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48.天空の覇王


 その時、獣の一頭がゆっくりと身を起こした。

 ダカルは、距離感と大きさを完全に見誤っていたことに気付き、息を飲んだ。

 周りにいる人間達が大人だとすると、そこに立ち上がった獣の大きさは、少なく見積もっても象三頭分はある。

 そして更に。


「グオ……」


 獣はあくびをするように軽く咆哮を放つと、折りたたんでいた翼を大きく広げた。

 その幅、優に二十マール。その形状は鳥のものではなく、太い中骨と節の先端に大きな鉤爪を持つ、コウモリにも似たそれだ。

 岩の鎧のような、灰色のごつごつとした肌。身体全体をひび割れのように走る節目から覗く赤色の筋が、鮮血にまみれているような凶悪な印象をもたらす。

 長い尾は大木の幹のよう。

 頭部は飾りのない兜のような流線形で、後方に頸部を守る固い襞を伸ばす。

 血走った赤い眼。額には、長槍のような巨大な衝角を前方に向けて突き出している。

 バサリと翼をひと振りすると、周囲に土煙とつむじ風を巻き起こした。


「龍……」


 トードが、かすれた声をもらす。


「まさか、そんな……」

飛龍(ヴィヴァーン)なのか」

「どうしてこんなところに」

「なんだお前ら、龍を見るのは初めてか?」


 ネャーフが、振り向いて言った。


「あ、当たり前じゃないですか」


 ダカルが青ざめた顔で答える。


「まさか、空飛ぶ馬ってあれのことだったのか」

「あり得ない」

「いったいどうやってあんな怪物を」


 一口に龍と言っても、色々な種類がある。一般に魔獣の仲間とされてはいるが、その力は別格で、中には人間並みの知能を備えているものまでいる。それらは魔獣と言うよりも、むしろ魔族と呼ぶべき存在だ。

 飛龍(ヴィヴァーン)と呼ばれる種は、どちらかというと知能は高い方ではない。生態も鳥類に近く、群れを成すものも多いが、性格は獰猛でとても人間が飼い慣らせるような代物ではなかった。

 しかも、ブルメリアで知られているのは、あれよりもずっと小型のものだ。それでも一般の猛獣よりははるかに大きく、滅多に見ることはないが、タイガやカラルカなどの辺境では、家畜や人間までもがたびたび被害にあっている。

 だがあそこに見えるのは、そんな獣とは一線を画す、龍族とでも言うべき威厳をそなえた生き物だった。

 しかも、周りには大勢の人間達が群がり、かいがいしく世話をしている。巨大な龍は人間に襲いかかるどころか、臣下にかしずかれた王のような佇まいを見せていた。


「あれは、いったい何なんです?」

「あれこそ、わがヴァイザルの守護神である覇王種のひとつ、天覇龍(ザーマーリゲン)さ」

「ザーマーリゲン……」

「ああ、まさに天空の覇王だ。この大空で、あいつらに敵うものなんていやしない」

「そんなものを、あなた達は飼い馴らしているのですか?」

「飼い慣らす? 失礼なことを言うな。友誼を結んでいるだけだ」

「友誼?」

「そうだ。あいつらにとって、俺達の仕事を手伝うのはただの遊びだ。気が向かなければ動いてくれないし、万が一機嫌を損ねるようなことをすれば、食い殺されてもおかしくない。

