011
「おはようございます!」
「…………おおん……?」
宮方を倒して、九里古里を振って、俺は家に帰った。
色々と思うところはあった筈なのだけれど、疲れていたようで、ぐっすりどっぷり、眠ってしまったようだ。
三大欲求――食欲、性欲、睡眠欲。その中で最も強大なのはやはり、睡眠欲だと思う。食わねば死ぬし、交わらねば絶える。しかしまた、どんな空腹も、寝れば治る。どんな色情も、寝れば忘れる。生死と直結した欲求であれど、睡眠欲には勝てないのだ。あ、寝なくても死ぬわ。
そんな魔の欲求、略して魔求に蝕まれる俺に、けたたましい挨拶がぶつけられている。
俺は渋々、嫌々、不本意ながら、意に反して、苦渋の決断の末に、重い腰を上げるように、苦虫を噛み潰したような顔で、まぶたを開いた。
「覇嶺さん。何してんすか」
「か、要くん…顔怖いです……」
覇嶺さんだった。
「おはようございます。昨夜は大変でしたね」
「宿屋の主人かあんたは」
「え?何ですか?」
「何でもないです」
覇嶺さんは、俺の布団の枕元に座っていた。
傍には、どこかで買い物をしてきたらしいビニール袋が置かれている。
何してんだろう、この人。
「何か用ですか。というか今日何曜ですか?」
「要くんは日曜日だから寝てるんじゃないんですか……。これと言って用はありませんけどね。お見舞いですよ」
「怪我なら完治しました」
「流石!」
何だかご機嫌そうなはみ姉は無視し、アラームのセットされていない目覚まし時計に目をやる。
午前10時22分。
せっかくの日曜日だ。もう少し寝ていよう。
俺は、ぐるんと寝返りを打つ。
「あ、あれっ、要くん!?起きてくれないんですか!?」
「日曜日は寝てよう日」
というか、あれ?
この人、さっき昨夜は大変でしたね、って言った?
何故ばれているし。
いやまあ、あんな事(腕がもげるような事)があって、その後何もなく終了、っていうのも、ない話だとは思うけど。
どこまで知っているんだろう。
また寝返りを打つ。
「覇嶺さん、宮方って知ってます?」
「ああ、神社を模した神棚の――」
「宮形じゃねえよ」
昨日と同じボケはたくさんだ。
んん?でも昨日は違う人物が言っていたような気もする。
気のせいだろうが。
「…『繁栄派』の」
「ああ、ああ。宮方由紀次朗ですね。知ってますよもちろん。勝ったんでしょ?」
「まあ……」
うーん。知ってるならいいや。たぶん、感知系異能力者に接触状況を聞いていたんだろう。もしくは、まあ、ないとは思うけど、あの公園にいたのかもしれない。暗くて外灯に照らされている場所以外は見えなかったので、誰かが見ていたとしても、気が付かなかっただろうし。
何にせよ、知ってるならいいや。説明するのも面倒くさかったし。
魔求に犯されて、様々なことに対する関心が薄れている俺だった。
が、とは言っても、それもそれまで、俺の意識はほぼ覚醒している。
「覇嶺さん。俺昨日というかもう今日だけど、帰ってきたの遅かったんですよ。眠い」
「言っても2時頃でしょ?十分寝てるじゃないですか」
「頭半分くらい割られたんですよ」
「ええっ?大丈夫なんですか!?」
「完治」
「流石!」
覇嶺さんは、もう説明するのも面倒くさいので詳しい内容は省くが、また、性懲りもなく、年甲斐のない格好をしていた。
「30過ぎのおばさんがワンピース着ちゃいけないんですか」
「何も言ってないっすけど…」
「そんな顔してました」
俺の顔、表現力すげえ。
「いや、いいと思いますよ。俺は年甲斐もなく可愛い服を着ちゃうお姉さん萌えですから」
「馬鹿にしてますよね?思い切り馬鹿にしてますよね?」
「覇嶺さんはちゃんと若作りできてるから問題ないと思います」
「若作りって言わないで!」
「じゃあ、アンチエイジング」
「なお嫌!」
わがままな人だなあ。貧相ボディなのに。
「…ねえ要くん、いい加減起きてくださいよ。実を言うと私、9時半頃からいるんですよ?」
「マジで?」
「あんまり起きないから、起こしちゃいましたけど」
「起こしたんなら、もう起きてるんじゃないですかね」
「布団から出てくださいよ」
「難しいですね…」
「頑張って!」
「まあ落ち着いてくださいよ…。そうだ、覇嶺さん」
「はい?」
俺は、寝たままの体勢で布団を翻した。
そして。
俺が寝ている隣のスペースの敷布団をぽんぽんした。
「あ…じゃあ…えっと……失礼します……」
しばらく硬直していたが、何か決心したように、しかしそれでも慎ましい態度で、覇嶺さんがすすっと布団に入ってきた。
覇嶺さんの体温は、まだ俺の体温に支配された布団の中の温度を塗り変えない。彼女の鼻息がちょうど俺の鎖骨付近に当たってこそばゆい。
俺は布団の端を両手で掴み。
「何でやねんっ!」
