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49.星空飛航


 出発は、その日の深夜になった。

 昼間のうちに準備はすべて終えていたが、夜間とはいえ龍が飛び立つところを近隣の民の眼にとまることのないよう、空に雲がかかるのを待っていたのだ。

 カリグー山は、標高3,333マールとされている。晴天でも山頂付近は不可思議な笠雲に隠れているが、曇りや雨の日にはふもと付近しか姿を見ることは出来ない。

 ヴァイザルの居留地があるこの辺りも、夜半過ぎには濃い霧に覆われ、周囲を見通すこともままならないほどになった。


「さて、そろそろ頃合いかな。よーしみんな、乗り込め」


 ネャーフの合図で、みなそれぞれに龍の背中によじ登り始める。

 天覇龍(ザーマーリゲン)の数は、全部で五頭。これに操者となる男と女性のジェンニラーが組となって搭乗する。その他は乗客だ。

 龍の背中には、首の後ろに少し平らになった部分がある。ここに革製の鞍のようなものを据え付け、人間や荷物を固定している。

 鞍と言っても、その大きさは部屋一つ分ほどもあり、重さもかなりのものだ。これを数人掛かりで龍の背中に引っ張り上げ、金具と革帯で固定する。これだけでも相当な重労働だ。

 前方には兜の裾のような盾がそびえ、ちょうどいい風防となっている。ただしそのせいで前方は何も見えないが、飛行には何の支障もないらしい。

 その理由も、すぐに知れた。


 ラルコと仲間達は、二・三名ずつに分散してそれぞれ龍の背中に搭乗した。

 ラルコが乗るのは、群れのリーダーであるカビラハールという名の龍。大いなる槍という意味だそうだ。一緒に乗るのは、トードとアマルルだ。

 鞍は、中央部が馬の背のように盛り上がった形状になっていて、搭乗者はここに跨る格好で縦一列に座る。そして盛り上がりの横に付いている取っ手に掴まり、更に手足と胴体を太い革帯で縛り鞍に固定するのだ。

 これにより、空中で逆さまになっても振り落とされずに済むということだった。


 鞍の両側には、おそらく中身は交易品であろう、同じように革帯でしっかりと縛り付けられた荷物の山。

 その量は、片側だけでおそらく荷馬車十輌分はある。両側でその倍、龍五頭で荷馬車百輌分もの荷駄を一度に運んでしまおうというのだ。

 それも一千カマール、陸路ならその数倍もの迂回路を経なければならぬ半年はかかろうかという道程を、たった一日で。

 こんな大それた交易を、聖王宮は極秘裏に行っている。ラルコはその事実と自分達の立場を重ね合わせ、この国における聖王宮の存在意義が決して綺麗ごとだけではないことを、改めて心に刻んだ。


 カビラハールの操者は、ネャーフとジャシャだ。

 ネャーフは鞍の一番前に乗り込み、その背中にジャシャが抱きつくように体を密着させる。

 その後ろに、アマルル、トード、ラルコの順で乗り込んだ。


「よーし、みんな準備はいいか。革帯が緩んでいないか、もう一度確認しろ」

「「「はい」」」


 三人は、もう一度自分の身体を確かめた。

 両脚は膝をつく形で床面に革帯でしっかりと固定され、腰にも太い革帯を巻き、留め具につないである。両手だけは帯に余裕を持たせてあり、ある程度の自由が効く状態となっている。でないと脱着もできなくなってしまうからだ。

 ラルコは自分だけでなく、前席の二人の様子も見て、問題ないことを確認した。


「大丈夫です」

「よし、では結界を張れ」


 三人の身体がアウラの光に包まれる。ネャーフはうなずくと、自らもアウラをまとい、自分だけでなく全員を覆うように結界で包み込んだ。


(やはり。これまでの言動から予想はしていたけど、彼もアウラの真実を得ているのだな。とすると、彼女も)


「ジャシャ、いいぞ」

「はいよー」


 ジャシャがネャーフの背中に身体をあずけ、目をつぶる。

 すると、ラルコ達の頭の中にジャシャの声が流れ込んで来た。それはもちろんブルメリア語ではなく、かといってヴァイザル語とも思われない妖しい響きを奏でていたが、不思議なことに、その意味は明確に伝わってきた。


:::行くよ、カビラハール:::

:::諾:::


 彼女の声に応ずるように、地鳴りのような、声とも言えない意識の咆哮が響いた。もしやこれは、龍の声なのか。

 続いて、カビラハールの身体全体が赤銅色の光を放ち始める。

 龍がアウラを! と、緊張に体を固くした次の瞬間、周囲の景色が一変した。


 前方は頭部の盾にふさがれ、左右は荷物の山に挟まれて、周りの様子など何も見えないはずなのに、視界にその外側の景色が映し出された。しかも、闇夜であるうえに濃い霧に包まれているというのに、そこにあるものが昼間のようにはっきりと知覚できる。

 それも前方だけでなく、背後も、さらに上下まで。全方位が視界の中にあった。

 強烈な違和感とともに平衡感覚が失われ、両手を突いているのに、立ち眩みで倒れてしまいそうな錯覚におちいる。

 その直後、頭の中に再び地鳴りのような咆哮が響いてきた。


:::飛翔:::


