
「ったりめえだろきめえんだよ。というか兄貴友達いねえだろ」
「ボロクソだな俺!」
こいつ本当に俺の妹か!鬼か何かじゃないのか!
「ちょっと色々あって、仲良くなった子なんだけど。そうそう、その時お世話になったのが、千切さんなんだよな」
どうして九里古里?
そこまで思って、はっとした。
色々あって。色々って、何だ。お世話になるって、具体的には、どう。
「おい楔、お前――」
「千切さんに助けられたんだ。あの人がいなかったら、今頃私は志々雄真みたいになってたぜ」
「異能が発現したのか?」
にやり、と、楔は笑った。口角を上げて。目を細めて。
ふざけんなよ。遺伝とか、そういんじゃないんだろ異能って。こんな兄妹揃って。異能のバーゲンセールかよ。
「してないけど」
「してないのかよ!」
ふざけんなよ!紛らわしい反応するんじゃねえよ!ぶっ飛ばすぞこいつ!
「私はしてないけど。その友達がしたんだよ。巻き込まれた、というか巻き込まれに行って、大変なことになっちまったところを、千切さんに救われたのさ」
「大変なままでいればよかったのに」
「おいおい、可愛い妹に対して言う言葉か?」
「可愛くない妹に対して言ったんだけど」
「そんな妹はいないな」
「俺には可愛くない妹しかいない」
「私のこと?」
「お前のことだよ」
照れるなー、と楔は言ったけど。照れる要素はどこにあったのか。
「大体さ、兄貴が超絶イケメンだったら、兄貴に似ている私は超絶美少女だった筈なんだよ。まったく困ったもんだよ。もっとクールに生まれてこいよな」
「俺が超絶イケメンだったらお前も超絶イケメンだよ」
似てるんだから。
話を戻す。
「どういう巻き込まれ方をしたんだよ、お前は」
「その子――懐未ちゃんっていうんだけどさ、懐未ちゃんは異能の力が発現して、『繁栄派』の連中に追われていたんだ。だから、助けてあげようとした。それで、失敗した」
『繁栄派』のことまで知ってるのか。
侮れない妹だ。
「その追っ手が、環瑚玖ちゃんとかいう手強いお姉さんでさ、一度は捕まったんだよ、2人とも」
「大丈夫だったのか?」
環瑚玖ちゃん?環瑚玖ちゃん……?
この間覇嶺さんに聞いた、『繁栄派』内部ランキング4位の仕宮環瑚玖のことか?
上位も上位じゃねえか。宮方よりも、鴉よりも、初古よりも牙綺よりも上の異能使い。そんなのに狙われて、無事だったのか?こいつは。
そういえば、覇嶺さん。仕宮の紹介をした時に、この名前に聞き覚えがないかどうか、俺に確認していた。あれはこういうことかよ。知ってたのか、あの人。
楔が巻き込まれてたことを。
「大丈夫じゃなかったよ。『繁栄派』のアジトから脱出する時に、顔と足をやられた。その時、千切さんが治してくれたんだよ。まあ、脱出自体も手伝ってくれたし、色々気を回してもらったんだけどさ」
「完全に元に戻す九里古里じゃなくて、別の回復異能だったら、もうちょっと可愛くなったかもしんねえのにな」
「私に整形しろって言いたいのか」
「そうは言ってねえよ」
実妹が整形してるとか嫌だよ。
「しかしよお前、そんな状況になったのなら、まず俺に言えっつうんだよ。九里古里に迷惑かけてんじゃねえ」
「抜いてたくせによく言うよ」
「あっ、あれは仕方ねえだろ知らなかったんだから!」
ほじくり返すんじゃねえ。
閑話休題。
「そりゃあまあ、お前の言いたいであろうことも分かるよ。俺は生身の喧嘩ならお前に完敗する兄だし、頼りないと思うかもしれねえけどさ。でも、今は異能の力もあるんだし、過信していいものでもねえが、助けを求められれば助けられると思うぞ」
「かもな。そうかもな。いや、可愛い妹を心配して言ってくれるのは嬉しいがお兄ちゃん、私だってお前を巻き込みたくないって気持ちがあるんだぜ」
