33話 いつの間に
届くはずなんてない距離。周囲に放っていた汚染魔力を再び内に戻したのか、フェイルはミアへ向けて大きな手のひらを振り下ろした。
「――――っ!」
誰とも分からぬ声が漏れ出る。
特殊魔具も解除され、固く目を閉じ衝撃に備えていたミアは、一向に訪れない異変に薄っすらと目を開いた。
「あ、そんな――――!」
眼前にあったのはレンシュラの背中。大剣の形をした特殊魔具でフェイルの攻撃を受け止めたレンシュラがいた。
「はや、く、どけ」
「あ、ごめ、なさ……」
「早くしろ!」
膝の力が抜け、ミアは這うようにフェイルの影から抜け出した。しかし攻撃を直に受け止めたレンシュラの身体は、フェイルの汚染魔力に触れている箇所からが変色し始める。
「先輩!」
ハートィがレンシュラを押さえつけていた手を攻撃する。その攻撃に押さえつける力も緩み、レンシュラは横に飛びフェイルの下から転がり抜けた。
「せんぱ、先輩、どうしよ」
「むしろちょうどいい。このまま突っ込む」
「何言ってるんすか! これ以上は」
「よじ登ろうが、投てきに挑戦しようが何でも出来るな」
もうダメージを回避する必要はなくなったと、レンシュラは柄にもなく冗談めいた笑みを浮かべた。
ミアに聞こえぬよう、小声で言葉を交わす。
「壁面の汚染魔力がなくなった。この隙に外へ出ろ」
ハートィは承諾の言葉を口に出来ず、だが首を横に振ることも出来なかった。
レンシュラの感覚は麻痺し、痛みより高ぶった気持ちが勝った。死ぬことは別に怖くはない。ただはぐれてしまったササハとノアの事を思うと、無事かどうかだけでも確認したいなと思った。
ササハはいったいどこに飛ばされたのか、ノアは無事でいるのか。そう強く思うほど気が高ぶり、握りしめていた特殊魔具も燃え盛る炎のように赤の魔力を纏っていた。
「せんぱ……」
レンシュラが大きく大剣を振るうと、これまでのことが嘘のようにフェイルが削れた。フェイルは不愉快そうに悲鳴を上げ、レンシュラを叩き潰そうと暴れ出す。
(削る、削る、今、僅かでも、少しでも長く削ってやる!)
燃え盛る大剣と同じく、自身の血も肉も燃えているような気がした。
何度目かの攻撃で初めてフェイルが後退し、レンシュラは今だと大きく目を開いた。しかし後ろに下がったように見えたフェイルは、反り返ったバネが反動で戻るようにレンシュラへと両手を伸ばした。
赤い薔薇が鮮明に見えるほどに近づいてくる。なのにレンシュラを覆い潰そうとする広がった黒は、どう避けようが逃れられる範囲では無かった。
ようやくだ、とレンシュラは笑みを浮かべた。
「がぎゃああああ!!!!」
間近で上がった絶叫。
前屈み近づいたフェイルの薔薇を、ミアの矢が貫いていた。
「先輩!」
ハートィに引きずられ、ミアの元まで下がる。
レンシュラはかすむ視界でミアを見れば、肩を上下させ涙を堪えている少女の姿があった。
だが息つく間もなくフェイルの叫び声に意識を戻され、未だ原型を保っている姿に緊張が走る。
「なんで……あたしの矢、薔薇に刺さってるのに」
絶望を孕んだミアの言葉にフェイルを見上げれば、満開の赤薔薇の中心部には確かに一本の矢が突き刺さっていた。
しかし――――。
「浅いんだ……核まで、届いて、ない」
掠れた声でレンシュラが言い、ミアとハートィの顔色が悪くなる。
「そんな……」
ミアがガクリと膝をつき、握っていた特殊魔具の具現化も解かれた。レンシュラも一歩も動けそうになく、ミアももう駄目なのかと目から光がなくなった。
「大丈夫っす! あとはウチに任せて下さいっす!」
「へ?」
