第2話
イザベラが居を構えた店は、港にほど近い坂の中腹にある。
カイリナの街は湾に沿って並ぶ丘の上に作られているため、街の各所に長い坂がある。
人の脚では登れぬ場所もあり、魔法を動力とした路面電車が人々の生活の脚となっていた。
そのひとつに乗り、イザベラたちが向かったのは海沿いの商業区だ。
湾に沿って弧を描く長い通りにはいくつもの店が並び、以前大騒ぎのあったジェンクスの店もこの中にある。
イザベラも本当はこのあたりに店を構えたかったが、呪いのかかった品物を扱う解呪店は繁華街には店を構えられないという決まりがある。
解呪に失敗し、呪いをまき散らすという事故が毎年一定数起こるからだ。
だからイザベラも商業区での開業を断念し、そこから外れた魔法使いが多く住む地域に店を構えた。
周りには魔法に関する品々を取り扱う店もあり、万が一の事故に自衛できる人々しか住んでいない。
むしろ呪いの品々に興味がある者も多く、イザベラが店を構えたことに文句も出ないのはありがたかった。
「このあたりは、人が多いな」
「あなたが魔王を倒したおかげで、魔の海域を航行できるようになったでしょう? おかげで外国から商船が入ってくれるようになって、前よりずっと賑わうようになったんだって」
「たしかに、珍しい品が多いな」
そういって、クリードが近づいたのは果実店だ。
「気になるものがあったら買っていけば? このあたりでは珍しい食材もたくさんあるのよ」
「なら、東方の素材もあるだろうか? 実は前からソバ粉というものを使って作る麺類に興味があるんだ」
粉をひき、それを叩いて伸ばして作るのだと、クリードは興奮している。
「あなた、本当に料理が好きなのね」
「実は、剣より包丁を握る方が好きだ」
「だったら、レストランでも始めてみたら? 執事よりよっぽど、楽しいと思うけど」
イザベラの提案にクリードの目が輝く。
だがすぐに、彼はその目を伏せてしまった。
「いや、所詮素人料理だ。店をひらけるほどではないよ」
「そんなことない。私、生きてきた中であなたの料理が一番好きよ」
「本当に?」
「こんな嘘、つかないわ」
断言すれば、彼の目に輝きが戻る。
「なら、やはり料理は君のためにしよう。俺も見知らぬ誰かより、君に作る方がいい」
そしてまたドキッとさせることを言うものだから、困ってしまう。
(他意はない、他意は絶対にない)
呪文を唱えるようにくり返し、「そう」とあえて素っ気ない返事をする。
「じゃあ、執事服を取りに行かなきゃね」
「着るのが楽しみだ」
そんな会話をしているうちに、気がつけば服屋は目の前だ。
「いらっしゃい!」
白い外装が愛らしい店の中に入れば、若い店主がぱっと顔を輝かせる。
「ああ、丁度よかった! 今イザベラに連絡しようと思っていたの」
そう言って駆け寄ってくる店主の名はチコル。魔法裁縫の達人で、この街いちの服屋だ。
「執事服、無事完成したわよ! 裏にあるから、試着してみて!」
そう言って、店の奥にクリードを押し込むチコル。その勢いに押されるクリードに笑っていると、戻ってきたチコルに突然「ありがとう!」と手を掴まれる。
「執事服なんて作る機会ないから、とっても楽しかった!」
「こちらこそ、無理を聞いてくれてありがとう」
「イザベラの頼みならいいのよ! うちのお得意様だし」
「それを言うなら逆でしょう」
むしろチコルは、イザベラの大事な顧客だ。
彼女のような魔法裁縫師は、ダンジョンから持ち帰られる特殊な装備を解体し、それを用いて服飾品を作るのだ。
だがそうした装備は大概高い。故に安く売られた呪いの品を買い、解呪して使うのがもっぱらだ。
チコルも例に漏れず呪いの品を集め、それを材料にするため毎日のようにイザベラの店に持ち込んでくる。
そうしているうちに、年も近いこともあり彼女と親しくなったのだ。
「いやいや、素材だけでなく腕を振るう機会までくれるなんてイザベラ様々よ! やっぱりほら、せっかく作るならクリードさんみたいな顔がいい男の服が良いもの!」
やはり同じ年頃、彼女もまたクリードの顔にやられているらしい。
「それにあの筋肉……すてきよねぇ」
採寸の時に見て以来、チコルはクリードの筋肉にもやられている。
元々筋肉フェチだと言っていたが、どうやらそのお眼鏡にかなったらしい。
「あっ、でも誤解しないでね! 服を着せる対象としてはすっっっごく魅力的だけど、友達の彼氏に手を出すようなことはしないわ」
「か、彼氏じゃないから!」
とんでもない誤解に慌てていると、チコルがにやりと笑う。
「でも、イザベラを追いかけてきたんでしょう?」
「雇用を求めて、よ」
「そんなの口実よ。絶対彼はあなたのことが好きなんだわ」
本当に好きだったら、普通に口説くだろうという言葉は飲み込んだ。
