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異行  作者: yoho
その1
12/47

012

「あーあ。これで要くんもスマホ勢かあ…」


 最寄りのケータイショップで、俺の隣で一緒に並ぶスマートフォン達を眺めながら、覇嶺さんはそう呟いた。

 一度持ってしまうと、携帯電話がない生活というのは不便極まりなくて、それでいて丁度よく今日が日曜日だったので、あの後そのまま2人でケータイショップに見に行こうという流れになったのだ。

 いや、しかし、それにしても、ケータイショップって落ち着かねー。


「何か不満があるんですか。さっき行こう行こうって促したのは覇嶺さんじゃないですか」

「そうですけど…。改めて考えてみると感慨深いっていうか、肝臓痛いっていうか」

「それは飲み過ぎだろ…」


 もう若くないんだから、と言おうとしてやめた。

 いや、べつにこれは覇嶺さんだからそう言おうとしたわけではない。友人(少数)との会話でも、腰が痛い、とか、食べ過ぎた、とか、そういう話になると、冗談で『もう若くないんだから』と諌めることがあるのだ。それと同じノリで、言おうとしてしまった。本当に危なかった。


「何?ここであえてガラケーを買うっていう選択肢もありますが、そうします?というか、そうさせます?半強制的に」

「べつに強制はしませんけど…。そもそも、らくらくフォンくらいしかないじゃないですか。ガラケー」

「そういえば覇嶺さん。『ガラケー』って言葉の意味、知ってる?」

「うん、確か、ガラパゴス携帯……の略でしょ?」

「じゃあ、『ガラパゴス携帯』って言葉の意味、知ってる?」

「知りません。どういう意味なんですか?」

「多数の機能を備えて日本独自の進化を遂げた携帯電話を、同じく独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生物に例えてるそうですよ」

「へえー。要くんは物知りですね。ところで、ガラパゴス諸島ってどんな生き物がいるんですか?」

「ガ、ガラパゴスアフリカマイマイ…」

「ふうん。アフリカなのにガラパゴスなんだ?」

「ま、まあ、世の中納得いかないことばかりですからね」

「嘘でしょ?」


 さすが覇嶺さん。鋭い女性だ。


「何ですかもうさっきから。俺が物知りだっていうところで切っておけば綺麗に終わったものをほじくり返して荒らして回して。ひょっとして俺がスマートフォンに変えるのを気持ちの面から阻止しようとしてるんですか?」

