第40話 最前線
魔王の側近ヘルンが作り出したゲートを抜けた途端、冷え切った空気と、鼻をつく鉄錆と泥の混じった臭いが肺に流れ込んできた。
視界に広がるのは、規則性もなく並んだテントの群れ。だが、そこにあるのは村のような活気ではない。包帯を巻いて泥のように眠る負傷兵、研ぎ澄まされた刃を無心で研ぐ音、そして遠くから響いてくる爆音と悲鳴と雄叫びの混ざり合った声。
「ここが、最前線か」
俺の呟きは、乾いた風と土埃に攫われていった。
ここが苛烈を極める最前線の駐屯地。山の裾野から眺めたあの戦場にこれから向かうのだ。
「……で、どうやって向かえばいいんだ?」
側に聳え立つ玉座に似た石を観察しているテスに問いかける。
「なるほど……この石に込めた魔力を楔にしてゲート座標を固定しているのね」
「おーい、テス」
「あっ、ごめんなさい。短距離転送ならともかく、長距離転送をここまで正確化する技が気になってしまいまして……」
魔法技術に熱心な所は相変わらずみたいだ。だけどその相変わらずが安心感をもたらしてくれる。
「でも確かにこんな技があるなら敵地への侵入も楽だろうにな」
「……もちろんそんな簡単な話じゃない」
突然の声に振り返ると、ゲートからあの側近ヘルンが姿を現した。
「楔にするには、これくらいの大きさが必要。そうなると、かなり重くなる」
そんな説明をしながら毛皮の封筒を差し出してきた。
「だから敵地に持ち込むのは至難の業ってわけか。……で、これは?」
俺が封筒を取ろうとすると、ひょいと躱された。俺の方を一瞥もしないでだ。まるで能力差を見せつけられているみたいで、ムキになって取ろうとするも、涼しい顔で軽々と躱される。
「おい!なんなんだよ!」
――ウィンドウ、ブン取る手伝いをしろ!
そう心の中で念じるも、【バカはやめておけ】と冷たい言葉が浮かぶ。
「アンタじゃない……」
そう言ってテスに手渡し、彼女が中身を検める。
「閣下からの指令書ですか、これがあれば話が早そうですね。ありがとうございます」
ヘルンはコクリと頷いてゲートへと顔を向けた。そのタイミングでテスが呼びとめる。
「一つ、お願いしたい事があります」
※※※
駐屯地の司令官に指令書を見せると、すぐに動いてくれた。もちろん俺はフードを被り、聖族であることはわざわざ明かしていない。そんな俺にも最低限の支給品を配り、司令官は地図を見せながら現在の状況の説明を始めた。
魔獣バンダースナッチは幅の狭まった峡谷を抜け、後方待機していた部隊を強襲。そこで足止めをしている状況とのことだ。さらに混乱に乗じて峡谷は聖族が占拠。攻め入ってこないのは、バンダースナッチが暴れているからだろう。逆にいえば、バンダースナッチが倒れれば、栓が抜けたように聖族が押し寄せてくるのだろう。
説明が終わると体を休める間もなく、戦場へと向かう荷馬車に乗せてもらうこととなった。
「あの魔獣のせいで防衛線は後退の一途だ。……どうか頼んだ、特使達よ」
見送りに来てくれた司令官と握手を交わし、俺達は荷馬車へと乗り込んだ。中で出発を待つ兵士達が伏し目がちに様子を伺う。皆面持ちは暗く、文字通り死地へと赴くといった顔だ。
空気に飲まれ、俺とテスの会話も無くなる。
荷馬車の車輪が、轍にハマるたびに激しく揺れる。
隣に座る若い兵士の手は、小刻みに震えていた。握りしめられた槍の柄は、手汗で黒く変色している。 誰も喋らない。聞こえるのは、馬の蹄の音と、峡谷から響いてくる地響きのような魔獣の咆哮だけだ。
喉の奥が張り付き、水を飲んでも砂を噛んでいるような感覚が消えない。俺は逃げ出したくなるような沈黙を紛らわせるように、意識を内側へと向けた。
――俺の、俺達の進む道はこれで合っているんだろうか。
【わからない】
控え目なウィンドウが浮かぶ。
【だが信じて進むしかない】
今度は少し力強く浮かぶ。
今やほとんど読み取れるようになったウィンドウ。いくつもの死線を潜り抜ける手伝いをしてくれた、今や相棒のような存在だ。だからこそ、語れるようになった今こそ、聞いておきたかった。
――ウィンドウ、お前はいったい何者なんだ?
少しの沈黙。
そして躊躇いがちにウィンドウは文字を浮かばせる。
【私は記憶】
【使用者の記憶を蓄積させる聖櫃】
――それは……何の為に?
また少し時間が空いた。そしてウィンドウは聞いてきた。
【到着まで少し時間がある】
【聞いてくれるか?】
【私の……話を】