何せ彼は今、素直にならざるを得ない呪いにかかっている。
本当に好きなら、今頃告白をされているはずだ。
(でも、メイドだったし……)
あまりに衝撃的な姿を思い出しながら、イザベラはため息をこぼす。
「そのため息、やっぱりあなたは好きなのね」
「……ただちょっと、あの顔にやられてるだけよ」
「ちょっとって感じじゃないわ」
「ちょっとよ。私の恋なんて、ささやかな物だから」
他の女性たちがそうであったように、彼のかっこよさや優しさについコロッとやられてしまっただけだ。
そうしてうっかり恋に落ちたような自分のような者が、彼の心を射止められるとは思わないし、本気になっても悲しい結果になるだけだ。
「でも、あなたには“これから”があるわ」
「親しくなりたいと思ってるけど、恋はしない」
「それでも落ちるのが恋でしょう! それにあの筋肉と四六時中一緒にいて、ときめかないでいられる?」
「まあ、それは否定出来ないけど」
「ならちゃんと捕まえておきなさいよ! あんな腹筋といいお尻を持った男、絶対他にいないから!」
チコルらしい言い回しに思わず笑っていると、不意に店の扉が開く。
客かと思い会話をやめようとするも、そこで突然チコルにギュッと腕を掴まれた。
「もう来ないでって言ったでしょう!」
その指先から伝わってくる震えに、イザベラはハッとする。
チコルの視線の先を追えば、不遜な態度を隠しもしない男が立っていた。
店の客にしては小汚いその姿を見て、イザベラは既視感を覚えた。
(この人、たしかジェンクスさんの店にいた……)
彼に強引に兜を押しつけ、呪いを発動させた冒険者だとイザベラは気づく。
「お前が装備を買ってくれれば、もうこねぇって!」
粗野な風貌だが、声は思ったよりも若い。
交渉するにはあまりに乱暴な振る舞いからして、多分まだ駆け出しの冒険者なのだろう。
「とにかく金がいるんだよ! どれもいい装備だから、引き取ってくれよ!」
「そういって、ジェンクス爺さんをひどい目に遭わせたって聞いてるわよ! そんな人の装備なんて、誰が買うもんですか!」
こういうとき、真っ向から敵対してしまうところはチコルの悪い癖だ。
本当は怖いくせに、店主として店を守ろうとするあまり、彼女は虚勢を張ってしまう。
それで前に揉めたことを思い出したときには、冒険者の顔に怒りが浮かんでいる。
「てめぇ、こっちが下手に出ればいい気になりやがって!」
まるでお手本のような柄の悪さで、冒険者は腰の剣に手をかける。
途端にチコルがビクッと震えた。
身をすくませる彼女を見ていられず、イザベラが二人の間に入る。
「ちょっと落ち着いてください」
「てめぇ、確かじじいの所にもいた……」
「解呪の魔法使いです。もしよろしければ装備はうちに持ってきてください、呪いの有無を確かめ、必要なら解呪と鑑定を行いますから」
イザベラとしては、まっとうな提案をしたはずだった。
だが冒険者は、むしろ顔をしかめる。
「そういって、自分だけもうけようとする魂胆か?」
「そんなわけないじゃないですか。ジェンクスさんの件もありますし、装備を押しつけるような売り方はどうかと言っているだけです」
「いい顔してるが、俺の金を巻き上げたあげく装備が二束三文にもならねぇってホラ吹くつもりだろ!」
「そんなことは……」
ないと言いかけたが、冒険者が持っている呪いの品を見てイザベラはつい閉口してしまう。
(うわぁ、安そう……)
かかっている呪いも貧弱だし、その向こうに見える装備はどう見ても特別な品に見えない。
「何だよ今の間は!」
「いえ、その品に価値があるかどうかは、その……」
「やっぱり俺から取り上げるつもりだな! 爺さんに高価な装備を奪われたのだって、思えばお前がしゃしゃり出てきたからだ!」
「あれは自業自得じゃないですか」
それこそ、強引に売りつけるのではなく自分の元に持ってきてくれたのなら、正しい価値を教えられたのだ。
だがそうした発想は彼の中にはないらしく、ついに剣まで引き抜く。
「むしろお前が俺に金を払え!」
「な、なんでそうなるんですか!?」
「慰謝料だよ、慰謝料!」
言うなり、冒険者は剣を突きつけてくる。
距離が近づき、イザベラは今更のようにアルコールの香りが彼から漂ってくることに気づいた。
とんでもない物言いも、多分酔っているからだ。そんな相手に常識は通じない。
「イザベラ、さがれ」
このままでは酒の勢いで剣を振り回すかもしれないと考えたとき、大きな手がイザベラの肩に置かれた。
くっついているチコルごとイザベラをさがらせたのは、いつの間にか立っていたクリードだった。
(ま、待って……)
こんな状況なのに、思わず叫びそうになる。
それもこれも、理由は彼が纏った執事服のせいだ。
(チコル、ちょっと本気を出しすぎじゃない?)