「そんなつもりはありませんが…。さっきの質問にスマートに答えられたら、もっと物知りですねっていう形で落ち着いたんじゃないですか」

「ああ、もう、これだから。人間は歳を取ると言い訳ばかり上手くなる」

「………………」


 非常にどうでもいいことではあるが、『物知り』と『桃尻』って、よく似てる。

 気を取り直して、覇嶺さんが並ぶスマートフォン達を見てくれている。俺もそちらに(覇嶺さんの尻から)視線を移す。


「うーん。どれがどう違うのかよく分かりませんね」

「どうせならカメラが綺麗なヤツがいいな」

「い、嫌ですよ…?」

「は?道端の猫を撮るだけですけど」

「そうですかっ」


 パンツ撮ってほしいなら撮りますけど。


「最近の携帯はどれもみんなカメラ綺麗なんですね」

「言ってることがおばさんですよ」

「おばさんですけど?おばさんですけど何か?」

「逆ギレかよ……」

「逆ギレじゃありません。逆ギレとはまず私に非があって要くんが怒っている時に逆に私が怒り出すことです」

「怒ってるじゃん。なんかもう完全に怒ってるじゃん」

「怒ってませんよ。私がおばさんなのは事実ですからね?そうですもんね?」

「何で同意を求めてくるんですかねえ…。俺が悪かったですよ。すいませんでした」

「べつに謝ることないですし?要くんは間違ったこと言ってませんし?」

「怒ってないなら語尾上げるのやめてもらっていいですか」

「はいはいやめますやめましたぁ。これでいいですかぁ」

「語尾下げるんじゃねえよごめんっつってんだろ!」

「要くんが逆ギレしたあっ!」


 ケータイショップの中で怒鳴ってしまった。

 でも、今のは流石に俺が悪かったな。大人気なかった。謝ろう。


「すいません覇嶺さん。でも俺は欠点を気にしてる女の人萌えですから」

「私の年齢のこと欠点って言った!」

「そういう意味ですけどそういうつもりはないですよ」

「つもりがなければいいってものじゃないですからね」

「知りませんでした」

「………………」

「立ってるの疲れました。座りましょうよ」


 覇嶺さんと俺は、特にサービスを求めてるわけではないが、サービスカウンター隅の方の椅子へ腰掛けた。

 今、人いないみたいだし、いいだろ。


「……要くん、さっきのって言い換えれば、年齢くらいしか欠点がないってことですかね?」

「いや、欠点はあると思いますよ。俺に見つからないだけで」

「え、え?何ですかそれ。凄く格好いいんですが…!」


 どこが覇嶺さんの琴線に触れたのかよく分からないが、機嫌が直ったみたいだから、まあいいや。


「べつにこれはご機嫌取りとかお世辞とかそういうんじゃないけど、覇嶺さんって若く見えますよね」

「そうですか?自分ではあまり分かりませんけど」

「妹も二十歳に見えるって言ってたし、俺だって22歳くらいだと思ってましたもん」

「そうでしょうかっ?そうなんですかねっ?」

「露骨に嬉しそうにするのやめてもらっていいすか」

「いきなり辛辣です!」

「この間、妹の制服を着てた時も、似合ってましたもん。あの時はまあ、33歳だっていうのが発覚した直後だったから、少し違和感もあったけど。若いといえば、ロリって何歳以下をそう呼ぶんでしょうね」

