第35話 降臨
闘いは終わった。
それは誰の目にも明らかだ。勝者はテス、それ以外あり得ない。
だというのに勝利宣言はなかった。
闘技場を眺め下ろす高位者達の席はざわめき、重苦しい沈黙の中で小声の議論が飛び交っている。勝敗そのものよりも闘いの意味をどう処理するかに頭を悩ませている、そんな空気だった。
そんな空気に耐えかねたのか、ふらりと糸の切れた人形のようにテスの身体が揺れた。
「……っ!」
考えるよりも先に身体が動いていた。
俺は待機所を飛び出してステージへと飛び込み、崩れ落ちるテスを抱き留める。
テスは俺の顔を見て安心したように、力無く微笑んだ。
「やりましたよ……リングスさん」
「ああ、しっかりと見てた。最高の弔いだったと思う」
小さく交わした二人の声は、歓声も怒号もない場内にやけに響いた。
そしてそれを合図にしたかのように再びあの太った男が立ち上がり、脂汗に濡れた顔で一歩前に出て、声を張り上げた。
「禁忌同士の闘い……! 実に、実に見事な見世物であった!」
恍惚とした表情が切り替わる一瞬の間。
男は唇を歪めて続けた。
「だが禁忌は禁忌だ。その娘が生きている事実は、王権への明確な反逆を意味する。よって――」
宣告が下されるその直前、空気が変わった。
いや、そんな生温いもんじゃない。
もっと禍々しい、空気が毒に塗り替えられたような感覚。胸の奥が重くなり、呼吸が浅くなる。まるでこの場そのものが巨大な何かに睨まれているかのような圧迫感。
息を呑んだ次の瞬間、突然雷が落ちたような轟音が響いた。
観客席最上段、これまで誰も座っていなかった玉座に黒い閃光が突き刺さり、その光の中から一人の男が姿を現す。
長いマント。威圧感と偉大さを誇示するかのような装束。
そして場のすべてを掌握し黙らせる圧倒的な存在感。
――現魔王だ。
もちろん見たことは無い。だけど理屈じゃなく直感でそう断定的に理解していた。
「まあ、待てよ」
魔王の口から出た低い声が闘技場全体を撫でる。それだけで誰一人として身動ぎすらできなくなった。
「俺も観ていたが……下卑た意味ではなく、実に興味深い闘いだった」
魔王は玉座に腰を下ろし、顎杖をつく。
「なあ、ネクロード。貴様、この決闘を仕組んだ理由が別にあるんじゃないのか?」
名を呼ばれた瞬間、ステージの傍らに立っていたネクロードがびくりと肩を跳ねさせた。そして冷や汗を垂らしながら、よろよろとステージに上がる。
「さ、さすが閣下……その通りで御座います」
唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。
「私は……禁忌とされる魔法の有用性を、示したかったのです」
高位者達が声もなくざわめき立つ。その中から勢いよく立ち上がった一人の男が何かを叫ぼうとしたその時、魔王がハエでも払うように軽く手を振った。
次の瞬間、立ち上がった男の身体は宙を舞い、結界の外へと吹き飛んでいった。
「続けていいぞ」
「……は、はい」
ネクロードは唾を飲み込む。
「我々魔族は今、窮地に立たされています。確かに魔素濃度の上昇により魔力は満ちている。その事が、一見聖族との戦争を拮抗させているように思わせます。ですが……資源の量が違う」
次第に言葉に熱がこもる。
「長期戦となるであろうこの戦争で、真に重要なのは資源! となれば豊穣の恵みに支えられた聖族が優勢になるのは明白! 禁忌だ何だと言っている余裕など、もはや無いのです! 今動かなければ戦況を覆す余裕すら無くなります!」
「ククク……」
魔王は愉快そうに笑った。
「熱意は伝わった。さて……反論のある者は?」
おずおずと、一人が手を挙げる。
「禁忌は禁忌。魔界より禁じられた技術を用いれば、どんな制裁を受けるか――」
「今の戦況を鑑みての発言、ということでいいな?」
淡々とした魔王の問い。
男は、震えながら否定も肯定もできないでいる。
「なら、俺の考えを言おう」
魔王は立ち上がり、場を見渡す。
「ネクロードの言い分は正しい。我々の戦争は魔神共にとっては所詮遊びなのだろう。だが、俺達はこの戦争に勝たなければ次はない」
口元が、歪む。そして観客席に座る高位者達を煽るように手を広げた。