「ほら、よく見て。アイツ先輩とミアのお陰で、だいぶ小柄になったすよ」
ハンマー型だった特殊魔具をツルハシに変えてハートィが言う。ミアは絶望に濡れた瞳のまま視線を動かしたが、その瞳に徐々に光が戻っていく。
少し前まで天井にも届きそうな背丈だったフェイルは、いつの間にかその嵩を半分ほどに減らし、真っ赤な薔薇はずいぶんと低い場所まで下りてきていたのだ。
「覚悟するっす!」
気合の言葉と共にハートィが高く跳躍する。
ハートィの尖ったツルハシの先端は、突き刺さっているミアの矢を更に奥へと進めるように沈み込み、巨体だったフェイルは最後の断末魔を上げ跡形もなく消え去っていた。
「……あ、おわ……」
ミアが無意識に安堵を零す。そしてすぐにレンシュラの事を思い出し、ハートィと共にレンシュラの元へと駆け寄った。
「シラー先輩、中和剤を!」
フェイルの汚染魔力は神官による聖魔法か、聖水で浄化するしかない。特務隊に支給されている中和剤で少しの進行は遅らせられるが、レンシュラの進行度では殆ど意味をなさないだろう。
「無駄遣いするな、止めろ」
「無駄遣いなんて、そんな!」
「いいから……」
「でもっ――――――、え? でも、え?? 先輩、待って」
「?」
薬を取り出そうとしたハートィを止めたレンシュラだったが、途中自身を見るハートィとミアの様子が変化し不思議に思う。
そうしてしばし冷静になると、どうして自分は未だに息をしているのだろうと、支え起こされていた手から逃れ自力で上体を起こした。
「どういうことだ? 痛くない……というか、治っていってないか?」
「そうっす! なんか治っていってるっすよ! 先輩何で!???」
「俺も知らん! は? いったいなぜだ??」
「よく分かんないけど、良かったです……ぐす」
よくよく見なくても黒く染まっていたレンシュラの皮膚は通常の色を取り戻し、痛みもなくなっていた。本当に意味が分からない。
だが、その時レンシュラの勘が冴え渡った。
フェイルの汚染魔力に侵され、やけくそになった時。身体中から魔力が溢れ出る感覚がした。その時は死に際で限界でも越えたのかと思ったのだが。
レンシュラは急に上の衣服を脱ぎ始め、ミアが驚いた声を上げて目を逸らした。
「先輩! 何してるんすか!」
「おい、俺の体の何処かにおかしなところはないか?」
「頭がおかしくなったと思うっす!」
「良いから確認しろ!」
急に自分の裸を見ろと言ってくる職場の先輩。普通に通報案件ではとハートィは軽蔑の視線を向けたが、ふとレンシュラの背中に異変を見つけ背後へと回る。
そこにはレンシュラの肌に馴染むように、薄っすらと現在進行系で光を放っている魔法陣が浮かび上がっていた。
「え!? なんすかこれ? なんか先輩の背中に魔法陣――――なんすけど、ウチの知らない文字で書かれたものがあるっす」
「…………そうか」
ハートィの言葉にミアもレンシュラの背後へと回ったが、「あ……これって」と言う言葉にレンシュラはある確信を持った。
「大神官め…………勝手に人の体に何をした!!」
「え、これ大神官様がやってくれたんすか?」
「あたしもその可能性は高いと思います。神殿で大神官様に解いて欲しいと依頼された、海向こうの呪文と似てるので」
「………………」
屈辱! というようにレンシュラは項垂れた。
ハートィだけは未だに現状が掴めていないようで
「なんすか? 先輩って知らない間に魔法陣刻まれるくらい、大神官様と関わりあったんすか……」
「ない! 変な事を言うな!」
ガチの苛立ちをぶつけられ、ハートィはしょぼりしながら謝罪の言葉を口にした。