「何で今そんな疑問が浮かんできたんでしょうか…」

「いや、常々思ってたんだけど、聞く機会がなくて」

「ああ、常々…そうですか…。まあいいんですけど…。定義的には、12歳以下なんじゃないですか」

「でも、50歳のおじさんが女子高生を好きだと言ったらロリコン扱いされますよね」

「そうですね。言葉の意味なんて時代によっても遣う人によっても変わってきますから」

「もし仮に俺が中学生に手を出しても、ロリコンということにはなりませんよね」

「定義的にはならないかもしれませんがロリコン扱いはされると思うし何より実刑がありますよ」

「大丈夫です。俺、年上好きなんで」

「そうですか……」


 8歳年上の姉がいたらいいのに、と、切に願った高校時代である。


「話は戻りますけどね?未成年女性のことをロリと呼ぶんじゃないかっていう話になった時にしようと思ってた話なんだけど」

「戻してまで言いたいことなんですね…。そういう方向に話を持って行きたいならそう言えばいいじゃないですか…」

「覇嶺さんは十分10代に見えるんですよ」

「あ、ありがとうございます」

「合法ロリッ!」


 何故か、瞬間最高のキメ顔でそう言った。


「…流石にロリとまで言われて嬉しくはないんですが」

「え?でも、世界にはロリコンが溢れ返ってますよ?」

「むしろ怖いんですが!」

「心配しないでくださいというか自惚れないでください。ロリコンからしたら覇嶺さんはババアですよ」

「ババアって言った!とうとうババアって言ったー!!」

「大丈夫です。俺は売れ残り萌えですから」

「そこまで言われてません……」


 何だかもう覇嶺さんの目頭が赤いので、いじめるのはやめておこう。


「何だか喉渇きません?ここはお茶も出ないんですね」

「お茶が出て来るケータイショップを見たことないんですが…。どうします?決まらないみたいだし、一回出ますか?外に出ればどこかしら自販機があるでしょ」

「よし。覇嶺さん、出ます。外に出ますから!」

「分かりましたって。そんなに強く言うことありませんよ」


 自動ドアを通って、外に出る。


「とは言え、また来るのも面倒くさいし、そもそも携帯がないと仕方がないので、やっぱり今買っていきましょうか」

「え、え?何だったんですか?今の。喉乾いたんじゃないんですか?」

「まあまあ。いざとなったら覇嶺さんの涎を飲めばいいし」

「それじゃあ私の喉が渇くじゃないですか」

「そこは大した問題じゃないだろ!もっと深刻な問題があっただろ!」

「何ですか?涎の他に何が飲みたいんですか?」

「あ、駄目だ。自分で振っておいて怖くなってきた。ごめんなさい覇嶺さん。調子に乗りました。ごめんなさい」

「許してあげますよ。可愛い悪ふざけくらいね」


 気を取り直して、またケータイショップに入る。


「覇嶺さん、中に……、中に入ります…!」

れる、じゃなくてはいる、だと、何だか自分が入っていくみたいに聞こえますよね。スカル――」

「すいませんでした僕が悪かったです!」


 より高度な下ネタに必要以上にビビる俺だった。











「私が一番最初ですね。一番」

「『さ行』なので一番上には来ませんけど」

「はいはいそうですね」


 携帯電話をスマートフォンに新調し(40分くらいかかった)、早速覇嶺さんの連絡先を登録した俺は、覇嶺さんと共に喫茶店で軽食を食べつつ、電話帳のことについて話し込んでいた。


「はあ、これでまた連絡先を集めて回らなくちゃならないな」

「大変そうですね」

「いや、友達少ないんでそうでもないですけど」

「そういうことは言わなくていいです…」

「ただ、連絡をするかしないか微妙なラインの人っていうのは、困りますよね。これを機に切ってしまうか、もしかしたらまだ何かあるかもしれないから聞いておくか」

「確かにそうですけど、聞く手段、あるんですか?」

「ないね」

「ないんだ…」


 ない。

 なので、そういった方達には、必然的に電話帳から消えてもらう形になった。

 とりあえず、現在交流のある人物の連絡先だけあれば、問題ないだろう。まずは、それらを挙げていくことにした。


「じゃあ――ええと、後は、妹と、両親と……、………。ん……?」

「どうかしました?」

「あれ、俺、友達いなくね?」


 恐ろしい事実が判明してしまった。

 しかも、先程自分で、『友達が少ない』なんて自虐をしておいて、さらにその上を行く現状だったのだから、悲惨極まりない。

 これは恥ずかしい。

 冷静に考えれば、中学、高校の頃の友達(だった人)は、揃いも揃って、この町から出て行ってしまったので、当然会うことがない。たまには連絡をくれてもいいんじゃないかと思うこともあったが、例えば、久しぶりに帰ってきたので遊ぼう、なんて言われたところで、俺はたぶん断っただろうから、結果的には連絡はくれなくてよかった。かといって、電話帳に名前があるということだけで、友達として数えていいライン、みたいな考え方をしていた俺にとって、この状況は壊滅的なのだった。