 左右の翼が高々と掲げられ、それからバサリと大きく羽ばたく。その一振りで巨体が地面を離れ、宙に飛び立った。

 ヴァイザルの集落が、はるか下方に映る。

 龍が再び翼を振るうと、森が一気に遠ざかった。

 なんという速度なのか。それに覚悟していた揺れや衝撃は少しも感じられず、まるで空から綱で引っ張り上げられているような滑らかさで、上空へと向かっていく。

 どうやら一直線に天頂を目指しているようだ。カリグーの山頂が、下ではなく後方に去っていくのが見えた。


 風を斬る感覚が伝わってくる。これは、龍の意識が流れ込んでいるのか。

 ラルコは前に座るトードの意識を読み、彼が自分と同じ感覚を共有していることを確認した。

 つまりこれはラルコの能力によるものではなく、おそらくジャシャのジェンニラーとしての力ということだ。


「トード」

「ああ、とんでもねえな。本当に……とんでもねえ」


 どうやら、今の状況を言い表す言葉が見つからないようだ。

 それは、ラルコにしても同じことだった。

 大地は既にはるか彼方に置き去られ、背後は漆黒の闇の中。そして前方に広がるは満天の星。

 上下の感覚も失われ、まるで星の海に向かって真っ逆さまに墜落していくような錯覚さえ憶えた。


 ここまでカビラハールは、己の翼をたったの二度しか羽ばたかせていない。

 いくら天覇龍(ザーマーリゲン)の力が強大だとはいえ、それだけでこの巨体を宙に浮かせるなどあり得ないことだ。

 ましてや、異常ともいえる飛翔速度に加え、馬の背どころか外洋船ほどの揺れも感じさせない、滑らかな動き。明らかに自然の摂理に反している。

 この異常事態を説明できるものは、一つしか考えられなかった。


「この龍は、アウラの力で飛んでいるんだ」

「なんだと?!」


 ラルコの言葉に、トードが振り返る。


「見ろ、カビラハールの結界が僕達を包んでいる。彼は自分の身体だけではなく、背中に乗っている僕達や荷物ごと、おそらく結界に包まれた空間そのものを宙に浮かせ、自在に動かす力を持っているんだ」

「まさか……。いや、でも……」

:::よく判ったな、その通りだ:::


 頭の中に龍の声が響く。いや、地鳴りのような声は龍のものだが、その言葉は明らかに人間のそれだった。


「ネャーフさん?」

:::そうだ。俺の精神は今、カビラハールと一つになっている。ジェンニラーの力は、人間と龍の心を結ぶんだ。

 そしてお前達にも、その一部を分け与えている:::


 つまりこの会話と、全方位の視界がそれなのか。


:::ラルコ! ラルコ、聞こえる?!:::


 その時、ラルコの意識に別の者の声が響いてきた。洞窟の中で叫んでいるような割れた音色だが、誰の声なのかはすぐに判った。

 心を結ぶ能力、それは他の龍達ともつながることができるのか。


「シーニャか!」

:::そう! 今、隣を飛んでいるわ!:::


 いつの間にか、龍は水平飛行に移っていた。

 視界を埋め尽くしていた星の海はきらめく天球へと姿を変え、足下には漆黒の闇が広がる。

 ようやく、上下の感覚が戻ってきた。

 シーニャは、ダカル、ティグラと共にファータィムに乗り込んでいた。右側の少し後方に並んで飛んでいるのが、それか。

 左にも別の一頭。あれはサコ、ベアゴ、サングラが乗るバラバラルだ。

 そして後方に並んで飛ぶ二頭のどちらかに、スカラーツ先生が乗っているはずだ。


:::すごい星空。私達、本当に空を飛んでいるのね:::

「他のみんなは、大丈夫か?」

:::ああ:::

:::大丈夫。すっげえな、これ:::

:::吐きそう:::

:::ちょっ、やめてよ!:::


 ダカルとティグラは問題なさそうだ。

 サングラの情けない言葉に、彼の前に座っているはずのサコが声を上げた。

 ベアゴは相変わらずの無言。


「あれ? トード、アマルルは?」


 ラルコに声をかけられて、トードが前席をのぞき込む。


「寝てやがる」


 それでも、薄紅色(スラジェパレ)の結界は安定した輝きを保っていた。


「さすがだね」

:::まあ、アマルルだもんな:::

:::この子には敵わないわ:::

:::まったくだ:::

:::あっははは! さすが、スカラーツの弟子どもだな! 初飛行でこんなに度胸の据わってる連中は初めてだぞ!:::


 皆の頭の中に、ネャーフの笑い声が響く。


:::これなら、もっと速度を上げても大丈夫だな。よし、行くぞ:::


 その言葉とともに、風を斬る感触が更に鋭さを増した。同時に、頭上に輝く星空が後方に流れ出す。

 五頭の龍は今、星を置き去りにするほどの速度で天空を駆け抜けているのだった。

 現実のものとは思えない景色に、言葉もなく魅入られるラルコ達。そこに声を漏らしたのは、サコだった。


:::唄いたいなあ:::

:::いいんじゃない? 唄ってよ、サコ:::

:::うん:::


 きらめく星の海に、さざ波のような唄声が響き渡る。

 初めは、ささやくように。それから、流れる風の音のように。

 おそらく即興なのだろう、初めて聞く詩と旋律。まさしく初めての景色にふさわしい、魂の奥底にまで染み入る調べだった。

 すると、カビラハールが身じろぎしたように感じた。それから赤銅色のアウラが輝きを増した。

 龍達の意識が流れてくる。明らかに昂っている様子だ。


:::いいねー。こいつらも喜んでいるぜ。こんな気持ちのいい旅は初めてだ:::


 それから夜明けまで、サコは唄い続けた。

 おそらく彼らにとっても初めての経験だっただろう。五頭の巨龍は、少女の唄声に魂をゆだねつつ、遮るもののない大空を疾走した。




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