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地球最後の通常営業  作者: One Point


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5/5

三人分

修一はスマートフォンを握り直した。


「はい」


『こちら、警視庁の者ですが』


 隣にいた彩花が修一を見る。


『高橋恵さんのご主人で間違いありませんか』


「はい。妻に何かあったんですか?」


『ご安心ください。奥様にお怪我はありません』


 その言葉で、修一はようやく息を吐いた。


「何があったんですか?」


『駅で鞄を盗まれまして』


「鞄?」


『財布と携帯電話、それからご自宅の鍵も入っていたそうです』


「本人は?」


『今、こちらの交番にいらっしゃいます』


 修一は場所を聞いた。


「分かりました。すぐ行きます」


 電話を切る。


「お母さん?」


「大丈夫。鞄盗まれたって」


「何それ」


「怪我はない」


 彩花も息を吐いた。


「どこの交番?」


「駅前」


「行こう」


 二人は焼肉屋を離れた。


     *


 交番までは歩いて十分ほどだった。


 中に入ると、恵が椅子に座っていた。


「お母さん!」


 彩花が駆け寄る。


「彩花」


「大丈夫?」


「大丈夫。ごめんね」


 修一は少し離れたところに立った。


 恵がこちらを見る。


「修一」


「怪我ない?」


「うん」


「よかった」


 それだけだった。


 一年ぶりにまともに顔を合わせた妻との最初の会話としては、ずいぶん普通だった。


 警察官から説明を聞く。


 駅のホームへ向かう途中、人混みの中で鞄を盗まれたらしい。


 世界が終わるまであと五日。


 それでも、鞄を盗む人間はいる。


「連絡先が分からなくて」


 恵が言った。


「携帯もないし」


「彩花の番号は?」


「覚えてない」


「俺のは?」


「覚えてた」


 修一は少し驚いた。


「まだ?」


「番号変えてないでしょ」


「変えてないけど」


「昔から同じだから」


「そうか」


 それ以上は何も言わなかった。


     *


「どうする?」


 交番を出て、修一が聞いた。


「何が?」


「焼肉」


 彩花が即答した。


「行く」


「お母さんは?」


 恵が時計を見る。


「まだ大丈夫?」


「予約は七時半だけど、電話すれば」


「じゃあ行こう」


 三人で歩き出した。


 修一は店に電話した。


 事情を簡単に話す。


『大丈夫ですよ。お待ちしてます』


「すみません」


 電話を切る。


 前を彩花が歩く。


 隣を恵が歩いている。


 三人で歩くのは、いつ以来だろう。


 修一は思い出そうとした。


 やめた。


     *


「いらっしゃいませ」


 店に入る。


 昔と同じ匂いがした。


 肉を焼く匂い。


 煙。


 タレ。


 案内された席も、昔よく座った場所に近かった。


 彩花が奥。


 恵が向かい。


 修一がその隣。


「何頼む?」


 修一がメニューを開く。


「タン」


 彩花。


「カルビ」


 恵。


「じゃあ両方」


 店員を呼ぶ。


「タン三人前と、カルビ三人前」


 修一は言ってから、少しだけ止まった。


 三人前。


 昔は何度も言った言葉だった。


 それが妙に懐かしかった。


     *


「お父さん、それ焼きすぎ」


 彩花が言った。


「まだ赤いだろ」


「タンはそれくらいでいいの」


「生だぞ」


「生じゃない」


「ほら、焦げる」


 恵がトングで肉を取る。


「修一、昔から焼きすぎるのよ」


「腹壊したくないだろ」


 彩花が笑う。


「あと五日なのに?」


「五日あるからだよ」


「確かに」


 恵も笑った。


 修一は二人を見る。


 何年ぶりだろう。


 こんなふうに三人で笑ったのは。


 世界が終わると分かってから、初めて時間がゆっくり流れているように感じた。


     *


「大学どう?」


 修一が聞く。


「普通」


「普通って」


「普通は普通」


「友達は?」


「いるよ」


「彼氏は?」


「それ聞く?」


「父親だから」


「半年連絡してなかった父親が?」


「……すみません」


 恵が笑う。


「仕事は?」


 今度は彩花が聞いた。


「普通」


「お父さんも普通じゃん」


「会社は行ってる」


「まだ?」


「まだ」


「なんで?」


「それ、みんなに聞かれる」


「答えは?」


「分からない」


「変なの」


「自分でもそう思う」


 彩花が肉を網に置いた。


「でも、お父さんっぽい」


「そう?」


「うん」


 それが褒め言葉なのかどうか、修一には分からなかった。


     *


 彩花がトイレへ立った。


 修一と恵だけになる。


 急に静かになった。


「……久しぶりだな」


 修一が言う。


「そうね」


「一年くらい?」


「十一か月」


「覚えてるんだ」


「そりゃ覚えてるよ」


 修一は水を飲んだ。


「俺のこと、嫌いになった?」


 聞いてから、もっと別の聞き方があった気がした。


 恵は少し考えた。


「嫌いだったら、もっと簡単だった」


 修一は黙る。


「嫌いなら離婚して終わりでしょ」


「じゃあ、何で」


「疲れたの」


「俺に?」


「待つことに」


 修一は恵を見る。


「修一って、何でも『あとで』って言うじゃない」


「……そうかな」


「そうだよ」


「旅行行こうって言っても、今度。家のこと話そうって言っても、あとで。彩花のことも、仕事が落ち着いたら」


 恵は網の上の肉を見る。


「ずっと待ってたら、そのうち何も決めないまま人生終わるんじゃないかって思った」


 修一は何も言えなかった。


 五日後。


 本当に人生が終わる。


「ごめん」


「今さら謝られても」


「うん」


「でも」


 恵が修一を見る。


「今さらだから、話せることもあるのかもね」


 修一は頷いた。


「明日から――」


 言いかけて止める。


 恵が見る。


「何?」


「違うな」


 修一は少し笑った。


「今日から、ちゃんと話そう」


 恵も少しだけ笑った。


「うん」


     *


 彩花が戻ってきた。


「何話してたの?」


「別に」


 恵が言う。


「怪しい」


「何も怪しくない」


「じゃあ追加頼もう」


 彩花がメニューを見る。


「上カルビ」


「高いぞ」


「あと五日だよ?」


「それ便利だな」


「何でも使えるよ」


 彩花が店員を呼ぶ。


「上カルビ三人前ください」


 修一は笑った。


 また三人前だった。


     *


 店を出たのは午後九時過ぎだった。


 駅まで三人で歩く。


 彩花が少し前を歩いている。


 恵が言った。


「明日、また三人でご飯食べる?」


 修一は少し驚いた。


「いいの?」


「あと五日でしょ」


「そうだな」


「彩花もいるし」


「うん」


 修一は答えた。


「食べよう」


 明日。


 今度ではなく。


 そのうちでもなく。


 明日。


     *


 午後十時十八分。


 家に着いた修一は、スーツを脱いだ。


 スマートフォンが震える。


 会社のグループチャットだった。


 田中。


【どうせあと五日なので言います】


 嫌な予感がした。


 続けてメッセージ。


【僕、この会社に入って後悔しています】


「おい」


 修一は思わず声に出した。


 既読が増えていく。


 五。


 八。


 十一。


 そして黒田。


【田中】


 一分。


【明日話そう】


 田中からすぐに返信。


【高橋さん】


【今のメッセージって消せますか】


 修一はベッドに座った。


【もう全員読んでる】


 既読。


 しばらく返事はなかった。


 世界が終わるまで、あと五日。


 明日も会社は、通常営業だった。

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