 現在交流があるとすれば、専門学校の同級生である中村だが、こいつとはもともと連絡先を交換し合っていない。学校でしか話さないので、し合う必要がなかったのだ。

 恐ろしい事実が判明してしまった。

 僕は友達がいない。


「げ、元気出して要くん!私がいるじゃないですか!」

「覇嶺さんは何か違う」

「ひどいっ!」


 親しくはさせてもらっているけど。

 歳が一回り上だし。下手したら一回り以上上だし。


「ま、だから何だということはないんですけどね。友達がいなくたって死ぬわけじゃないし?」

「そういう強がりみたいな開き直りはかえって悲壮感が増しますよ…」

「まさかここまでとは思わなかったな。でも、何だか、孤高って感じで格好よくないですか?」

「何でそんなに嬉しそうなんですか…。要くんがいいならいいですけど……」

「今度楔に友達紹介してもらおうっと」

「孤高どこ行っちゃったんですか!?」

「一人旅じゃないですかね、孤高だし」

「上手くも何ともないですよ」


 手厳しい評価である。


「覇嶺さんは、友達いるんですか?」

「何でイエスとノーが半々くらいの質問をするみたいなノリで悲しいことを聞いてるんですか……。いますよ、人並みには」

「女の人?」

「そうですね。ほとんど女子です」

「女子っていう歳じゃ――」

「おばさんですよおばさん」

「そこまで言ってないけど…。綺麗な人います?」

「失礼な質問ですね。それにそこは人それぞれの主観に委ねられるところがあるので一概にどうとは言えませんが、まあ、たぶん。一応、写真がありますよ」


 覇嶺さんに携帯に保存されている画像を見せてもらう。


「この人たちは、皆同い年ですか?」

「うん。その写真はそうですね。こっちのは、『粛正派』の集まり。若い子も、私より年上もいますよ」


 画像を切り替える。

 おそらく同じ席で撮ったものだろう。いくつかの画像を拝見していく。


「どうですかー?要くんの好みの子、いましたー?」


 覇嶺さんが、頬杖をついたまま、半笑いの表情でつまらなそうに聞いてくる。

 俺は女子に評価をつけることをあまり芳しく思わないタイプではあるが――否、つけた評価を他人に告げるのを芳しく思わないタイプではあるが、まあ、この場合は、言ってもいいだろう。

 問題はないと判断した。


「覇嶺さんが一番可愛いですね」


 覇嶺さんの顔が、支えていた自身の腕から滑り落ちて、顔面からテーブルの上のサンドウィッチにダイブした。サンドウィッチの踊り食いでも始まるのかと思ったが、そうではないらしい。


「か、要くん!本当!?本当にそう思ってます!?」

「思ってますよ。俺は天然ジゴロでもスケコマシーでも朴念仁でもないのではっきり言っておきますが、覇嶺さんのことは本当にエロい目で見てます」


 マヨネーズまみれの覇嶺さんを脳に焼き付けながら、俺は言い切った。


「そこまで言われると流石に悪い気はしませんねー!へっへっへー!」


 頭をぼりぼりと掻く覇嶺さん。大人の女性はどこへ行ったのだろう。

 というか今のでよかったのか。

 エロい目で見られているのは喜ぶところではないような気がするんだけど。はっきり言って褒めてないんだけど。いや、むしろ、それどころか、軽蔑の言葉を待っていた節があるくらいなんだけど。いっそ裏拳をかまして椅子から転げ落ちたところを頭が床に着く前に踏みつけて来てくれていいくらいなんだけど。

 まあ、この人結構馬鹿だから、いいか。


「通りで要くんが私にセクハラしてくるわけですよ全く。欲求不満なんですね、もう。仕方がないですねえ、男の子なんだから」


 何やら勝ち誇った顔で、にやにやとこちらを見てくる覇嶺さん。

 背筋を伸ばして。

 腕組みをして。

 ムフー、と、正にそんな音を立てながら息を吐いて。


「そこまで言うなら、また今度写真を撮らせてあげてもいいですよ?制服と言わず、メイド服でもチャイナドレスでも着てあげますよ」


 何だか異様にサービス精神旺盛な覇嶺さんだったが。


「あの…覇嶺さん。まず、顔のレタスを取った方がいいと思います」


 覇嶺さんは顔を真っ赤にして化粧室に消えていった。











「おおー。綺麗に撮れますねえ」


 そこそこに腹を満たし、商店街をうろついていた俺と覇嶺さんは、飲食店の路地から顔を覗かせる野良猫を発見した。

 ここぞとばかりにスマートフォンのカメラの性能を試そうとシャッターと切ったというか画面をタッチした俺は、狙い通り、白黒斑模様の猫の姿を写真に残した。

 確信した。

 いける。

 この画質ならいける。

 いけるで。

 いけるんや。


「要くん。顔が気持ち悪いですよ」

「失礼ですね覇嶺さん。そういうストレートな悪口は言わないでください。俺は傷付きやすいんです」

「いや、そういう意味じゃなくて。表情が気持ち悪かったです。得体の知れない変態性を感じました。というかそれ、要くんが言えること?」

「覇嶺さんなら、受けた傷は『痛みの器アリッサ』で返せばいいじゃないですか」

「『傷みの器アリッサ』で移せるのは痛みだけです」

「そういえば、覇嶺さんの異能は、いつからあるんですか?」


 気になっていたことだった。

 痛みを食い、痛みを与える異能力。

 使い方を間違えれば、人間として欠陥になってしまいそうな程に恐ろしい異能力だ。


「生まれた時からです。正確には、生まれる前からなのかな?母から聞いた話なんですが、私を生む時、痛くなかったそうなんです。全く痛みを感じなかったそうなんです。陣痛は当然痛かったみたいですけど、私が出て来るちょっと前くらいから痛みが全くなくなったそうなんですよ。思ったより痛くなかったとかじゃなくて、まるで。何にも。後陣痛の時も、私を抱いていたら痛みはなくなったと、そう言っていました。私は大泣きだったそうですよ。まあそれもそうですよね。自分を生んだ痛みを感じているわけですから」