「お兄ちゃんとか言うな気持ち悪い。あとお前は可愛くない妹だ」
「おおう、辛辣だな……」
それにな兄貴。楔が言う。
「私は巻き込まれたわけじゃなくて、自分から首を突っ込んだんだ。結局千切さんに助けてもらったけども、覇嶺さんや『粛正派』の方々に協力を仰いだけども、自分で何とかしたかったんだよ。あるだろそういう、プライド的なものが」
「何を格好良く生きようとしてんだお前は」
妹らしさを持て。
「それじゃあ千切さんは、私が生還したその翌日から学校に来てないってことじゃんか」
九里古里の話に戻る。
最近学校に来ていないから、上手くやるもクソもないと、そう言ったのだ。
学校に来てないかどうかは知らないが、姿を見なくなったのは。挨拶してこなくなったのは。廊下で待たなくなったのは。どうやら楔が深夜帰りしたあの翌日(厳密には当日)からのようだ。
「そういうことになるな」
「そうか……。それは心配だな。私たちを助けてくれたから、それが『繁栄派』の連中の反感を買って、ハブにされてるのかも」
「『繁栄派』しょべえっ」
ハブって。学生のいじめか。
「ハブってわけでもないらしいぜ。『繁栄派』の知り合いが言うには、恐らくそいつもその翌日、俺と同じ日から九里古里の姿を見てないらしい」
「ううん?じゃあ何だ?千切さんは裏切り者として『繁栄派』を追放されたってこと?」
「それは……」
ないんじゃないか。
初古は馬鹿っぽいから他の連中に聞かされておらず、九里古里追放の件を知らない――というのはあるかもしれないが、追放されたからって。急に音沙汰なくなるか。
学校へは、来れないのか。入学手続きとかは、『繁栄派』の方で上手くやってくれていると言っていたし、その『繁栄派』に縁を切られたのでは、在学が不可能になってしまうのか。電話が繋がらないのも、『繁栄派』に止められたからか?
いや、でも、携帯電話って何歳から自分名義で登録できるんだっけ……忘れた。
「なあ、兄貴」
「何だよ、今ちょっと頭が忙しい」
「千切さんは私たちを助けて、環瑚玖ちゃんと鴉に謀反を働いてるんだよ。だからつまり、そいつらが上層部の連中に掛け合って、千切さんの処分を決定したんだとしたらさ」
「もう死んでるって言いたいのか」
「言いたくはないよ。言いたくはないけどさ、もしそうだったら、これは私のせいだし」
「お前のせいでもないだろ。その場合、悪いのは上告した鴉だし。それに、九里古里の奴が1人で勝手にやらかしただけだぜ」
「……なあ兄貴、千切さんが私たちを――私を、助けてくれたのには、理由があるんだ。あの人は利口な人だ。だけど直情的だ。自分にメリットがないのにも関わらず、私を助けたのには理由がある」
だから、勿体ぶってんじゃねえよ。
「好きな人の妹だからなんだ」
「………………」
惚れさせた俺が一番罪な男……なんつって。
こんな状況でこんな冗談を考えられるというのは、案外俺は大物なのかもしれない。そうでなければ馬鹿者なのかもしれない。
とはいえ、九里古里が殺されているか、もしくはそうまでは行かなくとも危険な状況にあると決まったわけではない。
まあ落ち着けよ外喰要。とりあえず風呂でも入って落ち着こう。
「あ」
着信が入った。
余口初古。
『繁栄派』の探知系異能力者に、九里古里の所在を探らせていた筈だ。居場所が分かったのか。それとも明日遊ぼうというお誘いなのか。
後者なら、俺はこの電話に出んわ。覚えている。思い出す。喉仏に当たる刃の感触を。
俺は脅されている。牙綺藍三に脅されている。初古との接触を今後一切断ち切る。それが牙綺の課したルール。おいそれと破ってみろ。どこに潜んで、どう探りを入れているか分からない。即座に切り刻まれることだろう。
