第四話 空の鳥籠は揺れて②
窓から見える木々は大きくしなり、人々は上着の前を押さえながら足早に去っていく。窓ガラスには、黄色く色付いた葉から丸みを帯びたハート型の葉まで、様々な色や形の葉が張り付いている。
この風じゃ被り物をして歩くのは大変だっただろうと思ったところで、彼女が盆を手に戻ってきた。
「そういえば、その鳥籠も物語のモチーフなんですか?」
何気なく聞いた瞬間、彼女の肩が嬉しそうに跳ねた。分厚いマグカップに並々注がれたココアが目の前で波を立て、溢れたココアがポタポタと机に垂れる。カカオの甘い香りが辺りに広がり、彼女が慌てて盆を机に置く。
「きゃっ、すみません!」
「大丈夫ですか?」
「私はいいんです。パグさんにかからなくて良かった。……えっと、何でしたっけ」
カカオの甘い香りが辺りに広がり、彼女が慌てて盆を机に置く。ココアを紙ナプキンで雑に拭き取る彼女の袖口が汚れてしまわないようハラハラしながら、俺は先ほどの話を思い返す。
「えっと、素敵な鳥籠だと思って」
パッと彼女が顔を上げる。その隙に、俺は彼女の袖口付近に落ちていたココアを紙ナプキンで拭きとった。
「分かりますか? 今日はアンデルセンのナイチンゲールに出てくる鳥籠をイメージしているんです。でも、他にも鳥籠が出てくる話って沢山あるんですよ。童話は、特に」
声を弾ませながら、彼女が盆の上に乗った個包装のどら焼きを紙ナプキンで拭き取る。よく見れば、盆の上にはココアの小さな水たまりができていたようだ。ここへ運ぶ途中で既に溢していたんだろうか?
……ええっと、何だったか。鳥籠が出てくる物語をは数えきれないほどあるが、童話ならやはりあれだろう。
「メーテルリンクの“青い鳥”とか、グリム童話の“ヨリンデとヨリンゲル”とか?」
「そうそう! だからって訳じゃないですが、鳥籠そのものが結構好きなんです」
「鳥じゃなくて?」
「鳥籠は鳥がメインだから、どれほど飾っても主役にはなれないでしょう?」
俺は少し考え、立ったまま机を拭いている彼女を見上げる。今日の彼女の鳥籠は随分と煌びやかで、俺には主役そのものにしか見えない。
「でも、観賞用の鳥籠もありますよ?」
「それはそうですが、私は何かを守るために存在する方が良くて。愛でられるよりは雑に扱われる方が共感できますし」
そう言って笑う異頭さんの近くを、老夫婦が通りかかる。彼女は机に身体を寄せると、夫婦が通り過ぎるのを待ってから椅子を引き、滑るように席についた。
「一つ聞いても良いですか?」
「何ですか?」
「勘違いなら申し訳ありませんが、異頭さんがモチーフを選ぶ理由が、少しネガティブというか、なんだか報われないものが多い気がして」
「そうですね」
「何にでもなれるのに、なぜ?」
ちらっと彼女に視線を向ける。顎を持ち上げて考えこむ鳥籠の中には、悠々と空を飛ぶ鳥が映り込んでいる。
「んー、物語って色々な人が出てくるじゃないですか。人じゃないものもいますけど」
「よだかは鳥ですよね」
「だから、色々な物語を読んでいけば、どこかで“これ、私だ”って思えるものに出会えることがあって。そういうものを被っていたら、結果的に惹かれた理由やモチーフが偏った……のかな?」
悩みながら言葉を捻り出してくれた彼女に対し、分かるような分からないような相槌を打つ。
異頭さんの被り物は、至近距離で見ると細部や質感にこだわって作られているのがよく分かる。これほどのクオリティだ、モチーフが偏ってしまうのは少し勿体ない気もする。
「異頭さんならお姫様とかも似合いそうですが、なりたいとは思わないんですか?」
「えっ⁉︎」
ガタガタっと椅子を揺らし、異頭さんが勢いよく身を引く。そして、そのまま微動だにしなくなった。
そんなに驚くことだろうか?
ああでも、俺のようなおっさんからお姫様が似合うなんて言われたら、驚きを通り越して慄かれても仕方がないか。
彼女の首筋がじわじわと赤くなっていくのを見て、俺は慌てて頭を下げた。
「すみません、余計なことを」
「いやっ、その、お姫様は私も好きですし、嬉しい……です。でも、自分がなるのはしっくり来なくて。私には地味な被り物がお似合いなのかな。はは……」
乾いた笑いに少しだけムッとして、俺は身を乗り出した。
繊細に施された装飾はモチーフへの愛情と遊び心に溢れ、見れば見るほど気持ちが弾んでくる。曇り空の柔らかな光が落とす薄墨色の陰影が細やかな技巧を柔らかく浮かび上がらせていて、見れば見るほど惹き込まれる。もっとよく見たくて顔を寄せると、キャラメルに似た花の香りが鼻先を擽った。
「俺は素敵だと思いますよ。細部まで丁寧で、作り手の性格がよく出てる」
「えっ」
「今日の鳥籠も、こだわりを感じて魅入ってしまうというか。ほらこれ、鳥の彫刻ですよね。すごいな、こんなに細かいところまで」
鳥籠の扉の辺りを俺が指差すと、彼女はぴくりと肩を跳ねさせて俯いた。
「ちょっ、パグさん」
「ほらここも。なんだろう……ゼンマイ式のネジと、王冠かな? ああ、ナイチンゲールだからか。異頭さんらしい」
「あ、あの!」
異頭さんが声を張り、身を引く。突然のことに瞬きをしていると、彼女は蚊の鳴くような声をで呟いた。
「その、少しだけ……近いかなと」
近い? 何が?
首を傾げ、彼女を見る。気付けば鳥籠に吐息が当たりそうなほど近付いていたことに気付いて、俺は反射的に身を引いた。
「え? すっ、すみません!」
仰け反る俺の側腹部に車椅子の肘置きがめり込んで呻き声が漏れたが、そんなことはどうでもいい。
顔が燃えるように熱い。
気まずさを誤魔化すよう、マグカップへ手を伸ばす。
「私からも質問、いいですか?」
「なんですか?」
空気が変わるなら何だって大歓迎だ。そんな気持ちでマグカップに口をつけたところで、彼女が少しだけ首を傾げた。
「パグさんもお好きですよね、物語」