思い切り放り投げた。
「さて」
俺は布団の上にあぐらをかく。
「覇嶺さん。お見舞いありがとうございます」
「い、いえ。どういたしまして…」
覇嶺さんが3歩分くらい後ろに下がって正座をした。
「あ、そうだ。おみやげ、買ってきましたよ」
「重ねてありがとうございます」
お見舞いなら、おみやげじゃなくて見舞い品なのでは?と思ったが、どうでもいいことなので、何も言わなかった。
「はい、ゼリー」
「どうも、後でいただきます」
何か微妙に本当の見舞い品みたいだな。
「はい、ティッシュ」
「助かります。部屋のが少なくなってたんで」
でも、日用品て。ガチの病人でも怪我人でもないんだし。
「はい、ベビーオイル」
「う、うん…どうも……」
何に使うんだろう。ベビーオイル。
「はい、ゴム」
「おい、痴女は帰ってもらおうか!」
後半おかしいと思ったんだ。
「いや、要くんに使ってもらおうと思って…」
「ゼリーも!?」
「と、まあ、冗談はこのくらいにしてですね」
何か、意外だった。
覇嶺さんが下ネタを振ってくるとは。
それに内容が妙に生々しかったので、俺は動揺したのだった。
「ほら、ポテチ買ってきました。好きでしょ?ポテチ」
「好きだけど、一体何故それを…」
「だって、ほら、そこのダンボールにいっぱい入ってるじゃないですか。この前部屋に上がらせてもらった時に、気が付きました」
何を隠そう、俺の部屋の隅、机の横には『ポテチ箱』という物が存在する。ポテチ箱とは言っても、ポテチの他に、ポテコ、かっぱえびせん、ドンタコス、カール、エトセトラエトセトラ……。まあポテチを初めとしたスナック菓子全般が保管されている。
「覇嶺さん…」
しかし、それを察されてしまうとは。知られてしまうとは。覇嶺さんにバレてしまうとは。
「思ってるんでしょう?いい歳こいて、19歳にもなってスナック菓子ばっかり食ってんじゃねえと」
「いやいや、そんなことないですよ。私も好きですし。じゃがりことか」
「じゃがりこと一緒にすんじゃねえよ!」
「何でキレてるんですか!?」
じゃがりことポテチではランクが違う。中尉と大尉くらい違う。
ビグロとグラブロくらい違う。
どうでもいいが、ビグロ、グラブロ、ブラウ・ブロ、ヴァルヴァロと、あの辺のモビルアーマーは凄くややこしい。
「じゃあ覇嶺さん、じゃがりこでは何味が好きですか?」
「うーん…サラダ味かな?」
「チーズ味だろうがっ!」
「好みじゃないですかあ!」
もう、と呟いて膝を抱える、じゃがりこのサラダ味が好きな覇嶺さん。
「要くん、何だか機嫌悪いですね…。寝起きだから?」
「かもしれません。でも覇嶺さん、俺は寝起きだからって目上の人間に対して失礼な態度をとるほど堕ちた人間ではないですよ」
「ということは私は目上の人間だと思われていない…?」
「そういえば、『粛正派』の活動ってないんですか?昨日は何か一日中家にいたっぽいし、先週も二日間俺と会いましたよね」
大して気にもなってなかった事だけど、聞いておこうと思った。
「嫌ですねえ、まったく。先週きっちり要くんを勧誘したじゃないですか」
「昨日は俺が連絡するまで何してたんですか」
「家で寝てました」
結構、駄目な人だった。
「『粛正派』って、俺はまだ覇嶺さんしか会ったことないんですけど、どのくらいいるんですか?」
正確には、初めて覇嶺さんと会った時、感知系の人が一緒に着いて来ていたのだけど、話もしてないし、帽子を深く被っていて顔も見えなかったので、会ってないという扱いにした。
「全国区でどのくらいいるのかは分かりませんけど、この辺りだと、そうですねえ。100人もいないんじゃないですか?」
「え、むしろ、100人近くもいるんですか」
「『繁栄派』と違って、異能力者だけじゃないですからね」
「して、『粛正派』の方々には、覇嶺さんの年齢は知られているんですか?」
「べつに隠してませんから……」
視線を逸らす33歳。
「ふうん。そういえばそういえばってそういえばだらけなんですけど、覇嶺さんって、結婚はしてないんですよね」
「ええ、していませんよ。見ての通り、独身です」
「見ても分かんねえよ…」
哀愁漂う33歳とでも言いたいのだろうか。
自虐ネタもほどほどにした方がいいと思う。
「でも、どうしてですか?まだ仕事に専念したいとか、そういうストイックぶってる感じ?」
「ぶってるって言わないでください。捻くれてますね」
覇嶺さんが、ふう、と溜め息を吐く。
「仕事に専念したいわけじゃないですけど、何ででしょうね。相手がいませんし」
「いないんですか?彼氏とか、1人も?」
「彼氏が2人以上いたらおかしいと思うんですけど…。まあ、いませんよ。そりゃあ、昔はいたこともありますけどね?」
へえ、どんな人だったんですか?