 元々あいつらは肉食だからな、人間だって平気で食う。

 ああそうだ、荷物はこの辺に置いておけよ。変に興味を持たれたら、おもちゃにされてボロボロになっちゃうぞ」


 皆は、慌てて荷物を牧場の隅に降ろした。


「彼らは、彼らでいいのかな。天覇龍(ザーマーリゲン)は、人間の言葉が判るのですか?」

「いや、全然」

「じゃあどうやって、意思を通じているのです?」


 するとネャーフは、にやりと笑ってジャシャの肩を抱き寄せた。


「そのために、こいつらジェンニラーがいるのさ」

「ジェンニラー?」

「ええと、ブルメリア語で何て言うんだ? 妖精族(フィルフェ)か?」

「「妖精?!」」

「と言っても、本物の妖精じゃない。太古の昔、妖精と交わったとされる一族だ。

 だからといってただのおとぎ話だなんて思うなよ。ジェンニラーは、龍と心を通わせることが出来るんだ」

「龍と心を……」

「そうだ、ジェンニラーこそヴァイザルの宝。人と龍とをつなぐ懸け橋となってくれる、奇跡の一族だ」

「いや、ヴァイザルだけでなく人類の宝だよ。聖王様がその力を認めたからこそ、聖王宮は彼らをこの地に招き、居留地を提供しているという訳さ」


 スカラーツ先生が言葉をつなぐ。だがダカルには、さらなる疑問があった。


「で、でも、あれは空を飛ぶのでしょう? そんなもの、今まで一度も見たことがないし、噂すら聞いたことありませんよ」

「そりゃ、見つからないように飛んでいるからな」

「見つからないようにって、いったいどうやって」

「それに、俺達はここに住んでいるわけじゃない。時々遊びに来させてもらっているだけさ。

 天覇龍は飛ぶのが大好きだからな。ヴァイザルからタイガの森を越えてブルメリアまで、一千カマールの旅はあいつらにとってもいい気晴らしだ。

 聖王宮には感謝してるぜ」

「その代わり、時々はこちらの頼みもきいて貰っている訳さ。

 今回は、俺達を辺境まで運ぶ仕事だ」


 スカラーツ先生がことも無げに言い放つが、皆は驚愕の連続に思考が追い付かない。

 全員が口を開いたまま石のように固まる中、後方からアマルルが我慢しきれないという様子で飛び出して来た。


「ねえねえねえー?! あの子達の所へ行っちゃダメダメー?!

 触りたい! お友達になりたい! だってだって、とっても可愛いんだもーん!!」

「「可愛い?!」」


 アマルルの言葉に、ダカル達どころかネャーフまで眼を剥く。その中でただ一人、ジャシャだけがアハハと笑った。


「でしょでしょ? そうだよ、あの子達はとっても可愛いんだよ。

 さっ、行こっ!」

「あっ、おい」


 ジャシャとアマルルが手を取り合って駆け出すのを、ネャーフは頭を掻きながら見送った。


「まあいいか。おい、俺達も行くぞ。

 出発は、夜だ。それまでお前らはあの龍達の世話をして、気に入られておかなくてはならない。でないと」

「乗せてもらえないということですか?」

「いや、上空一万マールで振り落とされて、そのままパクっと旅の弁当にされちまうってことだ」

「一万マール?!」


 空の上で弁当にされるのも恐怖だが、1万マールという高さも衝撃的だった。


「そうだ。目的地はタイガの森の縁から百カマールほどの奥地だ。そこまで約五百カマール、ちょうどヴァイザルまでの中間地点だな。

 その距離を、一万マールの高さで飛ぶ。

 空気なんてほとんどないからな。到着まで最小限の呼吸だけでしのがなければならないぞ」


 そのための潜水の術か。と、やっと得心した皆は、顔を見合わせてうなずいた。


「なあに、暗くなってから出発しても、夜明頃には着いちまうから心配すんな。

 さて、それまでにせいぜい気に入られておけよ。さっ、行くぞ」


 五百カマールもの距離をたった一晩で。いったいどれほどの速度で飛ぶというのか。


 それから陽が落ちるまで、ラルコ達はヴァイザルの人達に混じって、天覇龍の世話にいそしんだ。

 間近で見る龍の大きさは、まるで岩山が動いているような現実離れしたものだった。

 足元の爪の一本だけで人間の脚ほどもあり、胴体はそびえたつ城壁のよう。頭上から降りそそぐ雷鳴のごとき唸り声は、聞いただけで身が震えた。

 世話をするのも容易ではない。サコは鼻息で吹き飛ばされ、ティグラは餌となる牛と一緒に食われそうになって腰を抜かす。

 皆が死の恐怖と戦いつつ作業に没頭する中、アマルルだけは怖れを知らぬ様子で怪物との触れ合いを堪能していた。


「ねえねえねえ、この子名前はなんていうのかなー?」


 岩肌のように固い衝角の表面をパンパンと叩きながら、ジャシャに訊ねる。

 龍は気にする様子もなく、目をつぶって身を伏せていた。


「この子は、バラバラルだよ。湖の光っていう意味」

「こっちはー?」

「ファータィム。山に咲く花の名前」

「もしかして、女の子かなー?」

「うん、そうだよ」


 すっかり意気投合したアマルルとジャシャは、龍達の間をチョロチョロと動き回りながら、会話に花を咲かせる。


「アマルルは、聖王宮でどんなことをやっているの?」

「んー、まだ修行中だから特にはー。医術師(ミドゥシン)を目指しているんだけどねー」

「へー、じゃあ治癒術(ソワン)も使えるの?」

「うん、使えるよー」

「へーすごい。

 ねえねえ、好きな人とか、いる?」

「私は今んとこ別にー。でもでもねー、シーニャちゃんはねえー」

「ちょっとアマルル!」


 近くで聞き耳を立てていたシーニャが、思わず怒鳴る。

 するとその大声に気を惹かれたのか、傍にいた一頭が顔を上げ、彼女を見た。


「あっ!」

「まずい!」


 周りのヴァイザル人達が声を上げた。

 龍は、シーニャに向かって大きく口を開く。熱風のような呼気と、滴り落ちる涎の滝が彼女に迫った。

 そして恐怖で立ちすくむその身体を、巨大な舌でベロリと舐め上げた。


「うわ……」

「あーあ、やられちゃった」


 シーニャはその一撃で五マールも先まで弾き飛ばされ、白目を剥いて地面の上に転がった。

 全身涎まみれの、無残な姿となって。



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