でも、もし、前者なら。
九里古里に関する情報を掴んだのなら。
「おう、どうした」
「あ、外喰!ねえ聞いて」
出ないわけにはいかんざき。
「あれから私、探知系の奴に千切ちゃんの所在を調べさせようとしたわ。したのよ。でもね、誰一人として了承しなかったの。頑なに拒まれたわ。だけど、それもその筈、仲がいい私以外、全員千切ちゃんの居場所は知っていたのよ」
「お前ハブられてたの?」
「ハブられてないわよ!」
ハブられてますよ。
「いい加減頭来たから一人を半殺しにして聞き出したんだけどね、どうにも千切ちゃんは、アジトのどこかに拘束されてるみたいなの。監禁状態なの」
「それって、あれなのか?反逆行為に対する罰なのか?」
「反逆行為?何で知ってるの?そうよ。勧誘した異能力者の脱走を助長したんだって。私は知らなかったけど。でも、それにしたっておかしいのよ。聞いたところじゃ大した異能使いじゃなかったみたいだし、監禁までされるようなことじゃないと思うんだけど」
楔の友達のことか。
「監禁……つまり拘束されるってことは、九里古里が脱走しようとしたんじゃないのか?理由は分からねえが」
「分からないでしょうね。理由はないもの。千切ちゃんが『繁栄派』を離れる理由はない筈よ。乱暴なことも横暴なことも横柄なことも全て受け入れてたもん。今更何がどうだってこともないわ」
「じゃあ、そうだ。『繁栄派』側から攻撃してきたってことはないか?反逆行為をした九里古里に対して、罰を与えようとして、それから逃げようとして――捕まった」
「なら、今は監禁されて罰を受けてるってこと?」
「そういうことなんじゃないか?」
「長くない?」
「長いな」
「そもそも、『繁栄派』だって千切ちゃんを必要としてるのよ。千切ちゃんの『隷属回帰』は、時間の制限を除けば『繁栄派』の中でも最高の回復異能。争いは避けられないけど人員を減らしたくない『繁栄派』にとって、千切ちゃんの異能は大きなメリットになってるんだから」
「だったら、こうだ。今回の異能力者の脱走の一件で、九里古里が脱走者に手を貸した。それがやばい。それがまずい。九里古里の中に、『繁栄派』に対する反発が見えちまった」
「今まで千切ちゃんに対しては上も結構自由にさせてたわ。縛りはあるけれど、それでも極力千切ちゃんのやりたいようにやらせてた。学校にも通わせてたし、外へ出るのも自由だった。お金の管理はされてたけどね」
「それは九里古里が『繁栄派』を離れないようにするためで、『繁栄派』に依存させるためなんだろ。詳しくは知らねえけど、あいつ両親がいないんだってな?」
「うん。だから、『繁栄派』を抜けたら、どこにも行く当てはない筈」
こりゃあ『繁栄派』が九里古里の両親を殺したってのも、全然ない話じゃないな。
「つまり、九里古里を飼い慣らしてたんだ。飴を与えてな。だけど、今回の一件で、『繁栄派』は余裕がなくなった。九里古里の中に反発という概念があることが分かっちまった。余裕じゃあいられなかったんだろうな」
「千切ちゃんを監禁して、回復アイテムとして使おうってこと?」
「知らねえけどさ」
「それは酷いわよね」
「酷いな」
「外喰。折り入ってあんたに頼みがあるんだけど」
「何だよ」
「私は『繁栄派』を離れるわけにはいかない。もっと言えば反発するわけにはいかない。さらに言えば私は千切ちゃんを助けられない。だから外喰」
柔らかいソファから腰を上げた。
妹がこちらを見ている。が、無視。
俺は居間を出て、廊下の方へと歩き出した。
「千切ちゃんを助けてあげて」
「風呂上がったらな」




