50.最前線砦
:::さーて、そろそろ目的地だが。ちょっと早く着き過ぎちまったな:::
目的地と言われても、眼下に広がるのは変わらぬ一面の雲の海。自分達がどこにいるのかなどさっぱり判らない。
ネャーフは、どうやら星を読んで自分の位置を確認しているらしい。天測の技術は航海にも欠かせないものなので、ラルコ達も一通りは学んでいたが、そもそも目的地の場所すら知らされていない現状では何の意味もなさなかった。
龍たちは速度を落とし、上空で大きく旋回を始めた。
しばらくそうしていると、一方の空が茜色に染まり始めた。つまりは、その方角が東ということだ。
明けの帳が開くにつれ、星々が眠りに就いていく。東の空が黄金色の輝きを放ち始めるのに、さほど時間はかからなかった。
龍達は出発の時とは違って、位置を確かめるように旋回しながらゆっくりと降下して行く。
厚い雲を突き抜けると、その下には小雨が降っていた。
陽の光もここまでは十分に届かず、薄闇の中に黒い森がどこまでも広がっている。
ふと彼方に目をやると、はるか西の地平付近に、血の色にも似た赤い光が微かににじんでいるのが見えた。
もしや、あれこそがタイガの深淵。魔境とも呼ばれる森の最深部に横たわる大地の裂け目から漏れ出る、地獄火の灯なのだろうか。
やがて深い森の一角に、大きく開けた草地らしきものが見えてきた。
近づくに従って、周囲に建ち並ぶ大小さまざまな建物までも確認できるようになった。あれが目的地、辺境騎士団の最前線砦だ。
五頭の龍は、隊列をなして草地の真ん中に降り立った。
飛び立つ時と同じく、少しの揺れも衝撃も感じさせない、見事な着地だ。
龍達が翼をたたむと、森の縁から大勢の者が飛び出して来た。
彼らは龍を取り囲んでその巨体に梯子をかけ、あるいは大きな水桶を引きずってきて、龍の前に並べる。淀みのない、十分に訓練の行き届いた動きだった。
「ふう、やれやれ到着だ。おーい、お前らも帯を解いて体を自由にしていいぞ」
「ふああー、疲れたー」
ネャーフとジャシャが、大きく息を吐きながら体を起こす。同時に全方位の視界が消え、目に映る景色が平常のものに戻った。
起き上がりかけていたラルコとトードは、突然の視界の変化にまたもや平衡感覚を失ってしまい、思わず鞍の上に倒れ込んだ。
「ううっ、めまいがする」
「気持ちわりい」
「あー、よく寝たー」
体を伏せてへたり込む二人とはうらはらに、両腕を高々と伸ばし、上機嫌の声を放つのはアマルルだ。
「さてさてとー、もう着いたのかなー。ジャシャちゃんお疲れさまー」
「はいはい、アマルルもお疲れさまー。大丈夫だった? 途中で気持ち悪くなったりしなかった?」
「うん、全然だよー。サコちゃんの子守歌のおかげでぐっすり眠れたよー」
「あっはは、そりゃあ良かった。あの娘はサコっていうのか。後でお礼を言わなきゃな、おかげさんで俺達も気持ちよく飛べたよ」
「ありがとー、サコちゃん喜ぶよー」
長旅を終え、龍の背でそんな和やかな会話をしながら、一息ついている時のことだった。
梯子を駆け上がってきた一人の騎士が、ネャーフに向かって声を上げた。
「おい! 隊長はお前か!」
「そうだけど、何か?」
「補給物資はどこだ!」
「ああ、砦の分なら、あっちのゾンリッドが背負ってる荷がそうだ。全部降ろしていいぞ」
ネャーフがカビラハールの後ろに控えている一頭を指さすと、騎士は下にいる別の騎士に向かって大声で怒鳴った。
「あの右側のやつだ! 急げ!」
