第37話 信託の決闘②
白銀の閃光が闇を切り裂き、ネクロード本体へとその牙を剥いた。
奴はステージの黒石から無理やり引き剥がすように、粘着質な影を立ち上がらせる。溢れ出る影の奔流。
しかし放った一撃はその奔流すらも易々と両断。そしてそのままネクロードの身体を上下へと断ち切った。
「――ガッァ……!」
ドチャリ、と重く湿った音が闘技場に響き渡った。
光はそのままステージを覆う結界までもを突破、威力の減衰した白銀の刃は観客席の土台に大きな爪痕を残して消え去った。それでも誰一人として声を上げなかった。俺達を見下ろす高位者達の顔には恐怖が貼り付けられていた。
主を失った影が霧のように霧散していき、ステージの上には再び立ち尽くす俺と、無惨に地に伏したネクロードの二人だけが残された。
「これが……前大戦の……英雄の、力……か……」
上半身だけとなったネクロードは、どろりと溢れる自らの血に浸りながら、血走った眼を俺へと向けた。その瞳に宿るのは、底知れない恨みと執念。そして、何かに縋り付くような悲痛な覚悟。
俺は逃げずに、その視線を真正面から受け止めた。
「テメェにも色々と事情があるのは解る。……だけどな、ネクロード。他者を踏みにじって自分だけが這い上がろうとした時点で、返り討ちに遭うのは、因果応報ってやつだ」
「……ふっ、なら貴様もその負の連鎖に足を突っ込んだわけだ……」
ネクロードは口の端に自嘲気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと眼を閉じた。だが、決着の余韻に浸る間もなく、俺たちの頭上から冷徹な重圧が降り注ぐ。
「なんだ。禁忌の力はその程度か?」
魔王の声だ。
玉座を立ち、倒れ伏すネクロードへ慈悲のない手を翳す。
「せっかく場を設けたんだ。もっと魅せてみろ」
魔王が指を繰ると、どす黒い霧が地面やフェーテルの体、そしてテスが仕留めた魔物の残骸から立ち上り始める。そしてそれが一箇所へと集まり漂う塊となった。
途端に空気が汚され、ネクロード領に漂っていたあの死臭に似た臭いが充満し始める。
魔力を持たない俺でもわかる。あれは無念や執念、そして怨念の集合体。恐らくネクロードが創り出した魔物の元種だ。
魔王はニヤリと笑ってそれを指の動きだけで操り、上半身だけのネクロードの遺体へと注入した。途端、ネクロードの身体が生き物のように激しくのたうち回り、体内から溢れ出した影が、傷を埋めるように蠢き始めた。
そして失われた下半身がドロドロとした影によって再構築され、瞬く間に「人」ではない魔物へと変貌していく。
体躯は二倍以上に膨れ上がり、角は禍々しく捻じれて鋭利な槍と化した。溶けた泥のような顔面には、不規則に並んだ牙の覗く真っ赤な口と二つの紅い眼光が爛々と開かれる。そして闇の体の奥底からは、ネクロード本人の魂を削られるような悲鳴が絶え間なく漏れ出ていた。
「テメェ! 何しやがった!」
俺は、観客席の頂点で頬杖して顎を引く魔王へと怒声をぶつけた。
「なに、ネクロードの計略を助けてやったのさ。せっかくの禁忌のお披露目だ、アレで終わりでは寂しかろう?」
魔王は邪悪に目を細め、値踏みするように俺を見下ろす。
「それに、貴様の力もまだまだ見たい。……可能であれば、な」
心臓を掴まれるような感覚。
魔王の眼差しは、俺が今使っている力が対価を払って引き出した一時的なものであることを見抜いていた。
――そこまで言うなら使ってやるよ!
覚悟を決めると同時に、視線が自然とテスへと向いていた。
心配そうに俺を見つめるテスと目が合う。
俺は彼女を安心させるように、あえて不敵な笑みを浮かべて見せた。
「心配するな、テス。これがきっと……一番の近道だ。二人で皆の想いを叶えようぜ」
テスも表情を強く持ち、深く頷く。
俺は再び剣を構え、影の魔物と化したネクロードと対峙した。
魔王が愉しげに指を鳴らす。それを合図に、ネクロードだったモノが地を砕く勢いで咆哮を上げ、俺へと飛びかかってきた。
【!】
赤いウィンドウの明滅。そして凄まじい拳圧。その拳を掻い潜り、刃を奴の胸に突き立てた。そしてさっきの力の残滓を振り絞り、銀光を注ぎ込む。眩い光がネクロードを覆う闇を払う中、逆に俺へと流れ込む何かを感じていた。
――唐突に目の前に広がる景色。緑豊かな草原に立つ墓標の前で泣いている少年。
彼の想いが流れ込んでくる。
かつての大戦。領連邦を荒らす聖族。それを討伐するために結成された連合隊。ひっ迫した領内事情を理由にした不参加を逃亡と罵られ、一族ごと追い詰められた父。
領民を思っての決断だったはずなのにそれを民から責められ、自ら命を絶った両親。そして領民たちからの呪詛を一身に受けながら、泣きじゃくる少年は孤独な領主となった。
味方もなく、ただ独りで世界を見返すために、彼は「禁忌」に手を伸ばすしかなかった。
「……何なんだよ、これは」
不意に、涙が頬を伝った。
魔物が苦しそうに呻く声で、意識を戦闘へと引き戻す。
ウィンドウの警告。俺の体を握りつぶさんとする掌が迫る。剣を引き抜きながら太い腕を潜り、奴の背後へと回る。
――やっぱり使うしかねぇ! 頼む、ウィンドウ!
心の中で願うと同時に、唐突に虚無感に襲われた。ポッカリと心の中に空いた穴。そこから染み出す寂しさに似た感覚。
流れ込んできたネクロードの記憶と謎の虚無感、それらが混ざった涙を乱暴に袖で拭う。
距離を大きく取って、もう一度祈りを込める。
未来を掴むための力を、俺に与えてくれと。
【……さっきの記憶を使え、リングス】
視界にはかつてないほど鮮明な文字列が表示されていた。
(完全に理解……できる!)
【記憶を変換しますか? y/n】
(……そうか。これが『聖櫃』の力の正体。『記憶』を糧にしていたのか)
一瞬の迷い。
だが魔物が振り上げた拳の先、余裕の笑みを浮かべて鎮座する魔王の姿が目に入る。
「迷ってる暇はねぇ!」
意志を『y』へと叩きつけ、再び爆発的に膨れ上がった白銀の輝きを手にする。しかし自分の中の何かが欠け落ちた感覚が訪れる。どの記憶が無くなったのかも確かめられない、これこそがあの虚無感の正体、記憶の欠落。
しかし一方で安心を覚えた。ウィンドウが俺の意志に応えてくれたからだ。失ったのは俺自身の記憶。
「……ネクロード、テメェの記憶は使わねぇ。テメェの絶望も、俺が背負ってやる!」
俺は他者を、アンチェインズ家を踏みにじったネクロードに怒りを覚えた。そのネクロードの記憶を手にし、この記憶を消費することは、奴と同じ道を歩むことと同義だと思ったからだ。
「テメェの無念も執念も預かっておくぜ。ブチかますのに適任な奴がいたら、その時は使わせてもらう。だから――」
俺は影の魔物の拳を躱し、その足元に剣を突き立てた。
「【聖櫃の極光】」
剣を爆心地に銀光が急激に膨れ上がる。しかしその光は優しさに溢れ、人を傷つけるような熱さも痛みも無かった。ただネクロードを呪いのように覆っていた闇を押し退け、取り込むように浄化した。