「覇嶺さん、0歳にして出産と後陣痛を経験してるんですか……」

「何か言いたそうですね。どうぞ、言ってくださいよ」


 あ、これ、茶化しちゃいけないヤツだ。

 平坦なトーンが怖い。


「け、経験豊富ですね…」

「これで本番も安心ですね、とかじゃないんだ?」


 笑顔が怖い。怖いです。


「子供の頃は、異能の使い方がよく分からなかったから、転んで怪我した友達の痛みをよく食べてました。いつ自分が異能を使えると気付いたのかは覚えてませんが、中学生の時には、やたらと異能力を使うのはやめてましたね。利用される、と思ったからです。運動部ならこれ以上ないケア要因ですし、喧嘩に使われちゃかないませんからね。そうそう、痛みを他人に与えることができるのに気が付いたのは、高校生になってからでした」

「誰に使ったんですか?」

「友達」

「………………」


 まあ、女子ってえげつないって聞くし。

 傷が残らないのがまたひどくいやらしい。


「誤解しないでくださいよ。痛いなー痛いなー、何で私がこんな痛い思いしなくちゃいけなんだー、誰か代わってくれないかなー。とか思うことってあるでしょ?それが、やってみたらできたんです。まあ、与えた痛みはそのままにしましたけど」

「悪い人だ!」

「何ですかセクハラ魔人のくせに。お天道様なんて見てないんですよ」


 何だかやさぐれている覇嶺さんだった。

 自身の異能に関して、いい思いがないのだろうか。そのように聞こえる。俺なんかが介入すべきではないし、したところで何にもならないし、そもそもできやしないのかもしれない。

 『痛みの器アリッサ』で、心の痛みは移せない。

 人の2倍の痛みを受けて生きてきた。

 人は痛みを知らずに生きることはできない。痛みに慣れるなと人は言う。慣れてしまっては、それこそ人として欠陥である。覇嶺さんは以前、痛みに慣れていると言っていた。欠陥である。彼女は人として欠陥品である。

 大切で、なくてはならなくて、でもあってほしくない痛み。

 痛みを操る欠陥品の覇嶺さんは、どんな思いで生きてきたのだろうか。どんな思いで生きていくのだろうか。


「要くん。あまり難しそうな顔をしなくたって大丈夫ですよ。私は強いんです。それにちょっと、Mのきらいがあるので」


 M。

 Mと言った。

 ここでのMとはつまり、Masochism(被虐嗜好)あるいはMasochist(被虐嗜好者)の頭文字を取った通称のことだろう。


「いや、そこまでじゃないですからね?言っておきますけど、痛いのが好きなわけではないですからね?」


 被虐嗜好。

 肉体もしくは精神苦痛、羞恥心などから快感を得る民族の心的傾向の名称である。

 恥ずかしいところを見られるのが好きな人である。

 雑言罵倒を浴びせられるのが好きな人である。

 鞭で叩かれるのが好きな人である。


「要くん、要くん。今君が何を考えているのか分からないけど、私は罵られるのも叩かれるのも嫌ですからね?聞いてます?聞いてね?」


 SMプレイに使われる蝋燭は、一般的には低温蝋燭という、その名の通り融点が低くあまり熱くならない蝋燭を使うらしい。

 それを知らない妹に以前、仏壇に挿す蝋燭を垂らされたことがある。ゲームをしている際に、突然首筋に強烈な熱を感じたのだ。飛び跳ねて、転がり回って、妹を縛り上げて膝の裏に蝋燭を垂らしてやるくらいには熱かった。

 SMプレイにおいて、何でも試す度胸は必要だし大事だと思うが、知識もやはり同様に大事なのだと、俺は思ったのだった。

 そして妹は2時間放置した。

 つまるところ。

 何が言いたいのかと言えば。


「33行くらい上まで続いてる俺の恥ずかしい独白はなかったことにできませんかね」

「……………………何の話?」

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