「おいおい、何をそんなに慌ててるんだ? どうかしたのか?」
「疲れているところを済まない。荷下ろしが済んだらすぐに飛び立てるように準備しておいてくれ。
それからお前達、聖王宮の学徒だな。お前らは絶対にここを動くなよ」
ただ事とは思えない騎士の様子に、ネャーフの目が鋭く光る。
「言え、何があった」
「この砦はいま、魔獣の襲撃を受けているんだ」
「なんだと!」
周囲を見渡すと、草地の辺りだけでなく、森の奥でも騎士達が走り回り、大声を上げている。
ラルコは意識を広げ、周辺の状況を把握した。
「西側の森の中で戦闘が起きている! 魔獣の数は全部で八頭! 黒牙狼だ!」
ラルコの叫びに、館の仲間達が一斉に立ち上がる。
ラルコは既に、自身の能力の一部を皆に開示していた。ただしそれはあくまで一部のみ、意識を読み取ってしまうのではなく、気配を探る能力に長けているという程度のものとして。
だがそれでも、その力は絶大な信頼とともに仲間達に受け入れられていた。
「お前……、なんでそんなことが判るんだ」
ラルコの能力など露ほども知らぬ騎士が、眼を見開く。
「スカラーツ組、抜剣!」
先生の声に、皆がそれぞれの武器を手にする。
ラルコやその他多くは腰に下げていた長剣だが、アマルルは短めの杖、ベアゴは鋲の付いた金棒だ。
そしてスカラーツ先生は、人の背丈ほどもある大剣を片手で掲げた。
「おい、ちょっと待て」
慌てて止めようとする騎士には目もくれず、ラルコたちは龍の背から飛び降りた。
「ラルコくん、けが人はどこ?!」
森に向かって走りながら、アマルルが叫ぶ。
「右手の方に、大勢がかたまっている。たぶんそこが医療所だ」
「わかった。シーニャちゃん、サングラくん、来て!」
「はい!」
「うはいい!」
治癒術を使えるシーニャと精神誘導に長けたサングラが、アマルルと共に隊列を離れる。
他の者は、スカラーツ先生を先頭に正面の森の中に突撃して行った。
「ラルコ、どっちだ!」
「あちこちに分散しています。正面五十マール先に三頭!」
「よし、手近な奴からいくぞ! みんな、かかれっ!」
「「「はいっ!」」」
スカラーツ先生の合図で、ラルコ達はそれぞれの武器を掲げ、アウラをまとわせた。
その瞬間、ただの長剣が鋼鉄をも断つ無敵の光剣へと変わる。さらに、皆は己の身体を光の鎧で包み込んだ。
三年間の修練の成果。魔獣相手の初めての実戦だが、怖れを抱く者はなかった。
木々の間を駆け抜けると、薄暗い森の中で、二・三十名の騎士と魔獣が対峙していた。
魔獣は三頭。狼に似た、だがその体躯は人間の数倍もある。
黒牙狼の名の通り、口元から伸びる大きな牙は、薄闇の中でもそれとわかる黒曜石のきらめきを放っていた。
対する騎士達の中には、魔導士や魔道騎士もいる。魔獣は、その者が手にしているアウラをまとった武器を警戒しているようだ。
だが、味方はすでに力尽きる寸前。立っている者以上の数の騎士たちが、雨にぬれた地面に倒れ伏していた。
魔獣は、威嚇を繰り返しながら攻撃の隙を探っていた。騎士団は、侵攻を食い止めるべく陣を敷いて防御に徹していたが、それが崩れ去るのも時間の問題と思われた。
そこに、スカラーツ先生を先頭にラルコたち六人の剣士は飛び込んだ。
「助太刀する! どおおりゃああっ!」
騎士達の間を一気に駆け抜け、スカラーツ先生が大きく跳びながら中央の一頭に真正面から斬り込む。
同時にラルコ達は左右に別れ、他の二頭に向かって行った。