「何だ、中古か」
「中古!?要くんちょっと酷くないですか!?」
「嫌だなあ覇嶺さん、本音と建前が逆だっていうボケじゃないですか」
「私に伝わってないし、笑えませんよ!?」
しまった。
このボケにそんな欠点があったとは。
気付かなかった。
覇嶺さんには謝っておこう。
「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「い、いえ…。気にしてませんから…」
「でも仮に覇嶺さんが処女だったとしても、新品とは言い難いですよね?」
「深く傷付きました!」
正しく売れ残り、というわけか…。
「話は戻りますけど、相手がいないっていうのは」
「いや、だって、合コンとかも行きませんし、お見合いなんてもっての他ですし」
「ほほう、婚活をしない」
「まだそんなに焦ることないかなーって」
「いや、焦った方がいいと思います」
「放っておいてください!」
婚活したら、相手はすぐ見つかるし。みたいな。
だから焦ってする必要もないし。みたいな。
そんな逃げで。
いざ婚活を本格的に始めて、相手が見つからなかったらどうしようとかそういう。
本気を出して負けるのが怖いから。手を抜く、みたいな。
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心というやつだ。
「とは言っても、覇嶺さんは見た目も性格もいいから、良いか悪いかはともかくとして相手はいると思いますよ」
「そ、そうですか…?」
覇嶺さんがいたずらっぽく笑う。
「要くんは、私のことどう思います?」
「性的な目では見てますけど、結婚なんて滅相もない」
「最低な事を言われました!」
恩人を相手に散々やりたい放題やってしまって今更ではあるが、覇嶺さんがそろそろ涙目になって来ているのでやめようと思った。
「これは自惚れと言うか、自意識過剰みたいで、何だか恥ずかしいんですけど、覇嶺さん、俺にばっかり構っている気がするんですが気のせいですかね」
「気のせいじゃないですよ。あと、要くん。ずっと言おうと思ってましたけど、楽に喋っていいですよ?敬語、というか丁寧語、喋りづらそう」
「今言うんですか、それ。というか、覇嶺さんこそ俺に対して畏まらなくていいのに」
「私のは、癖ですから」
「キャラ付けじゃなくて?」
「私のは癖ですから!」
「でもやっぱり、目上の人ですから」
「気を遣われると、寂しいです」
「じゃあ、遠慮なく」
「どうぞ」
「はみ姉」
「はみ姉はやめてくださいっ!」
「まあゆっくり、慣らして行きますよ」
気のせいではない、ということは。俺にばかり構っているということだ。
それはやはり、俺の異能が強力だからだろうか。覇嶺さんがどうこう、というより、上からのお達し、みたいな。
「べつに、深い意味はありませんよ。元々『粛正派』なんて、動きたい人が動けばいいみたいなスタンスですし。まあ、勧誘くらいは私が動きますけどね」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「一応、この辺じゃ代表格ですから。要くんみたいな、『粛正派』と『繁栄派』のどちらにも付かない、無所属の人は、放っておきにくいんですよ。大抵、どちらかに付きますからね。あと、要くん、若いし」
「は、覇嶺さん、若い子が好きなんですか…」
「違います。若くて不安定だからです。危なっかしい時期ですからね。10代は」
30代は安定してますか?と聞こうとして、やめた。
「そんなわけで、これからも構っていきますから。どんな用事でも呼んでくださいね」
「お世話になりま――あ」
しまった。
忘れていた。
その場を凌いだ安堵感で忘れていた。
「どうかしました?」
「携帯、壊れたんだった」
「うわ、それは災難でしたね…」
他でもない、覇嶺さんに連絡した――否、させられた時だ。電話を切る際に、鴉に踏み潰されたんだった。
結局、何故踏み潰したのかは聞いていない。
聞いたら踏み潰されそうだったし。
「データのバックアップはあるんですか?」
「ない。電話帳からエロブックマークまで全滅です」
「この間渡したメモ、まだ持ってます?」
「いや、登録した後、捨てた」
覇嶺さんの連絡先が書いてあるメモのことである。初めて会った日に、別れ際に貰ったのだ。
「そうですか。じゃあ、はい。これ」
「…どうも」
覇嶺さんの連絡先が書かれたメモだった。
「買い換えたら、登録してくださいね」
「うん」
「1番がいいな」
「たぶん妹が買いに付いてくるから、妹が一番になると思いますけど」
「そうですか……」
覇嶺さんがシスコン、という口の動きをしたが、声は聞こえなかった。
「あっ、しまった!」
「何ですか?パスワードとか、携帯にメモってました?」
「違う!覇嶺さんの写真!バックアップをとってない!まだ使ってないのに!」
「つ、使う?使うって何に…?何にですか…?」
何てこった。
俺としたことが。
こんなミスをやらかすとは。
ちくしょう。やられた。鴉の奴め。やってくれる。
「覇嶺さん、お願いがあるんですが…」
「嫌です」




