第36話 信託の決闘①
世界から音が消えたみたいだった。
視界に映るのは、こちらへ切っ先を向けて対峙しているネクロードの姿。闘技場という檻の中で、俺たちは互いの命を取るための最短距離を探り合っている。
聖族単体では敵わないと言われている魔族との一騎打ち。それを意識した途端、冷たい汗が顎から伝い落ちる。
緊張と高揚が混ざり合い、俺の脳味噌を刺激して集中力が高まっているのを感じる。そんなヒリついた感覚に、あの騎士隊長ピラーとの戦闘を思い出した。
――そうだ、俺だって死線を潜ってきているんだ。
ネクロードはピラーよりも強いのだろうか。もしウィンドウの助けがあっても反応できない程に速かったら……終わりだ。
そんな弱気な思考が浮かんだ直後、魔力の波動が俺を打ち付けた。
【来θ】
視界に浮かぶ赤いウィンドウと同時に、細い切っ先が空気を引き裂く甲高い音が鳴った。身を低くしたネクロードが突き出した細剣が、雷光のような速度で俺の喉元を掠める。
身を捩り、紙一重で回避。
そして回避だけでは終わらせない。
すれ違いざま、カウンターで奴の脇腹をショートソードで切りつける。だが手応えは硬い。まるで鋼鉄へ刃を立てたかのように、甲高い音を立てて滑った。
――魔力による身体強化か!
「貧弱な聖族にしては確かにやる! だが、小手先の技術で魔族の力を越えられると思うな!」
ネクロードの燕尾服がはためく。そして振り向きざまに叩きつけられた剣筋を、俺は正面から受け止める。
まるでハンマーで叩かれたかのような衝撃。激しく火花が散り剣が悲鳴を上げる。奴の得物が細剣じゃなかったら俺の剣は砕けていたかもしれない。
――だからといって引き下がるわけにはいかない!
俺の不安を他所に、体は反応できていた。テスから幾度も感じた魔力の波動。それを察知できたからこそだ。
マァルの元での修行は無駄じゃなかった!
一歩、強く踏み出して鍔迫り合いへともつれこむ。
顔を突き合わせるほどの至近距離で、ネクロードの圧倒的な筋力が俺を押し潰そうと迫る。
腕の骨が、いや全身が軋む。だとしても、弱気な顔は出したくなかった。視界の隅に写るテスが不安そうに見ているからだ。
「ハッ……腰抜けネクロードに褒められても嬉しくねぇなぁ!」
「貴様ぁッ!!」
怒りで目を見開いたネクロードが、強引に俺を弾き飛ばして距離を取る。そして放出される魔力の波動。
「死ねぇ!! 【フレイム・アロー】!」
奴の左手から炎の矢が放たれた。ウィンドウが指示するよりも先に俺はその矛先から逃げたが、そこでウィンドウが赤く激しく明滅した。その意味を理解するよりも先に――。
「【バースト】!」
ネクロードが左手を強く握り込んだ。それと同時に炎の矢が爆発した。
「グッ!」
威力自体はたいしたことない、が視界を覆った赤炎を突き破って放たれる神速の突き。反射的にウィンドウの動きに従って、地面を転がるようにして大きく身を投げた。その刹那、俺がいた場所を黒い影が貫いた。
ネクロードの本体の動きに完璧に同期して、奴の背後から伸びた影人形の腕が、俺の心臓があった場所を射抜いていたのだ。最小限の回避を選んでいたら、今頃風穴が開いていただろう。
「……テメェもお人形遊びってわけか。趣味が悪いぜ」
「薄汚い聖族め! どこまで私を馬鹿にするか!」
ネクロードが叫ぶと同時に、足元の影が沸騰するように広がり、立ち上がった。
一体、二体……瞬く間に数十の影人形が俺を取り囲む。
「確かに私の父は、戦いから逃げ出した腰抜けだった! だが私は違う! この戦況の停滞を打破すべく、危険を承知で禁忌へと手を伸ばした! すべては戦争に勝利し、この枯れ果てた土地を蘇らせてネクロードの名を再興するためだ!」
ネクロード本体もまた影を纏い、漆黒に染まっていく。
どれが実体で、どれが虚像か。いや、それどころかこの後に予想される猛攻をどう凌ぐか……。
――ウィンドウ、あの力は使えるか?
【使わない€勝υ方法¿模Ψρ】
(使わないで……勝つ方法を……模索中か?)
ウィンドウが俺を気遣っているのか? だが、この状況はそんな生易しい覚悟じゃ覆せない。ここで俺が負けたらテスはどうなる。アンチェインズ領はどうなる。
「再興……そのための糧となれ、聖族!」
ネクロードの咆哮。数十の影が一斉に躍動し、俺を圧殺せんと襲いかかる。
「リングスさん!」
ステージの外から、テスの悲鳴にも似た声が届いた。
テスとフェーテルの心を抉られるような哀しみと願い。マァルが抱えたまま逝った無念と託された希望。そして、この歪んだ戦争の行方。
背負ったものの重さが、俺の心に火をつける。
「いいから力を寄越せ、ウィンドウ! 俺は負けられねぇ! カッコいい英雄になるって決めたんだ!」
一瞬の静寂。そして。
【πµを¿換? y/n】
俺は迷わず『y』を睨みつけた。
ドクン、と心臓が跳ねる。
視界が一瞬白銀に染まり、湧き上がる力とともに景色が遅延する。
押し寄せる影の波、その一つ一つの軌道が、まるですでに知っている記憶をなぞるかのように明確に視認できた。
身体が軽い。溢れ出る力が四肢を駆け巡る。
俺は地を蹴り、攻勢に転じた。
襲い来る影人形の腕を断ち切り、最小限の動きで波状攻撃の隙間を縫う。影を裂き、闇を切り拓き、そして見つけた。
ウィンドウが指し示している本体を。
剣を一際強く握り込み、俺はふと浮かび上がった知らない記憶に従って、剣へと湧き上がる力を込めた。
そして剣を振り抜く。
「【聖櫃の解放】!」
刃から放たれた眩い白銀の衝撃波が、群がる影を紙細工のように蹴散らし、ネクロードの本体へと真っ直ぐに牙を剥いた。