「うらああーっ!」
左手に向かったダカルが、光剣で斬り込んだ。魔獣が前肢を繰り出して応戦しようとするのをティグラが光の盾で阻み、ベアゴが金棒で殴りつける。
魔獣が怯みを見せた一瞬に、ダカルは更なるアウラをほとばしらせる。光剣は元の刀身の数倍もの大きさへと姿を変え、魔獣の首を斬り落とさんと襲いかかった。
魔獣がそれを逃れようとする。ダカルはなおも追いすがったが、鋼の針のような剛毛と硬い皮膚に阻まれ、大きな傷は付けたものの致命傷を負わせるには至らなかった。
魔獣は後ろに跳び退り、首筋からどす黒い血をほとばしらせながら、ダカルに怒りの咆哮を浴びせかけた。
「くそっ、もう一度だ!」
「おうっ!」
三人がそろって突進すると、魔獣はその勢いに気押されてしまったのか、逃げ出す素振りをみせた。
その隙を逃さず、ティグラが剣を薙いだ。
ダカルと同じように、ティグラの光剣もまた大きく剣先をのばし、地面を蹴ろうとしていた魔獣の四肢を一気に刈り取った。
体勢を崩したところにベアゴが飛び込み、顎下から金棒で思い切り打ち上げる。
河王牛ほどもある巨体が宙に浮く。そこに、先に跳んで待ち構えていたダカルが剣を振り下ろす。
一太刀目に倍する気合に、落下の勢いも加わり、ダカルの光剣は硬い防御を打ち破り骨まで断ち斬って、魔獣の首を見事斬り落とした。
一方、右手に向かったラルコ達。
黒牙狼が騎士の一人に襲いかかろうとしていたところに、ラルコが打ちかかった。
彼の光剣は、ダカルのそれよりもさらに長く、加えて幅の広い、長剣というよりも大剣というべき形状を備えていた。
ラルコは、その剣で斬りつけるのでなく、平らに構えて剣の腹の部分で思い切り殴りつけた。
その巨躯と較べれば大人と赤子ほども違う身体に、いったいどれほどの力が秘められているというのか。魔獣はその一撃で地面に叩き伏せられ、苦痛にのたうち回った。
そこにサコとトードもまた光剣で斬りかかる。だがやはり、鋼の剛毛と強靭な皮膚の鎧に阻まれ、致命傷には至らない。
「サコは下がって! 倒れている人達を回収してくれ!」
「わかった!」
辺りには、戦いに敗れた大勢の騎士達が倒れ伏していた。
サコは、重い鎧を身に付けた自分よりも大きな男を片手で抱え上げると、後方で茫然と佇んでいる騎士団に向かって、無造作に放り投げた。
「受け取って!」
彼女もまた、三年の間にアウラによって身体能力を強化する術を身に付けていた。
少女の可憐な姿からは想像もできない膂力。傷ついた仲間を投げつけられた騎士は、その身体を受け止め切れず、一塊になって吹き飛んだ。
サコは次々と騎士を拾い上げては、乱暴に放り投げる。だがそれは、戦いの場となっているその足下に横たわっている危険から、一刻も早く救い出すためだ。
騎士達も、それに気付くと今度は二人がかり三人がかりで仲間を受け止め、後方へと送り出した。
その間にも、ラルコは魔獣を光の大剣で殴りつける。
二度、三度と。怒りにまかせて襲いかかってこようとするところを正面から受け止め、なおかつ力ずくで殴り飛ばす。
だがやはり、彼は致命傷を負わせようとはしなかった。
とどめを刺したのは、トードだ。ラルコに脳天を割られ、それでも立ち上がろうとした魔獣の正面に立ち、鋭い突きを放つ。
「うりゃあああっ!」
トードの剣は光の槍となってその眉間を貫き、のみならず胴体までも一直線に串刺しにした。
黒牙狼はその一撃でついに力尽き、雨にぬれた泥地の上に倒れ伏したのだった。