「制裁があるというのなら……この状況になるまで私腹を肥やしていた貴様らを差し出せばいい。反論があるなら力尽くで来い」
沈黙。
ただ、一部からは殺気に近い感情が溢れていた。それを心地よさそうに受けながら、魔王は口の端を上げた。
「ということでだ、禁忌の解禁を認めよう。……だがネクロード、貴様の禁忌は既に敗れている。その程度で制裁の危険を冒すのは認められん」
「ですが!」
ネクロードが声を裏返して叫ぶ。
「言語理解スキルなど、何の役にも立ちません! その先に、何があるというのです!」
「そうでもない」
魔王が俺を見る。背筋にゾクリと悪寒が走った。
「……テス、離れてろ」
俺はふらふらなテスを場外へと促し、魔王の視線を受け止める。
「先ほどの闘いで死者との対話が行われていた。それを認知できなかったか?」
ネクロードは視線をフェーテルの亡骸へと移し、震えながら首を振った。
「例えば死者から情報を引き出す。そんな使い方ができれば戦況は大きく変わる。それに……禁忌となるには他の理由があるように思える」
魔王の視線が俺を舐め回し、口元に笑みが浮かんだ。
「小僧、有象無象は騙せても俺は騙せないぞ?」
視線の意味を理解して俺はフードと仮面を外す。
角のない事を強調する為に髪をかき上げると、会場がどよめいた。
「流石ってところか。言っとくけど、角折りじゃないぜ、俺は聖族だ」
声が震えないように、はっきりと胸を張って言い放つ。
「そんで、前魔王を討ったヴァルシバルのスキル『聖櫃の因憶』を持っている」
「……殺せッ!」
怒号と共に、火球、氷槍、雷撃が飛んでくる。
ウィンドウが警告を鳴らし、俺はそれらを掻い潜る。
――次の瞬間。
魔王の発する魔力が場を制圧した。
呼吸どころか心臓の鼓動すら奴の管理下にあるような重圧。
「俺が話している途中だが?」
圧が解かれ、俺は肩で息をする。
それでもぶつかり合う視線を外さない俺へと魔王は興味深そうに言った。
「不思議だな。貴様からは天使の腐臭がしない。加護を切られたか?」
「ああ。【追放】された」
「クククッ、なるほど」
魔王は楽しそうに笑った。
「死者の魂すら理解する言語理解スキル『バベル』、奥が深そうだ。敵が味方になれば数の差すら覆る。下手したら戦争の構造すら破壊しかねない。……だから禁忌とされたか?」
「お待ち下さい、閣下!」
別の高位者が声を上げる。
「言葉の研究自体は我々でも行っています! 捕虜の尋問も行っています! しかし言葉が通じると言ってもそれらは容易ではありません! しかも懐柔となると……この者のたった一例では――」
「分かっている」
魔王が言葉を遮り手を翳すと、その高位者は身体を強張らせた。しかし何も起きない。魔王は只々怯えるその高位者の様子を楽しげに眺めるだけだ。
「純粋なる力で命を握れば他者を制御する事など容易い。そこに言葉が加われば、命令を実行する人形の完成だ」
その言葉の説得力と凶暴さに肌が粟立つ。
「ならばその力を今一度、示させてください!」
ネクロードが重圧を払い除けるように腕を振り、血走った目を見開いて叫んだ。握り込んだ拳からは血が滲んでいる。たとえ進言を跳ね除けられる殺されようとも構わない、そんなネクロードの覚悟が伝わってくる。
「と言っているが、どうする、小僧」
しかしどんな覚悟があろうとも、ネクロードはテスとその家族を苦しめた。それが許せない。
俺は奴の挑戦的な言葉に、挑戦的な笑みを返して剣を抜いた。
「いいぜ、そんなに力が好きなら見せてやるよ。どのみちネクロードの野郎はぶん殴る予定だった。その代わり……俺が勝ったら、お前と話がしたい」
力を信奉する狂人、勝手にそんなイメージを持っていた魔王。しかし対峙してみてわかった。コイツは魔族全体のことを考えて指針を決めている。となれば、コイツの言う戦争構造の破壊の足掛かりにできる可能性もゼロじゃない。
魔王は俺の考えを見透かしたかのように愉快そうに笑った。
「過ぎた願いだが……聖族単騎で魔族の貴族を相手する、その覚悟を汲んでやろう」
魔王は玉座にふんぞり返り、手を掲げた。
「両者、構えろ」
俺はショートソードを。ネクロードは細剣を互いに震えながら構える。しかし視線を交わして互いの内にある抱える想いを見るや否や、震えは収まり勝利への道筋へと思考が切り替わる。
「――始め」