長い手足を生かした作りの執事服は、息を呑むほどクリードに似合っていた。
クリードの巨躯と筋肉を思えばカチッとした服は窮屈になりかねないのに、彼のしなやかな動きを欠片も邪魔していない。
かといってその肉体美を隠しているわけでもなく、服の上からでも鍛え抜かれた筋肉が窺い知れた。
「お、お前……執事……か?」
「そうだ」
執事にしては顔も身体もよすぎるクリードに、冒険者は慄いている。
それはそうだろう、執事服が似合っているとはいえ、ただ者ではない雰囲気がクリードからは漂っている。
「だったら、主人の代わりにお前が金を払え」
「話が見えない」
「迷惑料だよ、お前の主人が俺からもうけを奪ったんだ」
雑すぎる説明に、クリードが怪訝な顔でイザベラを振り返る。
「……世に言う、いちゃもん」
「なるほど」
すべてを察したのか、クリードは近くに置かれていた採寸用の物差しを手に取った。
それを剣のように構えた姿を見て、冒険者がぷっと吹き出す。
「お前、そんな物差しで剣とやり合うつもりか?」
「君こそ、そんななまくらでやり合うつもりか?」
「お前、馬鹿にしてんのか!!」
冒険者がそう思うのも無理ない。
クリードが握っているのは物差しで、普通に見れば剣に敵う品物ではない。
そして酔った勢いで剣を振り回し、冒険者はクリードに無謀すぎる戦いを挑む。
「これで、正当防衛だ」
次の瞬間、目にもとまらぬ速さで物差しがしなり、冒険者の手から剣が弾き飛ばされた。
あまりにも一瞬の出来事に、冒険者も自分に起きたことがわからなかったのだろう。
蹈鞴を踏んだ格好のまま、彼は何も握っていない手を唖然と見つめている。
「ここで止めるか、物差しで無様に倒されるか選べ」
そう言って、冒険者の首に物差しがぐっと突きつけられる。
人の肌を切れるものではないのに、イザベラの目にはそれが魔剣に等しいものに見えた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!」
それは冒険者も同じだったようで、彼は無様に尻餅をつくと、這うように出口に向かう。
酔っていても、危機回避能力はあるようだ。
「逃がして、いいか?」
物差しを下げながら、クリードがイザベラに問う。
しかし判断するのはチコルだと思い、イザベラは彼女の肩をそっと叩いた。
「だ、大丈夫。むしろ迷惑かけちゃってごめんなさい」
気にするなと言うようにイザベラが頭を振れば、クリードも微笑む。
「迷惑だとは思っていない。俺はただ、大事な主を守ろうと思っただけだ」
「大事な主って、イザベラが!?」
チコルが叫ぶ横で、イザベラはただただ唖然とするほかない。
「俺にとって一番大事な人だ。その友人である君も俺にとって護るべき人だから、また奴が来たときは気軽に呼んでくれ」
事もなげに言うところを見るに、やはりクリードに他意はない。
(そんな言い方されると、意識しちゃうからやめてほしい)
悩ましい息を吐き出しながら、イザベラは冷静になろうと努める。
だがこちらの苦悶に欠片も気づいていないクリードは、そこで急に距離を詰めてきた。
「それで、どうだろうか」
「ど、どうって?」
「服は、似合っているだろうか?」
そういえば、感想は心の中にしまったままだった。
「すごく似合ってる」
魅力的で素敵で格好いい。
なんて本音はもちろん言えなかったが、クリードは短い言葉にぱっと顔を輝かせた。
「ならよかった。形ばかりにならないよう、精一杯君に仕えるから期待していてくれ」
むしろほどほどでいいと言いたかったけど、やる気をみなぎらせるクリードに水を差すのも気が引けた。
(頑張って、これ以上好きにならないようにしなきゃ)
既にこの三日、彼のお世話になる中で何度も心臓を揺さぶられてきたけれど、今後はもっと気をつけよう。恋の沼にだけは落ちないようにしようとイザベラは自分に言い聞かせた。




